バスのワイパーがしきりに行き来する。僕と、もうひとりの乗客を乗せて身延山へ向かっていた。駅と身延山は大きな富士川をはさんで対岸になることから、バスは富士川を渡り、ゆるやかな坂を上って行った。
バス停「総門」のアナウンスが流れると、そのままバスは立派な木造の山門を通過した。総門は道路にかかった山門で、その下をバスも車も抜けていくのだ。そのたもとにバス停と待合所があった。「帰り、ここまで歩いてきてもいいな」と思う。そこから時間もほとんどかからず、バスは終点の身延山に着いた。
ロータリーになっているそこには新宿から高速バスも来るらしい。2,900円――18きっぷよりは高いけれど、18きっぷを使わないのなら安いかもしれない。ロータリーから次の山門である「三門」までは歩く。表参道と言えるだろう。傘を差し、人通りのほとんどない参道の緩い坂道を上った。とある玄関先につながれたコーギーが人なつこそうに僕の顔を見ていた。
三門――。
僕はその大きさに息を飲んだ。そこで圧倒され、背中にびりびりと感じるものさえあった。車で来たならばここは通過し、さらに奥の裏参道(と言うべきか)から行くことになるのだろうか。しばらくこの三門を見上げながら、ここを通らないのはもったいないことだと思った。そののち、僕は三門をくぐって先へ向かった。
目の前に大きく立ちはだかるのは菩提梯と言った。言わば本堂ヘ向かって一直線に上る石段だ。迂回路はある。男坂、女坂。しかし僕はここを石段で上ろうと来る前から考えていた。もちろんそのすさまじさ厳しさなど知らずに「まあ大変ではあるだろうけど」程度の軽い気持ちで臨もうとしていた。せいぜい香川のこんびらさんか――、段数だけならこんぴらさんのほうが上まわるように思う。
結果、僕は何度かの休憩を経て石段の上まで上った。 一段々々の段差が、必要以上に疲労させた。段差は膝の高さよりも高い。腰の高さがあるんじゃないかなどと思う。こんな段差をひとつひとつ踏み込んで上ったことなどない。疲労しないわけがなかった。ゆえに段差の大きな石段は相当な急斜面で、後ろを振り返ったとき、高所恐怖症の僕は石段を下に向かってのぞき込むことができなかった。何人かの人が上ってくるのはわかる。傘が見える。僕は前に向き直り、息を整えつつゆっくりと境内を歩いた。
左手には立派な五重塔、正面に大きさの感覚を見失いそうな本堂。菩提梯の急峻な石段を上ってきた場所にあるとは思えない広くて平らな境内は玉砂利がきれいに敷かれていた。祖師堂、報恩閣、御真骨堂、仏殿などなど。大きな鐘を釣った鐘楼もある。それらはスケールの感覚が正常でなくなるほどみな大きく、それでいて所狭しに並んでいるというわけではなかった。実に広い。本当にどうしてこんな平地がここにあるのだろう。
僕は差していた傘を閉じ、本堂に上がった。残念ながら日蓮宗の流儀は知らない。経文もしかり。しかたなしに、正座をし、手を合わせた。
外廊下をひとめぐりし、本堂を出た。傘を取って靴を履いた。まだ傘は必要ながら雨は少しずつ弱くなっていた。広い境内をそぞろ歩く。本堂のとなりが祖師堂で、その前に有名なしだれ桜があった。もちろんこの残暑の折、桜の木は青々と葉が茂っているが、これにどう花がつき、美しく彩られるのかは容易に想像がついた。大きな一本のしだれ桜はボリュームのある桜並木とはまた違う、いつまでも見入ってしまうような味わいがある。
仏殿まで歩き、また本堂まで戻ってきた。本堂の裏手から奥の院へ上がるロープウェイが出ている。20分に一本。乗車時間は7分。予定をいささか詰め込みすぎた。身延発の列車の時間から逆算したバスの時間を考えるとぎりぎりだ。悪いことにここまででずいぶん時間を費やしていた。菩提梯を上るのにもかなりの時間を費やしたし、本堂を見、本堂の地下にまわってみたり外廊下をめぐったり、見どころが多くてそのたびに立ち止まり、そうしているうちに時間はどんどん過ぎていた。7分かかる乗車時間から考え、これから行ってすぐに乗れる便があるなら往復できるかもしれない。今、1時40分。乗り場へ向かった。
残念ながらネットで見たロープウェイの情報には時刻まで記載されていなかった。20分おきの運行で乗車時間が7分、だけだ。発車時刻まではわからない。本堂の裏から周囲の山々が見える。雲が低く下りてきていて山肌にかかり、まるで水墨画のようだ。雨に煙った風景が、この身延山一帯をそう見せていた。ロープウェイの駅へ向かう人はおらず、駅から戻ってくる人ともすれ違わなかった。駅に近づくと、そこから上へと伸びたワイヤーが雲のなかに消えて行ってくるのが見えた。どこまでつながっているのは見えなかった。
ロープウェイはどのように運行されているのだろう。乗客がそろったら? あるいは定時刻制? ――それは駅に行けばすぐにわかることだった。駅に入ると運行時刻表があった。
O分、20分、40分。
ついさっき、出たばかりだった。次はそうすると14時ちょうど。バスの時刻が、来るときに降りたバス停から14時40分。ロープウェイの乗車時間が7分であれば、14時に乗って奥の院に上がって14時07分。戻ってくる便はいちばん早くて14時20分。とすると降りてきて14時27分。
僕はここに来るまで、バスを降り、参道を歩いて三門をくぐり、それから菩提梯の長い石段を上った。それでおよそ30分。
「間に合わない」
*
境内の裏手にある甘露門、この石段を下りて僕は女坂を下った。奥の院をあきらめた僕はまたここを訪れればいいのだと考えた。どうせ今日は上まで行ったところで深い雲のなかなのだ。日蓮上人が親を思いここに立ったという思親閣から生まれ育った南房総を眺めたらしいけれど、南房総はおろか富士山すら目にすることができないのは容易に想像がついた。信仰心からではない僕などは恐縮だがそういう眺望が大事だ。あらためて訪れればいい、そして今度はきちんと時間を定めてくればいい。そのときは時間に余裕を持ってロープウェイではなく登山道で行こうじゃないか、そう思った。じつは今回初めにそれも考えたのだ。しかし登山道は上りに2時間から2時間半を要する。今日のスケジュールでは全く無理だった。その時間までを計算した計画をあらためて立てよう。
ロープウェイの道を引き返した僕は本堂の前を通り過ぎ、境内を歩きつつ帰り道を探った。寺務所でお札を売っていた女性に男坂はどちらですかと聞くと、菩提梯の脇からだと言った。
「今日は足もとが悪いから、女坂から下ったほうがいいよ」
同じ寺務所でとなりにいた男性が言う。
「確かにそうね、男坂は危ないかもしれない」
「時間は? どちらが余計にかかります?」
と僕が聞くと、
「同じ。距離は違えど時間は一緒だよ」
と男性のほうが答えた。僕はありがとうございますと礼を言い、仏殿の前から下って行くのだと女性から道を聞き、僕はその通りに歩いた。
ひどく静かで、相変わらず誰とも会わないし誰ともすれ違わなかった。湧き水なのか水が流れていてそばにはコップが置かれていた。僕はひと口飲んでみる(きっと、きちんと調べもせずこういうことをしているといつか当たるだろう)。
一日久遠寺を散策して気づいたことがあった。来たときに山門をくぐったときの、背中にびりびりと感じる力、それが菩提梯の石段を上がったころからまったく感じられなくなった。上の境内まで来て、五重塔を過ぎても本堂に上がっても、あるいは境内を祖師堂から仏殿まで歩いてもそんな気配はなかった。ふしぎなことに三門だけ僕は「気」を感じた。
女坂を下りてくると菩提梯の石段の下に合流した。そこから三門をくぐり参道へ出た。今度は三門をくぐったときも背中に感じられる「気」はなかった。僕はまたしてもふしぎな感覚に触れた。
しかしそれだってあいまいだ。僕が気や何らかのパワーを感じられる体質なのかも怪しいし、体調や体力、疲労にもよるかもしれなかった。自分の感覚を――寺社仏閣などでまれに感じる力だ――科学的に解析したことがあるわけでもない。
参道を下っていると、行きにも会ったコーギーがまた立ち上がって僕を見、二歩ほど僕に近づいた。ほんの小さな二歩だった。僕が近寄ってしゃがんでもおとなしい。僕はコーギーをなぜた。
奥の院まで行かずに下りてきたので、バスまで20分の時間が余った。つまりは奥の院まで行く時間を20分しか確保できていなかったということだ。時間の計算違いにもほどがある。奥の院どころか、ロープウェイに乗って単純に往復してくることだって不可能だ。
僕はその20分を、最初はバス路線の途中にある総門まで歩いて費やそうかと考えたが、バス停目の前に「珈琲」の文字を見つけ、一度行き過ぎてそして戻った。その喫茶店に入って20分を埋めることにした。幸いにもバス停の目の前、バスの時間が気になるなら窓の外を眺めていればいい。
店はカウンターしかない狭い店で、先客の女性ふたり組がちょうど出るところだった。玄関先に傘を置き、ふたり組が出るのを待ってから僕は店に入った。僕はホットコーヒーを頼む。
喫茶店のママはじっくりと豆を蒸らす。砂時計できっちり時間を計り、それからお湯を落とし始めた。コーヒーの香りが店内に広がっていく。
「静かでいいところですね」
と僕は言った。じっさい、人通りも少なくひとり散策するには落ち着いて見られてよかったと思う。あるいはこれを活気がないと感じる人もいるかもしれない。
「やっとですね。この時期と二月くらいのものです」
ママはじっくりとコーヒーを落としながら答えた。コーヒーを落とすために時間、手順、それをきっちりと守らないとマスターに怒られるのだという。僕はそれは大変だと苦笑いした。
「八月も特にお盆に向けて通う方が続々といらっしゃるので、お盆が明けたこの時期が極端に空くんです。あとは二月――」
「雪、ですか?」
「雪は降らないんです。峡南は特に山梨でも雪が少ないんです」
――キョウナン。僕はその言葉の響きにこころ躍った。僕はその県や地域で使う(そして他の県にいるとほとんど耳にすることのない)地区地方名が大好きだ。地方で天気予報を見ているとその名が耳に触れ、うれしくなる。たとえば長野県の北信、東信、南信しかり、福島県の浜通り、中通り、会津しかり。関東の天気予報では呼ばれることがない。
「――桜は? 立派な桜があって、僕でも知っているのですが」
「桜の時期はもうこの町が一変しますよ、それこそ」ママは大きな肉厚のコーヒーカップにコーヒーを注ぎながら言った。「信仰の山でしょう。熱心な信者の方が通われる山で。――菩提梯、上りましたか?」
「ええ、上ってきました」
「大変だったでしょう。――あれを上ることが悟りをひらくそのものですから、熱心な信者の方は毎年来て菩提梯を上って行くわけです。だから、菩提へのきざはし、なんですね。思親閣もそうですね。ロープウェイで上る人が大半ですけど、熱心な方は歩いて上られます」
「なるほど」
「そんな信仰の山ですから強い宗教色と信仰心に満ちていますけれど、桜のときだけは別。一大観光地になってしまいます」
「わかるような気がします」
「それこそ、本堂の畳で寝てしまったりとか、桜の境内でお弁当を開いたりとか」
とママは苦笑いする。
「お花見、ですね、もう」
「でもそれもまた身延山のひとつの顔なのかと。最近はそう思えるようになりました」
コーヒーが美味しい。狭い店ながら落ち着く。僕は「ゆっくりできますね、ここ」と言い、写真を撮らせてもらってもいいですかと聞くと、ええどうぞどうぞと快諾いただいたのでカウンターを写真に収めた。
「あっ、バス――」
窓の外にバスが入ってきてロータリーで方向転換しているのが見え、僕は口にした。
「あら、あれに乗られるんですか? 」
「ええ」
「じゃあ、紙コップを用意しますからコーヒーお持ちください」
ママはカウンターの下から紙コップと白いプラスチックのキャップを出した。
「ありがとうございます。でも、まだ大丈夫ですよね、バス。ぎりぎりまでここで飲んでいていいですか?」
「もちろんかまいませんけれど、何分だったかしら。――私、バスに乗ることがないからわからないわ」
とママが笑う。僕は会計だけ先に済ませたあと、時間いっはいまでカウンターで過ごした。
「今度はよかったらカレーを食べに来てください。マスターの自信でもありますので。マスターのいるときならなおいいと思いますよ」
とママが笑う。店の名刺をいただいた。
「わかりました。ぜひ」
「桜のときも本当にいいですよ」
「そうですね、きっときれいなんでしょうね」
僕は時計をにらみつつ、惜しまれながら残ったコーヒーを紙コップに移し、店をあとにした。丁寧に見送ってくれた。雨は上がっていた。軽く駆けてバスの後ろのドアから乗り込み、整理券を引き抜いた。
バスは、僕が席につくなりすぐに出発した。整理券は0番。僕のほか2、3組の乗客。喫茶店の前をかすめるようにバスは大きく右にハンドルを切った。
「あっ―― 」
僕は、喫茶店に傘を忘れた。