輪行準備の早朝5時半過ぎ。
自転車をパックする駅前は真っ暗だった。
今朝は武蔵野線から総武線と乗り継ぎ、千葉から外房線の普通列車に乗る。乗り換えのたびにからだが冷える。千葉駅に着くころには日も昇り明るくなったけれどまだまだ気温は低かった。外房線の列車から眺める外の風景は、霜に覆われて真っ白に染まった田畑だった。
今日は小径車のUさんとサイクリングに出かける。本当であれば一眼レフ持ちのMさんも一緒に冬の南房総を訪れるつもりでいたのに、直前にインフルエンザになってしまったとメールをもらった。残念だったけれど、いちばん残念なのは本人だろうし大変な日々なのだろう。年明けに新たな計画を必ずやと連絡し、正月休みの帰省にかかってしまってもいけないから早く良くなれるようゆっくり休んで欲しいことをお伝えした。
僕の乗った外房線普通列車は勝浦行きで、今日の出発地は安房鴨川である。終点の勝浦から先は通称「わかしお崩れ」と称される普通列車でゆく。その名のとおり東京から安房鴨川に向かう特急わかしおなのだが、勝浦から先、終点安房鴨川まで普通列車として運用される、そんな列車だ。
僕はその列車に勝浦から乗り込むが、Uさんは今朝、東京駅からこのわかしおに乗って向かっている。乗った車両を連絡してきてくれた。無事、特急で追いかけるように向かってくれていた。
ひと駅ごとに開く4枚の扉から冷たい外気が流れ込み、すっかり車内の冷えてしまった普通列車で僕は買ってきたパンを食べた。やはり温かい飲み物が欲しい。乗り継ぎの勝浦で買うことにする。
勝浦の駅でホットの飲み物を買った。ホームに自販機はひとつしかなく選択肢は多くなかった。缶を持ちながら手を温めていると、Uさんを乗せた特急わかしおがホームに入ってきた。
特急車両はデッキがあるおかげで車内温度が快適に保たれていた。冷えたからだが少しずつ温かみを取り戻していった。ホット飲料も手伝って、終点の安房鴨川に着くころにはからだの冷えも収まっていた。
勝浦駅に入ってきた特急わかしお(ここから普通運用)
今日は安房鴨川駅が起点
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行程の前半は外房の海を見ながら千倉へ向かう予定。できるだけ海沿いを走れるのならそのルートを選んだ。
千倉からは内陸に入り、僕が以前から走りたいと考えていた、千倉林道と畑林道に向かう。結果的にその道は野島崎へ出るので、房総最南端を味わいつつ館山へゴールする。そんなルートを考えてきた。
本日の走行ルート(GPSログ)
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国道は駅西側をバイパスしているので駅前は昔ながらの商店が連なる。
「夏は軒先にたくさんの浮き輪が下がるんでしょうね」
交通量もほとんどなく会話を楽しみながらのんびり出発した。夏の軒先の姿は想像ができたものの、そういえば房総にサイクリングに来るのは冬から春先にかけてばかりで、夏の街のいろどりを僕は知らないのだな、と思った。
海寄りの道をたどるあまり早速県道からも外れ、鴨川漁港に連れて行かれてしまった。
その道は間違えているのかもしれない。でもなぜか戻る気にさせない静かな入り江の道で、僕らはぐんぐんと先へ進んでいった。
案の定、鴨川漁港は方角すらも外れた行き止まりで、また戻ることを余儀なくされた。しかしそれに気づいたのも、「気持ちがいいですなぁ」と自転車を止め何枚もスナップを取っているときにたまたま見た地図によるものだった。なんにせよ早速の脱線──ただ、これが楽しくて仕方がない。
静寂の鴨川漁港
太平洋から入った入り江も穏やかできらきらと日差しがまぶしいほど
◆◆◆
小さな丘を駆け上がり、県道247号に復帰するとすぐに太海の駅。かつての国道だったこの道はどう考えても観光地の交通量をさばく事ができなかっただろう、鴨川の手前からこの太海の先まで現在の国道128号は大きく迂回している。僕らが今進むこの道を広げられるふうではない。
「仁右衛門島とやら、見に行ってみましょう」
太海の駅前を過ぎ、また海岸線の細い道に行ってみる。短いながら急な傾斜の坂を下り、海岸線を走った。「──何でも個人の所有物らしいですよ、島は」
しかしながら島自体よりも、僕はこの海岸線の街並みに強く関心を持ち、島のスナップもそこそこに海岸沿いをゆるゆると進んだ。
また小さな坂を上り県道247号に復帰、そこから少し行けば鴨川市内から大きく山側に迂回していた国道128号が現れて合流する。ここまでわずか数キロのあいだに度重なる停泊──足止めに値する数々の場所に、今日の行程はまったく進んでいなかった。楽しむこと優先が第一義なのは間違いないのだけれどさすがに計画が破綻するのも避けなくては。海岸線の国道をしばし快走する事にした(しかし実際には国道でも何度か足を止めた……)。
仁右衛門島
個人所有というならかなり大きい
島の対岸の街とそこをゆく道が魅力的
国道128号
海岸線をダイナミックに貫く道は快走する心地よさが存分に味わえる
ただ交通量の多い道なので早い時間がいい
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海岸線をゆく国道よりもさらに海側に、小さな、それでいて相当立派な斜張橋を見つけた。なんだろうと入ってみるとどうやら自転車道のようだ。『和田白浜館山自転車道』との表示が見られる。
「海岸線とはいえかなり立派な道ですね、行ってみましょうか」
道は波打ち際を進んだ。路面が粗いから国道のように快走するとはいかないけれど、海風と波の音を聞いて走るのは心地よかった。波はかなり高いようだ。それを楽しむサーファーが沖合いで波を待つためぷかぷかと浮かんでいる。
海岸線の自転車道は砂に埋まってしまい走れなくなることが大変、とUさんが言う。房総の南端、白浜から洲崎へ向かう自転車道でそういう目にあったのだそうだ。「でもここは砂がないからとても走りやすいですよ」
最後までそうであれば嬉しかったのだけどそこはさすがに海岸線、砂が吹き上げられて路面が埋まっているところも何箇所かあった。深い場所は舵取りがまったく効かない。何度も転びそうになりそのたびに緊張を強いられた。
タイヤからホイールまで埋まってしまう深い砂溜まりでリムを砂だらけにしてしまい、結果それがブレーキパットに噛んでしまった。ブレーキをかけるたびに異物を噛みこんだ強烈な異音を発する。──やれやれ。
自転車道は一度国道に戻され、ちょうどその近くにあった道の駅に休憩を兼ねて立ち寄った。僕は前輪後輪とも車輪を外し、リムについた砂を落とし、ブレーキパッドに噛んだ砂も払った。
そして休憩をしながら場内を回っていると、ここがヨーロッパの片田舎でも再現した、まるでテーマパークのような道の駅であることに驚いた。
時間は11時を過ぎていた。
昼食のことを考えよう、と思った。
僕に心当たりがある店は千倉と館山にある。今日の行程から考えれば、この先千倉から林道に入り海へ抜けた白浜・野島崎周辺が時間的に最適なのだろうけど、残念ながら心当たりがない。Uさんも観光客相手に軒を連ねる店しか知らないという。それでも構わないのだけれど、僕の心当たりの店のほうが興味があるという。千倉の店はおそらくすぐだ。数分の距離かもしれない。館山は逆に今日の行程の最後なのでこのままの進み具合でいくと1時半あるいは2時、2時半だってありうるかもしれない。
それほど空腹は感じていないのだけど、この先遅くなってもいけないし食べてしまいましょう、となった。僕はどれだけ食べられるかわからないけれど、そのほうがいいに違いないと思った。
実際、店には10分ほどで着いた。11時半。
オススメを聞くと今日は刺身がいいという。それを頼むと盛りだくさんな皿が目の前に並んだ。しかし自転車を降りこうやって腰を下ろして目の前に料理が並ぶと驚くほど箸が進むものだった。並べられた皿をどんどんと片付け、満腹になった僕らはしばらく動けずにいた。
自転車道のための立派な斜張橋
波打ち際を貫く自転車道はどこまで行けるだろう?
道の駅は小さなタウン
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食後はいよいよ、今日のもうひとつの主題、林道へ向かう。
入口はわかりにくい。千倉で海岸線の房総フラワーラインには入らず街なかの国道410号を進んだ。その途中、なんともわかりにくい商店と商店のあいだ、細い路地を入っていく。小学校の脇を抜け、そして田畑のなかをゆく道になった。やがて藪ばかりに囲まれるようになり、少し前まで海岸線で海風を浴びていたとはとうてい思えない場所へと入り込んでいった。
林道の入口の二又へ出た。分岐はわかりやすい。千葉で林道を示す黄柑色のひし形の標識が立っていた。──林道、千倉線。さあ、いよいよ進む。
狭い幅員、路面に積もった落葉を見てほとんど車の往来がないように感じた。殺風景な冬の木々のあいだ、取り残されたままの紅葉が一本二本ある。素掘りのトンネルが現れ、期待通りの道の展開に心が躍った。
やがて道は竹林に包まれる。千葉の林道へ出向くと竹林が多いのに驚く。そしてこの竹林を見て、ここしばらく車の往来がないことを実感した。竹が道に覆いかぶさるようになぎ倒されているのだ。そのまま通れば車にぶつかってしまう。
竹林のなかを進む狭い林道はどこか童話の世界に引きずり込まれてしまいそうな錯覚を感じた。現世であることを感じさせるのは道路の舗装だけだった。
千倉林道を終えると一度、真新しい高規格な道路へ出た。
安房グリーンラインという道路で、この道は九重と白浜野島崎を直線的に貫いている。白浜の丘陵部は安房白浜トンネルという長い大きなトンネルで一直線に抜けていく。
Uさんはかつて、これから向かおうとする畑林道を走ろうとひとりでやってきたらしい。しかし入口を入ることができず、この安房白浜トンネルを抜けて野島崎に抜けてしまったのだという。それじゃ逃してしまった畑林道、探しに行きましょう──交通量も少なく平らなアスファルトが黒く輝く安房グリーンラインをゆっくりと進んだ。
街なかの信号もない交差点で細い路地へ入る
下調べがないとさすがに無理……
林道の入口 千葉の林道を現す標識に心躍る
素掘りのトンネル 坑口の剥離崩落も起きているよう
トンネルを抜けていくと……
現代とは思えない異空間、童話やおとぎ話の世界のよう
千倉林道を終え、出た安房グリーンライン
◆◆◆
ふたりで力を合わせて、慎重に目を凝らしていればちゃんと入口は見つけられるものだ。畑林道の入口でUさんが思い出したように言う。
「ここまで来た、あの時は封鎖されていたんだ……」
畑林道はわかりにくい。その名はもともと「林道 畑2号線」というが、中央を貫く基幹線安房グリーンラインができて分断、現在は畑2号線と畑3号線に分断されているようだ。
畑3号線はそれを表す標識がそれまでの畑2号線の標識の前に立っていた。畑2号線の標識は撤去されることもなく残っている。そして今は南房総市になった町界に白浜町と書かれた標識も立てられたままだ。動く時間と止まった時間がまるで同居しているようだった。
畑林道はUさんがかつて訪れたときのように、入口で封鎖されているというのが正解だったかもしれない。
なぜなら道はとても往来があるとは想像できない──落葉と枯れ枝が容赦なく路面を埋め尽くし、場所によっては倒れた木の幹が道路の頭上をふさいでいた。
そんな道路だから車輪を滑らせながらペダルを回すか、あるいは自転車を降りて押すしかなかった。うっそうとした茂みに覆われ、やがて見たこともない素掘りのトンネルが現れた。
ふつう、素掘りのトンネルとはいえ、内壁にコンクリートを吹き付けた処理を施すものだ。しかしこのトンネルは吹き付けなど想定していないような、スコップとつるはしで掘られただけの、まるでほら穴だ。ほら穴と違うのは山向こうへ突き抜けていることだけだった。坑口に至る掘割から坑口そのもの、そしてトンネルの内壁に至るまで積みあがった歴史を示すように何層もの地層が重なっていた。しかもそれらは丘陵の隆起による複雑な模様を生み出していた。
あたりは不気味さすら感じさせるほどだった。このトンネルもまた先ほどの千倉林道のうっそうとした竹林のように、別世界に引きずり込んでしまいそうだった。戻れることのないほら穴のなかに強い力で吸い込まれそうだった。
そんな不気味な空間であるのに、僕らは立ち止まって自転車を置き、何度も何度も周囲を見回すことになった。異空間の神秘さに包まれて飽くまでただその場所を眺め尽くすしかなかった。そしてやっと、前に進もうという気持ちが起きる。時計は一度も見なかった。何時頃だったのかすら思い出せない。
地層が内壁に及ぶ吹き付けのないトンネルは、なかの剥離崩落もあるようだった。ライトの照らす先をよく見て、ごろごろと横たわった石や岩を避けながらゆっくり進む必要があった。そして反対側の坑口を抜けると、こちら側は日差しが強く降り注ぐのが感じられた。トンネルを抜け、海側の街へ出たのだと実感させた。
トンネルの反対側も同様、落葉と枯れ枝が路面を多い尽くしていた。トンネルまでとは違い今度は下り坂で、ブレーキをロックでもさせようものならガードレールのないがけ下へ転がり落ちるに違いなかった。だからあまりに滑りそうなところは降りるしかなかった。
少しずつ道はまともになっていった。舗装面が現れ、ふつうに自転車で下れるようになった。眼前に大きな海が現れた。太平洋だ。あまりのその広さに、これまで閉鎖的な道のなかを走ってきた目がなかなか慣れなかった。
野島崎は房総最南端の岬で、観光客であふれていた。季節はずれの冬でも暖かい房総半島は人がやってくるのだ。人里離れた異空間から戻った僕らは、千と千尋の神隠しの最後のシーンを実感するかのように、当たり前の世界に戻っていた。
海は青く空気は澄み遠くまで見通せた。灯台にはたくさんの観光客が登り、海の向こうにはうっすらと伊豆大島の姿がうかがえた。林道を走ってきた15キロ2時間が、まるで実感してきたこととは思えないような記憶のすき間を感じるようだった。
畑林道を表す標識
旧来の標識と新たな標識が混在している
往来があるとは想像できない路面状況
吹き付けのない素掘りのままのトンネル
隆起した地層がそのまま
トンネルを抜けて太平洋の大海原が現れる
野島崎灯台 多くの観光客が登っている
最南端から太平洋を望む
遠くにうっすら伊豆大島の全容が見える
◆◆◆
12月の昼は短い。
館山駅前のパン屋、中村屋で買い込んできたパンと珈琲を手に乗った15時過ぎの普通列車には、すでにまぶしいほどの西日が差し込んでいた。
ふだんであればあっという間に襲われる強い眠気とともに夢のなかに落ちていく時間も、しつくせないほどの会話で時間があっという間に過ぎる。どっぷりと日も落ちた2時間弱の長い乗車時間ののち、次のサイクリングのイメージを持ちながら、それぞれの帰路についた。