都内、平日に見る桜はもう散り始めていた。-
天気予報も水曜日くらいには「今日がお花見の最後になるでしょう」と告げていたし、じっさい散った花びらが道路を白く埋めたのもそのころだった。
「菜の花とさくらとそのなかを走るいすみ鉄道と小湊鉄道を見に行きませんか?」
Uさんに誘っていただいた。Uさんは鉄道好きというわけではないけれど、去年同じコースを走って、鉄道のある風景がとてもよかったのだと言う。僕もコースと風景の良さが思い浮かぶものだから、ふたつ返事でOKした。
ただ、さくらはもう難しいかな、と思った。そして木曜日、雨が降り強い風が吹いた。都心のさくらは湿って泥にまみれるように路面に落ちてしまった。
4月9日。僕は18きっぷの最後の1回を使って武蔵野線から総武線、千葉から外房線の普通列車に乗り継いだ。朝方寒かった日は、太陽が昇るのにあわせてぐんぐんと気温が上がっていくのを電車内にいても肌で感じた。午前9時過ぎ、待ち合わせの大原駅に降りる。そして、長い長い一日がここから始まった。
Uさんは先行する特急ですでに大原駅に着いていた。普通列車にしか乗れない僕がホームに降りると、同じ列車で来ていたHさんとここで合流。今回は3人でのサイクリング行。そして、Uさんの自転車がロードバイクに変わっている。あれだけ小径の良さ、ロードと変わらないとデメリットのなさを謳っていたUさんが突如大きなホイールの自転車であらわれた違和感……、でもそれもまた話のタネ。サイクリングを楽しみながら聞いていこう。
そういえばさっき、僕の乗った普通列車が駅のホームに入るのと時を同じくして、いすみ鉄道の旧国鉄車「キハ28」と「キハ52」の編成が出ていくのが見えた。普通列車の乗客は相手にしないってか? ──まあダイヤの関係なんだろうけど。特急から降りた乗客を乗せた懐かしい車両は一瞬視界を横切ったきり。あとで折り返しの運用にすれ違えるだろうか。期待を胸にしまっておく。
駅を出発して国道465号を行く。古い建物が残っている街なみを抜けた。思えば上総一ノ宮もこんな風景だった。ほかにもこういう駅前の街があったりするだろうか。
いすみ鉄道に沿ってゆるゆると内陸へ向かう坂を上って行った。防風仕様ではないけれど春秋に着るような長袖のウェアを着てきてしまった僕はすでに暑い。前を走るHさんは半袖ウェアにアームカバーだった。それが正解かもしれない。
いすみ鉄道にほぼ沿って走っていく国道は、何度も踏切で鉄道と交差する。高い建物が減り、どんどん視界が広がっていく。田んぼのなかに道路と鉄道。僕の好きな組み合わせを堪能しながらサイクリングは進んでいく。
Uさんが国道を外れ、小さな踏切を渡った。線路端にはちいさなプラットホームが沿うようにあった。バス停のような待合室がホームにある。新田野駅。
(ちいさなプラットホームと待合室だけの新田野駅)
(駅前の……、踏切)
ずいぶん長い踏切の遮断棒が空に鋭く向かっている。自転車を降り、それぞれ写真を撮ったり景色を眺めたりした。もちろん踏切が鳴りだしここへ列車がやってくればそんなうれしい話はないけれど、列車のこない踏切と駅、菜の花とさくら。まるで止まっているような光景。それを眺めているだけでもよかった。いやその時間がよかった。そっと楽しむ時間──僕が変わりものなので、ふたりには言わないでおいた。
踏切をオート三輪が渡ってきた。オート三輪だ。こんなの見るのはいつ以来だろう。しかも現存していることで写真など見かけるダイハツのミゼットじゃない。軽じゃなくちゃんとした普通トラック。マツダ? 周囲の風景全てがぐぐぐと時間を巻き戻していくよう。
「まだしばらく列車は来ないようですね」
と僕は言った。
「じゃあもうひと駅進みましょう」
とUさんが言う。進みの悪いすごろくのようだけど、もともとそういう行程のつもりだった。
(飾りものや博物館保存じゃない、ちゃんと走っている)
次は国吉駅。
きちんと駅舎があり車も多く止まっている。新田野と違い、駅にはたくさんの人がいた。何か調理しているにおいがする。誰もが駅舎を抜けてホームヘ自由に行き来している。ホームにたくさんの人。運賃を車内精算するいすみ鉄道ならではなのかな。僕もホームヘ出てみると、そこにテーブルを置き、透明な大きなケースにおおわれた機械のなかでポップコーンがあふれるように生み出されていた。これのにおいだった。
ほかにお弁当も売っている。箱はいすみ鉄道の車両を模していた。テーブルの売り子みんなで「お弁当、ポップコーン、ありますよ〜」と声を上げる。駅のホームで鉄道を、沿線を盛り上げていた。売り「子」とは言ってもおじさんおばさんだけど。
ホーム脇にはさくら。多少散りかけてはいるけれど、今まさに満開。重々しく美しく花開くさくらが並んでいた。ふと僕は都心の散りゆくさくらを思い出した。──これ、都心にくらべて全然残っているんじゃないの?
「次の列車は何時なんですか?」
ホーム上にいる人がお弁当を売っているおじさんに聞いた。
「11時02分に下りが来ます」
と答える。きっとここの駅の発車時刻はすべて押さえているに違いない、と思った。それから見ているとここを訪れた客がそのおじさんに発車時刻を訊ねた。おじさんは聞かれるたびに11時02分下りという言葉を繰り返すのだろう。
そこへ新田野駅の踏切で見たオート三輪が帰ってきた。──いや、帰ってきたのかどうかわからないのだけど、あまりにもここの駅や風景になじんでいて、この駅を基点にしているかと勝手に思ったから。
遠くで踏切の鉦が鳴った。乾いた警笛が鳴る。さくらと菜の花の向こうから黄色の気動車があらわれた。あちらこちらで一眼レフの連写の音が聞こえる。車両の姿を認めてからずいぶん時間をかけて、ゆっくりゆっくリホームに横付けた。
2両編成の車内は満員だ。その混雑に僕は驚いた。わずかな停車時間ののち、軽量エンジンがうなり、回転数を上げてゆっくり出て行った。車内の乗客が窓越しに手を振る。僕も手を振る。
「すごいお客さんですね、車内がいっぱい」
僕は思わず弁当を売るおじさんに言った。
「ホントすごいです、今日は。でも今だけですけどね。おそらく今まで天気のいい日がなかったからでしょう。今日は天気も良くて、菜の花もさくらも咲いた週末を迎えたからでしょうねえ」
と言う。僕もうなずいた。さくらは満開だ。
(腕木式信号機が残っている)
(人でごった返す国吉駅)
列車を待つのに15分くらい使ってしまった。先へ行こう。
変わらず国道465号を行く。ずっといすみ鉄道に沿っているのだ。次の上総中川駅、一度踏切を渡って裏路地からのアプローチを試みたが失敗。駅のそばまで寄れる道もなく、ここもまたほんの小さな駅を遠巻きに眺めた。
それからしばらくまた国道を走り、「右に入りますね」と先頭のUさんが言う。ついていくと踏切だった。「有名な撮影地らしいですよ」
なるほどもうすでに写真家のみなさんが場所取り構図決めにあわただしい。
「次は何時ですか?」
踏切の柵のすぐ脇で椅子に座り頑丈そうな三脚に大きな望遠レンズを括り付けたおじさんに聞くと、「3分後だよ」と言う。何と運のいい──僕もUさんもHさんも自転車を置き、思い思いにアングルを探した。
竹やぶかそれとも雑木林か、線路の背景は緑の大きなトンネルになっていた。踏切のまわりは菜の花で埋め尽くされ、線路脇をさくらが固めていた。さくらは満開、それほど散っていないように見える。
踏切が鳴った。遮断機が下り、線路の向こう側にいた人とこちら側にいる人とが分断された。Uさんは向こう側にいる。Hさんはこちら側にいる。警笛が鳴った。
緑のトンネルを抜けてきた黄色の気動車は速くて、あっというまに僕らの目の前を通過していった。
「すごいタイミング、よかったねえ」
とHさんが言う。
警笛が聞こえてから目の前を通過するまでのあいだ、場は水を打ったように静まり返り、緊迫した空気が張り詰める。姿を見せた車両を認めると浴びせるようなシャッター音。列車が過ぎ踏切が上がると張り詰めた空気が解放されるような安堵感。なるほどこの一瞬のために下手をすれば1時間以上も前からここで待つのだ。
「さあ、先に進みましょう」
──こればっかり。
でもいいのだ。最初っからそのつもり。進みが悪いのではなくてこういうサイクリングなのだ。だから誰からともなく言うこのセリフはお約束みたいなもの。国道に戻って大多喜の駅前を目指した。いすみ鉄道は町を大きく迂回するのでしばし離れ、僕らは直線的に大多喜駅前に出た。お昼はHさんが提案してくれた、養老渓谷駅の駅前食堂で食べる山菜そばを楽しみにしている。「でも、お腹すいちゃいましたよね」とHさん、同感。
駅前にある観光本陣というなまこ壁を模した建物に入った。町の観光協会がやっている施設らしい。なかをしばらく物色し、僕は中華まんのたけのこまんを食べることにした。
──間食。まだ20キロしか来ていない。
(お昼どきだけど、ちょっと休憩)
(たけのこまんで間食(昼食じゃないし))
──お昼は果たしていつだ?
〈その2 へ続く)
→ 今回も一緒に走ってくれたUさんのブログはこちら