国道144号から脇に下る少し急な坂に入り、古めかしい石の欄干の橋を渡るとそこに吾妻線の終着駅があった。
待合室には駅ノートがあった。秘境駅によく置かれている旅人の記録帳だ。今日もここを訪れ記録している人がいた。僕はページをめくってみた。
「新線付け替え前の吾妻線に間に合ってよかった!」
それでか──。
ここ最近の多くの人の記載にそれが書かれていた。僕は朝の吾妻線の乗車率を思い出してなるほどと思った。
◆◆◆
僕は高崎線の下り始発列車で輪行した。
この先高崎で吾妻線に乗り継ぎ、今日は終点の万座・鹿沢口まで行く。サイクリングは嬬恋村を貫く農道、嬬恋パノラマラインを走るつもりでいた。
高崎線の下り始発列車は相変わらず重いよどんだ空気に覆われていた。飲み疲れと仕事疲れの徹夜組が座席を占拠しまるで壊れた空気清浄機のように朝のさわやかな空気を吸い込みよどんだ空気に変換して吐き出しているようだった。これから週末の一日を遊びに行こうという晴れ晴れしい雰囲気をかもし出す人も多く乗っているのに、その空気にはまったく勝ち目がなかった。ほかではなかなかない。土曜日朝いちばんの伊丹発日本航空に乗るために早朝十三から乗車した阪急電車くらいだ。高崎線の下り始発列車はいつもこうだ。その変わらなさになんだか少し安心した。
高崎線は駅を進むにつれだんだんとさわやかになる。徹夜組がひと駅またひと駅と下車していくからだ。それもいつも変わらない。終着の高崎駅に着くころにはまるで別の列車に乗っているようなすがすがしさが感じられた。
高崎駅で降りた乗客は各方面に散っていく。信越本線、両毛線はすぐの接続で発車する。それから少しおいて上越線、僕の乗るべき吾妻線は忘れられたかのように25分ほど待たされる。
吾妻線に乗るとなるとこの列車しかないのでいつも高崎線の始発列車に乗る。今日もそうだ。サイクリングに出かける場所は違っても乗る列車は同じというのはよくあることだった。僕はこの吾妻線の列車に乗り、またさらに一時間半以上の鉄道旅を続ける。
何だか今までより混んでいる──。そう思った。この列車は上越線区間を走る渋川までは仕方ないにせよ、吾妻線に入って中之条を過ぎるころになるとがらがらだった記憶があった。しかし今日はすべてボックスに人がいた。みんな草津にでも遊びに行くのかと思ったがそうではなかった。長野原草津口を過ぎてもボックスは埋まったままだった。こんな吾妻線をはじめてみた。乗客は、群馬大津から先の区間にはじめて乗車した僕と一緒に、終点の万座・鹿沢口駅で降りた。
駅前ではUさんとT君が待っていた。
ふだんは一緒に輪行で出かけるUさんが今日は車でやってきた。車の横に見慣れたふたりの自転車が並んでいる。僕は輪行袋から出した自転車を組み上げながらUさんと今日のコースを確認した。ここを出たら一度東へ向かい国道146号で北軽井沢へ行く。北軽井沢の高原を抜けて嬬恋村に入ったら「南ルート」と呼ばれる嬬恋パノラマラインに入る。そのまま「北ルート」まで走り、嬬恋パノラマラインを全線楽しもうという計画だ。
(本日のルート/GPSログ)
気温は25度をすでに超えていて国道沿いの温度表示は27度を示していた。それよりもうんざりさせたのは湿度だった。まとわりつくような蒸し暑さは実際の疲れ以上にやる気をスポイルしていった。コースも1キロも走ればすぐに上り坂になりそれが長々と続いた。悪い道ではなかった。小農家が沿道に続き、風景は稲田からやがてキャベツやとうもろこしを中心にした野菜畑に変わった。続く上り坂のなか僕らは何度か路上で休憩をした。坂道に沿うようにU字溝の水路があり、そこを水は大きな音を立てながら流れ下っていた。
上り坂の途中、国道146号との交差点にコンビニがあり立ち寄ることにした。今日の嬬恋パノラマラインは食事をするところがない──事前に調べてきてくれたUさんが言った。それじゃあと僕はお昼ご飯に充てるためおにぎりをふたつ買い、背中ポケットに入れた。吾妻線のなかで持ってきたパンを食べたのでまだおなかも空いておらず、2個のおにぎりが多いのか少ないのかもわからなかった。
このコンビニから国道146号を南に進路を取り北軽井沢へ向かう。引き続き長い上りだった。急激な勾配でこそないけれど長くて時間がかかるものだから疲れがたまる。気温は上がっているようだしまとわりつく湿度は下がる気配がなかった。
だから北軽井沢の交差点が見えてきたときはほっとした。結局万座・鹿沢口の駅からずっと上り基調だった。
北軽井沢の交差点でUさんは左に行きましょうと言い、予定ルートの右折とは逆方向へ向かった。数百メートル先の小さな小道をまた左へ。そこにはかつての軽便鉄道、草軽電気鉄道の北軽井沢駅跡地があった。
こんなすぐのところにこんなものがあったのか──。僕は去年、二度上峠を走りに来たときにまさにここを通過している。峠からの長い下りを経てそのままの勢いで北軽井沢交差点を曲がり峰の茶屋へ向かった。事前情報も持ちえてなければ気づく要素もなかった。
北軽井沢の交差点にコンビニがあった。おそらくここが最後じゃないだろうかと話した。気づいてみたらおなかが減っていた僕はさっき買ったばかりのおにぎりを食べることにした。ふたつともおにぎりを食べコンビニに寄りまたふたつのおにぎりを買って背中のポケットに入れた。飲みものも買ってボトルのなかを入れ替えた。
「どこまで行くの?」
コンビニの駐車場で露天を出し桃を売っていたおばちゃんが僕に聞く。
「嬬恋に行こうと思っているんです」
「そりゃ大変だ、暑いよ」
「そうだそうだ、日をさえぎるものがないんだ」おばちゃんの横にいたおじさんが同調した。
「暑いんですか? 今日も暑いけどふだんからこんなに?」
僕が聞くとおばちゃんは顔をしかめるように、「そうだねぇ暑いね、ここのところはずっと」と言った。
北軽井沢の高原を行く。道はおおむね平坦になり森に囲まれた。日陰の中を進む道はずいぶん涼しくて「これぞ高原サイクリングですねぇ」と会話をした。
道は程なくして嬬恋村に入った。僕らは注意してパノラマラインの入口を探した。県道から左に折れる形でパノラマラインは存在した。曲がった先に続くアスファルトの造形はこの先の道の美しさを予感させた。
キャベツはいつ出てくるのかと待ち焦がれていたのだけれど、この道に入りしばらくいくと本当にキャベツばかりになった。青々とした葉が大きく広がろうとする畑と、すでに刈り取りが終わった畑とがあった。そうみるとちょうど最盛期のようだ。
パノラマラインは勾配を繰り返した。高原の標高はそれほど変わらない。だから道は上り勾配と下り勾配を組み合わせながら進んでいった。結局平坦な道はほぼなかった。標高1100mから1200m台をひたすら繰り返しながら走った。標高の高さはほとんど涼しさには貢献していなかった。蒸し暑さも相変わらず感じていた。平坦がほとんどない道も疲れを増長した。疲れて足をついて立ち止まったときにカラダを流れていく風がようやく涼しいと感じられた。
僕らは坂の途中で何度も立ち止まり、そのたびに青い空と広い台地、そこにところ狭しと並ぶキャベツを見て何度もシャッターを切り飲みものを飲みまた出発した。また止まる。それを繰り返しながら太陽の下を進んでいった。
途中見つけた自販機でボトルを補充しこの先のルートを確認する。確認するといっても一本道だ。ただ続く限り進むのだ。
このころからキャベツしかない風景に僕は若干うんざりし始めていたのかもしれない。本当にキャベツ以外は何もない。暑さにも参っていたのかもしれない。アスファルトからの照り返しも侮れない。
道はいつの間にか「北ルート」に入っていた。嬬恋パノラマラインは「南ルート」と「北ルート」とで構成されている。しかし道を走っているぶんにはときおり「南ルート」「北ルート」と現れる青看以外、その違いを感じさせなかった。道は一本道の道なりでまったく変わらなかったし、キャベツ畑しかないというのも変わらない。キャベツ畑のなかを行く道は平坦がなく上っているか下っているかということも変わらなかった。それでも道はどこまでも魅力的で僕の感性に響いた。カーブがあればカーブ、直線が続けばその直線を、僕はいちいちカメラに収めた。
愛妻の丘という見晴台に立ち寄ったあと、バラキ湖に立ち寄ることにした。キャベツと道路しかないなかで少し目新しくて静かそうなところでおにぎりを食べようと話した。距離にして数キロ先、バラキ湖は嬬恋パノラマラインからほんの少し離れる。
着いてみるとなるほど小さくて静かな湖だった。ボートで漕ぎ出すのかそれとも釣りでも楽しむのかいくつもの桟橋が湖に向かって張り出していた。場所柄カヌーのようなウォータースポーツを楽しめるようにもなっているかもしれない。しばらくのあいだ、ここでおにぎりを食べたりトイレに立ち寄ったり湖畔を眺めたりした。
いよいよ嬬恋パノラマラインも終盤だった。
終盤は上り下りというよりも長い上りに差しかかっていた。
上り続けることにも少しうんざりし始めたころ、通行止めを案内するふたりの係員に遭遇した。
この先、全日本ラリー選手権を実施していてすべての通行を規制しているとのことだった。まさにルートは嬬恋パノラマラインの北ルート上そのものだった。先に数百メートルほど行くと迂回できる道をみつけたのでそこまで行かせてもらえないかと交渉してみたがだめだった。彼らは規制のルールにしたがって一切の通行を制限することが与えられた任務だからちょっとの意見でルールを捻じ曲げてはいけない。彼らは百パーセントの仕事をしている。
仕方がないので僕らは来た道を一度引き返し、国道に出るルートを取ることにした。来た道を戻ることでここまでずいぶん上り続けてきたことを実感した。だらだらと上ってきたからきついばかりで進んでいる気がしない道だった。その道を今度は一気に下っていった。
国道に出たので、当初考えていなかった吾妻線の終着駅、大前を通ることになった。僕はふたりに大前駅に寄りたいとお願いした。ふたりは快諾してくれ、国道からほんの少しだけ入り込んだ大前駅にやってきた。
たいした駅ではなかった。片面ホームに一線だけの線路、終着駅の数十メートル先でレールは消え入るように切れていた。車止めがあるわけではない。申し訳程度にバツ印の小さな標識が立てられているだけだ。列車は一日に五本しかやってこない。半分以上の列車はひとつ手前の万座・鹿沢口駅で止まってしまう。──ひとつ、だ。しかもこのひと駅間を走る列車は半分以下だ。たったひと駅なのだから走らせてあげればいいのに、そうしないのはいろいろな事情があるのだろう。それは僕にはわからない。列車が来る以上生きている駅だけど、まるで死んでいる──それがふさわしくなければ「冬眠中」とでも言おう──駅は僕の目の前に不思議な光を放って映った。それは色合いを失ったモノクロ写真のようにも見えたし、逆に露出を間違えてハイキーになってしまった写真のようにも見えた。
待合室にあった駅ノートを読んだ。読んで僕も何か旅の思い出でも書こうかと思った。が、少し考えてやめた。これは鉄道でやってきたときに書くのがよさそうだ。
バイクでひとり、旅をしている男性がやってきた。僕がしたのと同じようにホームを端から端へ歩き、写真を撮り、駅ノートを眺めていた。バイクに戻ってきたときに少し会話をした。バイクは三河ナンバーがついていた。
ひとまわりのサイクリングを終えた僕らは万座・鹿沢口駅の駐車場にいた。UさんとT君は自転車をばらして車のなかに積んだ。僕はばらした自転車を輪行袋に詰めた。しばらくのち高崎からやってきたかぼちゃ色の電車に乗るため僕はふたりと別れた。万座・鹿沢口止まりの電車で大前には行かない。ここで折り返し高崎行きになる。僕は階段を上がり西日を受けたかぼちゃ色の115系のドアを手で開けた。