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    • 2017.12.04 Monday
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    西上州曇天雨天

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      (地図)


       何週、週末の雨予報が続いただろう。
       もちろん予報は雨だけど降らないときもあった。浜松の鉄道旅をしたときや、富士山を見に新道峠に輪行で向かったときだ。それ以外にも自転車に乗ることができたり出かけることができたりする日もあったかもしれない。でも結果的には雨の予報や降水確率を見て、ときには朝の空模様を見てあきらめる日が何回も続いている。
       週間予報はこの一週間めまぐるしく変わった。
       土曜日は雨の予報がまず出て、日が経つにつれ降水確率が上がった。かと思えば週の中ごろを過ぎると晴れマークの付く天気予報も現れた。僕は行けそうな場所、雨に降られなさそうな場所を見つけて出かけるつもりになっていた。

       輪行が多い僕だけど、この日は車を用意した。
       もし雨に降られたとき、身体がずぶ濡れの状態で電車に乗るのはいかばかりか気が引ける。もちろん結果的に降られてしまって濡れた身体で乗ることがなくはないけれど、できれば避けたいと思っている。その点車ならどれだけ濡れようとかまわない。
       変化の多い天気予報を見つつ僕はいくつかのルートを引いた。神奈川、栃木、群馬。木曜日、金曜日の天気予報を追いかけると、関東は一円あまり変わらないように見えた。曇りときどき晴れの予報あるいは曇りときどき雨の予報。天気予報ごとに出す予報は異なれど、その予報のなかで地域による予報差はほとんどなかった。
       僕はそのなかから神奈川のルートを選択した。小田原から大雄山や足柄をめぐってくるルートだ。箱根の至近ながらまったく足を踏み入れたことのないエリア。日が近づくにつれ僕は興味を強くしていった。
       しかし土曜日の朝、ニュースのなかで気象予報士は「太平洋岸ほど雨が降りやすいでしょう」と告げた。時間別天気での小田原は終日、傘のマークが現れていた。曇りのマークが続くのは群馬や栃木の北関東だった。
       そんなわけで僕は甘楽町の道の駅にいた。
       まだひと気も少なくひっそりとしたそこは、やはり厚い雲に覆われていた。北関東とはいえ朝の予報では午後3時以降は傘マークが並んでいた。今は朝8時半。これから6時間を楽しむことにしよう。
       とはいうものの、熱心に計画を立てたルートではなかった。目新しさはない。富岡から松井田に抜け、横川を経て碓氷峠を上る。軽井沢でお昼ごろだろうか。帰路は和美(わみ)峠から下って下仁田に下りる。とりあえず西上州を走るなら、という程度。ここに来てからもう少し事前に情報収集しておけばと思った。
       富岡製糸場の前を通った。入り口に向かって行列ができていた。9時開場、その前から楽しみにしている人が並んでいた。富岡はいい街並みをつくっている。ここを通るとつい立ち止まる。富岡製糸場への興味はそれほど強くないけれど、富岡の街はいい。ここで少しのんびりしてみたいと思う。思うのだけどいつも忘れてしまう。まだ開いていない喫茶店を気にしながら通過して、僕はそのまま松井田へ向かった。
       国道18号と国道254号のあいだ、鉄道でいうと信越本線と上信電鉄とのあいだには妙義山から東へ延びる丘陵部がある。下仁田から松井田に抜けるにしても、富岡から松井田や安中に抜けるにしても、吉井から同じように安中に向かってもこの丘陵部を越えなくちゃならない。標高は高くないけれど、急な坂や上り返しもあったりして意外に疲れる。あわてずゆっくり坂を上りながら西を見ると、雲のなかにすっかり隠れてしまった妙義山の裾野だけが目に入った。

       横川のおぎのやドライブインの前で缶コーヒーを買い、ベンチに座って休憩した。国道18号はこの空模様にもかかわらず交通量が多く、みな軽井沢へ向けて坂を上って行った。
      「これから碓氷峠に上るの?」
       革ジャンに身を包んだ、僕より15歳は上だろうか、男性の三人組がバイクを止めて僕に声をかけた。
      「はい、今からです」
      「大変だ」
       とひとりが言う。
      「でも、自転車で坂を上るの好きな人も多いっていうよ。明日は赤城山を封鎖して自転車で山を上るレースをするんだと」
       と仲間が言う。
      「へえ」
       そんな会話を仲間内でしている。僕は笑って聞いている。
       僕がベンチを立ち空き缶を捨てると、気をつけてなあと声がかかる。僕もお互いにと声をかけた。

       国道18号旧道は雨こそ降っていないものの路面は濡れ気味で、空気が身体にのしかかるような重みを感じた。坂本宿を抜け、峠への坂道になる。道は森へ分け入り、路面はついさっきまで雨が降っていたのではないかと思うほど濡れていた。ずっと降り続く長雨のせいなのだろうか、国道18号の路面をまるで洗い越しのように水の流れが何箇所も横断していた。
       旧信越本線のめがね橋で自転車を止め下から眺めていると、そこへ先ほどのバイクおじさん三人組が追いついてきた。「やあ」と言う。「お疲れさまです」と僕は返した。
       空腹を感じてバッグに入れてきた蒸しパンを口に放り込んだ。それから再び碓氷峠に向かって出発。バイクおじさん三人組はめがね橋のうえへ散策しに行ったようだ。
       国道18号旧道には、カーブごとに1番から順に番号が振ってあり、確か184まであるはず。途方もない数だ。そんなに上らないと着かないのかといつも驚く。しかしそのぶん傾斜はきつくない。名のある峠でここまで勾配が緩いのはあまりないように思う。
       傾斜がきつくてもいいから短い距離で越えてしまいたいと言う人もいる。逆に距離は時間をかければ堪えられるから傾斜は楽なほうがいいと言う人もいる。人それぞれだ。僕はどっちだ? ──そう言えば考えたことがなかった。
       道路距離は長いものの峠までの直線距離がそれほどあるわけじゃないので、道はつづら折りで距離と標高を稼いでいく。右に曲がると左、曲がるとまた右。直線はほとんどなくてめまぐるしい。後ろから3台のバイクがやって来て僕を追い越していった。手を挙げて次のカーブヘ入っていく。僕も手を振りかえした。彼らはすぐに次のカーブで見えなくなった。

       国道18号旧道が坂を上り切るその場所に「長野県軽井沢町」の案内標識があらわれた。カーブは184まであったっけ──すべてを見ていたわけじゃないからわからないけれど上り切った。空は厚い雲に覆われるどころか、霧に覆われたように白んでいる。松井田で見た妙義山を思い出した。ここは雲のなかなのかもしれない。
       下りに入り始めてすぐ、国道18号旧道を離れて旧軽井沢の別荘群の道を選んだ。最も軽井沢らしい風景、そうここで書きながら避暑地の風景を楽しみたいところだったけれど、雲のなかは細かい霧雨に包まれていた。身体は徐々に濡れていくようで、それよりなにより県境を越えたら空気まで入れ替わったかのように寒かった。
       たまらず、軽井沢銀座には向かわず、大通りを駅に向かった。引いてきたルートではここから軽井沢銀座を散策ののち、中軽井沢に向けて別荘群やホテルのなかを抜ける小道を走ろうとしていた。でもそれを続けられないほど、あっというまに身体が冷えた。そして身体が求めるまま駅近くのそば屋に入り、あたたかい月見そばを食べた。

      「軽井沢ってところは特別寒いんだよ」
       おはぎを食べながら僕が軽井沢から下ってきたことを話すと、和菓子屋の主人はそう言った。
      「ここや松井田と比べると標高が全然違うけど、佐久なんかと比べても格段に寒いんだよね。空気が違うと言うか」
       僕はへえと言う。
       軽井沢でそばを食べ終えた僕は、久しぶりの軽井沢で散策をする気も起きず、ウィンドブレーカーを着こんで早々と出発した。ずっと霧雨にさらされているような状況のなか、プリンス前から南軽井沢を経て和美峠へ出た。
       10年以上使っているウィンドブレーカーは自転車用でも何でもなく、はっ水効果はもう完全に失われていた。霧雨はウィンドブレーカーを通過して僕の身体を濡らしていた。
       そんな天気だから和美峠からの下りは路面がしっかり濡れていた。急坂の続く下りを慎重に進み、上州姫街道の本宿(下仁田町)まで下ってきた。本宿の町ではまだ降り出していないのか、路面が乾いていた。
       本宿は今、上州姫街道の県道がバイパスとなって、旧道沿いにぽつんと残っていた。静かに、でもしっかり根付いた町があった。おはぎの文字につられ、僕は和菓子屋へ入った。
      「昔はこの町のなかにも映画館があったくらいだから」
       和菓子屋の主人は言った。
       かつては軽井沢へ向かう車で渋滞がひどかったと言う。街道のバイパスとして県道が川むこうを大きく迂回して通るようになると車はそちらヘまわり、町は落ち着いた。やがて上信越道が開通すると、下仁田から和美峠経由で軽井沢へ向かう人はいなくなり、町全体が静かになった。
      「ここにいても今は仕事がないから、若い人はどんどん都会へ出ていくからね。ずいぶん人も減ったよ」
       話し込んでいるあいだに窓の外に篠突く雨が落ちているのが見えた。さっきまで雨の気配はなかったのに。
       それにしても今日いちばんの雨だ。時間は午後2時半過ぎ。僕はとどまることより進むことを選択し、ごちそうさまでしたと店を辞した。
       5分も走るとヘルメットから水滴がしたたり始めた。車で来ているがゆえどうしたって甘楽まで戻らなきゃならない。20キロ前後あるはずだ。
       僕は下仁田の町なかまで下りてくると、駅に寄ってみた。サイクルトレインが走っているのでは? と思ったからだ。駅に自転車を立てかけ、ヘルメットを外して改札に立つ駅員に聞いてみた。
      「もう終わっちゃったんじゃないかなあ……」駅員は時間を確認する。「もう自転車を乗せられる電車は終わっちゃいましたね」
       時計は3時過ぎ。
       天気予報は大当たりだった。

       僕は駅員にありがとうございますと礼を言い、雨をあきらめて国道254号を走った。



      (道の駅甘楽)




      (富岡の町風景)



      (めがね橋)



      (軽井沢駅前通り)



      (上州姫街道・本宿の街なみ)

      ハブナットレンチ17ミリ

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         僕は自転車に対してパーツやコンポを換えていくことをするほうではないので、今つけているホイールももともとの完成車時代からついているシマノの最も安いものだ。
         シマノはコダワリなのかどのモデルもハブがカップ&コーン式。したがって定期的にばらしてグリースアップしないとならない。
         僕のようにメンテナンスに手をかけない人間にとって、こういったことは面倒なだし、放置したうえ壊してしまうということになりかねない。アスリートのように一秒を争うような世界とは対極にいるし、きちんと走れば気にしないから(この「きちんと」のレベルが、あるいはきちんとに対する感覚が問題なのかもしれないが)、状況を知ったときには壊れていました、というパーツはあまりうれしくない。
         前回いつグリースアップしたかまったく記憶がない。2年? 3年? ──本当にそんなレベル。



        (とりあえずばらしてみた)


         さてシマノのハブは17ミリのナットを使用しているが、一般的に売られているハブナットレンチは14ミリから16ミリくらいが多くて、セットエ具に含まれているのもこれが多い。
         僕もはじめ、ハブをばらそうとしたときにはまるハブナットレンチがなくてあわてて探しに行った。ぱっと17ミリなんて見つからなくて、たまたまどこかの百均でみつけた薄手の17ミリレンチを急いで買ってきた(もちろんハブ用ではない)。それ以来なんだか買いそびれて、この百均の17ミリとモンキースパナでいつもやってしまう。
         使いづらくはあるものの、ずっと使い続けているということは使えないことはないということだ。


        (百均で買った17ミリ。決して使いやすくはないけどずっと使っている)


         その2年だか3年だかぶりのハブのグリースアップは、玉当たり調整の感覚を全く忘れてしまっていて、えらく時間がかかってしまった。おまけにリムの振れまで見つけたものだからこれも直したり。
         結果的にかかった時間と奪われた体力でうんざりして、シールドベアリングのホイールが欲しいな、などと思いはじめてしまうという……。
         ──もちろん、メンテナンスフリーという目的でね。

        ドンベイ峠、新道峠、旧芦川村(その2)

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          (その1からつづく)





           御坂山地周辺の道路にはあまり詳しくなかった。
           御坂みちこと国道137号その御坂トンネルと、旧137号の山越え旧御坂トンネルでの御坂峠は知っていたけれど、それ以外の道は知らなかった。確か甲府のほうからやって来て精進湖へ抜ける国道があったようなおぼろげな記憶があるくらいだった。
           だから今回、ここ新道峠に来るのにあたって調べて道をいくつか知ることができた。御坂みちから旧芦川村を結ぶ林道、蕪入沢上芦川線。甲府から鳥坂峠を越えて芦川へやって来る県道36号。この県道36号は芦川で向きを南東から西へくるりと変え、旧芦川村内を貫いて上九一色から市川大門の芦川駅へ向かうルートを取る。甲府から右左口峠をトンネルで抜け、上九一色の古関を経由して精進湖に向かうのは国道358号。新しいところで芦川村の県道36号から分かれ──それはちょうど県道36号が南東から西へ向きを変える地点だ──長い若彦トンネルで御坂山地を一気に貫き、河口湖へ下る県道719号。ほかにも林道で大窪鴬宿線や黒坂里道、その両林道をつなぐ名所山林道などなど。調べていくと名前を聞き場所を想像するだけでわくわくするところが目白押しだった。

           新道峠へ来るために入り込んできた蕪入沢上芦川林道、そこから分かれた枝線もまた林道で、水ヶ沢林道と言った。
           僕らは新道峠から登山道を歩いて止めていた自転車に戻ると、2、3キロばかりの水ヶ沢林道を下ってもとの蕪入沢上芦川林道との分岐点ヘ帰ってきた。富士山がまったく見えなかったとはいえ、目に飛び込む河口湖や遠くの山中湖をながめて気をよくして、おかげで途中で食べた軽食もすっかり消化してしまい芦川村への下り坂を急ぐことにした。
           しかし再び蕪入沢上芦川林道に戻るとそこはそれまでと同様のセメントひび割れ舗装、石畳の続く道だった。スピードがまったく出せないだけじゃなく、ブレーキはうまくかけられないし、手に伝わる振動もすさまじかった。あまりに身体への負担も多いものだから果たしていつまで続くのだろうと不安になり始めたころ、その荒れた路面は終わった。ちょうどすずらん群生地への入り口のあたりだった。
          「お腹すきましたねえ」と僕が言い、「そうですね、下りて食べましょう」とUさんが言った。きれいなアスファルト舗装に変わり、順調に坂を下り始めた。

           集落に出たようだ。
           久しぶりの人家を見てそう思った。何時間ぶりだろう、蕪入沢上芦川林道のあいだ人家はまったくなかった。そして集落にはうわさに聞きしかぶと造りの屋根が並んでいた。狭く急峻な峡谷の地形に家を建て畑を造りそのすき間を縫うように道があった。どこか懐かしい、会津の山あいで見かける風景を思い出した。「コーヒー」──Uさんが止まった。僕もあわてて後ろでブレーキをかけた。「いま、コーヒーってありましたよ」
           僕はUさんの言葉に下って来た道を振り返るように見た。
          「あの上にありました」とUさんは180度曲がったヘアピンカーブのうえを差す。
          「戻りましょう」僕らはUターンして坂を上り、かやぶきの屋根を乗せた古民家に立ち寄った。

           縁側でコーヒーを飲んでいるふたりがいる。僕らは古民家の太い柱のひとつに自転車をくくり付け、がらがらと音を立てる引き戸を開けて中へ入ろうとした。すれ違いざまに中から女性が出てきた。僕はてっきりここの店の人かと思い、「自転車をここに置かせてもらってもいいですか」と聞いた。「ええ、大丈夫ですよ」と彼女は答えた。しかし彼女はここのお店の人ではなかった。


          (かやぶき屋根古民家の店)


          (縁側でコーヒー)


           縁側でコーヒーを飲んでいたカップルはちょうど席を立つところで、店のなかに声をかけた。その声に呼応して初老の男性が顔を出した。親しげに話している。地元の客だろうか。
          「ささ、なかに入って」さっきの女性が言う。「なにか食べるものはありますか?」と僕は聞いた。そのときはまだ僕は店の人だと思っていたから。
          「食べるものと言ってもねえ、こんにゃくとワッフルぐらいかしら。ワッフルは美味しいわよ。あとコーヒー。コーヒーも美味しいわ。なかに入ってあいている席に座ってね」
           その言葉に促されて僕とUさんがなかに入るとそこは土間だった。女性は入り口から「じゃあまた来るね」と初老の男性に声をかけた。なるほど客だったのかとこの時点で気づく。
          「いらっしゃい。どうぞ好きなところに座って。広くもないけれど」と、初老のマスターは僕らをなかに案内した。土間で靴を脱ぎ部屋へ入る。一角には囲炉裏があって、畳にテーブルが置いてある。そんな部屋だ。僕らはテーブルについた。
          「ようこそいらっしゃいました。どうぞまずはお水を飲んで。お水、美味しいですよ」とグラスを置いた。
          「なにか、食べるものはありますか?」と僕は聞く。
          「いまはこんにゃくくらいしかなくてねえ」
          「ワッフルは?」
          「いまちょうど仕込み始めたところでさ、一時間くらいかかっちゃうんだ」
          「そうなんだ、それは残念……」とはいえなにも頼まず手持ちぶさたにしているわけにもいかないから、「とりあえずコーヒーをいただきます」と言った。Uさんも一緒にコーヒーを頼む。
          「そうだ、朝採ったトウモロコシがあるんだ。茄でてあげよう」
           ほどなくしてひとりの男性客。囲炉裏に腰を下ろす。会話からするとここに来慣れた常連さんだ。
           コーヒーが運ばれてきた。美味しい。コーヒーが飲みたかった。すっと入ってくる。いきおい、ひと息に飲んでしまいそうで一度カップを置いた。
          「はーい、トウモロコシ」と小ぶりなそれを置く。空腹の僕はすかさず手に取って何粒かむしり、口に運んだ。甘い──。いつのまにかむしるのをやめてかぶりついていた。
           縁側にはふたり、地元農家のオジサンだろうか、犬を連れて散歩の途中に立ち寄ったようだった。
          「はいよ、スイカ」オジサンはマスターに手渡す。「ああ、すみませんね、いただきます」とマスターは受け取った。その数分後、「はい、おすそわけ」の言葉とともに僕とUさんの前に切られたスイカが置かれた。


          (コーヒー、トウモロコシ、スイカ)


          (縁側)


           すっかりくつろいでしまった。時間は午後4時になろうとしている。マスターはコーヒー以外のお代はいらないという。恐縮している僕らから笑顔でコーヒー代だけを受け取る。入り口の引き戸を開けると西側の山の斜面がもう影になっていた。自転車を用意しながら縁側にいたオジサンふたりと会話を交わした。御坂からドンベイ峠を越えてきたんだと言うと驚いている。自転車じゃとてもそんなところには行けねえと笑顔で言う。自転車の用意ができると、マスターから、オジサンふたりから、気をつけて、楽しんで、と背に声を受けた。

           僕は今日県道36号でこの旧芦川村の集落をめぐってみたいと考えていた。そして旧芦川村の風景は素晴らしかった。走っていることがいちばん楽しい──これが自転車での最高の魅力だ。そこにいること、そこを駆け抜けることでその土地その土地の魅力を全身で受け止める。これを受け止めるには自らの感性をすべて働かせなきゃならない。それがいい。目で見て肌で感じ、生活や作業の音や人々の会話の端切れ、緑や風や食事の準備の匂いなどが付加されればよりいっそう記憶に深く刻まれる。僕はここを自転車で走る悦びを感じた。
           ──走ることが楽しいと、写真が増えないのだけど。


          (芦川沿いを下っていく県道36号)


          (旧芦川の点在する集落)

           県道36号をさらに下り、旧上九一色村(現:甲府市)に入るとほどなくして国道358号と交わる。ここで僕らは進路を南に取った。国道358号は上り。ここから精進湖に向けておよそ350メートル上る必要がある。全長1キロ超の精進湖トンネルを越えると、眼前に精進湖が広がった。
           日はすでに西の山の向こう側へ消えていた。空はまだ明るい。山あいの夕暮れの独特の風景だ。有数の観光地富士五湖は日中こそ派手で華やかな印象があるけれど、この時間は高原の夕暮れの寂しさを覚えさせた。国道を行く車は多いが人影はほとんどない。岸に係留されたボートが一日の終わりを感じさせた。

           湖畔で見かけたコンビニエンスストア。今日一日走っていつぶりだろう。
           パンをふたつばかりとホットコーヒーを買った。店の前のベンチで湖を眺めながら食べた。空が少しずつ明るさを失っていく。
           河口湖まであと20キロ弱。さあ行こう。


          (精進湖トンネル)


          (夕暮れ近い精進湖)


          (河口湖到着時はすっかり夜だった)

          ドンベイ峠、新道峠、旧芦川村 (その1)

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             およそ一週間前に手にした「日本の風景」とかいう書籍でその名を知った新道峠と、そこから見た富士。いよいよ峠に立った今、富士は雲に隠れてその姿を見せてくれなかった。

            ***


             ページをめくっていってあらわれた新道峠からの写真は、その風景バランスに強く惹かれた。結果的には構図と言っていい。自然の位置関係が作り上げる、絶妙の構図だ。──豊かに水をたたえた河口湖とその右手正面に雄々しい大きな独立峰が、互いに前ヘ前ヘと圧倒しあうように並んでいる。本来あるべき遠近感さえ失って見えた。
             僕は早速手持ちのツーリングマップルを開いて見た。しかしその書籍の略地図とツーリングマップルが上手く照合できない。悩みながらネットで地図をスクロールしていくと、手持ちのツーリングマップルが古すぎて、河口湖から北西へと延びる県道719号が開通以前で見る影もなかっただけだった。道路としてつながった県道719号と御坂みち(国道137号)を結ぶ林道を見つけ、新道峠の場所を確認するとこの場所への強い興味を覚えた。


            (本で見た新道峠)


             沸き立った興味のまま僕はUさんに連絡をした。Uさんなら僕の興奮に共感してくれるに違いないと勝手に思い込み、そのページを写真に撮って添付した。ほどなく、Uさんは自身で持っているサイクル・ツーリストという書籍の峠百選を見て、「載っていました」と送り返してきてくれた。Uさんもノーマーク、書籍のページを知らず知らずに読み飛ばしていたようだった。
             僕はネットで情報を集めながらルートをいくつか準備した。情報は多くない。しかしながらここを好んで訪れている人はいて、その良さが伝わってくる。得られたのは、御坂みち側から入ると新道峠に至る手前に日向坂峠(ひなたざかとうげ、通称のドンベイ峠のほうが名の通りがいいらしい)があること、新道峠は最後まで道が続いていないので、自転車を置き10分程度歩く必要があること、西に下りた旧芦川村(現笛吹市芦川町)は古き生活が息づいていて、かつて養蚕が盛んだったころの「かぶと造り」という独特の屋根を載せた家々がそのまま残っており原風景の味わいが深いことなど。そんなことからドンベイ峠、新道峠、芦川村を組むルートをいくつかUさんに見せた。




            ***


             中央本線の甲斐大和駅に降りると、すでにUさんは自転車の準備を終えてベンチに腰を下ろしていた。一本前の列車で来たらしい。一本と言ったってここの列車は間隔が30分以上ゆうに開く。申し訳ないことをしたと思う。
             御坂みちへ向かうルートを直線的にするなら石和温泉スタートなのだろうけど、この国道137号は交通量が多く大型車も脇を抜けていくような道は最小限にしたかった。それを大きな建前に、中央本線が笹子越えで稼いでくれた標高をみすみす捨てたくない、上りを極力少なくしたいという本音を加味した甲斐大和スタートのルートだ。御坂峠に行ったときもここが起点だった。
             たくさんの登山客に混じって改札を出る。ここは大菩薩嶺周辺の登山のアプローチ駅で、特急通過駅でもあるから普通列車が着くとそれに乗ってやってきたたくさんの登山客が降りる。改札の外ではゴルフ場の送迎のようにバス会社の運転手が迎える。みなマイクロバスや大型ワゴンに案内される。僕が自転車を組むあいだに駅前はすっかりひと気もなくなって静かになっていた。

             御坂みちを行くあいだ、蒸し暑くてけだるくて仕方がなかった。気温は上がっているものの道端の気温表示では30度に満たない。とすると湿度が高いのか。汗が流れ、日陰を見つけては小休止をはさんだ。リニアモーターカーの高架線の影でも休んだ。緑の山あいのなかを貫ぐさまは未来都市のようだった。子供のころの絵本に描かれた都市は透明なチューブのなかを車が走ったりしていましたよね、とUさんと話す。まさにそんな光景だった。


            (甲斐大和駅から久しぶりのUさんとのサイクリング)


            (御坂の山あいを貫くリニア)


             林道は、蕪入沢上芦川林道と言った。
             直前に通り過ぎた台風13号で、県はおとといまで通行規制を出していた道だ。昨日になってそれは解除され、僕の引いたルートは面目が保たれた。
             国道137号御坂みちから分ける道ながら、かつてそうしていたように地図でその分岐を探していたら見つけられなかった気がする。今は現在地を示すGPSマップがハンドル上にあるから本当に便利だ。それでもここかな? と何度か疑問を持ちながら林道に入った。
             林道に入ると途端に涼しさを覚えた。
             道を取り囲む木々によって強い日差しはさえぎられ、風も変わった気がした。なにより大型車も多く含む国道137号の交通量から変わって車がまったく通らないこともそう感じさせた。
             坂はときに急で、ただでさえゆっくり上って行く僕らを苦しめた。距離も長い林道だった。直登するところもあればつづら折りで上って行く箇所もあった。直登は斜度がきつかったし、つづら折りも曲がれど曲がれど休めるような平地が現れなかった。むかしだったら気持ちが途切れていたかもしれない。今はいい。経験値が上がったこともあるけれど、GPSマップで今がどこか先がどうなっているかがわかるようになったから。
             適度に休憩をはさみ、途中で持ってきていた食べ物も食べた。僕は林道の長さを考えておにぎりふたつとゼリー系飲料を持ってきていたが、それはその場でなくなってしまった。林道沿いに電気の来ていない場所だからコンビニや商店はおろか、自販機さえない。林道はたいていどこもそうだ。食べ終えて少し休息をとりそしてまた上る。僕は眠くなった。自転車に乗っていて眠くなることがある。でもたいていは食事を摂ったあとの下りだ。上り坂で眠くなるなんてありえない。眠気は波のように襲い、ときどき意識が飛んだ。ガードレールがない場所のほうが多い林道だけに僕はUさんに眠気を伝え休憩させてもらった。体調管理が行き届いていないわけで申し訳なかった。でもUさんは快く休憩に応じてくれた。少し眠るといいですよと言ってくれた。僕は自転車を置き、車もまったく走らない、鳥や虫の声もほとんどない、風の流れる音だけがする林道で、草の生えた山の斜面を背もたれにして路面に座って目を閉じた。これだけの往来の少ない道、野生動物の出現を危惧するなら昼寝などひとりでは到底できることじゃない。Uさんに感謝しつつ、とてもぜい沢な時間を過ごした。
             結局すれ違い追い越されたのは車が2台、二輪が2台だった。2時間半以上走り続けたなかでその程度しかない往来だった。道端には落石注意の標識がいくつもあり、路面に崩れ出した土砂や落ちてきて割れたような岩を見ていると、冗談で掲示しているんじゃないぞとでも言う真剣さが伝わってきた。上り坂でスピードなんて出せやしないから、いつも山の斜面の上に異変がないか気をつかった。

             標高1500メートルを越え下りに転じようとした場所には何もなかった。「ここが峠ですかね」と僕が聞き、「わからないですね、何もなくて」とUさんが言う。念のため写真にだけ収めた。それから坂を下り、また上りをくり返して標高を少し下げた箇所に登山道との交差箇所があった。そこで止まって振り返ってみると「ドンベイ峠」の看板があった。「ここでしたか」と僕は言った。「ここでしたね」とUさんが言った。


            (今日のメインテーマ、蕪入沢上芦川林道)


            (直登区間の急坂を上る)


            (休憩をし、手持ちの食事を食べ、昼寝をする)


            (ときおり甲府盆地が望める)


            (全般的に落石が多い)


            (到着したドンベイ峠)

             下り坂をさらに進んだ。途中で路面がセメント舗装になり、それがやがてセメントのひび割れた路面に変わった。最後はまるで石畳のようだった。あるいは石畳だったのかもしれない。まるで岩を土のなかに埋め込んだようでさえあった。まったくスピードが出せない。激しい振動のなかブレーキを握りっぱなしで手が痛い。まったく快適じゃない下り道だ。
             新道峠に向かう林道との三差路に出た。峠から100メートルばかり下ってきた。


            (セメントひび割れ舗装や石畳のような下り坂)


            (新道峠への分岐)


             分岐から再び100メートルばかり上る。2、3キロくらいだろうか。林道は行き止まりになる。車が3台ばかり止まっていた。自転車をガードレールにくくり付け、あとは登山道。いよいよ新道峠へ向かう。
             登山道の階段状のステップは驚いたことに枕木を使っていた。丸太が使われることの多い登山道のステップなのに驚いた。しかも狭い登山道に収まる幅はおそらくナローゲージの特殊なものだった。鉄道の線路だろうか、あるいはどこかトロッコのような簡易軌道――たとえば鉱山や林業の運び出しのための──だろうか。上を向いている面がどこかにもよるが、大釘を差していた痕跡らしきものもあった。

             もともと朝から山の上には雲がかかって見えていたのだ。
             だから目的の富士山が雲に隠れていても不思議ではなかった。
             それでも雲におおわれた富士山を想像し、風景を眺めることは残念だった。とても楽しみにしてきたから。
             ちょうど富士山にだけ雲がかかっている。ふもとの河口湖はまるで手の届きそうな眼下に見えている。左の奥に山中湖が見える。それぞれの湖の標高差はおよそ150メートル。その標高差を見事なまでに表現した精巧なジオラマを見ているようだった。
            「今日は朝からこの状態だよ」そう、登山道を通りかかった夫婦が言った。どこから来たのか、甲斐大和の駅から、あの道を自転車で?そんな自転車に乗っているとよく交わされる典型的な会話をする。そしてまた富士山の話題──それはまるで、見える機会のほうが少ないのだよと言わんばかりでもあった。
            富士の裾野には演習場が見える。その稜線がやがて放物線を描き
            始めるあたりから、雲がきれいに覆っていた。


            (登山道をゆく)


            (眺望を楽しむ場所はニカ所あるよう)


            (第二からの眺め)


            (第一からの眺め)



            浜松鉄道旅

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               週間予報は週のなかごろから目まぐるしく変わり、それはどんどんと悪いほうへ向かった。
               18きっぷを使った輪行に出かけようとしていた。輪行で雨に濡れるのはちゅうちょする。自転車で走りながら濡れるのはそれほど苦にしない。ただ、濡れてしまった恰好で鉄道に乗るのがいやなのだ。家からの自走や車載でのサイクリングだったらそれほど気に留めない。
               だから60%の降水確率が下がらないまま迎えた週末は、その計画を変えることにした。雨の少ないところをねらって自走や車載という手は、残った18きっぷゆえ選択できなかった。

               浜松に行って餃子を食べるか──。
               一日という時間と距離から考えて浮かんだ場所だった。
               よし、それはいいだろう。じゃあそれからどうする?
               地図をながめ、そういえばと思い出すように触れずにいた地と路線。浜松から北に向かう私鉄、遠州鉄道と、浜松の東、掛川で東海道線と分岐するように内陸と浜名湖の湖北を走って愛知県との県境にほど近い新所原で再び東海道線に合流する天竜浜名湖鉄道、通称天浜線だった。


              (東海道線と遠州鉄道と天浜線)


               地図を見るとどう乗りまわすのがいいのか考えあぐねた。せっかく乗るなら天浜線すべてに乗ってみたくもあるし、でもそうすると遠州鉄道と浜松餃子はどうなる──、しばらく悩んだあげく、天浜線は地図で見る限り魅力がありそうな奥浜名湖の裏をめぐる区間だけにし、遠州鉄道との接続駅の西鹿島から新所原へ乗ってみることにした。
               あとは東京から新所原まで行って西鹿島、新浜松と戻るか、東京から浜松まで行き新浜松、西鹿島から新所原に出て東海道線から戻るかだ。時間を調べると後者のほうがよさそう、浜松にもお昼前に着き、早めの餃子にするのがいいプランに思えた。
               そして遠州鉄道と、接続駅の西鹿島からの天浜線片側のみのフリーきっぷという今回の旅にもってこいのきっぷまで見つけた。


              (天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ)


               熱海からはロングシートを乗り継ぎ、沼津からは立ち尽くしで──おそらく18きっぷ終盤だからだろう──、11時前に浜松駅に着いた。
               駅の南、超有名店「むつぎく」と、その近くにある「るんるん」。開店はいずれも11時半、早めに着いてそのままむつぎくで食べられるならそうしよう、だめならるんるんにしようと、駅から数分で人の姿もあまり見られない細い路地に入った。
               路地を曲がったとたん、僕は別世界のような行列を目にすることになる。


              (通過したことは何度もあるのに降りたのは初めての浜松駅)



              (人もまばらな路地に入って僕が目にした行列)


               むつぎく、だ。
               さすがに一度ひるんで、るんるんを探しに行く。店はまだ開いていない。並んでいる人もいない。るんるんであれば待たずに入れるだろうか。であればむつぎくにとりあえず並んでみて、待たされてらちが開かないようであればるんるんへ移動しようか。

               開店を待ち並んでいる行列に店員が人数と注文を確認してまわる。そこで僕は一巡めには入れないことが判明した。しかしながら二巡めの先頭であることもわかった。回転はどのくらいの時間だろう、まあいいや──。僕はそのまま待つことにした。
               次から次へと人が現れる。そして誰もがこの人だかりを見て唖然とするのだ。おそらく、僕も同じ表情をしたに違いない。
               店が開き、僕の前までがテーブル、カウンター、お座敷に案内された。僕は店内の椅子で座って待つことになる。そのころ、行列は僕が並び始めたころの3倍くらいになっていた。
               ラーメンやごはん、セットメニューもあるが、ここは宇都宮の正嗣(まさし)にならって餃子単品でいくことにする。4個の倍数で注文になるようだけど、12個からが円盤盛りのよう。それにする。
               そして案内され、注文をし、餃子が現れる。




              (浜松餃子の超人気店、むつぎく)


               なるほど美味しい。待ち時間は二巡めの先頭で15分強というところ。もちろんその前に、開店前の店の前の行列に30分近く並んでいた。
               食後はJRの線路を越えて浜松駅の北口に出る。ここから数分、いよいよ遠州鉄道にお目にかかる。新浜松駅だ。
               と、新浜松駅に向かう前に、るんるんをのぞいてみた。しかし僕がむつぎくの行列に並ぶ前と何ら変わっていない。こちらも11時半開店じゃないのか? でも開いていない。そうなると無理してでもむつぎくに並んで正解だったことになる。


              (るんるん)


               真新しい駅の有人窓口でフリーきっぷを購入した。1450円。きっぷ自体とそれを入れられるネックストラップ──天竜浜名湖鉄道と書いてある──、それに天浜線沿線のガイドブックをくれた。
               ──ぜんぶ、天浜線。

               遠州鉄道は赤電との名を聞いていた。その名のとおり赤い電車が入ってきた。といっても京急のような印象ではなくどちらかというと鹿島臨海鉄道を思い出した。赤の色のせいか、色ってちょっとの違いで印象が変わるものだと思う。
               12分ごとに電車がやって来るようで、これなら時間に余裕がある。ホームに上がって止まっている電車を一台見送った。次の電車に乗る。これでも余裕があるから気の向いた駅で降りよう。
               新浜松を出て北に向かう。遠くには山が見える。天竜の山並みだ。その方角へ電車は北上を続けるが、新浜松を出てそのまま高架線が続く。いくつの駅を高架線でつないでいるのだろう、地方私鉄でこれだけの路線基盤を持っているのに驚いた。と同時に目にする風景──北の山並みと走る高架線──で阪急宝塚線を思い出した。
               途中、浜北の駅で降りてみた。


              (天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ、ネックストラップ)





              (新浜松駅と遠州鉄道の赤電)





              (途中下車の浜北駅、構内踏切)


               電車は終着の西鹿島に着いた。
               10分強の接続で天浜線の掛川方面を待つ。
               フリーきっぷは反対の新所原方面なのだけど、ここからふた駅、二俣本町と天竜二俣まで、逆方向にもフリー区間があるのだ。
               二俣本町駅で下車。

               歩いて1キロ程度のところに、「大判や」という大きな大判焼き(今川焼)を作るお店があるから行ってみようと思っていた。さっき新浜松駅でもらったガイドブックにも載っていた。
               単線片側ホームの駅を降り、当然のごとくの無人駅舎を抜けるととなりにそば屋が店を構えていた。そこから街なかを歩いていく。道はいつの間にか国道152号になっている。標識には「水窪」の文字が。国道152号「秋葉街道」、自転車でいつか行ってみたいと考えている憧れの地名を目にした。
               屋号は看板も何もない。「氷」ののぼりが小さくはためくだけ。最初はそこが大判やだと気づかなかった。店内ではみなかき氷を食べている。
              「あの、大判焼きは……?」
              「大判焼きは夏は焼いてないんです」
               予想外の返事に僕は途方に暮れる。食べられないとわかるとよけいに口のなかが甘いものを欲し始める。とぼとぼと炎天下の道を戻り始めた。
               街は昭和が色濃く残る。





              (遠州鉄道の終点、天浜線との接続駅、西鹿島)




              (二俣本町駅とのれんは出ていない駅舎内のそば屋)



              (大判焼きを手に入れられなかった、大判や)



              (昭和を残している二俣の街なみ)


               歩いて戻る駅は天竜二俣駅にした。
               天竜二俣駅の駅舎内にはホームラン軒という名のラーメン屋があるらしい。そこも気になっていた。しかし浜松で餃子を食べたばかり。少食の僕がそれまでにラーメン一杯分の余裕を作れるかどうか。まずは歩いてみてだ、と考えた。
               天竜二俣駅の構内には、かつて国鉄時代のキハ20系気動車が置かれていた。保存しているのだろう。その後ろにはなぜか、ブルートレイン20系寝台客車が連結されている。そのほかに腕木式信号機やらせん状に巻かれたタブレット受け、国鉄二俣線時代からずっと風雪に耐えてきた木造のホームの屋根が目に入る。そして木造の駅舎も目に入る。
               天竜二俣駅に着いた。
               駅舎横にはホームラン軒。そして、店の入り口には「準備中」の札が出されていた。
               おなかがこなれて余裕ができたかどうかなんて判断することもできなくなった。大判焼きに続いてここでもフラれてしまった。
               ──列車を、待とう。




              (天竜二俣駅に保存されているさまざまなものたち)



              (駅舎脇のホームラン軒)







              (早めにホームへ出ると、新所原行きの始発列車が入ってきた)


               天浜線は、国鉄二俣線時代からをとおしても、僕は初めてだ。
               列車は単線の線路で森を抜けていく。トンネルのようになっている緑が、ときどき、いやけっこうな頻度で車体にぶつかる。森のなかをうならせたエンジンでぐんぐん進んでいった。
               やがて浜名湖が左手に現れた。そこからしばらく湖岸を行く。
               近づいては離れ、離れては近づく。離れると列車はまた森のなかを行く。そしてまた浜名湖に近づく。近いときなど湖は窓の真下だ。なんという臨場感だろう。僕は圧倒的な景観に酔いしれながらキハに揺られていた。
               湖畔と、鉄道線路と、それに交わったり並行したりするようにいくつか道路が現れて消える。そこをながめているとまた違った気分の高揚感が生まれてきた。自転車だ。自転車で走りたいのだ、ここを。
               実際、何台もの自転車が車窓を駆け抜けていた。



              (森、湖、青空、天浜線の風景)


               やがて列車は湖畔を離れる。小高い丘を登るのか、上り坂ばかりになる。小刻みな変速を繰り返しながら、再び森のなかの坂道を駆け上がっていった。
               それから間もないうちに、列車は新所原駅に着いた。
               僕は、エンディングの気分的準備ができていないうちにそれを迎えてしまった。左から東海道本線の分厚いレールが近づいてきて、やがて平行になる。そして天浜線のキハはJRの駅のはずれの一角にある小さなホームに車体をつけた。いすみ鉄道の大原駅のようだ。




              (新所原到着、天浜線の旅も終了)


               さ、東海道線に乗って帰ろう。
               いろいろ凝縮された一日を思い返しながら、真新しいJRの駅のホームへの階段を下った。

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