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    • 2017.12.04 Monday
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    地図で見つけた峠道──足利・桐生・白葉峠・梅田湖──

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       世は五連休だった。
       こまごまとした雑事が一日ずつを埋め、21日だけが空いていた。Uさんも同様、空いているのが21日。──久しぶり、出かけましょう、半年以上ぶりのサイクリングは日程さえ合ってしまえば、行き先もコースも決めるのはあとで全然かまわない。
       前夜、走りましょうということ以外何もかもが白紙のなかで僕はあわただしくルートを引いた。僕はここ一ヶ月以上自転車に乗っていない。聞けばUさんも似たようなもの。「リハビリですよね」とUさんが言う。「そうですよね」僕もそう言い、長くない、どこか楽しめそうなところを探した。


      計画当初のルートイメージ


      「しらっぱ峠って読むらしいですね」
       とUさんが言う。僕が引いたルートのなかにある「白葉峠」のことだ。
      「そうなんですか、知らないと読めないですね。僕も昨晩ネットの地図を眺めていて、峠の文字と道の付き方を見て組み入れてみただけで、よく知らないんです……」
       朝8時半、東武伊勢崎線の足利市駅で待ち合わせをした。
       折りたたまれた不可思議な構造のUさんの自転車が、あっというまに見覚えのある自転車に化けた。この自転車の組み上がっていくようすを見るのはいつも楽しい。


      見ているだけだと、組み上げは摩訶不思議


      「ここ(足利)で渡良瀬川を渡るなら、やっぱり渡良瀬橋ですよね」
       と、早速自分で引いておいたルートを外れた。古びた無機質なトラスが僕の目には麗しく映る。渡良瀬橋──僕なら森高。
       足利から小俣へ向かう道はJR両毛線に沿った県道67号とその旧道があるが、できる限りそれらを通らない町なかの路地を引いてみた。走ってみるとずいぶんとお寺が多いことに気づいた。神社もそうだ。そして町はどこまでも家々が続く。中心街を外れれば住宅は途切れるかと思っていたけれど、鉄道や県道に沿った一帯を進んでいくぶんには家が途切れることはないようだった。僕の住む越谷とあまり変わらない気がする。
       家の途切れない路地を進んでいると、道端でスケッチブックを持った小学生くらいの女の子が僕を見てにこっと笑った。僕は「こんにちは」と言う。
      「──」
       無視。──まあそんなことはよくある。進みながら苦笑いしていると、あとから背中に大声で「こんにちはっ」と女の子の声が追いかけてきた。僕はちらっと振り返ってみたが、屈曲した路地ですでに彼女の姿は見えなかった。
       長く続かない路地をあきらめ、県道の旧道に戻る。また路地を見つけてそこに入り、結局また県道に戻される。そんなルートをくり返し、小俣まで来た。
       ここで進路を90度右に変え、山へ向かう。小俣川に沿ってゆるやかに上っていった。風がここちよい上りは、田んぼのあいだをきれいな道が貫いていく。僕もUさんも「気持ちいいですな〜」を何度もくり返した。
       そんな道ばかりが続いた。この先に白葉峠が現れるなどとうてい考えられないゆるい上りだったから、白葉峠への入口に着いたとき、その道を見て「やっぱりな」と言いながら自転車を降りた。峠まで距離ばかり近づくのに上り坂はきつくならない──つまりはここまで全然標高を稼げていないわけだ──。急な坂が目の前に続いていた。
       休憩タイム。思い思いに写真を撮った。


      田んぼのなかのゆるやかなのぼり


      峠への入口で坂におののき、止まる


      バス停は、峠の入口ながら「白葉峠」


      「じゃああきらめて上りましょうか」
       僕らは白葉峠に向かう坂道へ入った。道沿いの家のおばあさんがこんにちはと声をかけてくる。僕もこんにちはと返す。こんな道を自転車で行くのか──そんな奇異な目で見られることは意外にもなかった。自転車を見慣れるようになったのだろうか、自転車がここをよく通るのだろうか。
       車はほとんど通らない。落ち葉もずいぶん路面を覆っていた。急な坂を上りつつ、何度か休憩をはさみつつ、進んだ。法面のコンクリート加工はコケがびっしりと生え、抹茶チョコレートのようだった。
       距離にしておよそ2キロ。白葉峠に着いた。すれ違った車はここまでわずか2台。そんな道なのかもしれない。足利側は眺望がまったくなかったが、峠の向こう、桐生の町なみは遠くまでよく見えた。


      抹茶チョコのような法面


      白葉峠に到着


      しらっぱ峠から桐生市街を望む


       桐生に下ると僕らは梅田湖を目指してまた上りはじめた。桐生市街地から梅田湖へ上る県道ではなく、桐生川の対岸の道を行く。アップダウンが多くて疲れるけれど木陰になったり桐生川の透明な流れが眺められたり、ここちよい道だった。数台、自転車ともすれ違った。
       その道もやがてつき当たりになり進むすべを失うと、僕らは桐生川を橋でわたった。県道に戻り、そこからまた川沿いの道へ入る。きんもくせいが香り、柿だかざくろだかが家々の庭先になっている。栗が鋭いイガをこちらに向けてなっている。こんな栗が落ちてきてからだに当たったら大変なことになるなと思った。じっさい、路面には落ちたイガがいくつも、こちらに針先を向けていた。
       とある角を過ぎると突然、大きなコンクリートのかたまりが目の前に現れた。桐生川ダム──。僕も梅田湖には何度かきていたものの、この旧道を走ったのは初めてで、桐生川ダムをまじまじと見たのも初めてだった。
      「すごいですね」
      「大きいですね」
       僕らは自転車を止めた。


      木々のあいだからときどき覗く桐生川の清流


      突如現れた桐生川ダム(そして放流中)


      自転車で築堤まで行ってみた


       梅田大橋をわたり、梅田湖の対岸を進んだ。
      「わき水を汲みましょう」
       と僕が言うと、Uさんが
      「いいですね」
       と言ってくれる。
       車通りが少ないからここもまた路面が荒れている。枯れて落ちた葉や枝が散乱し、路面は苔も生えていた。そのうえ路面が濡れていた。滑りやすい。
       わき水は「大州の水」。初めてここを通りかかったとき果たしてこれが飲めるのかどうかわからなかった。次に来たとき、きちんと調べてから来た。どうやら飲める、桐生の名水。
      「ここです」
       と僕はUさんに指差して見せ、自転車を止めた。こんなにも水の量が、こんこんと流れている。人通り車通りが極めて少ないから、水を捨てているようなものだ。僕もUさんもボトルに水を満々と注ぎ、自転車を並べてセルフタイマーを使ってふたりで写真を撮った。


      梅田大橋からながめる梅田湖


      桐生の名水(湧き水)、大州の水


      「食事、どうします?」
       今日のルートはもともと、いったん桐生市内まで下り、大間々までさらに走ってカレーうどんを食べようと考えていた。しかしここに来てすでに11時半をまわっていて、僕自身もおなかが空き始めていた。「食べちゃいます? そばとかいかがです?」
      「食べましょうか」
       とUさんが言う。梅田湖の外れからさらに桐生川ぞい1キロ進んだところにある、梅田ふるさとセンターにそばを食べに行くことにした。
       梅田ふるさとセンターは車もずいぶん入っていた。しばらくぶりだったからいつ付けたのはわからないけれど、自転車を前輪で押さえるラックが設置されていた。自転車で来る人も多くなったのだろう。

      「どうしましょう? 三境林道──」
       三境(さんきょう)林道とは、この桐生市梅田のさらに奥から草木湖へ抜けるこれまたマニアックな林道。草木湖が標高の高い場所にあるがゆえ、当然長い上りが続くことになる。もともと梅田湖に行った時点でオプショナルツアーとして考えましょう、などと昨日から話をしていた。ふたりでそばを食べながら僕は持ちかけた。
      「僕は大丈夫です。肉離れも自転車じゃ使わない筋肉のようだし」
       僕は先週、自治会の運動会で股関節から腿にかけて軽い肉離れを起こしてしまい、それがいまだ治っていないのだ。
      「じつはあす墓参りに行こうと思って、今日は古河に帰ろうと思うんです」
       とUさんが言う。


      梅田ふるさとセンターでそばを食べる


       Uさんは仕事のある平日は都内で暮らしているが、自宅は茨城県の古河にある。古河は渡良瀬川の河口、利根川との合流箇所の街。つまり、このまま桐生市街へ下って渡良瀬川に入り、その河川敷にあるサイクリングロードを使って河口に向かえば古河に行き着くという話だ。
      「なるほど、悪くないですね」
       僕らは梅田ふるさとセンターをあとにすると、長い長い下り坂を一気に下り、桐生の街なかに入った。碁盤の目状になった大通りには旧き良き街なみが並ぶ。のこぎり屋根と織物の街は、ここだけでも見ごたえがある。規模もきっと自転車にちょうどいい。そんな街なかを目で右に左に追いながら、渡良瀬川の河川敷へ出た。
      「じゃあここからお願いしますね」
       僕の引いてきたルートからはもう外れている。前をUさんに代わってもらい、渡良瀬川を下流に向けて走り始めた。


      渡良瀬サイクリングロードを古河へ向けて


      じっさいの走行ログ


      ※今回もご一緒させていただいた、Uさんのブログ
      (お写真拝借いたしました。いつもありがとうございます)

      身延線18きっぶ紀行(3)

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         バスが駅前に戻ってきたころ、すでに僕が乗ろうとする富士行きの普通列車はホームに入っていた。まだ10分以上ある。甲府行きの特急と交換をするせいか、それにしたって20分近く止まっているって驚く。もっと先の交換駅まで行けそうな気がするから。僕が高校生のころ旅した山陰本線の普通列車にそういうのがあった。ディーゼル機関車が引く客車列車だった。20分の停車……時代が違う、車両も違う。その当時は国鉄だった。
         改札口で18きっぷを見せてホームヘ行く。さっき降りたときは改札直結のホームだったけれど、今度の列車は線路を挟んだ向かいのホーム。僕は地下道をくぐってそのホームの階段を上った。
         列車はまた同じ2両編成のワンマンカー。微妙な混雑ですでにボックス席は埋まっていた。埋まっているとは言っても、ボックスをひとり占拠し靴を脱ぎ靴下で前の座席に足を投げ出しているところもいくつかあるわけで、混雑とは言い難い。僕はドア際のロングシートに腰かけた。ロングシートで全然かまわないのだけど、残念ながらこの313系、ロングシートの窓の専有面積が小さい。ここから静岡県境を越えた芝川まではダイナミックな富士川の車窓を楽しめると期待しているから、窓は大きいに越したことはない。でもしかたがない。僕は狭い窓枠に、喫茶店でもらったコーヒーの入った紙コップを置いた。
         バスが身延駅に着いて、まず僕は喫茶店に電話を入れた。バタバタとあわただしく立ち寄った非礼を詫び、それから玄関先の傘立てに傘を忘れたことを告げた。ママは驚いたように声を上げ、急ぎ車で駅に追いかけるからと言いだすものだから僕はびっくりして、そして丁重に断った。申し訳ないという気持ちが大半、そして現実的に列車の時間までとうてい間に合わないという事実。僕は電話口から礼を言い、帰ったらあらためて連絡させてもらいますと言った。ぜひまた来てくださいと言う。

         列車は静かに動き出した。ドアを利用者が開閉ボタンで操作する半自動扱いだと、ドアはたいてい閉められたままで、閉まる瞬間に気づかないから突然動き出すように感じる。車内にはおしゃべりをする人もおらず、まったりとした、あるいは気だるい空気が沈殿していた。窓を開けたい気分になるけれど、空調の効いた車内、独断でそんなことをするわけにもいかない。まして窓をほとんど持たないロングシートに座った乗客だ。
         列車は、身延まで乗って着た路線と同じとは思えないほどゆっくりとした速度で進む。それもそのはずでここは急カーブがひたすら続く区間なのだ。線路は富士川に向けてせり出した崖に張り付くように敷設されていて、その山肌にできる限り沿おうと左に右に細かくカーブする。そのカーブが細かくなりすぎるとトンネルに突入する。トンネルは概して短い。車窓は右手にダイナミックな富士川の蛇行、対岸の国道と線路に沿って県道10号、左手には崖がせまり、そこから伸びる木の枝がごくまれに車体に当たる。
         西富士宮までこんな難所が続く。
         乗って、外を眺めている者としては最も景色を楽しめる箇所だ。鉄道の難所は景色の名所、とはほぼ当たっているのだろう。僕は何度も席を立ち、ドアの窓ガラスから、あるいは最後部の乗務員室からカメラをかまえた。しかし一枚としていいと思える写真を撮ることができない。僕は哀しくなった。後ろに流れていく線路は急なカーブを左右に繰り返していた。




         そんな区間をしばらく楽しみながら列車は静岡県へ入った。ここまでずっと富士川沿いに走ってきた身延線は、ふた駅先の沼久保で富士川から離れる。大きく迂回をして西富士宮へ。西富士宮から先、終点の富士までは路線のカラーが一変する。都市部近郊の私鉄路線のようになり、列車の本数も数倍に増える。輸送力に応じた乗客がある。そんな路線だ。
         だからと言うわけじやないけれど、僕は気づくと眠ってしまっていた。芝川の駅を見たのは覚えている。沼久保ははっきりしない。西富士宮や富士宮は眠りのなかだ。気づいたときには高架線を走っていた。止まった駅は柚木(ゆのき)、終点富士のひとつ手前だった。車内には立ち客も多く、話し声に埋もれていた。若い女性がずいぶん乗っていたおかげで華やかな車内に思えた。

         着いた富士駅では15分あまりの待ち時間があったので改札を出てみた。と言ってもたいして遠くまで行けるわけじゃない。駅から出たところでロータリーのまわりをぐるっとまわる程度だ。駅から一直線に伸びる道路やらそのまわりの背の低い商店街やら音響装置つき信号機の音楽やら田子の浦方向に林立する製紙工場の煙突群やらそんなものをざっと楽しみながら10分ほどで駅に戻ってきた。それから駅の売店で静岡で愛され続けて35年とポップのつけられた「のっぽパン」を一本だけ買い、改札を通って、静岡方面への階段を下りた。
         そう、静岡方面へのホームヘ立った。




         静岡行きの下り東海道線は混んでいた。たいてい、いつ乗っても混んでいる。それほど長い時間はかからないと言っても30分以上かかる。富士で座れなければ静岡までおそらく座れない。僕は扉に寄りかかるように立った。
         静岡駅に着くと、入れ替えをするかのように乗客がみな降り、そして乗る。僕もその流れに乗って降りた。
         僕がここへ来た目的はひとつ。静岡駅のホーム上にある駅そば「富士見そば」のラーメンが食べたかったのだ。立ち食いそばでラーメン――そのギャップに違和感を覚えながらも、前回ここでかき揚げそばを食べたときに周囲でラーメンを食べていた人のようすが忘れられなかった。そして今日、僕はやっと静岡までやってきた。
         二食連続、駅そばだ……。
         ラーメンに満足した僕は上りの東海道線に乗った。やはり静岡を出た列車は混んでいた。清水で空いた座席を見つけ、気づくと再び眠りに落ち、目をあけたときにはすっかり周囲が暗くなっていた。



        身延線18きっぷ紀行(2)

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           バスのワイパーがしきりに行き来する。僕と、もうひとりの乗客を乗せて身延山へ向かっていた。駅と身延山は大きな富士川をはさんで対岸になることから、バスは富士川を渡り、ゆるやかな坂を上って行った。
           バス停「総門」のアナウンスが流れると、そのままバスは立派な木造の山門を通過した。総門は道路にかかった山門で、その下をバスも車も抜けていくのだ。そのたもとにバス停と待合所があった。「帰り、ここまで歩いてきてもいいな」と思う。そこから時間もほとんどかからず、バスは終点の身延山に着いた。
           ロータリーになっているそこには新宿から高速バスも来るらしい。2,900円――18きっぷよりは高いけれど、18きっぷを使わないのなら安いかもしれない。ロータリーから次の山門である「三門」までは歩く。表参道と言えるだろう。傘を差し、人通りのほとんどない参道の緩い坂道を上った。とある玄関先につながれたコーギーが人なつこそうに僕の顔を見ていた。
           三門――。
           僕はその大きさに息を飲んだ。そこで圧倒され、背中にびりびりと感じるものさえあった。車で来たならばここは通過し、さらに奥の裏参道(と言うべきか)から行くことになるのだろうか。しばらくこの三門を見上げながら、ここを通らないのはもったいないことだと思った。そののち、僕は三門をくぐって先へ向かった。
           目の前に大きく立ちはだかるのは菩提梯と言った。言わば本堂ヘ向かって一直線に上る石段だ。迂回路はある。男坂、女坂。しかし僕はここを石段で上ろうと来る前から考えていた。もちろんそのすさまじさ厳しさなど知らずに「まあ大変ではあるだろうけど」程度の軽い気持ちで臨もうとしていた。せいぜい香川のこんびらさんか――、段数だけならこんぴらさんのほうが上まわるように思う。




           結果、僕は何度かの休憩を経て石段の上まで上った。 一段々々の段差が、必要以上に疲労させた。段差は膝の高さよりも高い。腰の高さがあるんじゃないかなどと思う。こんな段差をひとつひとつ踏み込んで上ったことなどない。疲労しないわけがなかった。ゆえに段差の大きな石段は相当な急斜面で、後ろを振り返ったとき、高所恐怖症の僕は石段を下に向かってのぞき込むことができなかった。何人かの人が上ってくるのはわかる。傘が見える。僕は前に向き直り、息を整えつつゆっくりと境内を歩いた。
           左手には立派な五重塔、正面に大きさの感覚を見失いそうな本堂。菩提梯の急峻な石段を上ってきた場所にあるとは思えない広くて平らな境内は玉砂利がきれいに敷かれていた。祖師堂、報恩閣、御真骨堂、仏殿などなど。大きな鐘を釣った鐘楼もある。それらはスケールの感覚が正常でなくなるほどみな大きく、それでいて所狭しに並んでいるというわけではなかった。実に広い。本当にどうしてこんな平地がここにあるのだろう。
           僕は差していた傘を閉じ、本堂に上がった。残念ながら日蓮宗の流儀は知らない。経文もしかり。しかたなしに、正座をし、手を合わせた。
           外廊下をひとめぐりし、本堂を出た。傘を取って靴を履いた。まだ傘は必要ながら雨は少しずつ弱くなっていた。広い境内をそぞろ歩く。本堂のとなりが祖師堂で、その前に有名なしだれ桜があった。もちろんこの残暑の折、桜の木は青々と葉が茂っているが、これにどう花がつき、美しく彩られるのかは容易に想像がついた。大きな一本のしだれ桜はボリュームのある桜並木とはまた違う、いつまでも見入ってしまうような味わいがある。




           仏殿まで歩き、また本堂まで戻ってきた。本堂の裏手から奥の院へ上がるロープウェイが出ている。20分に一本。乗車時間は7分。予定をいささか詰め込みすぎた。身延発の列車の時間から逆算したバスの時間を考えるとぎりぎりだ。悪いことにここまででずいぶん時間を費やしていた。菩提梯を上るのにもかなりの時間を費やしたし、本堂を見、本堂の地下にまわってみたり外廊下をめぐったり、見どころが多くてそのたびに立ち止まり、そうしているうちに時間はどんどん過ぎていた。7分かかる乗車時間から考え、これから行ってすぐに乗れる便があるなら往復できるかもしれない。今、1時40分。乗り場へ向かった。
           残念ながらネットで見たロープウェイの情報には時刻まで記載されていなかった。20分おきの運行で乗車時間が7分、だけだ。発車時刻まではわからない。本堂の裏から周囲の山々が見える。雲が低く下りてきていて山肌にかかり、まるで水墨画のようだ。雨に煙った風景が、この身延山一帯をそう見せていた。ロープウェイの駅へ向かう人はおらず、駅から戻ってくる人ともすれ違わなかった。駅に近づくと、そこから上へと伸びたワイヤーが雲のなかに消えて行ってくるのが見えた。どこまでつながっているのは見えなかった。
           ロープウェイはどのように運行されているのだろう。乗客がそろったら? あるいは定時刻制? ――それは駅に行けばすぐにわかることだった。駅に入ると運行時刻表があった。
           O分、20分、40分。
           ついさっき、出たばかりだった。次はそうすると14時ちょうど。バスの時刻が、来るときに降りたバス停から14時40分。ロープウェイの乗車時間が7分であれば、14時に乗って奥の院に上がって14時07分。戻ってくる便はいちばん早くて14時20分。とすると降りてきて14時27分。
           僕はここに来るまで、バスを降り、参道を歩いて三門をくぐり、それから菩提梯の長い石段を上った。それでおよそ30分。
          「間に合わない」

               *

           境内の裏手にある甘露門、この石段を下りて僕は女坂を下った。奥の院をあきらめた僕はまたここを訪れればいいのだと考えた。どうせ今日は上まで行ったところで深い雲のなかなのだ。日蓮上人が親を思いここに立ったという思親閣から生まれ育った南房総を眺めたらしいけれど、南房総はおろか富士山すら目にすることができないのは容易に想像がついた。信仰心からではない僕などは恐縮だがそういう眺望が大事だ。あらためて訪れればいい、そして今度はきちんと時間を定めてくればいい。そのときは時間に余裕を持ってロープウェイではなく登山道で行こうじゃないか、そう思った。じつは今回初めにそれも考えたのだ。しかし登山道は上りに2時間から2時間半を要する。今日のスケジュールでは全く無理だった。その時間までを計算した計画をあらためて立てよう。
           ロープウェイの道を引き返した僕は本堂の前を通り過ぎ、境内を歩きつつ帰り道を探った。寺務所でお札を売っていた女性に男坂はどちらですかと聞くと、菩提梯の脇からだと言った。
          「今日は足もとが悪いから、女坂から下ったほうがいいよ」
           同じ寺務所でとなりにいた男性が言う。
          「確かにそうね、男坂は危ないかもしれない」
          「時間は? どちらが余計にかかります?」
           と僕が聞くと、
          「同じ。距離は違えど時間は一緒だよ」
           と男性のほうが答えた。僕はありがとうございますと礼を言い、仏殿の前から下って行くのだと女性から道を聞き、僕はその通りに歩いた。
           ひどく静かで、相変わらず誰とも会わないし誰ともすれ違わなかった。湧き水なのか水が流れていてそばにはコップが置かれていた。僕はひと口飲んでみる(きっと、きちんと調べもせずこういうことをしているといつか当たるだろう)。

           一日久遠寺を散策して気づいたことがあった。来たときに山門をくぐったときの、背中にびりびりと感じる力、それが菩提梯の石段を上がったころからまったく感じられなくなった。上の境内まで来て、五重塔を過ぎても本堂に上がっても、あるいは境内を祖師堂から仏殿まで歩いてもそんな気配はなかった。ふしぎなことに三門だけ僕は「気」を感じた。
           女坂を下りてくると菩提梯の石段の下に合流した。そこから三門をくぐり参道へ出た。今度は三門をくぐったときも背中に感じられる「気」はなかった。僕はまたしてもふしぎな感覚に触れた。
           しかしそれだってあいまいだ。僕が気や何らかのパワーを感じられる体質なのかも怪しいし、体調や体力、疲労にもよるかもしれなかった。自分の感覚を――寺社仏閣などでまれに感じる力だ――科学的に解析したことがあるわけでもない。
           参道を下っていると、行きにも会ったコーギーがまた立ち上がって僕を見、二歩ほど僕に近づいた。ほんの小さな二歩だった。僕が近寄ってしゃがんでもおとなしい。僕はコーギーをなぜた。




           奥の院まで行かずに下りてきたので、バスまで20分の時間が余った。つまりは奥の院まで行く時間を20分しか確保できていなかったということだ。時間の計算違いにもほどがある。奥の院どころか、ロープウェイに乗って単純に往復してくることだって不可能だ。
           僕はその20分を、最初はバス路線の途中にある総門まで歩いて費やそうかと考えたが、バス停目の前に「珈琲」の文字を見つけ、一度行き過ぎてそして戻った。その喫茶店に入って20分を埋めることにした。幸いにもバス停の目の前、バスの時間が気になるなら窓の外を眺めていればいい。
           店はカウンターしかない狭い店で、先客の女性ふたり組がちょうど出るところだった。玄関先に傘を置き、ふたり組が出るのを待ってから僕は店に入った。僕はホットコーヒーを頼む。
           喫茶店のママはじっくりと豆を蒸らす。砂時計できっちり時間を計り、それからお湯を落とし始めた。コーヒーの香りが店内に広がっていく。
          「静かでいいところですね」
           と僕は言った。じっさい、人通りも少なくひとり散策するには落ち着いて見られてよかったと思う。あるいはこれを活気がないと感じる人もいるかもしれない。
          「やっとですね。この時期と二月くらいのものです」
           ママはじっくりとコーヒーを落としながら答えた。コーヒーを落とすために時間、手順、それをきっちりと守らないとマスターに怒られるのだという。僕はそれは大変だと苦笑いした。
          「八月も特にお盆に向けて通う方が続々といらっしゃるので、お盆が明けたこの時期が極端に空くんです。あとは二月――」
          「雪、ですか?」
          「雪は降らないんです。峡南は特に山梨でも雪が少ないんです」
           ――キョウナン。僕はその言葉の響きにこころ躍った。僕はその県や地域で使う(そして他の県にいるとほとんど耳にすることのない)地区地方名が大好きだ。地方で天気予報を見ているとその名が耳に触れ、うれしくなる。たとえば長野県の北信、東信、南信しかり、福島県の浜通り、中通り、会津しかり。関東の天気予報では呼ばれることがない。
          「――桜は? 立派な桜があって、僕でも知っているのですが」
          「桜の時期はもうこの町が一変しますよ、それこそ」ママは大きな肉厚のコーヒーカップにコーヒーを注ぎながら言った。「信仰の山でしょう。熱心な信者の方が通われる山で。――菩提梯、上りましたか?」
          「ええ、上ってきました」
          「大変だったでしょう。――あれを上ることが悟りをひらくそのものですから、熱心な信者の方は毎年来て菩提梯を上って行くわけです。だから、菩提へのきざはし、なんですね。思親閣もそうですね。ロープウェイで上る人が大半ですけど、熱心な方は歩いて上られます」
          「なるほど」
          「そんな信仰の山ですから強い宗教色と信仰心に満ちていますけれど、桜のときだけは別。一大観光地になってしまいます」
          「わかるような気がします」
          「それこそ、本堂の畳で寝てしまったりとか、桜の境内でお弁当を開いたりとか」
           とママは苦笑いする。
          「お花見、ですね、もう」
          「でもそれもまた身延山のひとつの顔なのかと。最近はそう思えるようになりました」
           コーヒーが美味しい。狭い店ながら落ち着く。僕は「ゆっくりできますね、ここ」と言い、写真を撮らせてもらってもいいですかと聞くと、ええどうぞどうぞと快諾いただいたのでカウンターを写真に収めた。
          「あっ、バス――」
           窓の外にバスが入ってきてロータリーで方向転換しているのが見え、僕は口にした。
          「あら、あれに乗られるんですか? 」
          「ええ」
          「じゃあ、紙コップを用意しますからコーヒーお持ちください」
           ママはカウンターの下から紙コップと白いプラスチックのキャップを出した。
          「ありがとうございます。でも、まだ大丈夫ですよね、バス。ぎりぎりまでここで飲んでいていいですか?」
          「もちろんかまいませんけれど、何分だったかしら。――私、バスに乗ることがないからわからないわ」
           とママが笑う。僕は会計だけ先に済ませたあと、時間いっはいまでカウンターで過ごした。
          「今度はよかったらカレーを食べに来てください。マスターの自信でもありますので。マスターのいるときならなおいいと思いますよ」
           とママが笑う。店の名刺をいただいた。
          「わかりました。ぜひ」
          「桜のときも本当にいいですよ」
          「そうですね、きっときれいなんでしょうね」
           僕は時計をにらみつつ、惜しまれながら残ったコーヒーを紙コップに移し、店をあとにした。丁寧に見送ってくれた。雨は上がっていた。軽く駆けてバスの後ろのドアから乗り込み、整理券を引き抜いた。

           バスは、僕が席につくなりすぐに出発した。整理券は0番。僕のほか2、3組の乗客。喫茶店の前をかすめるようにバスは大きく右にハンドルを切った。
          「あっ―― 」
           僕は、喫茶店に傘を忘れた。



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