今回のルート
峠の名前を知っていたわけじゃなかった。
JR吾妻線沿いの町、中之条から新治村(現:みなかみ町)に抜けられる道があるということだけ知っていた。地図でたどると途中にこの名の峠があったのだ。
だいどう峠。おおみち峠ではない。
決して有名な峠道ではない。──少なくともそう思っていた。
しかし僕の手持ちのツーリングマップルにはでかでかとその名が記されていた。
(大道峠/谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠)
中之条の駅で列車を降りた。
高崎を8時46分に出る、首都圏からのアプローチで二本目の列車。吾妻線で三本目の列車。吾妻線の始発、高崎6時14分の列車にはさすがに首都圏からでは乗れない。それとこの列車をのがすと次は二時間近く列車がない。
ここで降りたのは初めてだった。ここを通り過ぎて渋峠や野反湖に行くために長野原草津口で降りたり、嬬恋パノラマラインを走るために万座・鹿沢口まで行ったことはあるのだけど、中之条は通過するばかり。こぎれいにした駅舎の前で僕は自転車を組んだ。
(これをのがすと次は高崎10時49分発という驚異の空き時間)
(高崎から中之条まで乗ってきた115系)
(きれいな中之条の駅舎)
県道53号、中之条湯河原線。
湯河原がどこなのかわからない。中之条が起点で、みなかみ町の湯宿温泉が終点。ぱっと見、湯河原という地名は見つけられなかった。
そんな前置きはともかく走る。駅前からの国道353号を1キロばかり走り右に分岐する県道53号に進路を取った。
坂が現れて道は淡々と上りが続く。道の駅霊山たけやまを過ぎ、伊参(いさま)スタジオ公園という場所にたどり着いた。廃校になった古い学校を利用して映画を撮影したりプロモーション・ビデオを制作しているよう。のぞいてみることにした。
建物内はかなり手入れが行き届いていて、古いのに至るところがきれいだった。撮影関連の資料や訪れた芸能人のサイン──これは食堂なんかで飾ってあるのを見ても同じなのだが、いったい誰がここへやってきたのかわからず終いだった──、映画の映写機が置いてある部屋もあれば映画のセットを作りこんでしまった部屋もあった。それらすべてが丁寧に保存されている。
「秋には映画祭をやるのでぜひ来てください」
このスタジオを管理する女性はそう言った。僕は笑って、それからおじゃまいたしましたと頭を下げてここをあとにした。
(古い、木造の校舎だったよう)
(資料を残して飾っている部屋)
(映画のセットを残している部屋)
(廊下)
(洗面所)
大道峠へ向かう県道53号はもともとそれほど車も走っていなくて、道の駅霊山たけやまを過ぎると車は減り、伊参スタジオ公園をあとにするとまたさらに車の数は減った。走っていてもとても静かだ。
しかし道からは眺望が利かず、また路面も濡れていた。そういえば朝、高崎線の下り電車のなかでスマホで見た天気予報には濃霧注意報が出ていた。残念ながら天気予報は当たっている。
峠に向かう道は大きなカーブで進んでいく。幾重にも折り重なった前途が見上げられる羊腸の峠道ではなく、山肌に張り付いて前ヘ前へと進んでいく峠道だった。斜度で標高を稼いでいるのか、あるいはそれほど高くまで上る必要がないのかはわからなかった。上っても下りまた上る、そんな上り返しも多い。そしてなにしろ目の前にある鉄塔の、その頂と送電線が見えなくなるほどの霧で、勾配感覚が麻痺していた。自分の居場所すら、怪しかった。
この道は車の通行が少ない。まったく来ないわけではないけれど、数えておけば正の字いくつかで数えられるほどだった。それからときおり自転車乗りとすれ違った。大半はロードバイクだけど、一台マウンテンバイクもいた。そのたびにあいさつを交わす。中之条からわずか10キロ20キロの場所にありながら隔絶の感を禁じ得ない場所は、自転車同士の連帯感を生みだす。ひとりぼっちの心の空間をそんなふうに埋めながら峠を目指した。
日本一大モミ──そう書かれた丸太の碑が道端に立っていた。僕は自転車を止め、周囲を見まわしてみる。情報はこれだけなのかな? まず僕のなかでの常識的に読めばモミはモミの木、日本一だから大きいのか高いのか、あるいは樹齢により太く立派なのか。いずれにしたってきっと大きな突出したモミの木があるに違いないとボトルのドリンクを飲みながら周囲を少し歩いてみたけれど、なんなのかわからず終いだった。残念だけど。
峠の手前にある冨沢家住宅は結局立ち寄らなかった。18世紀末ごろの養蚕農家が保存・維持されているここにマークもしていたし、入り口もすぐにわかったけれど──県道53号から300メートルほど脇に入るようだ──、時間も気になったし空腹も覚えた。左手8時の方向に戻るよう上り分岐していく細い脇道を目で追いながら、そのまま大道峠へ向かった。
日本一大モミと冨沢家住宅、止まるところが逆だろうって自分につっこむ。
突然、「みなかみ町」の標識が眼前に現れた。峠だろうか──。しかし大道峠を表す碑や標識はひとつもなかった。ここまで走って来た道は上っていて、この先は下っている。ただの上り返しか? と疑う。でもここはれっきとした町村界だ。
そう疑ったのはここがあまりに牧歌的だからだ。道のまわりには畑が広がり、かぼちゃの花が咲いている。
(霧に煙る景色と湿り気味の路面)
(日本一大モミ?)
(大道峠、中之条町とみなかみ町との町界)
ツーリングマップルのうたい文句「谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠」とはほど遠い、霧におおわれた峠だった。しかしながら晴れていても、左手は山がちな地形であり右手は木々におおわれていて眺望は期待できるのだろうか。正面は新治(新治村……現みなかみ町)に向かう下り坂なので、谷川連峰が望めるかもしれない。
大道峠は集落のなかの峠だった。畑があり、いくつかの住宅があるようだった。畑があるゆえ周辺は開けていて、これまで割合的に多かった最果て感も閉塞感もない。まるでどこかの農村にたどり着いた印象だ。もちろん集落のなかの峠は他にもある。ここに上って来るまでのあいだにも集落はあった。だから印象は僕の勝手な思い込みであり決めつけだった。
僕はかばちゃ畑のかたわらに腰を下ろし、鞄のなかに入れて持ってきたもなかを食べた。特に音という音はなかった。動物がいるようでもなかったし鳥も鳴いていなかった。集落はあるが人の気配や生活音も感じられなかった。僕がもなかを食べるあいだに通り過ぎた車は一台だった。
下ろう。
2時間かけて上って来た峠道を下るのにわずか30分というのはいつものこと。300メートルを貯めこんだ貯金はわずかな時間で使い切ってしまう。そんな下りのなかでも目に入ってくる一面の水田は美しかった。緑の穂がそろい、風に揺れる。それがやがて右にも左にも目に映る。中之条に比べて新治側は水田が多いのか。田んぼのなかの下りはふだんに増して心地いい。
下ったそこは旧三国街道の須川宿だ。たくみの里の名で、須川宿のなかの竹細工や木工細工の工房で体験できる場を提供しているらしい。そういえば国道17号を車で走っているときに看板を見かけたことがある。
僕は須川宿の一件のそば屋に入った。もりそばを食べそば湯をいただきお腹を満たすと、しばらく須川宿のなかを歩いた。
たくみの里という工房を見たり体験したりできるようにしたり、案内も充実したり、観光向けに景観保存をしているのだろう。しかし派手さはない。大内宿のように、その旧街道と宿場町の保存で驚くほどの集客を集めているところとは比べものにならない。建物も多くない。密集して建っていない。でも歩いているうち、この密集度のほうが自然なのでは? こういう宿場町は悪くないな、そう思い始めた。
(一面水田のなかの下り坂)
(須川宿の街なみ)
(須川宿)
(そば屋に入りもりそばをいただく)
さあもうひと山越えよう。
水上に抜けるため、仏岩越えをする。峠部分は仏岩トンネルで一気に抜ける、県道270号相俣湯原線である。
須川宿から国道17号に出てしばらく均一な上り勾配を進んだ。1キロか2キロか。そこから右手に水上と出た分岐に入る。
国道17号は久しぶりの大交通量道路で、横断するにもしばらく待たされるほどだった。県道270号に入ってもしばらくは車が定間隔に行き来した。県道53号とは比べものにならない。旧新治村と水上町とのあいだはそこそこの交通需要があるのかもしれない。
途中左に道を分ける。川古温泉の看板がある。地図でも確認していた温泉だ。
しかしながら結局ここも時間を気にして入らなかった。わずか1キロくらい入り込んだところだろうけど、入ってしまえば止まって眺めたり雰囲気を楽しんだり。そんなことで僕の場合わずかな時間じゃ済まなくなるだろうから。
温泉に入りたいわけじゃなくて、行き止まりにある一軒宿の温泉の雰囲気を見てみたかった。──最近、この手の行き止まりの先にあるものに興味が湧いている。
川古温泉を過ぎた県道270号は変わらず坂を上って行く。交通量は若干減ったように思う。とすると新治水上間を往復することに使われているわけじゃないのだろうか。もっとも僕の言う交通量なんて感覚でしかないから、あてになるわけじゃないけれど。
大道峠の県道53号と同様、小さなヘアピンカーブの続くつづら折はない。それでもカーブが増えてくるとやがてカーブ番号が付き始めた。仏岩越えに向かって1番から2番、3番と順に振られていく。なぜ、急に? ここまでカーブがなかったわけでもないし、1番からが急カーブの連続のつづら折になったわけでもない。様相の変わらない山道に突如番号が振られ始めたよう。どこからか道路の管轄が変わったのだろうか。
カーブを10番と少しばかり越えただろうか──じっさい何番まであったのか、かくにんしていないけど──、立派な坑口があらわれた。仏岩トンネル、いよいよ仏岩越えである。
しかし天気は、せいぜい若干の霧が晴れた程度で、相変わらず遠望は利かなかった。新治側の入り口に仏岩の説明があったけれど、その僧の形をした岩はどこにあるのか、僕には判然としなかった。あきらめて仏岩トンネルに入った。
トンネルは最近掘られたものなのか新しく、明るく、広かった。トンネル特有の、はるか後方で突入した車の音がまるで真後ろにいるかのように聞こえる恐怖は変わらないけれど、車線にも広さがあって明るいトンネル内で車に追い越しされることに怖さはほとんどなかった。トンネル自体はある程度の長さがあるけれど、そのなかで追い越されたのがせいぜい数台ということもある。こういうトンネルをくぐると、三国トンネルや笹子トンネルもこうなってくれるといいなと思う。
ここからは水上まで一気に下りだ。
水上側にもカーブ番号が振られていた。目で追うだけだけど、見えただけで9番、8番と減っていく。ということはおそらく新治側、水上側ともふもとからトンネルに向けて1番から順に振っているのだろう。──そんなことを考えていたのに、1番を見失った。下りじゃ仕方ない。
頭上を関越自動車道の真っ赤なトラスが横切っている。これを過ぎてもまださらに下る。上越新幹線の高架を越え、国道291号に突き当たった。県道270号の終点。
水上の町なか、国道291号沿いでスキー帰りによく立ち寄る小荒井製菓に寄った。生どらという生クリームと餡をはさんだどら焼きをひとつ買い、店内のベンチでいただいた。そば茶もいただく。今はどこにでもある生どら焼きだけど、古くはこの店くらいしか知らなかった。だから昔からこの店で買っている。
(仏岩)
(仏岩トンネル/新治側)
(仏岩トンネル/水上側)
(水上・小荒井製菓)
水上の温泉街の路地を自転車でゆっくり走った。
何度も──スキーでも鉄道でも──訪れている水上だけど、この路地を通ったのは初めてだった。寂れた感はもちろん否めないけれど、寂れながら頑張って続いている印象があった。熱海も、会津東山もこんなに街が残ってはいなかった。スマートボールがやりたくなった。これもまた列車の時間を気にして、通り過ぎる。僕がここに来なかったのは、これまでが自転車じゃないからだ。それに気づいた。鉄道旅行のときは駅からの距離がありすぎて、よほど時間に余裕がない限りここまで歩いてくることはない。車で来たときは路地が細すぎてここまで入ってこようという気にならない。止める場所だって難儀しそうだ。
温泉客とすれ違う。道に路地にゆっくりした時間が流れていた。
利根川にかかる橋を渡って線路沿いに出る。ゴール、水上駅。そう思いながら駅に近づいていくと線路端に人だかりがある。SL列車が駅に待機していた。
(水上温泉街)
(D51によるSL列車)