週間予報は週のなかごろから目まぐるしく変わり、それはどんどんと悪いほうへ向かった。
18きっぷを使った輪行に出かけようとしていた。輪行で雨に濡れるのはちゅうちょする。自転車で走りながら濡れるのはそれほど苦にしない。ただ、濡れてしまった恰好で鉄道に乗るのがいやなのだ。家からの自走や車載でのサイクリングだったらそれほど気に留めない。
だから60%の降水確率が下がらないまま迎えた週末は、その計画を変えることにした。雨の少ないところをねらって自走や車載という手は、残った18きっぷゆえ選択できなかった。
浜松に行って餃子を食べるか──。
一日という時間と距離から考えて浮かんだ場所だった。
よし、それはいいだろう。じゃあそれからどうする?
地図をながめ、そういえばと思い出すように触れずにいた地と路線。浜松から北に向かう私鉄、遠州鉄道と、浜松の東、掛川で東海道線と分岐するように内陸と浜名湖の湖北を走って愛知県との県境にほど近い新所原で再び東海道線に合流する天竜浜名湖鉄道、通称天浜線だった。
(東海道線と遠州鉄道と天浜線)
地図を見るとどう乗りまわすのがいいのか考えあぐねた。せっかく乗るなら天浜線すべてに乗ってみたくもあるし、でもそうすると遠州鉄道と浜松餃子はどうなる──、しばらく悩んだあげく、天浜線は地図で見る限り魅力がありそうな奥浜名湖の裏をめぐる区間だけにし、遠州鉄道との接続駅の西鹿島から新所原へ乗ってみることにした。
あとは東京から新所原まで行って西鹿島、新浜松と戻るか、東京から浜松まで行き新浜松、西鹿島から新所原に出て東海道線から戻るかだ。時間を調べると後者のほうがよさそう、浜松にもお昼前に着き、早めの餃子にするのがいいプランに思えた。
そして遠州鉄道と、接続駅の西鹿島からの天浜線片側のみのフリーきっぷという今回の旅にもってこいのきっぷまで見つけた。
(天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ)
熱海からはロングシートを乗り継ぎ、沼津からは立ち尽くしで──おそらく18きっぷ終盤だからだろう──、11時前に浜松駅に着いた。
駅の南、超有名店「むつぎく」と、その近くにある「るんるん」。開店はいずれも11時半、早めに着いてそのままむつぎくで食べられるならそうしよう、だめならるんるんにしようと、駅から数分で人の姿もあまり見られない細い路地に入った。
路地を曲がったとたん、僕は別世界のような行列を目にすることになる。
(通過したことは何度もあるのに降りたのは初めての浜松駅)
(人もまばらな路地に入って僕が目にした行列)
むつぎく、だ。
さすがに一度ひるんで、るんるんを探しに行く。店はまだ開いていない。並んでいる人もいない。るんるんであれば待たずに入れるだろうか。であればむつぎくにとりあえず並んでみて、待たされてらちが開かないようであればるんるんへ移動しようか。
開店を待ち並んでいる行列に店員が人数と注文を確認してまわる。そこで僕は一巡めには入れないことが判明した。しかしながら二巡めの先頭であることもわかった。回転はどのくらいの時間だろう、まあいいや──。僕はそのまま待つことにした。
次から次へと人が現れる。そして誰もがこの人だかりを見て唖然とするのだ。おそらく、僕も同じ表情をしたに違いない。
店が開き、僕の前までがテーブル、カウンター、お座敷に案内された。僕は店内の椅子で座って待つことになる。そのころ、行列は僕が並び始めたころの3倍くらいになっていた。
ラーメンやごはん、セットメニューもあるが、ここは宇都宮の正嗣(まさし)にならって餃子単品でいくことにする。4個の倍数で注文になるようだけど、12個からが円盤盛りのよう。それにする。
そして案内され、注文をし、餃子が現れる。
(浜松餃子の超人気店、むつぎく)
なるほど美味しい。待ち時間は二巡めの先頭で15分強というところ。もちろんその前に、開店前の店の前の行列に30分近く並んでいた。
食後はJRの線路を越えて浜松駅の北口に出る。ここから数分、いよいよ遠州鉄道にお目にかかる。新浜松駅だ。
と、新浜松駅に向かう前に、るんるんをのぞいてみた。しかし僕がむつぎくの行列に並ぶ前と何ら変わっていない。こちらも11時半開店じゃないのか? でも開いていない。そうなると無理してでもむつぎくに並んで正解だったことになる。
(るんるん)
真新しい駅の有人窓口でフリーきっぷを購入した。1450円。きっぷ自体とそれを入れられるネックストラップ──天竜浜名湖鉄道と書いてある──、それに天浜線沿線のガイドブックをくれた。
──ぜんぶ、天浜線。
遠州鉄道は赤電との名を聞いていた。その名のとおり赤い電車が入ってきた。といっても京急のような印象ではなくどちらかというと鹿島臨海鉄道を思い出した。赤の色のせいか、色ってちょっとの違いで印象が変わるものだと思う。
12分ごとに電車がやって来るようで、これなら時間に余裕がある。ホームに上がって止まっている電車を一台見送った。次の電車に乗る。これでも余裕があるから気の向いた駅で降りよう。
新浜松を出て北に向かう。遠くには山が見える。天竜の山並みだ。その方角へ電車は北上を続けるが、新浜松を出てそのまま高架線が続く。いくつの駅を高架線でつないでいるのだろう、地方私鉄でこれだけの路線基盤を持っているのに驚いた。と同時に目にする風景──北の山並みと走る高架線──で阪急宝塚線を思い出した。
途中、浜北の駅で降りてみた。
(天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ、ネックストラップ)
(新浜松駅と遠州鉄道の赤電)
(途中下車の浜北駅、構内踏切)
電車は終着の西鹿島に着いた。
10分強の接続で天浜線の掛川方面を待つ。
フリーきっぷは反対の新所原方面なのだけど、ここからふた駅、二俣本町と天竜二俣まで、逆方向にもフリー区間があるのだ。
二俣本町駅で下車。
歩いて1キロ程度のところに、「大判や」という大きな大判焼き(今川焼)を作るお店があるから行ってみようと思っていた。さっき新浜松駅でもらったガイドブックにも載っていた。
単線片側ホームの駅を降り、当然のごとくの無人駅舎を抜けるととなりにそば屋が店を構えていた。そこから街なかを歩いていく。道はいつの間にか国道152号になっている。標識には「水窪」の文字が。国道152号「秋葉街道」、自転車でいつか行ってみたいと考えている憧れの地名を目にした。
屋号は看板も何もない。「氷」ののぼりが小さくはためくだけ。最初はそこが大判やだと気づかなかった。店内ではみなかき氷を食べている。
「あの、大判焼きは……?」
「大判焼きは夏は焼いてないんです」
予想外の返事に僕は途方に暮れる。食べられないとわかるとよけいに口のなかが甘いものを欲し始める。とぼとぼと炎天下の道を戻り始めた。
街は昭和が色濃く残る。
(遠州鉄道の終点、天浜線との接続駅、西鹿島)
(二俣本町駅とのれんは出ていない駅舎内のそば屋)
(大判焼きを手に入れられなかった、大判や)
(昭和を残している二俣の街なみ)
歩いて戻る駅は天竜二俣駅にした。
天竜二俣駅の駅舎内にはホームラン軒という名のラーメン屋があるらしい。そこも気になっていた。しかし浜松で餃子を食べたばかり。少食の僕がそれまでにラーメン一杯分の余裕を作れるかどうか。まずは歩いてみてだ、と考えた。
天竜二俣駅の構内には、かつて国鉄時代のキハ20系気動車が置かれていた。保存しているのだろう。その後ろにはなぜか、ブルートレイン20系寝台客車が連結されている。そのほかに腕木式信号機やらせん状に巻かれたタブレット受け、国鉄二俣線時代からずっと風雪に耐えてきた木造のホームの屋根が目に入る。そして木造の駅舎も目に入る。
天竜二俣駅に着いた。
駅舎横にはホームラン軒。そして、店の入り口には「準備中」の札が出されていた。
おなかがこなれて余裕ができたかどうかなんて判断することもできなくなった。大判焼きに続いてここでもフラれてしまった。
──列車を、待とう。
(天竜二俣駅に保存されているさまざまなものたち)
(駅舎脇のホームラン軒)
(早めにホームへ出ると、新所原行きの始発列車が入ってきた)
天浜線は、国鉄二俣線時代からをとおしても、僕は初めてだ。
列車は単線の線路で森を抜けていく。トンネルのようになっている緑が、ときどき、いやけっこうな頻度で車体にぶつかる。森のなかをうならせたエンジンでぐんぐん進んでいった。
やがて浜名湖が左手に現れた。そこからしばらく湖岸を行く。
近づいては離れ、離れては近づく。離れると列車はまた森のなかを行く。そしてまた浜名湖に近づく。近いときなど湖は窓の真下だ。なんという臨場感だろう。僕は圧倒的な景観に酔いしれながらキハに揺られていた。
湖畔と、鉄道線路と、それに交わったり並行したりするようにいくつか道路が現れて消える。そこをながめているとまた違った気分の高揚感が生まれてきた。自転車だ。自転車で走りたいのだ、ここを。
実際、何台もの自転車が車窓を駆け抜けていた。
(森、湖、青空、天浜線の風景)
やがて列車は湖畔を離れる。小高い丘を登るのか、上り坂ばかりになる。小刻みな変速を繰り返しながら、再び森のなかの坂道を駆け上がっていった。
それから間もないうちに、列車は新所原駅に着いた。
僕は、エンディングの気分的準備ができていないうちにそれを迎えてしまった。左から東海道本線の分厚いレールが近づいてきて、やがて平行になる。そして天浜線のキハはJRの駅のはずれの一角にある小さなホームに車体をつけた。いすみ鉄道の大原駅のようだ。
(新所原到着、天浜線の旅も終了)
さ、東海道線に乗って帰ろう。
いろいろ凝縮された一日を思い返しながら、真新しいJRの駅のホームへの階段を下った。