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    • 2017.12.04 Monday
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    都下を自転車散策、足湯ヘ

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       自転車で走るということにそれほど興味を持っていなかったのだろう、車で走っても狭くて走りづらい場所だと思っていたから──それは今も──、いざ走ろうと案を練り始めたとき、あまりにこの一帯の土地勘がないことに気づいた。
       西武線が北から二本、中央線、その南に京王線という鉄道路線と、新青梅街道と青梅街道、その南に甲州街道という道路しか頭に入っていない。それを縦につなぐ道路は、環七、環八を過ぎるとその外側にまったくの知見がない。小金井街道とか府中街道とかあったっけ? それは縦筋の道路なのかな。──そんなレベルだ。

       だから僕が調布にいて、走る道路が品川通りと言われるともう何が何やらわからない。でもこの道が西へ向かう道なのだろうと進んでいく。
       品川通りはかつての品川道を現代に置き換えた道、古道は府中の大國魂神社から多摩川の河口六郷付近へ向かっていた道だとか。現代は経路も変わり府中から調布へ。東端はつつじヶ丘あたりで途切れているという。
       僕がこの品川通リヘやって来たのは、自転車では走りにくい道ばかりの他の都下道路に比べて走りやすいと聞いたから。じっさいそうだった。それは知られた事実なのか、多くの自転車乗りとすれ違った。もちろん知らないからもしかしたら青梅街道や甲州街道だってすれ違うのかもしれないけど。

       ミニストップのイートイン・スペースで休息を取ったあと、再び品川通りを進み、府中に近づいたあたりで中央自動車道沿いの側道に移った。
       右手に、大きな東京競馬場があらわれた。
       はじめて訪れた場所、はじめて見る競馬場で写真を撮っていると人が絶え間なくやってくる。これから競馬観戦だろうか。どこからか、多くは自転車でやって来る。自転車を駐輪スペースに止めて入り口に消えて行った。
       ここへきてはたと気づくのは「ビールエ場」だ。ユーミンの歌だ。
       高速道路の左側へ移って進み、南武線のアンダーパスをくぐると、なるほどサントリーの工場の目の前に出た。



      (続々と人が現れる東京競馬場)


      (おそらくここは裏門じゃないかと思う)


      (サントリーのビールエ場


       今日は、武蔵五日市を目指そうと走っていた。
       武蔵五日市という場所も車で通過したことがある程度で馴染みはないし、加えて帰路の輪行で今まで乗ったことのなかったJR五日市線に初乗車できるのも楽しみだった。
       中央自動車道が多摩川の向こうへ消えてしまうまで高速道路の側道を行った。走りやすい道だと思った。高速道路の高架がうまい具合に日陰を作ってくれて暑くもない。片側の景色が奪われてしまうので走って楽しい道とは言い難いけど、東京の場合、走りやすいだけでもありがたいのかもしれない。
       高速道路沿いから離れてそのまま進んで行くと、渋滞の最後尾になった。自転車も含めなかなか進むことができない。あとで調べると日野橋の交差点らしい。僕は立川へ向かうため、国立の街なかへ分け入った。静かな住宅街だった。
       やがていつの間にかずいぶん都市化された風景のなかに僕はいた。
       立川の駅近くだった。
       ビルのあいだ、道路の上の高いところをモノレールが通っていく。その高さが、そそり立つビルの高さと相まって空をひどく狭くしている。歩車分離信号の交差点はスクランブルの横断歩道、その上をそれぞれの方向に人が歩いていく。信号が変わっても人は交差点内にだらだらと残り、車がゆるゆると人を避けながら発進する。モノレールが音もなく上空を通過する。信号待ちをしながら目に映るその光景が、僕には近未来の都市を思わせた。それは東京や新宿といった場所よりも強く感じさせる。こことか、千葉とか──。
       立川から拝島に抜け、睦橋でいよいよ多摩川を渡る。ここまで来るとずいぶん遠くまでやって来た気がした。


      (睦橋からの広い風景)


      (山も近づいて見えてきた)


       坂の途中のマクドナルドで小休止して、少し走るとJR五日市線の終着、武蔵五日市駅に着いた。高架の線路に大きな駅舎──というか、高架下の大きなスペースに作られた駅舎だ──、その前に広がる広いロータリー。
       東京都であるのに「来たな」感があった。馴染みのない路線、その終着駅にはどこにだって魅力がある。ここだってそうだ。頭上高く、延びてきた線路はここで途切れている。

       僕は自転車を置き、階段を上がって駅構内へ入ってみた。コンビニのニューデイズ、並ぶ自動改札機があって首都圏の大きな駅と変わらない装いだけど、ひと気はなく静かだった。電光掲示板には発車案内が掲示されている。30分おき、拝島までの電車が運転されているようだ。

       ロータリーに戻ると、電車が着いたようで駅の階段からたくさん人が出てきた。夏のさなかのような恰好の若者が多い。彼らは大きなクーラーボックスや、スーパーの買い物カゴかあるいは洗濯カゴにも見えるような荷物、ビーチパラソルやレジャーテーブルを持っている人もいた。──バーベキュー? ロータリーで仲間の車に合流したりしている。
       僕はこの少し奥にある温泉施設に行ってみることにした。およそ5キロくらい、お昼も食べていないから食事もできるといい。僕は再び自転車に乗り、線路の終わった先へと道を進んだ。道は五日市街道から檜原街道に名前を変えた。


      (マクドナルドで休憩)


      (五日市線の終点、武蔵五日市駅)


       武蔵五日市の駅から5キロ前後、瀬音の湯という温泉施設に着いた。
       途中、下ってくる自転車に何台もすれ違った。彼ら彼女たちはこの檜原街道のさらに上にある都民の森なんかに行くのだ。下ってきているということは、上ってそして帰ってきたということだ。

       瀬音の湯は日帰り温泉施設ながら、宿泊用のコテージを備えた、気軽に利用できそうな温泉リゾートだった。奥にはレストランもあって僕はここで食事をとることにした。レストランには大きな窓があり、その外には緑が広がっている。緑のなかには散策路があり、人が行き来する。散策路からは谷へ深く、秋川の河原まで下りられる道もつけられているよう。そんな窓の外を眺めながら僕はそばを食ベた。
       敷地内には足湯もあり、無料だった。僕は靴下を脱ぎ足湯に浸かってみた。気温の上がった暑い日ではあったけど、湯に浸かるのは心地よかった。ときおり涼しい風が駆け抜け、蝉だろうか虫の声や鳥のさえずりなんかが聞こえてくる。ここは東京都だ。


      (瀬音の湯のそば)



      (足湯でくつろぐ)


       くつろいだ身体に満足した僕は、ふたたび5キロばかりの道を下り武蔵五日市駅へ戻ってきた。相変わらず電車のやって来るまでの駅前──30分に一本という間隔は変わらないようだった──はのどかだった。僕はここから輪行する。


      (深い秋川の谷)


      (ふたたび武蔵五日市駅へ)


      奥日光千手ヶ浜(2016.6.12)

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         今まで日光という場所には輪行でしか出かけたことがなかった。
         東武線の下り始発列車に乗り、乗り継ぎをくり返す。そのあとを追いかけてくる浅草から一気に日光まで運んでくれる快速はたいてい混んでいるし、僕は始発乗り継ぎのほうを好んで使う。これで行って日光に7時半過ぎ。いろは坂を上って中禅寺湖を望むのは9時半とか10時だ。

         千手ヶ浜は中禅寺湖の西にある静かな浜で、かつての林道が日光市道になってから車は入れなくなり、もともとどこにも抜けられない道の果てにあった浜はさらに閉塞感が強くなった。有数の観光地、奥日光中禅寺湖畔とは思えない静かな浜がそこにある。
         道は国道120号赤沼茶屋の近くから小田代ヶ原をかすめ、大きく迂回するように中禅寺湖西岸に着く。今は国道120号からの入り口に大きな鉄のゲートが設けられ、このなかへ入っていけるのは市の運行する低公害バスと歩行者、自転車のみだ。
         今日は車でここへやって来た。まだ夜が明けぬ4時に家を出発、戦場ヶ原の三本松茶屋に車を置き、いろは坂はスキップした。おかげで市道1002号のゲートに立ったのが7時半だ。
         東武電車もまだ一本も着いていない。日光駅からの路線バスは走り始めているようだけど、この時間はガラガラだ。そしてこのゲートを越える低公害バスは1便が8時過ぎのはず。
         朝の雰囲気は輪行で来られる時間とは違っていた。

         この道は季節を問わずドラマチック。ふだん味わえないサイクリングになる。小田代ヶ原を経て弓張峠を越え、下る。さっき車で眺めた中禅寺湖とは違う、幻想的な中禅寺湖が僕を迎えた。



        (赤沼茶屋近くの入りロゲート)


        (日光市道1002号は映画のセットのよう)


        (小田代ヶ原も草原化が進みもう湿原の趣はない)


        (中禅寺湖に向かう沢に沿ってクリンソウが咲く)


        (沢は冬の雪が少なかったせいか枯れぎみ)


        (日光市道1002号を往復する低公害バス)


        (千手ヶ浜)


         今回、スニーカーを別に持ってきた。自転車を置いて西ノ湖にも行ってみようと思う。
         熊鈴は持っていない。あったほうがいいかなって思うような場所。でもほかにも歩いている人がいるから──きわめて少ないけれど──大丈夫かなって思い歩く。

         周囲から隔離された空間に現れた湖は神秘的だった。
         でも、開けたこの空間一帯、水よりも砂地のほうが広かった。
         もしかしたらここは何色にも映る水に満たされた地なんじゃないかと想像する。裏磐梯の五色沼、あるいは白神山地の青池──それらよりも訪れる人は少ないかもしれない。車ではここへ来ることができないのだから。
         砂地で広がった一帯は荒涼としている。水が枯れているのだ。一帯を歩きまわっていると古くからの地図があった。見ると西ノ湖につながる川がある。流入河川か流出河川かはわからない。湖の周囲、砂地のうえを歩きまわってみたけれどそんな河川はなかった。ただ、森のなかから続いてくるヘビのような筋が見えるだけだった。おそらく河川の痕跡だ。
         この冬が、きわめて雪が少なかったから? それとも、湿原からほぼ草原に変わった小田代ヶ原のように周辺の沢も枯れはじめているから?
         このふさがれた空間に広がるように存在する湖は、あるいは枯れ果ててすべて砂地になったりしてしまうだろうか。


        (西ノ湖への道)



        (西ノ湖)


         25キロのサイクリング。森の空気を全身に浴びて昼には駐車場に戻った。さあ、いろは坂や神橋、東照宮が混み始める前に帰ろう。

        海風サイクリング ―湘南海岸―(2016.6.11)

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           まず湘南と言われると特別な場所なのだ。だいたい、海だし。
           海なし県の埼玉に住んでいると海と言うだけでそれはそれは特別な場所だし、そこに湘南ブランドがかぶさることでハイソな、気取ったイメージが確立される。だいたいそんな場所に行っても混んでるし、と皮肉めいた思いまでも背中合わせに湧いてくる。
           そういう気持ちがこころのなかに霞のように立ち込めているのだろうか。考えてみたら僕はこのあたりをあまり走ったことない。2回、3回──。4回あったかどうか怪しいところだ。

           国道134号はどうせ海なんて見えないし──それは車で通る機会に知った。でもまあ走ってみるのもいいかとこの日は考えていた。
           辻堂から南下し鵠沼海岸に向かった。日差しは夏の色を帯びているけれどそれほど暑くない。引地川に沿って、国道134号松波の交差点に出た。
           湘南茅ヶ崎サイクリングロード、の文字。
           鵠沼から茅ヶ崎まで海岸線をつないでいるらしい。早速興味が湧いた。僕は国道134号を横切った。

           道は大半がビーチクルーザーと呼ばれる自転車が往来し、みなサーフボード用のキャリアをつけていた。あとはバーベキューの道具を持って横切る人々。ここは海岸に沿ってつけられたおまけの舗装路と言った印象。砂に埋まっている箇所も多かった。
           それでも人の多い海岸を過ぎれば道は空いて、そのまま茅ヶ崎まで走り通した。
           海とときおり正面に望む富士山、僕にとってはぜいたくな風景だった。


          (湘南茅ヶ崎自転車道、ここはかなり空いている場所)


          (江の島)


          (烏帽子岩)


          (Cのオブジェ)


           茅ヶ崎から僕は北上し、寒川神社を訪ねてみた。
           相模国一宮。


          (寒川神社)


           途中、廃線跡のようなものを横切ったけど、相模線の寒川支線かな。横切るまでその存在を忘れていた。

          内蔵ケーブルの交換に

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             エンドの曲がりを修正したのち、やっぱり変速不良が直らなかったり万が一パキッと折れてしまったときのために、自転車屋でディレーラー・ハンガーを取り寄せておいてもらった。
             そのときに微妙な変速不良の話をしていて、僕の自転車の変速具合を見て
            「ケーブルを交換してみるのはありですね」
             という話になった。僕もやっぱりそうですよねぇと言うものの、どうしても前向きになれない。
             僕の自転車は最近の自転車のお仲間に入れてもらっているのか、シフトケーブル、ブレーキケーブルともフレーム内蔵になっている。前回これを交換したときに今じゃ思い起こしたくないほどの苦労をしたのだ。新しいケーブルをフレームに通し、手先に伝わる感覚でツンツンっと出口を探す。内視鏡かはたまたカテーテルか、いやそれよりもひどい。見えない出口をただ手さぐりで探すのだから……。結局、数時間かかった。
            「ライナー管っていうのがあるんですよ」
             薄いPPでできた管はアウターケーブルよりも細く、それがフレーム内蔵の区間に通せるようになっている。古いインナーケーブルを抜く前に、インナーケーブルにかぶせてフレーム内蔵部に通し、通しきった状態でライナー管だけを残してインナーケーブルを引き抜くのだそうだ。
             新しいケーブルはライナー管のなかを通せばいい。
             いまはそんなものがあるんだなあ。ありがたい。
             そんなわけでインナーケーブルとアウターケーブル、ライナー管も注文した。
             とはいえ、それなりに時間も必要だから、そのうちに。


            (インナー、アウターのケーブルと、ライナー管)

            エンドの曲がり

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               自転車を大事にしていないつもりは毛頭ないんだけど、連休に派手に転んだり、この前の湯野上温泉旅行では輪行中の写真を撮ろうともたもたしていたら大きな音とともに倒してしまったり、自転車には申し訳ないことをくり返していた。
               やっぱり倒したのが大きかったかな。
               湯野上温泉の二日間はずっと、変速の不調に悩まされた。考えるまでもない、どうせエンドが曲がってしまったのだ。

               旅から戻ってエンドを直す。
               具体的にはディレーラー・ハンガーと呼ばれるリアディレーラーをつけている金具を力任せにまっすぐに──まっすぐに思われるように──修正する。



              (ディレーラー直付ゲージで修復)


               こんな工具をたまたま持っているのだ。
               工具の名前は、エンドがまっすぐつけられているかを測定する(ゲージ)なのだけど、じっさいには測りながら工具にエイッと力をかけて曲がりを直していく。力を入れてまた測って、ホイール全周に対して均等になるよう直していく。
               ちなみに僕が持っているのはホーザン製のもの。


              (ホーザン、ディレーラー直付ゲージ)


               ほかにパークツールだとか、シマノだとかあるようだけど、手に入れたときに一番安かったからホーザンを選んだ。パークツールやシマノだとゲージ(ものさし)が工具自体についているのだけど、ホーザンはついていないからメジャーを別に持ってきてあてがって測る必要がある。

               直してリアディレーラーを取り付け変速調整はしたものの、製品として作られたときのようにまっすぐにはならないし、アルミでできているディレーラー・ハンガーをこうやって何度も力をかけているとやがてパキッと折れてしまう。
               ――まあとりあえず今回はかなリマシになったしこれでいいかな。

               のちほど、自転車屋さんに行ってディレーラー・ハンガーを部品取りしてもらった。


              (ジョブ・インターナショナルのGIOS用ディレーラー・ハンガー)


              御霊櫃峠、湯野上温泉、大内宿(2016.5.21〜22)

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                <一日目 郡山〜御霊櫃峠〜猪苗代湖〜湯川〜会津若松〜湯野上温泉>



                (5月21日のルート)


                 朝一番の東北新幹線から降りた郡山は肌寒かった。前日の天気予報は夏のような陽気と言っていたのに──。僕は輪行袋から自転車を組み上げるより前に、ウィンドブレーカーを羽織った。でもふと、もっともだなと思う。まだ5月下旬になったばかりなのだ。
                 そんなわけで郡山の市街地を抜けて一帯が水田地帯になると田植えが盛んにおこなわれていた。
                「今時分なんですね」
                 と僕は言う。今日はUさんと一緒だ。
                 4月中旬、僕はUさんに誘われて房総半島の内陸をサイクリングしていた。そこで見ていた風景はやはり田植えだった。僕の暮らす埼玉県ではおおよそゴールデンウィークがそのどまんなか、場所により田植えの季節は違うのだなと思った。田植え前線というものがあれば、それと一緒にサイクリングをしているような気分だ。
                 田植えをながめながら僕はウィンドブレーカーを脱いだ。日が昇り、駅での肌寒さを忘れるほど気温は上がり始めていた。


                (朝の郡山駅前は肌寒かった)


                (市街地をすぎて水田のなかの一本道)


                 御霊櫃峠へ向かっている。
                 今日は自転車仲間の集まりがあって、湯野上温泉に向かうことになっている。集まりとはいっても少し趣向が変わっていて、その日の宿だけ決めてみんな自由走行、それぞれが旅の内容を夜好き勝手に話そうというもの。僕は南会津の前沢曲家集落とこの御霊櫃峠を考えていたのだけど、一緒に参加するUさんに話をしたところ、Uさんも御霊櫃峠を考えているのだと言った。ならばと僕らは郡山駅で待ち合わせをし、西に向かって走り始めたのだ。
                「ここから御霊櫃峠に向かいます」
                 御霊櫃林道の入り口で僕らは少し長めの休憩を取った。一面若草色の緑は気温の高さこそあったけど春の心地よさがあった。



                (峠へ向かう御霊櫃林道の入り口)


                 峠への坂を上り始めた。僕がこの峠を知ったのはテレビ番組「峠TOUGE」だった。もう二年以上も前だろう。同じ番組をUさんも見ていた。それからUさんは一度ここを訪れた。僕は初めてこの坂を上る。
                 休憩中、今日参加すると聞いていたKさんが郡山で降りた写真をツイッターに上げているのを見た。その後に上げた写真が水田のなかの一本道で、それは僕らが走って来た道に似ていた。まさかね──と思う。だってこの峠はふつう、ルートとして組み入れるにはマイナーすぎるから。
                 途中、車に出会うこと数台であったのに、峠の駐車場にはけっこうな台数の車が止まっていた。峠にあった地図をながめていると登山道もあるようだから、朝早く車でやって来て山登りを楽しんでいるのだろう。
                 ここの峠はそれを示す標識や碑はない。自転車お約束的に峠の名前をバックに写真を撮ることができない。ここがそれとわかるのは御霊櫃峠公衆トイレ、その文字だけだ。記念写真としてもさすがにためらい、何枚もの風景写真を撮ることに気持ちを切り替えた。
                「こんにちは」
                 と大きな声で背中に声を受けた。
                 まさかのKさんだった。
                 追いついてきたのだ。


                (峠に向かう途中の原っぱですでに絶景の予感)


                (御霊櫃峠から郡山市街地方面、鏡のような水田、山肌への道つき)


                (御霊櫃峠から猪苗代湖方面)


                 Kさんは女性だ。1時間もあとの新幹線で追いついてきたペースも驚かされる──いやむしろ僕のペースに問題があるのか──けれど、僕は彼女がこのルートを選んだことに驚いていた。峠から上れる小高い丘に向かいながら三人で談笑する。郡山市街も反対の猪苗代湖もしっかり望める絶景峠だった。
                 ここからは三人になって峠道を一気に下る。僕は峠でウインドブレーカーを着こんだ。峠からはまるで大きな水たまりに見えていた猪苗代湖が、やがて近づくにつれその広さをまざまざと感じる湖になった。下りはあっという間だ。
                 昼をまわりお腹もすき始めたので昼食をとる場所を探す。ここは一度走破経験のあるUさんにお任せすることにした。午後1時半も過ぎたころ、猪苗代湖畔、舟津浜の旅館兼食堂に入った。


                (三台の自転車で下りへ向かう)


                (下ってきた)


                (猪苗代湖畔、舟津浜)


                 湖南町、広い郡山市をいまだ抜けないまま猪苗代湖沿いを走った。ちょうど対岸に見える磐梯山が、少しかすみながらもその雄大な姿を見せていた。思い思いに写真を撮るものだからなかなか先に進めないのはいつものこと──。



                (写真‥猪苗代湖畔を走る)


                (写真‥猪苗代湖畔越しに望む磐梯山)


                 一度国道294号に出た僕らは黒森峠をトンネルで抜けた。それを下ったところでKさんが「じゃあここで」と言う。彼女はこのまま国道を走り、吉ヶ平ダムを見て背あぶり高原を経由し東山温泉に抜けたいのだと言う。その後一度逆戻りするように東山ダムにも行きたいのだそうだ。僕らはここから名もわからぬ林道を走り湯川地区へ行こうと思っている。林道がつながる県道325号に入り、東山ダムから東山温泉を抜けて会津若松へ出ようとしていた。
                「すれ違うかもしれない」
                 と僕は笑った。Kさんのルートはタフだ。そんなことは気にも留めずに、Kさんは
                「ダムカードもらってきて夜見せますね」
                 と言い、手を挙げると国道294号の坂を下って行った。

                 しかしながらこの名もなき林道の上りもなかなかタフだった。でもゆっくり上ればいい。僕らはアスリートじゃないのだから。
                 期待していた景色は晴れない。どちらかというとかすみが強くなって、やがて雨が落ち始めた。
                 はじめのうちはこのまま通り抜けられればいいなと思っていたけれど、そんな期待など簡単に裏切られ、やがて音を立てて雨が落ちてくるようになった。
                 僕は昼食を取った食堂から脱いでいたウィンドブレーカーを着こんだ。Uさんもウィンドブレーカーを着た。僕はカメラと携帯電話をジプロックに包み、リュックのなかへしまった。
                 天気予報がまったく口にしなかったこの雨模様は着ているものをすっかり濡らしてしまった。重く、冷たい。自転車は車輪が泥をはね上げる。それがまた服にかかる。
                 しかしUさんは泥はねの影響を受けない。今回持ってきているツーリング用の大きなサドルバツグのおかげだ。
                 Uさんは今日、手ぶらだ。これまで日帰りであってもリュックを背負っていたUさんが、だ。導入した大型のサドルバッグは、リュックの荷物を収納できるほどの容量があると言う。僕は今朝、郡山の駅で興味津々ながめさせてもらった。フェアウェザーという国産のバッグだそうだ。
                 そのサドルバッグは大型のうえ、防水になっているからちょうど泥除けの役割を果たしてくれる。なるほどはね上げた泥水で汚れ、濡れてしまった僕の背中とは違い、Uさんはサドルバッグに守られていた。僕もこのバッグを探してみよう、と思った。
                 結局そんな雨模様のせいで林道も県道325号も立ち止まることがなかった。カメラもしまっていたので写真を撮ることもなかった。僕らは淡々と坂を上り、下った。林道も県道も、何度も立ち止まりたい場所のある素敵な道だった。残念ながらそうしなかった。
                 やっと雨が弱くなってきたのは東山ダムに着くころだった。人の姿もなく静かな場所だった。事務所に人はいない。これじゃダムカードはもらえない。そういえばKさんはもうここに来たのだろうか。僕らはさらに県道325号を会津若松に向かった。
                 東山温泉は会津の奥座敷と呼ばれる場所と知ってはいたけれど、来たのは初めてだった。昭和の温泉街とリノベーションされきれいになっている温泉旅館がうまく融合していた。射的屋がやっていた。雨も上がったので温泉街で休憩しながら僕とUさんは缶コーヒーを飲んだ。スマートボールをやってみたいと思った。そういう温泉街だ。


                (東山温泉街)


                (射的屋。スマートボールをやりたい、などと思う)


                 結局Kさんとすれ違うことはなかった。
                 会津若松市内まで一度下り、今度は会津西街道で南下する。方角的には南から北へ出てもう一度南に行くのでなんだか損した気分だが、あいだに深い山が立ちはだかっているので通行止めになっている荒れたダートの林道しか道がない。
                 会津若松からの25キロは頭になかった。もっと距離が短いと思っていたが上り基調で1時間半を要する道のりだった。雨でずぶぬれになったこともあって僕もUさんも疲労していた。狭い道、路肩のない長いトンネル──そこの多くは上り坂だった──、そんなものをいくつ越えたかももうよく覚えていなかった。湯野上温泉、「いなりや」に着いたのはもう薄暗い6時半。すでに3人が到着していた。
                 温泉に入り冷えた体を温めて夕食に臨むと食べきれないほどの料理が並んだ。あとから再合流になったKさんも含め集まった総勢7人。一日の旅の思い出を聞きながら、あっという間に夜が更けた。

                ***


                <二日目 湯野上温泉〜塔のへつり〜大内宿〜会津田島>




                (5月22日のルート)


                 翌朝は青空が迎えた。前夜同様の食べきれないほどの朝食をお腹に放り込んで、今日は7人でのサイクリングである。
                 まずは塔のへつり。
                 僕は会津鉄道の駅にもあることから名前だけは知っていたが、ここを訪ねるのは初めてだった。湯野上温泉から南へおよそ5キロ。この後再び湯野上温泉を経由して大内宿に向かうことから、荷物は宿に置かせてもらった。

                 長年の浸食によって生まれたそこは奇妙でさえあった。こんな浸食の仕方をするのかと思うほどまんなかだけがえぐれ、岩には地層が浮かんでいた。
                 湯野上温泉からここまでくる、素朴な風景が心落ち着いた。水田が広がり、昨日の郡山市内同様まさに田植えの真っ最中だった。田に水を張り、なかには手植えをしている水田さえあった。そんな風景のなかをみんなで走る。ときおり、姿の見えない会津鉄道の気動車が、そのエンジン音とレールを刻む音を残していった。


                (塔のへつり)


                (美しい風景のなかを行く会津鉄道)


                 湯野上温泉から大内宿への上りは一度走ったことがあった。これもUさんと一緒、去年のことだ。Uさんはまだ小径車に乗っていた。道を知っている、というのはたいして役に立たない。一度走っているから今回は楽に上れるかというとそんなことはないものだ。湯野上温泉から約8キロ、着いた大内宿はすでにたくさんの人でにぎわっていた。
                 思い思いに写真を撮り、気に入った店をながめ、ラムネを飲み、そしてみんなでそばを食べた。そしてポスターでお決まりのアングル、高台にも上った。



                (まずは冷やしたラムネをいただく)


                (定番の場所で写真撮影会)


                 7人の旅はここで解散になる。
                 またそれぞれの思いのある旅を続ける。このメンバーの旅の良さだと思う。
                 昨日一緒に走ったKさんは大内ダムが見たいと旧街道経由で会津若松に向かった。Sさんも一緒のコースだった。会津若松からの列車の時間もあるらしく、まずふたりが出発していった。
                 それからAさんとWさん、湯野上温泉に下り国道121号経由で会津田島の駅に出るという。「ナガヤマさんは?」と聞かれ、僕は旧街道経由で中山峠を通って会津田島に行こうと思ってますと答えた。今回の旅の手配をすべてしてくれたHさんは会津若松に向かうというが、KさんSさんのルートではなく坂の少ない国道121号経由で行くという。昨日から一緒に走ってきたUさんは最後まで悩んだようで、結局KさんSさんが向かったルート、つまり旧街道で会津若松へ向かう道を選んだ。それぞれが、それぞれの旅にまた出発する。

                 僕はひとりで中山峠へ向かった。この道の美しさと静かさは格別だ。前回の大内宿の帰り道もここを通った。緑のなかを鳥と虫の声が包む。
                 坂はきついが長くはない。下りに入って途中湧き水を汲んだ。美味しい湧き水だ。
                 峠を下ると分かれ道で左に下れば下郷へ抜けられる。前回はこちらを選び、下郷から田島まで国道121号を走った。今回は右、山の裏手から田島へ抜けることにした。本当は昭和村をまわってみたいけれど、さすがに時間がない。
                 しばらく平坦でやはり同じような水田地帯を行くが、やがて上り坂になり水田もなくなった。もともと車通りがほとんどなく、人もいなかった。道は再整備されたのか広く高規格だった。新緑はどこまでも深く、気持ちはいいものの、僕は帰りの列車の時間を気にして少しだけ心細くなった。


                (湧き水の名所、高倉山の湧水)


                (もちろん、しっかりいただいて)


                 しばらくののち、国道400号に出てしまえば会津田島はすぐだった。トンネルを越えてからは田島の町まで一気の下りで、スキーで何度も訪れたことのある見慣れた町に入っていた。国道289号の阿賀川の橋が見える。──旅も終わりだ。
                 踏切を渡って線路沿いを進み、駅前ロータリーに入った。ホームには見慣れた東武電車の快速車両が止まっている。さあ輪行して帰ろう。
                 駅舎に入ると、改札をくぐるWさんとAさんのうしろ姿が見えた。



                (合流し、帰りの輪行を)

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