今回、金精道路へ行きたいという動機は紅葉とは関係がなかった。
ただ金精峠から見た奥日光湯ノ湖や男体山の風景が見たいという単純なものだった。
だから奥日光の紅葉情報も収集していなかったし、むしろ残暑がぶり返してきたようなここしばらくの暑さのせいで山の紅葉が始まるという意識の切り替えすらできていなかった。
天気予報は今日も同様に、28度だの29度だの、ところによっては30度にもなると関東の平野部の予報を出していたわけで、また今日も暑くなるのだろうと思っていた。
とはいえどちらかというと僕は寒いよりは暑いほうが歓迎である。だからこの三連休で明日以降気温が下がると言うのなら今日自転車に乗るほうが好都合だ。
僕がかつて金精道路を越えたのはもう5年も前のことだった。東武日光の駅からいろは坂を上り中禅寺湖、竜頭の滝、戦場ヶ原を経て湯元から金精道路へ向かった。きつい上りに何度も足を止め、やっと上りきったあとトンネルを抜けて群馬県側を下った。金精道路を越えることに精一杯で旅の様子はあまり記憶がない。坂がつらかったことがせいぜいだ。
しかし金精峠から見る栃木県側、湯元から戦場ヶ原とそびえ立つ男体山の光景がことのほか絶景であることを知る。
それを知ってからいても立ってもいられなくなった。
朝の上越線を岩本駅で降りた。
どうしても奥日光に行くというと日光からのアプローチを考えてしまう。でもそれだからいけないのだとあえて逆の発想、群馬県側から上り、金精トンネルを越えてそこで絶景を味わおうと考えた。
前回、松姫峠に案内してくれたUさんがご一緒してくださった。
トンネルに向かう上越線と岩本駅
このコース、最短でも90キロを超えてしまう。確かに日光から金精峠へ向かってピストンで日光に戻ってくれば距離を短くすることができる。でも単純往復のコース設定は面白くない。起点と終点を別に置くならどうしてもこの距離になる。
このルートにあたる国道120号は日本ロマンチック街道の一部になっている。となれば沼田から走り出すのが定石。沼田から日光まで走れば国道120号全線走破というオマケもついてくる。
が、あえてひとつ手前の岩本駅を起点にした。国道120号の道路混雑と途中にある椎坂峠を回避するためである。全体距離の長さから負担をできるだけ少なくしようと考えたのだ。
このルートを選択したおかげで薗原ダムに立ち寄ることができた。
僕はスキーをやっていたころ、この道をよく車で通っていた。そこにダムとダム湖があるのは地図から知っていたけれど、実際にダムを見て、立ち寄ったのは初めてだ。ダムの前に立つとその迫力に圧倒される。しばらく見入った。
薗原ダムの管理事務所に立ち寄るとダムカードをもらうことができた。ダムの広報活動の一環として訪れた人に対し無料で配布しているカードがあることをTV番組を見て知り、少し興味を持っていた。ダムの仕様や技術的な内容まで書かれており、僕にはわからない内容だけどここに来たという記録になるのは面白い。そういえば長男が昔集めていたトレーディングカードゲームのカード入れがあるかもしれない。ひとつもらうと妙な収集欲をかき立てるように思えた。他のダムでもなかなか行けない場所であればなおのこと立ち寄ってみたくなる。
ここ薗原ダムから現在の県道62号をたどるとかつての根利村、黒保根村といった場所を経由し大間々へ抜けられる。赤城山の東麓を抜ける道は古く根利道と呼ばれ、利根川水運とあわせて下総と交流もあったという。現在はずいぶんルートも付け替えられてはいるが、大間々から桐生に抜けられるルートも瞬時思い付くし東武線輪行にも使いやすそう、いつか来てみようと思った。道路の分岐を見るといつもこんなふうに考えが広がる。
国道120号に合流するとぐんと交通量が増えた。大型車も多い。怖くて走れないという道ではないけれど、ここまでの左右の景色をあちこち見ながらのんびりとというわけには行かなくなった。
吹割の滝に寄りましょう、と僕らは道端に自転車を止めて岩場の階段を下りた。
好天のもと迫力の薗原ダム
水煙上がる吹割の滝の渓谷
渓谷の岩場を歩く。自転車靴だと滑りそうなのであまり奥までは行かず切り立った岩肌と割れ落ちる滝を楽しんでもと来た道へ戻ることにした。戻る途中、今僕らが見た滝は吹割の滝ではなく鱒飛の滝という別の滝だと知った。残念がったが再び岩場の遊歩道を歩いていく気にもなれず自転車に戻った。
鎌田交差点、国道401号が分岐する。大きな斜張橋の尾瀬大橋が見えた。尾瀬に向かう車も別れ、多少交通量も減るだろうと思った。ここからとうもろこし街道が始まる。
とうもろこし街道とは、このあたりで採れるとうもろこしを焼き通行客に振舞う店が軒を連ねることから呼ばれる。夏のものなので時期は終わっているけれど、あちらこちらでしょうゆが炭にこげるにおいが立ち上っていた。
いよいよ標識に金精峠の文字が現れた。しかしまだ20キロ以上。ここまでもずいぶんな距離を大半上り坂で走ってきた。何度も止まりながら先へ進む。
サエラというスキー場が右手に見えた。リフト券が安いわりに充実した斜面が揃っていたから何度か来たことがあった。しかしバブル期に作られたスキー場はスキー客の減少にあわせるように、リフトを止め営業斜面を減らしていった。今見えている斜面はもう数年前に営業をやめてしまった斜面だった。もう10年20年すると木も生い茂り周囲の林との差も消え、自然に帰っていくのかもしれない。サエラは今年また山頂からの斜面の営業をやめるらしい。スキー場としては存続するようだけど、もうセンターハウス前の一本の緩斜面が残るのみになるのだろう。
集落もなくなり、緑のなかを淡々と上る道になった。
Uさんが「眠くなりますね」と言う。僕も同様だった。眠い。「本当ですね」と答えた。風景が単調すぎて朝も早かったからふたり揃って睡魔と闘うサイクリングになった。
とうもろこし街道 そしていよいよ金精峠の文字
眠気を払いながら休憩しながら
なかなか予定通りには行かないものだ。
ペースよく上れたならば金精トンネルの手前、菅沼近くにある菅沼茶屋で昼食にしようと思った。しかしそうはいかない。
考えてみればこのルート、90キロ超の距離のうち頂点となる金精トンネルは日光から約35キロの地点にある。とすれば逆の沼田からは60キロもの距離があることになる。沼田でも今日の出発地の岩本からでも距離はほとんど変わらないから60キロひたすら上り続ける必要があるということだ。そう簡単に金精トンネルまでたどり着けるものではないとわかった。
だから僕がそもそも空想していた菅沼茶屋でお昼などという距離感はまったく根拠もない。12時半を過ぎても変わり映えのしない景色のなかを相変わらず眠気を振り払いながら進む僕らとしては、丸沼高原の看板が出てきたときは、「もうここでお昼にしましょう」と言うのが精一杯で必然的結果だった。
冬はスキー場の食堂になるそこで、今日はじめてゆっくり腰を下ろした。
目の前の斜面ではグラススキーをやっているのか、頻繁に人が滑り降りてきていた。
やはり自転車、食事をすると違うものだ。眠気も去りいくぶんペダルも軽く漕ぎ出せた。
しかしここに来て天気がかんばしくない。朝、あれほど澄んだ青空が広がっていたというのにすっかり雲に覆われてしまった。ときおり細かな雨粒が落ちてきて当たる。そして驚くことに寒い。僕の体感がそう感じただけかと思ったがUさんも寒いと言う。Uさんはウィンドブレーカーを着込んだ。僕も相当寒いと思ったが、手持ちのウィンドブレーカー一枚しかないので、これを着たら最後もう上に羽織るものはない。それに汗をかいて冷やしてもいけないと思い、金精トンネルまでは我慢して行くことにした。
周囲の葉が色づいていた。そうだ紅葉の季節なんだと思う。そして色づく木々に混じって白樺や熊笹も現れ高原道路の風景になった。緩いカーブのつづら折で上って行く国道120号は美しい道路情景を描いた。条件の揃ったこれだけの道に、重苦しく立ち込めた鉛色の雲が恨めしく思った。朝の澄み切った青空のもとであれば目に鮮やかなコントラストでこの情景を切り取れたに違いなかった。
いよいよ金精トンネルが現れた。ここまでの長い長い上り道にやっと終止符だ。本当に長かった。
ここで一息入れたいところだけど、群馬側の坑口には何もないのでそのまま突入し一気に栃木県を目指した。
厚い雲に覆われて気温も一気に下がった
伸びやかな高原道路となった国道120号
天気が惜しい……
金精道路群馬側を制覇しトンネルへ
金精トンネルを抜けホッと一息。県境を越えて栃木県に入った。
せっかく抜けてきたのだから晴れ空のもと迎えて欲しかったけれど、群馬県側から追いかけてきた鉛色の雲が一帯の景色をグレーのフィルターにかけていた。
おまけにこの日都心が30度あったとは到底思えないほど寒く、Uさんと山頂で交わす会話ではお互いの息が白くなるのを確認できるほどだった。僕はここでウィンドブレーカーを着込んだ。
分厚い雲はまだここ金精峠までしか覆いかぶさっていないようだ。遠望できる湯元温泉、戦場ヶ原、そしてそびえる男体山は日差しを浴びて光っていた。
これは期待していた景色が拝めるかもしれない──。
金精道路、温泉街、湯ノ湖、そして戦場ヶ原と男体山を望む景色はここではなく、坂の途中にある……そう刷り込んでいたので、Uさんにそれを告げいそいそと出発する。
おそらく、途中突然止まります──僕はそう言いほぼ自分勝手なペースで走っては止まり、走っては止まりを繰り返した。Uさんにはさぞご迷惑をおかけしたことだと思う。
そんなゴー&ストップを何度となく繰り返し、湯ノ湖畔まで降りてきた。上りはさんざん時間がかかったのに、下りは何度となく写真を撮るために立ち止まってもあっという間だ。
ただ撮ってきた写真は鉛色の雲がかかった金精道路と日の当たる男体山とが同じ露出ではきれいに写らない。それにあまりの寒さで震え、手ブレすら押さえ切れていない。写真の腕に覚えがあるわけじゃないから自分でも期待などしていないけれど、それでもこの目で見た広大な風景の広がりを記録として残すことができないのは残念だった。ただ記憶には残すことができた。念願の風景を見ることができた。それはもう満足だった。
栃木県に突入
それにしても天気が悪い、寒い
この風景を見るために計画を温めやってきた
金精道路、湯ノ湖、男体山
湯元から先、ぐんと車の交通量が増えた。さすが紅葉シーズンの日光だ。
そんななか、下り基調の道を楽に進む。しかも追い風のオマケつきだ。
紅葉は目で見る限りどうやら戦場ヶ原から竜頭の滝にかけてが最盛期のようだった。金精峠はいささか遅かったかもしれない。
竜頭の滝はもう日も落ちようかという時間にもかかわらず、まだまだ駐車場へ入ろうとする車でごった返していた。僕らも自転車を止め滝を見に行くが、紅葉のなかの滝を眺めるというよりは、人と人とのあいだで瞬時にカメラのシャッターを切り、終わればその場からすぐに退く、という一種の流れ作業のなかで滝を見た。
中禅寺湖畔はこれから紅葉の盛りが来るに違いない。日がおおかた落ちかけた湖は静かに夜の準備を始めていた。ボートはすでに岸に括り付けられ、湖岸を散歩する人ももういなかった。西の空には僕らを群馬から追いかけ続けてきた鉛色の雲が見えた。太陽は雲にすでに隠れてしまった。このまま沈んでしまうだろう。
いろは坂を下り日光市内、東照宮を左手に見つつ大渋滞の神橋交差点を右に折れると長かったこの旅ももう終わりだ。
僕は日光市内をこの時間に走るのははじめてなのかもしれない。記憶にない風景だ。
車で走った機会を含めて思い出しても、夜のとばりが下り始めた目抜き通りの覚えがない。
日中の、賑やかで典型的な観光地の駅前通りという期待をはずさない、わかりやすい雰囲気とは打って変わっていた。
そうだ、僕は日光で宿泊する機会がないからだ──。
埼玉の越谷であれば多少遅くたって日光くらいであれば家まで帰れてしまうのだ。だからこの地に身を落ち着け、ゆっくり夜まで楽しんだことがないことに気づいた。
昼光色の白い光ではなく、電球色のようなオレンジがかった光を放つ街灯は、通りに明るさを与えるというよりはただそこに明かりが灯っている、そんな程度だ。それが微妙な明るさ(=いい具合の暗さ)を生み出していて、なんとも言えないあでやかさ、なまめかしさ(それは場末の温泉街のようなけばけばしさでは決してなく、いい意味での色っぽさ)を与えていた。この明かりのもとおみやげ屋などを冷やかしながらそぞろ歩くのは、きっと楽しいに違いないと思った。
駅に着くとまず東武の特急の座席指定を押さえた。
ねらっていた臨時特急は無事に席も確保でき、最後部壁側という座席のリクエストも受け入れられた。直前のスペーシアがもう満席という状況でも臨時の特急は空いている。
あとは安心して輪行パッキングを済ませ、時間まで駅前の喫茶店で珈琲を飲んだ。そして僕らは一日を何度も振り返るように尽きることなく話し続けた。
今回もまたお付き合いいただきましたUさん、特に今回僕の「ここからの景色が見たい」というだけで立てた計画、少し乱暴な感がありました。ちょっと申し訳なかったかもです。そして本当にありがとうございました。また今回も写真やGPSログをいただきました。またお付き合いください。