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    • 2017.12.04 Monday
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    早咲き桜

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       桜の開花予想というとソメイヨシノを指していて、早咲きの桜というとそれより早く咲く桜を指すのだろう。
       河津桜など僕でも知っていて、見に行ったことはないのだけど大変な混雑だそう。季節外れの夏に河川敷を通ったことはある。ここが大混雑とは相当な人出なのだろうとそのとき思った。
       埼玉県内にも河津桜があって、すみよし河津桜と言うそう。坂戸で咲くようで、これもまた僕は見たことがない。──埼玉県内横移動は都内に出るより大変なのだ。
       もうひとつ、おそらくほとんど知られていないと思う早咲きで安行桜という桜がある。
       3月27日、これを見に行ってきた。

       安行は植木の町。名は知れていて、川口市にある。広い川口市でも東川口に近い場所なので、僕の住む越谷からそれほどかからずに行ける。往復したって30キロ前後だ。
       密蔵院というお寺の参道と境内にあるのみなので河津桜のように一帯が桜に覆われるという凄みはないけれど、小ぢんまりした桜のトンネルでもかなりの圧倒感がある。境内のしだれ桜も美しい。

      ***


       もちろん、出遅れたのはわかっていた。
       ソメイヨシノより10日から2週間近く前に咲くのだ。もうソメイヨシノも咲き始めている。
       風が吹くと花びらが舞った。足もとにはすでに散ったピンク色の花びらが落ちている。ピンク色も色あせているように見えた。
       それでも桜のトンネルは静かで優雅だった。
       僕もこの桜を知ったのはつい2年前。おもしろいのは関西の方に教えてもらったってことだ。




      南伊豆自転車日帰り行(その2)

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         僕の南伊豆ぬり絵作業は淡々と進んでいた。
         しかしぬり絵を塗ることよりも時間のほうがもっと早く進んでいる。
         雲見温泉にも千貫門、想い出岬、牛着岩といったスポットも用意されているのだけど、進みが計画よりも時間かかっているからポケットのおにぎりを口に入れただけで先に進むことにした。
         また、坂をぐんぐん上る。つづら折りで道は内陸に入っていった。海岸への道を分けるけれど道は海岸までの一本道、ピストンコースになってしまうので 魅力を感じず選択しない。時間も気になる。
         同じ意味で波勝崎がそうだ。
         内陸の坂を上りときに少し下りまた上ってをくり返しておおよそ5キロで波勝崎への分岐が現れた。伊豆半島南西の岬のひとつで野生のサルがたくさんいると聞く。それ自体に興味が起きなかったのと、波勝崎への道が一本道でピストンになる面倒さを嫌ってしまった。どうせ海抜0メートルまで下るだろうから、戻ってくるときにまた上らなきゃならないだろうし。
         ──とそんなネガティブなことばかりを考えた。根っからネガティブなのだ。そういえば道の途中2匹のサルを見た。

         長い坂を一気に下って海岸線レベルまで来るとそこは妻良(めら)だった。
         素朴な飾らない港町の風景は美しかった。いま思えば岸壁に出て少しのあいだでもぶつかる波を見ていればよかった。僕は国道136号でそのまま妻良の町を走り抜けた。いまさらの後悔は無駄でしかないけれど、時間を気にしてしまったかもしれない、あるいは疲れはじめていたのかもしれない。疲れると中途半端に立ち止まることを嫌うようになるから。
         妻良の町を抜けるとまた上り坂。──もうわかってるし、と誰に言うわけでもない言葉を口に出してみる。
         しかしそこに現れた上り坂はそれまでの坂とは違っていた。10%前後と思える勾配でかつ急カーブの連続になった。やっぱり妻良で休憩を取ればよかったなどとさらに後悔を感じつつ、この坂の途中で止まったら再スタートできなくなってしまうのではないかと思い、のそのそとした立ちこぎでゆっくり坂を上った。
         上った先の道はまた内陸の台地に入り、トンネルを抜け坂を下った。T字路があらわれ、ここで右に分岐。長いこと道なりにしたがって走ってきたから久しぶりの分岐だ。
         石廊埼、の文字がいよいよ現れた。


        美しさに圧倒され興奮する国道136号


        ふと休んでみたくなるバス停


         ──あいあい岬?
         広大な太平洋を望む高台にそんな名前が付けられているものだから、思わず口をつきそうになった。押しとどめた。
         奥石廊崎と呼ばれる絶景の高台は海の造形美を楽しむには格別だった。そして南西に向かっているここはきっと美しい夕暮れを迎えるに違いない。いまは午後2時半、残念ながら日没までここにいることはかなわないけれど、想像するだけでも宇宙の神秘を感じるに違いない風景には変わりなかった。
         なんであいあい岬なんて呼ぶんだろうなあ。個人的な感覚でしかないけど、好きになれない。
         ここから石廊埼まであと数キロのはず。
         あいあい岬をあとにし、相変わらず繰り返す小刻みな上り下りを地道に繰り返しながらいよいよ伊豆半島最南端へ向かった。


        あいあい岬の絶景


        「石廊崎灯台」そう書かれたバス停があらわれた。いよいよだ。僕はクリーム色とオレンジ色のこの東海バスのバス停が大好きだ。これを見ると伊豆に来ている実感が強くなる。山梨を訪れたときの富士急行の深緑でもそうだ。
         しかしバス停の前、ロータリー状になった道の先にはチェーンが張られ、廃道たることを思わせた。立ち入り禁上の貼り紙──僕は途方に暮れた。石廊埼っていまは行けない場所なのか?
         よくよく地図をながめてから来たわけじゃないから、このルートが石廊埼への道なのかどうかなどわからなかったけれど、バス停の名前が「石廊埼灯台」だから、ここがアプローチロードなのだろうと勝手に信じ込んだ。
         僕は落胆した。こんな形で行くことができないの?
         しばらくそこにいたが何かが打開できるわけじゃないので道を進んだ。坂を下リトンネルをくぐる。そこには信号と、右に石廊埼の文字があった。
        「なんだ」
         僕は廃墟の前のバス停でなすすべをなくしたことを笑った。
        「そりゃそうだ、これだけの観光地をつぶすわけがない」
         三叉路を右に取った。午後3時少し前。まだお昼を食べていなかった。道の終端は観光用の駐車場。その前にいくつかある店のひとつに入った。
        「あのう、さんまの寿司があるとか……」
        僕はその店に関して見聞きしてきたさんまの姿寿司というのが気になったので、その店で聞いてみた。
        「さんま、終わっちゃったわよお」
         威勢のいいおばちやんが答える。「この時間じゃあねえ」
         店は午後4時までだそう。一日で売り切るぶんしか作れないから、この時間じゃ残っていないことがほとんどらしい。
        「そんなに量を作らないんですか?」
        「それでも今日は多めに作ったのよ。でも来るお客さんがみんな、さんま、さんまっていうものだからどんどんなくなっちゃって」
         そこへ入ってきた別の客がまた「さんまある?」と言った。おばちゃんはないのよもう、と同じように繰り返した。
         その客は帰ってしまったが僕は昼を食べていないので、なにか食べるものないですか? とおばちゃんに聞いた。
        「そうねえ、ラーメンとかだったらできるけど」
        「ラーメンでいいですよ。食べます」
         そんなわけで僕の昼食は石廊埼の食堂でのラーメンになった。味の種類が選べるわけじゃなかったけど、ちなみに醤油ラーメンだった。
        「灯台には行ってきました?」
        「いやこれからなんです。どのくらいかかるのですか?」
        「片道20分と少しくらい。往復1時間くらいね」
        「自転車、置かせてもらっていてもいいですか?」
        「うん、いいけど自転車でも行けるわよ」
         聞くと車やバイクは規制されているけれど、自転車はOKだと言う。電動がいいかもしれないけど、坂があるから──と付け加える。
        「坂は上れる自転車だと思うのでたぶん大丈夫だと思いますけど、本当に行って大丈夫なんですか?」
        「心配だったら駐車場のところのおばちゃんに聞いてみて。食堂の
        おばちゃんに言われたんだけどって言ってさ」
         僕はラーメンの礼を言い店を出ると、自転車に乗った。そして駐車場のおばちゃんを見つけて声をかけた。この先自転車は行ってもいいのかと。
        「いいよ、自転車は行ってかまわないよ。ま、頑張ってねえ」
         僕は駐車場のおばちゃんに礼を言うと、灯台へ向かう歩道のような道を自転車で進んだ。
         なるほど、食堂のおばちゃんが電動のほうがと言ったこと、駐車場のおばちゃんがまあ頑張れと言ったこと、それはすさまじい勾配があったからだった。 駐車場に車を置き、徒歩で灯台を訪ねる人たちも息を切らせて坂を上っている。僕は立ちこぎで絞るように上って行く。
         そんなに長い距離ではなかった。真っ白な、でも想像していたよりずっと小さなかわいらしい灯台があらわれた。表面はタイル張り、傾きかけた日の色に染まっていた。


        東海バス、石廊埼灯台のバス停


        チェーンがかけられているのは、石廊埼ジャングルパークの廃墟


        石廊埼参道


        石廊埼灯台


         灯台の先は断崖を下りる階段を含む道になるようだから、一度自転車を持って戻り、トイレの前の広い場所に自転車を置いた。そこから徒歩。坂道を下りやがて断崖を下る階段になるとその先にまるで崖をくりぬいて造ったような建屋があった。岩に挟まっているように見える。
         これが石廊埼神社だった。
         てっきり、海岸線の岩場に鳥居と注連縄と小さな社があるような場所を想像していた。こんな場所にあるこんな建物、台風や地震で大丈夫なのだろうか。僕はいらぬ心配を抱く。
         長身のバスケット選手だったらずっとかがんでいないといけないような天井の低い神社のなかに入り、二拝二拍手一拝でおまいりした。神社を出ていよいよ最先端の岩場へ行ってみる。そこからは神社が、まるで海鳥の巣ように見えた。
         海はどこまでも広い。太平洋だ。何隻かの船が行き来をしていた。それ以外は何もない。方角で見るとここはどこに向いているのだろう。グアムかな。
         先端には伊豆諸島の案内図が立派な石版で描かれていた。利島などはすぐそばにありそうだ。が、春霞。何も見えない。朝の伊豆急リゾート21のなかからも伊豆大島はぼんやり見えた程度だった。今日は遠望が利かない日だ。
         僕は念願の伊豆半島最南端をそこでしばらく楽しんでいた。観光客がやってきてながめて写真を撮って帰っていく。まるで工場の生産ラインのように。ひと組、シャッターを押してくださいと僕に言い、僕は彼女たちの写真を収めた。


        断崖の階段


        石廊埼神社


        半島の先端と伊豆七島の説明


         歩行者の多くいるその参道を自転車で帰るには、慎重にブレーキを引き続ける必要があった。そういう坂なのだ。下に置いて歩いて行ったって全然よかった。
        「なにここを上って行ったの?」
         と僕に言う人もいた。
        「駐車場のおばちゃんに、大丈夫よ頑張って何て言われて……。まさかこんな坂だとは思いませんでした」
         と僕は苦笑いで返した。
         食堂の前を横切るとさっきのおばちゃんが外の縁側の椅子に座っていた。もう午後4時を過ぎている、本来店を閉めている時間だ。
        「きたきた、遅いから心配したよ」
        「もしかして開けて待っていたんですか?」
         と僕が聞く。「すみません気持ちのいいところだったので居座って楽しんできちゃったんです。──それでも行って帰って40分くらいじゃないですか」
        「ずいぶん行っていたように思ったよ。帰ってこないってね。いやあでもよかった。お茶飲んで行きな」
         とおばちゃんは店に僕を招き入れる。僕はそうなんべんもと少し躊躇したが、せっかくのご厚意だし「じゃあお言葉に甘えて」と店にお邪魔した。
        「今日はどこまで帰るんだい?」
         とお茶を入れながらおばちゃんは言う。
        「下田です。下田から電車で帰ります」
        「そうかい、このへんで泊まるんじゃないんだ。じゃあまだ少しあるね」
        「どのくらいあるんですか?」
        「17、8キロ。車だと20分くらいだよ」
         僕はお茶の礼を言い、自転車に乗った。気をつけてなというおばちゃんに頭を下げると、縁側の椅子を即座に片づけ始めた。店を閉めずに僕を待っていたのか──。

         下田市に入ると今日いちばんの交通量、懐かしくさえあるほどだった。薄暮のなかゆっくりと下り坂を下っていくと伊豆急下田の駅があらわれた。
         今日の旅はここまで。僕の塗りたいと思っていたぬり絵は終わった。
         西伊豆もいつ行っても魅力的だった。南伊豆も予想通りだった。今日訪れなかったような、国道や県道から分かれる枝葉の小さな海岸や港へ向かうピストンロードもより魅力が深まった。今度は一気に駆けぬけるのではなく、ピンポイントでそういった道をひとつひとつ攻めていってもいいなと思った。
         となれば、このぬり絵はまたさらに細かな色を塗り込んでいくのかな。
         僕は自転車を輪行袋にパックすると、かつて渋谷と横浜のあいだを走っていた銀色の電車に乗り、海のながめられる席に身を置いた。もちろん、走り出した電車から見る外の景色はすでに真っ暗だった。


        伊豆急下田駅


        伊豆急下田駅改札


        ぬり絵

        南伊豆白転車日帰り行(その1)

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           おとなのぬり絵──。
           白地図に、自転車で走った道をマジックで塗る。
           もちろんリアルでそんなことをする必要もないし、全国すべての道をやり始めたら大変だ。でも、このぬり絵はひそかな愉しみ。
           ことに伊豆半島に関しては海よし山よし、東、南、西それから中、それぞれに表情も違う。こんな魅力的な場所があるだろうか。僕は伊豆半島のぬり絵をずいぶん前から楽しんでいた。
           そしてぬり絵の地図には空白の場所がある。南伊豆だ。
           具体的には西伊豆の松崎からのマーガレットライン(国道136号)での下田までと、半島最南端の石廊埼。ぽっかり空いてしまっている。

           ここが空白なのは悲しい訳があって、それは2年前にさかのぼる。
           僕はそのときも同様にぬり絵を塗りたくて、空白だった仁科峠とマーガレットライン、石廊埼を訪れるルートを引いた。輪行の紐を解いた修善寺駅から、林道達磨山線なども楽しみ、西伊豆高原道路で風早峠から仁科峠へたどり着いた。確か同じ3月。富士山が遠く、美しく望める一日だった。仁科峠から宇久須へ下り、そこから西伊豆の海岸線を南下していく計画をしていたのだけど、その計画段階で自分の力を過信してしまったようだ。僕は松崎の町で動けなくなった。
           なまこ壁の歴史ある街なみの松崎を楽しむこともなく、引いたルートをあきらめて僕は東へ向かう。バサラ峠をなんとか越え、伊豆急行が内陸へ入り込んだ稲梓駅によれよれとたどり着いた。

          ***


           稲梓駅に降りた。
           前回、計画を取りやめて帰った駅がここだったということもある。
           もうひとつ、僕はこの駅が好きだということがある。前回のそのときも含め三度ほどこの駅から列車に乗ったことがある。列車を待つあいだ、ここは澄んだ静寂のなかにある。春の空が高い日はひばりがいつまでも舞いながら鳴いていたし、晩夏の夕暮れ時にはあちらこちらからヒグラシの声が遠近感をもって耳に届いた。僕はそんななか、ホームのベンチで列車を待っていた。
           降りたのは、今日が初めてだった。

           朝の普通・伊豆急下田行きはリゾート21の運用で、大きな窓から外の景色を眺めていたのだけど、熱海の駅ではたっぷりと降った雨が上がったあとのようだった。それが伊東に着くころには篠つく雨に包まれ不安にさせた。来る途中の横浜近辺も土砂降りだった。雨のなかでのサイクリングはままならない。
           降り立ったホームは雨が降った気配もなかった。ここまで乗ってきたリゾート21を鉄橋の先のトンネルヘ見送り、厚い雲ながらこれならいけるかなと自転車を組み上げた。


          リゾート21から降り立った静かな稲梓駅


          駅を出ると線路ははるか頭上


           伊豆急の高い鉄橋をながめながら出発した。まずはバサラ峠を越えて西伊豆の松崎を目指す。ここまでは、2年前のぬり絵の塗り直し。1時間ほどかけて駿河湾の海へ出た。そのときのフィルムを逆まわしするように。
           僕はルートが遠まわりにならない範囲で松崎のなまこ壁の街なみに立ち寄ってみることにした。古くから港町として栄えたここは、時代時代に応じたさまざまなものが道端に残っていた。
          「どうぞ、おしるこ食べて行って」
           と僕は声をかけられた。なまこ壁の蔵の前で写真を撮っていたところだった。入り口のガラスに「お汁粉無料」の紙が貼られている。
          「無料で食べられるのですか? 」
           と僕は声をかけた女性に聞いた。
          「無料ですよ。私たちボランティアでやってますから」
           自転車を置く場所はないかと聞くと、その辺に立てかけていいですよと言った。お言葉に甘えてなまこ壁に自転車を立てかけた。
           中へ入ると、ごめんなさいかける場所今ないから奥の畳の部屋に上がって、と案内された。靴を脱いで畳の部屋に上がった。太い柱と梁、古風なタンスや柱時計、大きな古いラジオ。ラジオは選抜高校野球の中継をしていて現役だった。
          「もともと呉服店だった建物なんです。ここに住む人がいなくなるとやがて荒れて、床も抜けてしまっている状態で。取り壊そうという持ち主のかたの意向だったのですけど、壊すにもお金がかかるでしょう。それでなかなか進まなくて。
           でも町との協議のすえ、運営管理ができるなら町のものとして残してもいいということになって、こうして私たちボランティアが運営管理をすることで残しているんです。
           まだ修復が済んでいなくて、お入りいただけない場所もあるのですけど、そこは徐々にね」
           無料でおしるこなんて、町の予算でやっているのですか? といささか直接的ながら僕が聞いたのだ。そしてそんな話とともにお茶、おしるこ、お新香を置いていった。


          松崎町・那賀川堤の桜


          松崎町・なまこ壁の街なみ




          伊豆文邸・お汁粉無料


          ラジオ/現役で選抜高校野球を流していた


          数々のひな人形


          そしてお汁粉をいただく


          「自転車でいらしたんでしょう? おかわり召し上がっていって」
           ともう一杯のおしるこを勧められた。断る理由もないし、なにより美味しいからお言葉に甘えることにした。ひな人形に圧倒されますね、と聞くと、
          「どこの家にも、もう使わなくなったひな人形があるんですよ。それを持ち寄って飾ってるんです。もう少ししたら五月人形に替えるんですよ」
           と言った。
           僕はなまこ壁で建てられた古民家のなか、畳の部屋に座りおしるこをいただき、奥の廊下を伝ってトイレを借り、ガラス戸の向こうの庭を眺め、すっかり満喫してしまった。お茶も二杯いただいて、それでも「お茶もう一杯飲みませんか?」と言うのを丁重に辞して、自転車のもとに戻ったときには1時間近く経っていた。絶え間なく活気はあるけれど、車はあまり入ってこない狭い通り。ボランティアの女性たちが呼び込みも頑張っているゆえの活気、ここを車で来る観光客にアピールできればもっとはやりそうな気がした。
           すっかり想定外の時間──もちろん存分に楽しんだとはいえ──ここはまだ松崎町、まだ新たなぬり絵ははじまっていない。

          ***


           ぬり絵は国道136号、上り坂からはじまった。
           中心街を出てすぐ、休みなくぐんぐん上り、あっというまに港町が一望できるほどになる。さらに上りつつ西にまわり込むと、堂ヶ島の小島群も手に取るように見えた。そして、駿河湾が果てのないほど広がっている。
           この国道136号、地図で見ると「マーガレットライン」という愛称がついていた。しかしどこからマーガレットラインなのだろう。西伊豆から南伊豆までの国道136号がすべてマーガレットラインとは考えにくい。ここ松崎の中心街でもマーガレットラインの文字は目にしない。とすると、南伊豆町に入ってからの愛称だろうか。
           道は、かつてぬり絵を終えた西伊豆海岸線の道路同様、常にアップダウンの連続だった。港町があり、そこで道は海抜0メートルまで下りる。港町と港町とのあいだは地形に身をゆだね、崖を坂道で駆け上がる。港町が現れればまた町に沿うよう下るのだ。みかんで名を聞く西浦から土肥、土肥から戸田、戸田から宇久須、宇久須から堂ヶ島、堂ヶ島から松崎。みんなそうだった。平らな区間がまるでない。だからここが同じようにアップダウンばかりひたすらくり返している道だろうということは大方予想していた。
           坂を上り、トンネルをくぐり下る。道は下ると一気に0メートルまで下りてきてしまうこともあるし、途中まで下ってからまた上り、また下るところもある。それをくり返した。
           断崖がまるで小さな岬のように海に張り出している。リアス式海岸の特徴は道もない人の手の入らない場所ばかりだ。絶景だ。すぐそこに見えている断崖の突端に、僕はたどり着くことができないのだ。人間の向かう道がないそこは、それだけで別世界に感じた。なにが住んでいるのだろう。この先南伊豆の波勝崎のように、サルでも住んでいるだろうか。目に見えている場所なのに、その生態系にさえ想像がつかないほどだった。
           山から下るように長い坂道を下りてくると、雲見温泉の温泉街だった。温泉街とそのなかを流れる太田川をひと跨ぎする新しい橋のうえで僕は止まった。温泉街の瓦屋根が色とりどりに、密集して並んでいる。海の側は太田川が海にそそぎ、そこは波止場になっていた。雲見温泉はまだ松崎町。僕は小腹がすいたのでポケットに入れていたおにぎりを取り出してこの高いところからの景色をながめながら食べた。


          松崎から堂ヶ島のながめ


          美しくていつまでも飽きの来ない国道136号


           距離も進めてはいるが、時間も進んでいる。

          (その2 へ続く)


           先に進まないと。

          スノー・ウィンター

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             自転車に、乗っていない。
             僕は寒がりで、冬は全般的に能動的になれないという例年変わらない事情はあるにせよ、それに今年はスキーをしていたという事実が加わった。

             もともと、スキーは毎年欠かさずやっていた。かなり熱心にやっていた時期もある。それが5年前まで。5年前を最後に、まるで足を洗うかのようにバタッとやめた。
             特に理由があったわけじゃない。あえていうならお金がかかるからだ。せいぜいそのくらい。翌年、行きたい行きたいと衝動に駆られることもなかった。スモーカーがタバコをやめたときよりも、何年も付き合ってきた女から別れを切り出されたときよりも、よほどあっさりしている。

             きっかけは同じマンションに住むKさんが「スキー行きましょうよ」といってきたことだ。5年前までの僕の姿を知る彼にとって、そして毎年スキーを続けてきた彼自身にとって、僕は恰好の材料だった。
             昨年秋、10月に連絡があり、リフト券の早割を買いましょう、行きたいスキー場を選んでくださいといい、対象のスキー場の一覧をくれた。
             リフト券は上越国際と裏磐梯猫魔を選んだ。シーズン中であればいつても使える。確か2500円と2200円。
             しかしシーズンに入った12月、今年はまったく雪が降らなかった。10月のような気温の日さえあった
             正月までも異常なほどの暖冬で、じっさい雪が降り始めたのは1月も中旬を過ぎたころたった。
             やっと日にちを決めた1月、今度は10年ぶりぐらいだろうかというインフルエンザにかかってしまった。僕は延期を申し出て再計画、やっとスキー場に向かったのは1月最後の土曜日だった。

            ***


             上越国際。
             5年ぶりのスキーの初めは25年ぶりのスキー場だった。
             朝方曇り空で雪になることさえ覚悟していたが、まずまず好転した。
             おそるおそる滑り始める。なにしろそれまで、いちシーズンたりともあけたことがなかったのだ。でもそれはうれしいことに杞憂だった。脚は覚えていた。身体を傾け体重を乗せ板をたわませれば、弧を描いて板が足もとに戻ってきた。ただ筋力とその持久力が明らかに衰えていた。午前中も早いうちから腿の筋肉が悲鳴を上げ、ターンもままならなくなっていた。
             昼には気温も上がり、天気も上々、魚沼平野をながめながら5年ぶりのスキーを楽しんだ。




            ***


             一週間後。
             Kさんが連絡をくれる。「また行きましょう。猫魔は取っておいて別のところに行きますか」
             上越国際から10日ばかりのちの建国記念日は、会津高原のだいくらスキー場へ行った。
             Kさんは会津高原一帯がまず初めて。そして僕の独断で「高速は使わずに下道で行きましょう」と早朝の国道4号を北上した。「こんなのはあり得ない」と、Kさんはいった。
             だいくらスキー場は、おそらく僕がいちばん行った機会の多いスキー場。アクセスが遠いが、すいているうえ気持ちのいい斜面も多い。僕は「食堂のソースかつ丼、美味しいですよ」と道中吹聴していた。
             天気はザ・快晴。待ち焦がれていた青空が迎えてくれた。ただ、風は冷たい。少し硬めにパックされた斜面は、いつまでもその雪質を失わなかった。
             お昼、ソースかつ丼。すると食堂には「牛乳屋食堂のラーメン」のポスターが貼られていた。――牛乳屋食堂、テレビで見たことがある。会津鉄道沿いのどこかの駅の近く、かつて牛乳屋を営んでいた店がラーメンを出し始めたのが当たった店だ。そんな話をKさんにする。10時過ぎにお腹がすいて、持ってきたカップラーメンをおやつに食べた僕らだったので、ラーメンではなくソースかつ丼を選んだ。大きなカツを大きな包丁で切るおばちゃんは、「牛乳屋のラーメン、美味しいですよ。有名なだけあって」という。ますます興味はわいた。
             半日滑ったKさんが「このスキー場えらく気に入りました」という。それからも快晴は最後まで変わることなく、38度の壁も含めたすべての斜面を、リフト終了の16時半まで滑り続けた。






            ***


             それからまた10日後。
             僕らは国道17号で群馬県内を北上していた。「もうね、前回かみさんに馬鹿だといわれましたよ」とKさんはいった。つまりだいくらまで下道だけで行くという神経がもう理解できないというのだ。
             僕はむかしから高速道路があまり好きではなく、可能な限り一般道を使ってきた。旅であればもちろんのこと、旅が目的でなく明確に早くたどり着きたいスキーなどであっても、それは変わらなかった。苗場も、小海も、下道で行った。さすがに志賀高原は高速を使ったけれど……。
             僕らは水上宝台樹に向かっていた。
             かつてここもよく訪れた。Kさんも二十代のころ行ったことがあるという。「いい斜面がそろってますよね」と僕、「かなり楽しんだ記憶があります」と彼。
             晴天の関東から沼田を過ぎると鉛色の雲がのしかかってきた。上牧を過ぎるとちらちらと雪が舞う。水上を過ぎ、利根川の源流に向けて坂を上って行くと、重めの雪が車を包んだ。
             寒い一日だった。
             風もある。そして何より雪だ。雪は軽い粉雪ではない。ウェアに降った雪が溶けてしみていくようなひどく湿っぽい雪だった。
            「きのうは雨だったらしい」
             とKさんがいう。
             それは動き始めたリフトに乗り、一本滑ってみればすぐにわかった。水っぽい雪、夜半はおそらく冷え込んだのだろう、それが一度凍った雪は引っかかりを感じる。そして斜面のあちらこちらには土が見え、木の根がむき出しになっていた。
            「まさか、もうシーズンも終わり?」
             僕はそういったがこの日は凍えるほど寒かった。冷たい風が頬を打ち、湿った雪が鋭く顔に当たった。
             そのむかしガツガツ滑った斜面を手当たり次第に下った。そしてそのたびに僕もKさんも「あれ?」「あれっ? あれ?」と口をつく。
            「こんなところでしたっけ? 」
            「なんだかあまり楽しくないなあ」
             フードつきの高速リフトに乗って、滑走距離の長いダイナミックな斜面を滑ったり、静かすぎて怖くなるほどの遅いペアリフトに乗って、尾根からゲレンデベースに降りる壁のような急斜面を滑ったり、ありとあらゆるところを滑るのだけど、満足度が上がらない。
             僕の場合、天気や寒さに大きく左右される。寒がりなのでそれだけで滑るのがつらくなるからだ。でもKさんまであまり楽しめないという。雪質の問題? ――確かに水っぽくてひどく重い雪は板をきれいにまわすことも難儀だ。でもそれだけなのか……。
             それでもすべてのリフトに乗りすべての斜面を滑って、弱くなる気配のない雪にくたびれた僕は車に戻り、「少し眠ってもいいですか」と昼寝させてもらった。Kさんが寝ている僕を知らぬまに写真に撮り、LINEに上げていた。
             午後になってもふたりの気分は盛り上がることがなかった。なんだろう、なぜだろうとずっといっていた。気温は低いままなのに雪はどんどん重くなる。斜面から土が露出する場所も増えてきた。
            「このくらいにしてやりますか」
             というKさんに、
            「もうじゅうぶんです、雪重くて疲れるし、寒いし。温泉行きましょう」
             と僕は答えた。
             そうと決まったらそうそうに片づけ、車を出した。
            「缶コーヒー買いたい。忘れ去られたような自販機探してください。そういうところのほうが熱いの見つかるから」
             とKさんがいう。
             スキー場の坂を下って県道に入ったすぐの酒屋で自販機を見つけ、車を寄せたところで僕は「あっ!」と気づいた。
             チップの入ったリフト券は自動改札対応で、500円のデボジットになっていた。スキー場で払い戻してくるのを忘れていた。僕は車を引き返した。




            久しぶりの小荒井製菓で生どら焼きを買って帰る。むかしは一種類しかなかったのに、いろいろな味が増えていた。そのあと三国街道(国道17号)を走り、街道沿いの永井食堂に寄って、Kさんはモツ煮を買って帰るといった。そしてまずここを走っているという時点で、行きも帰りも一般道だ。



            ***


            「さすがにやばいでしょう、標高の高い猫魔でも雪なくなっちゃうんじゃないですか?」
             Kさんと一緒に買った猫魔の早割券が不安になったのは3月になる前だった。
             3月最初の日曜日、矢板まで新4号を経由した下道――だいくらスキー場を訪れたときに使ったルートだ――から、いま東北道に乗ったところだ。さすがに裏磐梯は距離がありすぎる。全線下道は無理でしょう、矢板まで下で行ってそこから猪苗代まで高速で行きますか、という話をしていた。
            「白河で降りませんか?」
             ハンドルを握るKさんに助手席から僕が声をかける。「気持ちのいい道を走って行きませんか」
            「結局は下道ってことでしょう? ――もう俺も完全にナガヤマ菌におかされてますよ」
             Kさんはそういいながら白河で高速を降り、僕は国道294号から湖南(猪苗代湖の南の地区)を経由して猪苗代湖東岸を北上するルートを案内した。
            「うわ、なんだここ。――キモチいい!」
             快走しながらKさんはいう。音楽に合わせてハンドルやひざを叩く。早朝からテンションが最高潮になっている。
             湖畔に車を止めて写真を撮ったりしたにもかかわらず(そのために車の止まれる場所までわざわざ探した)、8時過ぎにはスキー場に着いた。早割券をリフト券に交換し、センターハウスで情報を収集していると最初に動くリフトが8時半だと知った。
            「これだけ下道を使ってもリフトの開始に間に合うわけか」
             などと、だんだんKさんもおかしくなりつつある。
             白河で高速を降りたとき、道は霧で覆われていた。猪苗代湖はもやがかかり、磐梯山は見えなかった。しかしスキー場に着いた今、空は晴れた。また、快晴がやって来た。スキー場の天気予報、最高気温は12度。まるで平野部の春のようだ。
             じつはこのスキー場もまた、25年くらい前に一度訪れていた。しかしそのときは猛吹雪で、あまり滑らなかったのだろうか、まったくといっていいほど記憶がなかった。
             動き始めたリフトから順に利用し、ひとつずつ斜面を滑って行く。ふたりで行くといつもそうだけど、まるでスタンフラリーをするように、あるいはゲームを制覇していくように、マーカーでマップを塗るように、順にひとつひとつ滑って行く。
            「きのうは降ったらしいですよ。しかも粉雪が」
             とKさんがいった。
            「確かに雪はしっかりありますね。粉雪ってこの季節ありえない気がするけど……」
            「粉雪って書いてあっただけだから。いうのはなんとでもできますじね。前回の宝台樹なんて木の根っこが出ていながら積雪量130センチだったわけだし」
             そんなことをいいながらなかなか滑り応えのある斜面をたくさん楽しんだ。そして滑りながらKさんが
            「このスキー場、雪のいい時に滑りたいなあ」
             といった。
             やがて気温が上がった。本当に10度を超えているんじゃないかと思えた。雪は重くなり、緩斜面の雪は完全なブレーキ、止まってしまう板に身体は前方へつんのめった。こんな雪、初めてかもしれない。
            「標高千メートルを越えてもだめですね。今シーズンはもう終わりかな」
             と僕はいった。




             午後2時過ぎ、僕らは「今シーズンこれで最後だろうね」というスキーを終わりにした。山を下り温泉につかり、さてという。
            「牛乳屋食堂でも行ってみましょうか」
             僕は冗談半分でいった。
             そしてKさんは車を会津若松市内へ走らせた。

             せっかく街を抜けていくのだから、と車を止めて鶴ヶ城を写真に収めた。大河ドラマ好きのKさんは八重の桜を語る。見ていない僕はうなずくばかり。そして国道121号を南下した。会津若松市内、芦ノ牧温泉駅前に牛乳屋食堂はあった。僕も来たのは初めてだ。テレビで見たのも数年前。Kさんは前々回のスキー、だいくらスキー場の食堂で売られていたミルク味噌ラーメンが気になっていたのだ。夜の部の開店が17時、しかしながらこの日に限り17時半で暗くなりゆく店の前で開店を待った。
             いよいよありついた牛乳屋食堂のラーメンと(僕はソースカツ丼も食べ)、Kさんはおみやげ用ラーメンまで買い込み、車に戻ったときにはすっかり薄暗くなっていた。
             帰り道はどうしましょうかとKさんがいう。いずれにしたって奥羽山脈の南端が縦に伸びている地形だから山は越えなきゃならない、湯野上温泉から羽鳥湖を越えて須賀川へ出るか、下郷から甲子高原を越えて白河へ出るか、栃木に入って塩原に抜けるか、鬼怒川まですべて南下してしまうかだ。道は距離でも整備の良さでも甲子越えがいちばん早いと僕はいった。ナビは塩原越えを示している。
            「いいですよ、行きましょう」
             Kさんは下郷から国道289号を選択し、甲子トンネルヘの上りを軽快に走った。
             整備のいい道は他の車が不思議なほどおらず、白河ヘスムーズについた。そして運転しているKさんはいった。
            「白河から、高速乗る必要なんてないですよね、このまま下で帰りましょう」
             僕は、なにもいっていない。



            ***


             雪は、終わりだ。また来シーズン。

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