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    • 2017.12.04 Monday
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    大道峠

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      今回のルート


       峠の名前を知っていたわけじゃなかった。
       JR吾妻線沿いの町、中之条から新治村(現:みなかみ町)に抜けられる道があるということだけ知っていた。地図でたどると途中にこの名の峠があったのだ。
       だいどう峠。おおみち峠ではない。
       決して有名な峠道ではない。──少なくともそう思っていた。
       しかし僕の手持ちのツーリングマップルにはでかでかとその名が記されていた。


      (大道峠/谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠)


       中之条の駅で列車を降りた。
       高崎を8時46分に出る、首都圏からのアプローチで二本目の列車。吾妻線で三本目の列車。吾妻線の始発、高崎6時14分の列車にはさすがに首都圏からでは乗れない。それとこの列車をのがすと次は二時間近く列車がない。
       ここで降りたのは初めてだった。ここを通り過ぎて渋峠や野反湖に行くために長野原草津口で降りたり、嬬恋パノラマラインを走るために万座・鹿沢口まで行ったことはあるのだけど、中之条は通過するばかり。こぎれいにした駅舎の前で僕は自転車を組んだ。


      (これをのがすと次は高崎10時49分発という驚異の空き時間)


      (高崎から中之条まで乗ってきた115系)


      (きれいな中之条の駅舎)


       県道53号、中之条湯河原線。
       湯河原がどこなのかわからない。中之条が起点で、みなかみ町の湯宿温泉が終点。ぱっと見、湯河原という地名は見つけられなかった。
       そんな前置きはともかく走る。駅前からの国道353号を1キロばかり走り右に分岐する県道53号に進路を取った。
       坂が現れて道は淡々と上りが続く。道の駅霊山たけやまを過ぎ、伊参(いさま)スタジオ公園という場所にたどり着いた。廃校になった古い学校を利用して映画を撮影したりプロモーション・ビデオを制作しているよう。のぞいてみることにした。
       建物内はかなり手入れが行き届いていて、古いのに至るところがきれいだった。撮影関連の資料や訪れた芸能人のサイン──これは食堂なんかで飾ってあるのを見ても同じなのだが、いったい誰がここへやってきたのかわからず終いだった──、映画の映写機が置いてある部屋もあれば映画のセットを作りこんでしまった部屋もあった。それらすべてが丁寧に保存されている。
      「秋には映画祭をやるのでぜひ来てください」
       このスタジオを管理する女性はそう言った。僕は笑って、それからおじゃまいたしましたと頭を下げてここをあとにした。


      (古い、木造の校舎だったよう)


      (資料を残して飾っている部屋)


      (映画のセットを残している部屋)


      (廊下)


      (洗面所)


       大道峠へ向かう県道53号はもともとそれほど車も走っていなくて、道の駅霊山たけやまを過ぎると車は減り、伊参スタジオ公園をあとにするとまたさらに車の数は減った。走っていてもとても静かだ。
       しかし道からは眺望が利かず、また路面も濡れていた。そういえば朝、高崎線の下り電車のなかでスマホで見た天気予報には濃霧注意報が出ていた。残念ながら天気予報は当たっている。

       峠に向かう道は大きなカーブで進んでいく。幾重にも折り重なった前途が見上げられる羊腸の峠道ではなく、山肌に張り付いて前ヘ前へと進んでいく峠道だった。斜度で標高を稼いでいるのか、あるいはそれほど高くまで上る必要がないのかはわからなかった。上っても下りまた上る、そんな上り返しも多い。そしてなにしろ目の前にある鉄塔の、その頂と送電線が見えなくなるほどの霧で、勾配感覚が麻痺していた。自分の居場所すら、怪しかった。
       この道は車の通行が少ない。まったく来ないわけではないけれど、数えておけば正の字いくつかで数えられるほどだった。それからときおり自転車乗りとすれ違った。大半はロードバイクだけど、一台マウンテンバイクもいた。そのたびにあいさつを交わす。中之条からわずか10キロ20キロの場所にありながら隔絶の感を禁じ得ない場所は、自転車同士の連帯感を生みだす。ひとりぼっちの心の空間をそんなふうに埋めながら峠を目指した。
       日本一大モミ──そう書かれた丸太の碑が道端に立っていた。僕は自転車を止め、周囲を見まわしてみる。情報はこれだけなのかな? まず僕のなかでの常識的に読めばモミはモミの木、日本一だから大きいのか高いのか、あるいは樹齢により太く立派なのか。いずれにしたってきっと大きな突出したモミの木があるに違いないとボトルのドリンクを飲みながら周囲を少し歩いてみたけれど、なんなのかわからず終いだった。残念だけど。

       峠の手前にある冨沢家住宅は結局立ち寄らなかった。18世紀末ごろの養蚕農家が保存・維持されているここにマークもしていたし、入り口もすぐにわかったけれど──県道53号から300メートルほど脇に入るようだ──、時間も気になったし空腹も覚えた。左手8時の方向に戻るよう上り分岐していく細い脇道を目で追いながら、そのまま大道峠へ向かった。
       日本一大モミと冨沢家住宅、止まるところが逆だろうって自分につっこむ。
       突然、「みなかみ町」の標識が眼前に現れた。峠だろうか──。しかし大道峠を表す碑や標識はひとつもなかった。ここまで走って来た道は上っていて、この先は下っている。ただの上り返しか? と疑う。でもここはれっきとした町村界だ。
       そう疑ったのはここがあまりに牧歌的だからだ。道のまわりには畑が広がり、かぼちゃの花が咲いている。


      (霧に煙る景色と湿り気味の路面)


      (日本一大モミ?)


      (大道峠、中之条町とみなかみ町との町界)


       ツーリングマップルのうたい文句「谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠」とはほど遠い、霧におおわれた峠だった。しかしながら晴れていても、左手は山がちな地形であり右手は木々におおわれていて眺望は期待できるのだろうか。正面は新治(新治村……現みなかみ町)に向かう下り坂なので、谷川連峰が望めるかもしれない。
       大道峠は集落のなかの峠だった。畑があり、いくつかの住宅があるようだった。畑があるゆえ周辺は開けていて、これまで割合的に多かった最果て感も閉塞感もない。まるでどこかの農村にたどり着いた印象だ。もちろん集落のなかの峠は他にもある。ここに上って来るまでのあいだにも集落はあった。だから印象は僕の勝手な思い込みであり決めつけだった。
       僕はかばちゃ畑のかたわらに腰を下ろし、鞄のなかに入れて持ってきたもなかを食べた。特に音という音はなかった。動物がいるようでもなかったし鳥も鳴いていなかった。集落はあるが人の気配や生活音も感じられなかった。僕がもなかを食べるあいだに通り過ぎた車は一台だった。
       下ろう。

       2時間かけて上って来た峠道を下るのにわずか30分というのはいつものこと。300メートルを貯めこんだ貯金はわずかな時間で使い切ってしまう。そんな下りのなかでも目に入ってくる一面の水田は美しかった。緑の穂がそろい、風に揺れる。それがやがて右にも左にも目に映る。中之条に比べて新治側は水田が多いのか。田んぼのなかの下りはふだんに増して心地いい。
       下ったそこは旧三国街道の須川宿だ。たくみの里の名で、須川宿のなかの竹細工や木工細工の工房で体験できる場を提供しているらしい。そういえば国道17号を車で走っているときに看板を見かけたことがある。
       僕は須川宿の一件のそば屋に入った。もりそばを食べそば湯をいただきお腹を満たすと、しばらく須川宿のなかを歩いた。
       たくみの里という工房を見たり体験したりできるようにしたり、案内も充実したり、観光向けに景観保存をしているのだろう。しかし派手さはない。大内宿のように、その旧街道と宿場町の保存で驚くほどの集客を集めているところとは比べものにならない。建物も多くない。密集して建っていない。でも歩いているうち、この密集度のほうが自然なのでは? こういう宿場町は悪くないな、そう思い始めた。


      (一面水田のなかの下り坂)


      (須川宿の街なみ)


      (須川宿)


      (そば屋に入りもりそばをいただく)


       さあもうひと山越えよう。
       水上に抜けるため、仏岩越えをする。峠部分は仏岩トンネルで一気に抜ける、県道270号相俣湯原線である。
       須川宿から国道17号に出てしばらく均一な上り勾配を進んだ。1キロか2キロか。そこから右手に水上と出た分岐に入る。
       国道17号は久しぶりの大交通量道路で、横断するにもしばらく待たされるほどだった。県道270号に入ってもしばらくは車が定間隔に行き来した。県道53号とは比べものにならない。旧新治村と水上町とのあいだはそこそこの交通需要があるのかもしれない。
       途中左に道を分ける。川古温泉の看板がある。地図でも確認していた温泉だ。
       しかしながら結局ここも時間を気にして入らなかった。わずか1キロくらい入り込んだところだろうけど、入ってしまえば止まって眺めたり雰囲気を楽しんだり。そんなことで僕の場合わずかな時間じゃ済まなくなるだろうから。
       温泉に入りたいわけじゃなくて、行き止まりにある一軒宿の温泉の雰囲気を見てみたかった。──最近、この手の行き止まりの先にあるものに興味が湧いている。

       川古温泉を過ぎた県道270号は変わらず坂を上って行く。交通量は若干減ったように思う。とすると新治水上間を往復することに使われているわけじゃないのだろうか。もっとも僕の言う交通量なんて感覚でしかないから、あてになるわけじゃないけれど。
       大道峠の県道53号と同様、小さなヘアピンカーブの続くつづら折はない。それでもカーブが増えてくるとやがてカーブ番号が付き始めた。仏岩越えに向かって1番から2番、3番と順に振られていく。なぜ、急に? ここまでカーブがなかったわけでもないし、1番からが急カーブの連続のつづら折になったわけでもない。様相の変わらない山道に突如番号が振られ始めたよう。どこからか道路の管轄が変わったのだろうか。
       カーブを10番と少しばかり越えただろうか──じっさい何番まであったのか、かくにんしていないけど──、立派な坑口があらわれた。仏岩トンネル、いよいよ仏岩越えである。
       しかし天気は、せいぜい若干の霧が晴れた程度で、相変わらず遠望は利かなかった。新治側の入り口に仏岩の説明があったけれど、その僧の形をした岩はどこにあるのか、僕には判然としなかった。あきらめて仏岩トンネルに入った。
       トンネルは最近掘られたものなのか新しく、明るく、広かった。トンネル特有の、はるか後方で突入した車の音がまるで真後ろにいるかのように聞こえる恐怖は変わらないけれど、車線にも広さがあって明るいトンネル内で車に追い越しされることに怖さはほとんどなかった。トンネル自体はある程度の長さがあるけれど、そのなかで追い越されたのがせいぜい数台ということもある。こういうトンネルをくぐると、三国トンネルや笹子トンネルもこうなってくれるといいなと思う。
       ここからは水上まで一気に下りだ。
       水上側にもカーブ番号が振られていた。目で追うだけだけど、見えただけで9番、8番と減っていく。ということはおそらく新治側、水上側ともふもとからトンネルに向けて1番から順に振っているのだろう。──そんなことを考えていたのに、1番を見失った。下りじゃ仕方ない。
       頭上を関越自動車道の真っ赤なトラスが横切っている。これを過ぎてもまださらに下る。上越新幹線の高架を越え、国道291号に突き当たった。県道270号の終点。

       水上の町なか、国道291号沿いでスキー帰りによく立ち寄る小荒井製菓に寄った。生どらという生クリームと餡をはさんだどら焼きをひとつ買い、店内のベンチでいただいた。そば茶もいただく。今はどこにでもある生どら焼きだけど、古くはこの店くらいしか知らなかった。だから昔からこの店で買っている。


      (仏岩)


      (仏岩トンネル/新治側)


      (仏岩トンネル/水上側)


      (水上・小荒井製菓)


       水上の温泉街の路地を自転車でゆっくり走った。
       何度も──スキーでも鉄道でも──訪れている水上だけど、この路地を通ったのは初めてだった。寂れた感はもちろん否めないけれど、寂れながら頑張って続いている印象があった。熱海も、会津東山もこんなに街が残ってはいなかった。スマートボールがやりたくなった。これもまた列車の時間を気にして、通り過ぎる。僕がここに来なかったのは、これまでが自転車じゃないからだ。それに気づいた。鉄道旅行のときは駅からの距離がありすぎて、よほど時間に余裕がない限りここまで歩いてくることはない。車で来たときは路地が細すぎてここまで入ってこようという気にならない。止める場所だって難儀しそうだ。
       温泉客とすれ違う。道に路地にゆっくりした時間が流れていた。
       利根川にかかる橋を渡って線路沿いに出る。ゴール、水上駅。そう思いながら駅に近づいていくと線路端に人だかりがある。SL列車が駅に待機していた。


      (水上温泉街)


      (D51によるSL列車)

      寄居・長瀞・秩父華厳の滝

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         その存在を知らなかった。
         たまたま地図を見ていて目に入っただけなのだ。
         華厳の滝──?

         ふと、東武東上線に乗りたいと思った。それがこの二週間ほど。
         もう10年以上乗っていないと思う。同じ東武でありながら僕が乗る本線系統と細かないろいろに違いを感じる、僕からすると不思議な路線。
         久しぶりに寄居まで乗りたいと思った。

         だったらちょうどいい。自転車を持って行こう。

         東上線には快速急行なんて種別があった。Fライナー、元町・中華街……思い返してみれば副都心線を経由して東横線に入るようになってから一度も東上線には乗っていないんだ。池袋からの狭い路地をごとごと走りながら和光市で急に開けると、地下から上ってきたそんな速達列車が入ってきた。
         乗るとあっという間に森林公園に着いた。僕は川越市から先、かなりの時間を要する路線だと思っていたから意外だった。坂戸、東松山、森林公園。そこから小川町行きの普通に乗り換え、さらに寄居行きに乗る。
         僕にとってはすっかり懐かしい8000系が走っている。


        (僕が子供のころの旧塗色とすれ違う)


         荒川に沿って走っていると長瀞の商店街に入った。狭い路地に観光客があふれ、車も入り乱れることで雑然とした印象を持つ場所が、いたって静かだった。まだどこも店が始まっていない。
         裏手で今日一日の準備をする音や雰囲気が感じられる。活気のある一日になるかな。僕は自転車を押して商店街を眺めながら進んだ。
         上長瀞で川辺に下りてみた。
         秩父鉄道の鉄橋が見たくなった。
         写真ではよく見かける風景、じっさいに見たのはいつだったろう。
         子供の時分、ここで鉄橋と電車を眺めながら泳いで遊んだ記憶がある。──本当かな。水面を見ていると目がまわるほどの急流と、そこを勢いよく通過するライン下りやラフティング……とても水遊びをできる場所には見えない。記憶違いかな。
         鉄橋を行く列車が見たくて、通過を待った。



        (まだ静かな長瀞商店街)



        (上長瀞の鉄橋)


         秩父華厳の滝へ向かう道は、知らない道だった。
         知らない、というかノーマークだったんだと思う。県道284号、皆野から西へ、道の駅龍勢会館へ向かうまわり道だから。まっすぐに向かう県道37号に比べたら大まわりで山にも上らなきゃならない。秩父華厳の滝がなければ、意識しない道だった。
         坂を少しずつ上っていく。道がぐんぐん狭くなる。
         町営バスが狭い道で追い越していった。場所によっては自転車だって退避しなきゃいけない。こんな場所を運転して、生活が確保されてる。
         場所は、すぐにわかった。
         看板があったから。


        (秩父華厳の滝の入り口)


         僕は、瞬間冷却するように興ざめした。
         なんだろう、どこか僕の嫌悪する部分に反応する。──順位付けが? 訴えかけるポイントが?
         わからないまま、でもせっかく来たのだから自転車を止めて滝へ歩いた。

         息を飲んだ。


        (秩父華厳の滝)


         大きくはない。でもすぐそこに滝がある。目の前で落ち、耳に、腹に届く音は至近だ。時間が早いせいなのか人もいない。誰もいないまま、まっすぐに落下する水、立ち上る小さな飛沫や霧、時差なく届く音は究極の臨場感、圧倒される迫力だった。
         靴下を脱いでその水に入ろうかと思ったけど、気温がまだ上がりきっていないから躊躇した。
         このままであればいいのに。神秘とか宗教的なものとか自然の力だとか、そんなものなにもいらない。あと付けの理由なんて何もいらないから、この滝をこのまま見たい。そういうものは個人々々で感じればいい。僕はそう思った。道路に向けて建てたあの看板が、「秩父華厳の滝」の文字と矢印だけで示していればいいのにと思った。
         誰もいないから、滝に向かって両手を広げて伸ばした。滝の全力を受け止めてみる。

         自転車に戻るとさらに坂を上り、ピークにある天空の楽校という場所に寄ってちまきをいただき、山を下って秩父へ向かった。
         コーヒーが飲みたい。ずっと寄ってみたかった千茶古(ちゃこ)って喫茶店に行ってみよう。


        (珈琲千茶古)


        ***


























        バーテープとハンドルまわり

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           バーテープがほどけて、よれて重なりがはずれてしまった。
           あわててバーテープを買いに行き、夜巻きなおした。

           もともとよれてずれは出ていたのだ。
           失敗は、バーテープを巻くときに裏についている細い両面テープを全部はがして巻いてしまったから。
           動機は、両面テープの質によってハンドルヘの糊残りがひどいことがあって、はがす時に何度か悩まされたからだ。僕は強く引っ張りながら巻くほうなので、両面テープがなくてもゆるんだりほどけたりすることはないだろうと思っていた。でも今回使ったバーテープがそれには適さなかったのかもしれない。スポンジ質でもコルク質でもない、硬質の薄っぺらいバーテープは伸縮性のまったくないタイプ。引っ張りながら巻くと戻ろうとする力がかかるというバーテープじゃなかった。
           きっちりやったつもりだけどやっぱり左右でバランスや間隔がヘン。不器用だから仕方ないなあ──。

           さてバーテープを巻き終えてハンドルまわりをまじまじと眺める。──ごちゃごちゃしてるなあ。メーターとライト、GPSマップだけではあるのに、これに最近モンベルのフロントバツグを提げているからよけいか。そもそも三つもあればそれでごちゃごちゃするとも言えるし。
           すっきりさせたいとは思ってる。


          土山峠・宮ケ瀬・愛川

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             本厚木って、こんなに発展している街だったんだ──。
             小田急の電車の行き先でその名を知っていたこの駅で降りたのは初めてだった。一部のロマンスカーだって止まるし、そりゃ小田急のなかでもそこそこの街だろうと思ってはいたけれど、駅ビルや周囲のビルに取り囲まれ、ちいさく切り抜かれた空を見て驚いた。新宿から急行に乗りっばなしで一時間もかかる場所なのだ。わが東武線だったらどうだろう、北千住から一時間も乗ったら果たしてどこまで行ってしまうだろう。館林? 栃木? いずれにしたってこんな都市じゃない。
             そんなわけで自転車を組む場所を戸惑いながら探し、出発した。複雑に接合する小路のなかからガーミンの示す道を選び、進んだ。

             神奈川県は、考えてみたらあまり走りに来たことがないかもしれない。
             冬の寒い時期、暖かな日差しを求めて三浦半島に赴くことはあるのだけど、この相模エリアはほとんど足を踏み入れたことがない。僕は宮ヶ瀬湖を目指すために、県道603号から県道64号に乗り換えた。
             でも宮ヶ瀬は初めてじゃなかった。
             もう10年くらい前だろうか、季節さえ覚えていない。そのころ書いたブログが残っていないだろうかと探してみるけれど、それも見つけられない。どこからかやって来て、宮ヶ瀬湖へ向かい、どこかへ抜けた。記憶の片隅に残っているのは、昭和風味の書体で書かれた七沢荘という看板と、途中の土山峠で写真を撮ろうとその名を探し、バス停で自転車を写真に収めたこと。往復とも輪行しているはずだけど、どこの駅から走り始めてどこの駅で終えたのか、全工程がどういう旅だったのか全く覚えていなかった。

             厚木市内を走っているころからそうだったのだけど、幾人かのロードが僕の後ろに姿を見せ、やがて追い越していった。それは土山峠に向かう上り坂に入っても変わらなかった。むしろ増えていた。
             バーエンドに付けたミラーでは確認しきれないから大きく後ろを振り返ってみる。すると自転車が一定の間隔を置くようにして連なっていた。それはまるで障害が発生して遅れの出た朝の上野東京ラインのようでもあったし、日曜夕方の羽田空港上空に隊列を作る着陸便のようでもあった。
             僕はその後続をみな見送り、やっとのことで土山峠へたどり着くと自転車を投げ出してその場ヘ座り込んだ。ドリンクを口にする気にもなれなかったので、峠を走り抜けていく自転車をしばらく眺めていた。ひとりで黙々と上る人、チームで隊列を作り乱さぬまま下りヘ突入していく人たち、高回転でペダルをまわし談笑しつつ走り抜けていった女子ふたり、なかにはこの峠の目の前でUターンしそのまま下っていく人もいた。そして僕のようにこの場で立ち止まる人は誰もいない。みな行き過ぎるばかり。
             土山峠を出て宮ヶ瀬湖を下に眺めると、ほかのダム湖もそうであるようにここも水がなかった。枯れて奥のほうでは底が見えていた。宮ヶ瀬湖をいくつかの橋で渡る。ふだんならここまで水があるのだろうと、木の生え際で想像がつく。そこからどれだけ水位が下がってしまっているのだろう、はるか下のほうに水があった。
             土産物屋や食堂が文字通り軒を連ねる場所は宮ヶ瀬湖の観光スポットだろうか、立ち寄ってみるとその場の風景にかすかな記憶がよみがえってきた。小腹は空いていたけれどしっかり食べたいほどではなかったから、缶ジュースを買い、コロッケを売る店があったのでコロッケを買って食べた。


            (誰も写真など撮る人のいない、土山峠)


            (水の少なくなった宮ヶ瀬湖)


             しばらくの休憩ののちに今度は東側への道を下った。愛川町に出る。清川村とか、愛川町とか、鉄道に駅がないと馴染みがなく、ぴんと来ない地名だった。
             町のなかに入っていくと、どことなく懐かしい、少しだけむかしの風景が残っていた。コンビニではない商店があった。美容院というよリパーマ屋と言ったほうがしっくりくるカットサロンがあった。電気屋さんがあった。町はこじんまりと集まっていて、ゆったりそのなかを走り抜けた。
             町を抜けると真新しい道路に出て、いつの間にか見渡す限りの緑のなかに僕はいた。町を走っているときからずっとそばに川が流れていて、バーベキューや河原遊びを楽しんでいる場所もいくつかあった。カラフルなパラソルやタープが立ち、子供たちが川のなかで泳いでいた。場所が変わると今度は長い釣竿がいくつも並んでいた。僕は橋のひとつで立ち止まって、地図を見てみた。中津川というらしい。釣竿はアユを狙っているそうだ。
             神奈川県でこんな場所があるのか──。
             僕は走りながらその緑の深さに驚いていた。
             厚木からそう離れていないのだ。川を渡っていけば相模原なのだ。


            (素晴らしき愛川町の緑)


            (流れる川も涼し気)


            (その上を行く美しい道路)


             さんざん緑のなかの道を楽しんでいたらいつの間にか開けた街なかに出ていた。やっとお腹もすいてきた。食事を済ませ、朝出発した本厚木の駅に再び戻ってきた。

            渡良瀬遊水地から太平山、栃木ヘ

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              <今日のコース>


               東武日光線を栗橋駅で降りた。
               けっこうな数の人が一緒に降りた。階段を上り改札を抜けると大半の人が左手のJR改札口へ向かう。乗り換えの人はたいがい慌ただしい。しばらくベンチで見ていた。今度はJRの列車が着き降りた人が改札へ向かってくる。JRの改札を抜けた人たちの多くが東武の改札へと消えて行った。
               利用客の大半が東武とJRの乗り換えに利用しているのに、この駅は東武の快速も、JRの快速も止まらない。なんだか不思議な駅だ。
               鉄道むすめたちと一緒に写真が撮れるらしい。


              (栗橋みなみと栗橋あかな)


               栗橋の駅前で自転車を組んで走り始めるとそこはすぐに利根川で、長い利根川橋で渡って茨城県に入った。渡って利根川沿いに進むと利根川サイクリングロードで、堤防の高い土手の上から古河の街を一望しながら走ることができる。近いところは大半が田んぼでその先に家々の屋根が見える。遠くには駅周辺なのかビルがいくつか見えた。進むうち、川はその広い河川敷のなかのどこかで分岐していて渡良瀬川になる。大きな河川同士の合流箇所なのだけどそれがどこなのかさっぱりわからなかった。
               三国橋を渡って県道沿いのサイクリングロードを進むと今度は広大な渡良瀬遊水地とそのなかの谷中湖が目に入ってくる。あまりにも広すぎて遠くまで見通しきることができない。湿度が高いせいか霞んでいて見えないのかもしれない。僕はサイクリングロードの沿道にある道の駅きたかわべに寄ることはやめ、中央口から谷中湖に入ることにした。
               湖の真ん中を横切る橋を渡り、緑のなかを走る。あまり高くない木々が並ぶ林(と言っていいのか)を見ながら行く。時間が早いせいか人があまりいない。ランをする人、自転車に乗る人、散歩をする人、せいぜいそれくらいだ。バーベキュー広場に行ってみたが芝生には誰ひとりいなかった。日中は人であふれる芝生がいやにだだっ広い。よくここにバーベキューをしに来るけれど、こんな誰もいない状況なんてなかった。自転車を放り出し、芝生の上に横になって転がってみた。ただ広すぎて人がいないものだから、自分があまりにちっぽけに思えてすぐにやめた。
               北口から外に出て渡良瀬川へ向かう。ぽつぽつと雨が落ちてきたけれど、ここにいたって雨宿りができるわけでもなし、小降りで濡れるような雨じゃなさそうだからそのまま進むことにした。時間が早いせいか車もまったく来る気配がない。
               そしてここも、僕のこよない至福の並木だ。先月の日光・千手ヶ浜への道とまた違う良さ。どちらがいいというわけじゃない、それぞれに良くてそれぞれに楽しみ方がある。
               渡良瀬川の橋の手前で土手の上の道に入った。はるか遠くに利根川から見た古河のビルが薄ぼんやりと見える以外は、人を感じさせるものが何ひとつない。どこでもドアで連れてこられて、「ここは釧路湿原のなかだ」と言われても僕なんか気づかないのだろう。


              (湖の真ん中を行く谷中湖西橋)


              (バーベキュー広場の誰もいない芝生)


              (渡良瀬遊水地内の道路と並木)



              (渡良瀬遊水地を望むと北海道の湿原のよう)


               渡良瀬川を離れ岩舟へ出てJR両毛線の岩舟駅に自転車を止めた。さっきぽつぽつと降り続けていた雨はいつの間にか上がっていた。自販機で冷えた缶コーヒーを買い、壁伝いについた木のベンチに腰を下ろす。なんだかこの駅ってくつろげるなあ――。僕はこの駅が好きだ。無人化のおり、木造駅舎は取り壊されてプレハブの待合室だけの駅舎にされてしまうことが多いけれど、ここは残った。ただ、かつて窓口だったガラス窓や券売機のあった場所は、白い壁で埋められてしまった。
               さらに岩舟から大平に向かう。水田のなかのいつも使う道。ぶどう畑では夏から秋に向けたぶどうたちがたくさんの実をぶら下げていた。

               大平下の駅を横目に見てここから太平山へ上ることにした。山は「太」で旧町名の大平町や駅の大平下は「大」。厚い雲に覆われて日差しはないけれどひどい蒸し暑さで、坂に入ると途端に汗でびしょ濡れになった。幾人もの自転車にすれ違う。すがすがしくあいさつしていくけれど、涼しげではなかった。下りだからと言って冷えるような気候じゃないみたいだ。
               あじさいがあちこちで咲き始めていた。上りきり謙信平に着いた僕は自転車を置いて、だんごを食べることにした。ござに座り、謙信平から眺める。百パーセントにほぼ近い湿度は、その眺めを見せてはくれなかった。晴れていれば都心のスカイツリーやビル群が見えるらしい。霧がかかった日であれば周囲の山々が雲海から浮かび、霧のなかの浮島のように見えるという。いずれも僕は見たことがない。


              (僕の休息地、岩舟駅)


              (謙信平で食べられる太平山だんご)


              (思いがけない珍客が)


              (高湿度は眺望をすべて消してしまった)


               通称国栃坂(国学院栃木高校の横の坂だからだろう)を下り、栃木の街に入った。今まで一度も口にしたことがなかったじゃが芋入り焼きそばを食べようじゃないかと今日は勇んできた。店も場所も調べてきた。いざ入るとじゃが芋入り焼きそばだけじやなく芋フライなんかもある。そして頼む。美味しくて満足だったが、ひと品ひと品のボリュームが大きく、ひとりでは持て余す量。それなのにこれで380円+80円なのだ。これは巴波川沿いでも散策してお腹がこなれるのを待つしかない。
               僕は栃木の街なかを散策した。

               巴波川沿いをゆっくり走りながらふと思い立った。
               ――小金井まで行こう。


              (じゃが芋入り焼きそば・並で380円)


              (芋フライ・80円)


              (有名店らしい)



              (巴波川を散策)


               栃木の街をあとにし、県道を東へ向かった。県道は水田のなかを行く。景色はずっと田んぼだった。渡良瀬川の支流の思川を渡りまた田んぼ。十数キロ、それだけの景色のなかを走って小金井の駅に着いた。
               小金井の駅は、JR宇都宮線の三分の一かあるいは半分がここで終着となるターミナル駅だから、てっきりもっと大きな駅だろうと想像していた。それこそとなりの小山駅のような。
               僕がこの駅に来たのは初めてで、いつも通り過ぎるばかりだったターミナル駅の興味もあった。ちいさな売店とローカル駅でしかない自動改札の数と狭い跨線橋。選択を誤ったかな、と思う。これだったら栃木の街散策に時間を充てればよかったか。栃木も最近じゃ小江戸の街を生かしたカフェなんかも多くできている。僕はコーヒーが飲みたくなった。しかし駅周辺にコンビニもなく駅舎内の売店とホーム上の自販機があるだけだった。
               ――まあいつかはこの駅に降りるのだから。
               そうだそりゃそうだ。もともと興味はあったのだから来るべき駅ではあったのだ。それが今日になっただけだ。僕はホームのベンチに腰を下ろし自販機で買った缶コーヒーを飲んだ。

               いつのまにか、まぶしい日差しが地面に届いていた。夏が来る。ひどく暑い夏かもしれない。夏が来る。疑いのない日差しを眺めて僕はコーヒーを飲んだ。



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