自転車に、乗っていない。
僕は寒がりで、冬は全般的に能動的になれないという例年変わらない事情はあるにせよ、それに今年はスキーをしていたという事実が加わった。
もともと、スキーは毎年欠かさずやっていた。かなり熱心にやっていた時期もある。それが5年前まで。5年前を最後に、まるで足を洗うかのようにバタッとやめた。
特に理由があったわけじゃない。あえていうならお金がかかるからだ。せいぜいそのくらい。翌年、行きたい行きたいと衝動に駆られることもなかった。スモーカーがタバコをやめたときよりも、何年も付き合ってきた女から別れを切り出されたときよりも、よほどあっさりしている。
きっかけは同じマンションに住むKさんが「スキー行きましょうよ」といってきたことだ。5年前までの僕の姿を知る彼にとって、そして毎年スキーを続けてきた彼自身にとって、僕は恰好の材料だった。
昨年秋、10月に連絡があり、リフト券の早割を買いましょう、行きたいスキー場を選んでくださいといい、対象のスキー場の一覧をくれた。
リフト券は上越国際と裏磐梯猫魔を選んだ。シーズン中であればいつても使える。確か2500円と2200円。
しかしシーズンに入った12月、今年はまったく雪が降らなかった。10月のような気温の日さえあった
正月までも異常なほどの暖冬で、じっさい雪が降り始めたのは1月も中旬を過ぎたころたった。
やっと日にちを決めた1月、今度は10年ぶりぐらいだろうかというインフルエンザにかかってしまった。僕は延期を申し出て再計画、やっとスキー場に向かったのは1月最後の土曜日だった。
上越国際。
5年ぶりのスキーの初めは25年ぶりのスキー場だった。
朝方曇り空で雪になることさえ覚悟していたが、まずまず好転した。
おそるおそる滑り始める。なにしろそれまで、いちシーズンたりともあけたことがなかったのだ。でもそれはうれしいことに杞憂だった。脚は覚えていた。身体を傾け体重を乗せ板をたわませれば、弧を描いて板が足もとに戻ってきた。ただ筋力とその持久力が明らかに衰えていた。午前中も早いうちから腿の筋肉が悲鳴を上げ、ターンもままならなくなっていた。
昼には気温も上がり、天気も上々、魚沼平野をながめながら5年ぶりのスキーを楽しんだ。
***
一週間後。
Kさんが連絡をくれる。「また行きましょう。猫魔は取っておいて別のところに行きますか」
上越国際から10日ばかりのちの建国記念日は、会津高原のだいくらスキー場へ行った。
Kさんは会津高原一帯がまず初めて。そして僕の独断で「高速は使わずに下道で行きましょう」と早朝の国道4号を北上した。「こんなのはあり得ない」と、Kさんはいった。
だいくらスキー場は、おそらく僕がいちばん行った機会の多いスキー場。アクセスが遠いが、すいているうえ気持ちのいい斜面も多い。僕は「食堂のソースかつ丼、美味しいですよ」と道中吹聴していた。
天気はザ・快晴。待ち焦がれていた青空が迎えてくれた。ただ、風は冷たい。少し硬めにパックされた斜面は、いつまでもその雪質を失わなかった。
お昼、ソースかつ丼。すると食堂には「牛乳屋食堂のラーメン」のポスターが貼られていた。――牛乳屋食堂、テレビで見たことがある。会津鉄道沿いのどこかの駅の近く、かつて牛乳屋を営んでいた店がラーメンを出し始めたのが当たった店だ。そんな話をKさんにする。10時過ぎにお腹がすいて、持ってきたカップラーメンをおやつに食べた僕らだったので、ラーメンではなくソースかつ丼を選んだ。大きなカツを大きな包丁で切るおばちゃんは、「牛乳屋のラーメン、美味しいですよ。有名なだけあって」という。ますます興味はわいた。
半日滑ったKさんが「このスキー場えらく気に入りました」という。それからも快晴は最後まで変わることなく、38度の壁も含めたすべての斜面を、リフト終了の16時半まで滑り続けた。
***
それからまた10日後。
僕らは国道17号で群馬県内を北上していた。「もうね、前回かみさんに馬鹿だといわれましたよ」とKさんはいった。つまりだいくらまで下道だけで行くという神経がもう理解できないというのだ。
僕はむかしから高速道路があまり好きではなく、可能な限り一般道を使ってきた。旅であればもちろんのこと、旅が目的でなく明確に早くたどり着きたいスキーなどであっても、それは変わらなかった。苗場も、小海も、下道で行った。さすがに志賀高原は高速を使ったけれど……。
僕らは水上宝台樹に向かっていた。
かつてここもよく訪れた。Kさんも二十代のころ行ったことがあるという。「いい斜面がそろってますよね」と僕、「かなり楽しんだ記憶があります」と彼。
晴天の関東から沼田を過ぎると鉛色の雲がのしかかってきた。上牧を過ぎるとちらちらと雪が舞う。水上を過ぎ、利根川の源流に向けて坂を上って行くと、重めの雪が車を包んだ。
寒い一日だった。
風もある。そして何より雪だ。雪は軽い粉雪ではない。ウェアに降った雪が溶けてしみていくようなひどく湿っぽい雪だった。
「きのうは雨だったらしい」
とKさんがいう。
それは動き始めたリフトに乗り、一本滑ってみればすぐにわかった。水っぽい雪、夜半はおそらく冷え込んだのだろう、それが一度凍った雪は引っかかりを感じる。そして斜面のあちらこちらには土が見え、木の根がむき出しになっていた。
「まさか、もうシーズンも終わり?」
僕はそういったがこの日は凍えるほど寒かった。冷たい風が頬を打ち、湿った雪が鋭く顔に当たった。
そのむかしガツガツ滑った斜面を手当たり次第に下った。そしてそのたびに僕もKさんも「あれ?」「あれっ? あれ?」と口をつく。
「こんなところでしたっけ? 」
「なんだかあまり楽しくないなあ」
フードつきの高速リフトに乗って、滑走距離の長いダイナミックな斜面を滑ったり、静かすぎて怖くなるほどの遅いペアリフトに乗って、尾根からゲレンデベースに降りる壁のような急斜面を滑ったり、ありとあらゆるところを滑るのだけど、満足度が上がらない。
僕の場合、天気や寒さに大きく左右される。寒がりなのでそれだけで滑るのがつらくなるからだ。でもKさんまであまり楽しめないという。雪質の問題? ――確かに水っぽくてひどく重い雪は板をきれいにまわすことも難儀だ。でもそれだけなのか……。
それでもすべてのリフトに乗りすべての斜面を滑って、弱くなる気配のない雪にくたびれた僕は車に戻り、「少し眠ってもいいですか」と昼寝させてもらった。Kさんが寝ている僕を知らぬまに写真に撮り、LINEに上げていた。
午後になってもふたりの気分は盛り上がることがなかった。なんだろう、なぜだろうとずっといっていた。気温は低いままなのに雪はどんどん重くなる。斜面から土が露出する場所も増えてきた。
「このくらいにしてやりますか」
というKさんに、
「もうじゅうぶんです、雪重くて疲れるし、寒いし。温泉行きましょう」
と僕は答えた。
そうと決まったらそうそうに片づけ、車を出した。
「缶コーヒー買いたい。忘れ去られたような自販機探してください。そういうところのほうが熱いの見つかるから」
とKさんがいう。
スキー場の坂を下って県道に入ったすぐの酒屋で自販機を見つけ、車を寄せたところで僕は「あっ!」と気づいた。
チップの入ったリフト券は自動改札対応で、500円のデボジットになっていた。スキー場で払い戻してくるのを忘れていた。僕は車を引き返した。
久しぶりの小荒井製菓で生どら焼きを買って帰る。むかしは一種類しかなかったのに、いろいろな味が増えていた。そのあと三国街道(国道17号)を走り、街道沿いの永井食堂に寄って、Kさんはモツ煮を買って帰るといった。そしてまずここを走っているという時点で、行きも帰りも一般道だ。
***
「さすがにやばいでしょう、標高の高い猫魔でも雪なくなっちゃうんじゃないですか?」
Kさんと一緒に買った猫魔の早割券が不安になったのは3月になる前だった。
3月最初の日曜日、矢板まで新4号を経由した下道――だいくらスキー場を訪れたときに使ったルートだ――から、いま東北道に乗ったところだ。さすがに裏磐梯は距離がありすぎる。全線下道は無理でしょう、矢板まで下で行ってそこから猪苗代まで高速で行きますか、という話をしていた。
「白河で降りませんか?」
ハンドルを握るKさんに助手席から僕が声をかける。「気持ちのいい道を走って行きませんか」
「結局は下道ってことでしょう? ――もう俺も完全にナガヤマ菌におかされてますよ」
Kさんはそういいながら白河で高速を降り、僕は国道294号から湖南(猪苗代湖の南の地区)を経由して猪苗代湖東岸を北上するルートを案内した。
「うわ、なんだここ。――キモチいい!」
快走しながらKさんはいう。音楽に合わせてハンドルやひざを叩く。早朝からテンションが最高潮になっている。
湖畔に車を止めて写真を撮ったりしたにもかかわらず(そのために車の止まれる場所までわざわざ探した)、8時過ぎにはスキー場に着いた。早割券をリフト券に交換し、センターハウスで情報を収集していると最初に動くリフトが8時半だと知った。
「これだけ下道を使ってもリフトの開始に間に合うわけか」
などと、だんだんKさんもおかしくなりつつある。
白河で高速を降りたとき、道は霧で覆われていた。猪苗代湖はもやがかかり、磐梯山は見えなかった。しかしスキー場に着いた今、空は晴れた。また、快晴がやって来た。スキー場の天気予報、最高気温は12度。まるで平野部の春のようだ。
じつはこのスキー場もまた、25年くらい前に一度訪れていた。しかしそのときは猛吹雪で、あまり滑らなかったのだろうか、まったくといっていいほど記憶がなかった。
動き始めたリフトから順に利用し、ひとつずつ斜面を滑って行く。ふたりで行くといつもそうだけど、まるでスタンフラリーをするように、あるいはゲームを制覇していくように、マーカーでマップを塗るように、順にひとつひとつ滑って行く。
「きのうは降ったらしいですよ。しかも粉雪が」
とKさんがいった。
「確かに雪はしっかりありますね。粉雪ってこの季節ありえない気がするけど……」
「粉雪って書いてあっただけだから。いうのはなんとでもできますじね。前回の宝台樹なんて木の根っこが出ていながら積雪量130センチだったわけだし」
そんなことをいいながらなかなか滑り応えのある斜面をたくさん楽しんだ。そして滑りながらKさんが
「このスキー場、雪のいい時に滑りたいなあ」
といった。
やがて気温が上がった。本当に10度を超えているんじゃないかと思えた。雪は重くなり、緩斜面の雪は完全なブレーキ、止まってしまう板に身体は前方へつんのめった。こんな雪、初めてかもしれない。
「標高千メートルを越えてもだめですね。今シーズンはもう終わりかな」
と僕はいった。
午後2時過ぎ、僕らは「今シーズンこれで最後だろうね」というスキーを終わりにした。山を下り温泉につかり、さてという。
「牛乳屋食堂でも行ってみましょうか」
僕は冗談半分でいった。
そしてKさんは車を会津若松市内へ走らせた。
せっかく街を抜けていくのだから、と車を止めて鶴ヶ城を写真に収めた。大河ドラマ好きのKさんは八重の桜を語る。見ていない僕はうなずくばかり。そして国道121号を南下した。会津若松市内、芦ノ牧温泉駅前に牛乳屋食堂はあった。僕も来たのは初めてだ。テレビで見たのも数年前。Kさんは前々回のスキー、だいくらスキー場の食堂で売られていたミルク味噌ラーメンが気になっていたのだ。夜の部の開店が17時、しかしながらこの日に限り17時半で暗くなりゆく店の前で開店を待った。
いよいよありついた牛乳屋食堂のラーメンと(僕はソースカツ丼も食べ)、Kさんはおみやげ用ラーメンまで買い込み、車に戻ったときにはすっかり薄暗くなっていた。
帰り道はどうしましょうかとKさんがいう。いずれにしたって奥羽山脈の南端が縦に伸びている地形だから山は越えなきゃならない、湯野上温泉から羽鳥湖を越えて須賀川へ出るか、下郷から甲子高原を越えて白河へ出るか、栃木に入って塩原に抜けるか、鬼怒川まですべて南下してしまうかだ。道は距離でも整備の良さでも甲子越えがいちばん早いと僕はいった。ナビは塩原越えを示している。
「いいですよ、行きましょう」
Kさんは下郷から国道289号を選択し、甲子トンネルヘの上りを軽快に走った。
整備のいい道は他の車が不思議なほどおらず、白河ヘスムーズについた。そして運転しているKさんはいった。
「白河から、高速乗る必要なんてないですよね、このまま下で帰りましょう」
僕は、なにもいっていない。
***
雪は、終わりだ。また来シーズン。