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    • 2017.12.04 Monday
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    身延線18きっぷ紀行(1)

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       結局は甲府の駅前をぶらぶらと歩いていた。
       もともと甲府で時間をつぶすつもりだった。と言ってもせいぜい15分から20分程度の乗り継ぎ時間、街に出ず駅ビルの喫茶店にでもいればいいと考えた程度のことだ。その乗り継ぎ時間がおよそ40分に増え、駅ビルにいたところでなあと言う消極的な気持ちが正直なところで、積極的に街を歩こうという強い意志ではなかった。
       一日の計画は立ててくる。列車の時間と乗り継ぎをきちんと調べ、行きたい場所へ行き、帰ってこられることを確認する。だいたいの計画にして頭に入れてくることもあれば、きちんと紙にメモとして持ってくることもある。今回は後者、紙に計画をメモして持ってきた。そしてその計画での甲府の乗り継ぎが15分から20分程度だったのだ。
       計画をくずすことはよくある。ただし予定より早い列車に間に合うとか、乗り継ぎに要する時間が少なくて済みひとつ前の列車に乗れたとか、そういう場合。計画よりも後ろになるようなずらし方はほとんどすることがない。
       僕が今朝、新宿から乗り込んだ特別快速は計画メモに載せていた早いほうの列車だった。今日は18きっぷを使った鉄道旅、中央線で甲府へ行き、身延線を主題にするプランだ。ボトルネックは身延線――本当にボトルネックという言葉がふさわしい、あるいは砂時計の腹と言ってもいい――、一時間半から二時間半という間隔がふつうに存在するゆえ、どうしたってここに合わせる計画になる。
       その特別快速が高尾に着くと向かいのホームに甲府行きが止まっていた。計画で乗ろうと思っていたのはこのあとの小淵沢行き。今日は中央本線が甲府までだから小淵沢行きに固執する必要はない。中央快速のロングシートでは出すことができなかった朝食のフレンチトーストとコーヒーを飲みたくもあった。甲府行きは211系0番台のクロスシート車。このあとの小淵沢行きがどんな車両で現れるかもわからないから、朝食の食べたさゆえ乗った。
       笹子峠からの下り、勝沼から眺める塩山、山梨、そして甲府盆地へと続く広い風景が僕は大好きだ。本当なら115系のけたたましい抑速ブレーキの音に乗っかりながら窓を眺めるのがいいがそれも仕方がない。どうせもう半分以上は211系なのだ。
       その下りの景色を堪能し終えると列車は塩山駅に着いた。僕はここで手持ちの時刻表を開く。もともとこの甲府行き、メモしてきた計画には載せていない列車だ。これを指でたどっていくと、計画していた小淵沢行きよりも30分以上早く着くことがわかった。――早く着いたところでねえ。僕は思う。このあとは身延線だ。30分が身延線の一本前の列車に接続できるわけではない。
       それから念のため身延線のベージを見る。列車本数が少なくて紙面の白い身延線のベージは、僕が計画した10時53分の富士行きだ。その前に特急ふじかわ。これは18きっぷじゃ乗れない。
       その前に10時01分という列車がある。計画時にマークしていなかった列車だ。それはそのはずで途中の鰍沢口どまり。僕が今日行こうとしているのは身延であり、途中までの足らない列車だ。それがわかると甲府の街でつぶす時間のことを考えたが、あるいはこの鰍沢口行きに乗り、鰍沢口で散策でもするほうが楽しいんじゃないか、とすぐに気づいた。そしてさらには終点まで行かずに市川本町か市川大門で降りようじゃないかと考えた。
       すっかり市川大門の散策に気分が盛り上がっていると、中央本線の列車が酒折を出たことに気づいた。たまたま見た腕時計た10時01分を指している。
       僕はあわてて時刻表を見直す。僕の頭にインプットされていた時刻は甲府着9時58分。そしてその横に『土休日運休』の文字があった。隣の列に『土休日運転』の文字――その列の甲府到着は10時03分だった。

       計画も用事もなければ見たいところもなく時間を持て余した僕は、甲府駅の南口を出てロータリーに沿って歩いた。どこかの百貨店でこれから発売されるらしい甲府市のプレミアム商品券の長蛇の列が、ロータリーに沿ってできていた。その列があまりにも長いものだから――おそらく千人やそこらじゃきかないはずだ――最後尾に興味もあったが、だからなんだというふうにも思え、道を外れた。線路沿いを西に向かって歩き、路地を抜けたりしながら今度は線路の北側へ抜けてみようと狭いガードをくぐった。ガードは、中央本線の下り線側が古いレンガ積みで上り線側がコンクリートだった。垣間見える歴史差をカメラに収めようと思ったが、反対側からガードをくぐろうとする女性がひとりこちらへ向かってきた。狭いガード下の歩道は人がすれ違えるだけの幅はなく、このまますると「そんなところで写真を撮ってる場合じゃないだろう」という空気が流れるのが必至で、僕は足早にガードをくぐった。








       計画通りの列車に戻った僕は、富士行きの普通列車で身延へ向かう。二両編成のワンマンカーで、車内の半分は直感的に18きっぷユーザーだと見て取れた。最近はキッパー(18キッパー)などと言うらしい。僕も同様だ。が、なんだかひとくくりにされているようで気分がよくない。
       甲府駅からひと駅、またひと駅と地元利用者が下車していく。そのうちに車内は18きっぷユーザーだけになった。大半の客はこのまま富士まで乗りとおすのだろう。裏返せば18きっぷシーズン以外は、この列車に乗客はほとんどいないということだろうか。
       列車は釜無川と笛吹川が合流して富士川となった大河を対岸へ渡り、そのあと沿うように川と一緒に海へ向かう。
       朝から、そして甲府の街をぶらぶらしているときもずっと、折りたたみの傘を開いたり閉じたりしていた。時間がどんどん進んでいっても、列車に乗って土地土地を移動していっても、それは変わることがなかった。窓の外の空は明るくなることもなければ暗くなることもない。雨が極端に強くなることもなければ上がったと思ってもまた降り出した。列車はまた、対向列車との行き違いのため停車した。
       単線の路線はこの行き違いが旅の醍醐味のひとつだ。もちろん急ぐ旅なら迷惑千万なのだろうけど、急ぐ旅なら高速バスでも利用すればいい。
       かつて、列車交換の待ち時間ともなると、駅とホームに流れる空気が車内に入り込んできた。音とともに、その駅が持つ空気に列車内の空気も溶け込んだ。鳥の声が聞こえ、季節によって蝉が鳴いたり鈴虫が羽音を震わせたりした。
       今はそれがない。列車の扉はボタン式で乗り降りする人がいない限り閉じられたままとなった。列車内の乗客はシェルターに守られた難民のように、駅の空気から隔離されるようになった。交換列車が反対側のホームへ入ってくるのも目に入ることによって気づくまでだ。音では気づかない。空気の流れも感じない。
       僕はときどき、思い出したようにドアボタンを押してホームヘ降りるようにしているが、ワンマン列車ではいちいち先頭まで行き運転士にきっぷを見せねばならず、面倒なのでそれもしなくなっていた。

       本来なら歩いてみたかった市川本町から市川大門までの街を遠目に眺めた。黒々とした瓦屋根がびっしりと並ぶ街だった。距離にして1キロ足らず、歩いて散策するにはもってこいだったに違いない。
       そしてひと駅進むと鰍沢口。甲府で平日ダイヤだったら接続できたに違いない列車はここまで来た。しかし構内に車両は置かれていない。おそらく再び甲府行きとなり、すでに出発しまったのだろう。
       鰍沢口を出ると車窓が一変する。
       それまであった街はなくなり、線路に沿って走っていた国道や県道も蜘蛛の子を散らすように消えていなくなった。富士川でさえも、だ。線路は緑の山の森のなか、ひとり切り裂いて進む。やがてトンネルに入る。東の本栖湖から張り出した山あいを、道路とは別れて身延線はトンネルで一気に貫く。車窓には木々以外の何も目に入らず、ここからのいくつかの小さな無人駅は駅のためのアプローチ道路があるくらいで、再び県道や国道に出会うのはずいぶん先の下部温泉になる。
       一時間半はあっという間だった。そんな時間がここで過ぎたのかと疑うほどだった。しかし一時間半は一時間半だった。10時53分に甲府を出た列車が12時24分に身延に着いたのだ。
       改札口を出ると、駅舎内で湯気を上げる駅そばへ向かった。僕は今日、ここへ立ち寄る強い意志を持っていた。
       以前、一度僕はこの身延駅に立ち寄ったことがある。それは富士川とこの身延線とに沿った県道9号や県道10号を南下していた自転車だった。休憩と情報収集を兼ねて立ち寄った駅には、美味そうなカツオだしのにおいと湯気があがっていた。そのときこの店で食事にしなかった僕は、以降帰ってからずっと、この店に立ち寄らなかったことがこころの端に引っかかっていた。僕はこのあと身延山へ行く。連絡バスは12時45分。時間にして15分。充分に食べられるだろうと踏んでいた。いよいよ数年の空白を埋める。
       身延のそばはネギが青かった。つゆは真っ黒だった。だしは駅に立ち込める以上にカツオが強かった。かきあげそば――。店のメニューはかけと玉子と天ぷらと天玉、実にわかりやすい。僕は時計を見ながらそばを堪能した。

      「身延山へのバスはどちらですか」
       僕は12時40分になってもやってこないバスに不安を覚え、駅の職員に確認した。
      「そこ、目の前のバス停に来ますよ」
       駅員の言葉に僕は安心した。ほどなくしてアイボリーと濃いブルーに塗られたバスがやってきた。僕は駅員に礼を言い駅舎を出た。バス乗り場の屋根の下まで走った。すぐそこなのに少しだけ濡れた。たぶん、このときが一日でいちばん雨が強かった。がらがらのバスに座って発車を待つ。整理券には「18」と印字されていた。




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