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    • 2017.12.04 Monday
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    日光街道・壬生道

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       ずっと週末の週間天気予報が悪くて輪行の計画を立てられずにいた。そのうち半ばあきらめたように天気予報を追いかけることもせず、計画も結局立てずに週末を迎えてしまった。
       そんなわけで少しだけ朝寝坊した今朝、思いもよらない空の明るさに慌てて朝食のトーストを焼きながら一日の天気を確認する事態になった。
       どうやら雨マークのついていた予報は前日の雨が朝方まで残るということだったらしく、上がってしまえば今日は曇りの天気らしかった。もちろんここのところの定番、夕立には気をつける必要があるのだけど。

       急に興味を呼び起こすような計画など立つはずもなく、だらだらと悩んでいるうちに11時を回ってしまった。とりあえず輪行袋だけは持ち、家を出発した。

       壬生道を走ってみようと思った。
       何度かは走ったことがある。日光街道の小山で分かれ壬生を通り鹿沼へ抜ける。鹿沼では日光例幣使街道と合流し一緒に今市へと向かう道だ。
       これまで走ったときは鹿沼や日光や鬼怒川など、どこかへ向かおうとするときの経由道路、中継道路の意識しかなかった。今日はせっかくだからこの道に注目して走ってみようと思った。

       壬生道に向かうならアプローチは自然と日光街道になるし、それならばできる限り江戸時代の旧街道の街並みを通ってみようと考えた。
       杉戸や幸手はかつての宿場町。そのころを想像させる古くからの建物が残っている。北へ向かうサイクリングに出かけたときよく通る場所でもあるので目新しさこそないけれど、やっぱり旧街道の街並みを通れば気分も盛り上がる。


      「左日光道 右つくば道」の石道標
      幸手・外国府間にある筑波道との追分
      ここから筑波道が果たしてどのようなルートをたどっていくのかは残念ながら知らない


       栗橋で利根川を越えた。
       僕は国道4号利根川橋でこの大河を渡ったが、江戸の昔は橋がなかった。関所が設けられ舟による渡しが行われていたという。
       栗橋の対岸が中田。中田から古河に抜けるルートは今の国道4号ではなく県道228号。東北線宇都宮までのあいだで唯一速度制限のあるカーブを踏切で渡る道も久しぶりだった。
       県道が261号に変わり、古河の中心街に入ると「古河宿」をウリにしているようであちこちでその文字を見かけた。そういえば古河には常夜灯を兼ねた道標があったっけ。場所が定かじゃないけれど探してみよう。
       ──結局見つからなかった。準備もなかったから地図もナビも、そして街道に関する一切の情報も持ってきていないのだ。10年寝かせたような記憶だけじゃたどり着けるはずもない。

       古河から野木へ向かう途中、道は国道4号に合流した。もう時刻も13時を回っていた。何か食べようか。ここから小山までのあいだはこの国道4号を走るから何か見つかるかもしれない。
       それよりも何だかずいぶん疲れた。暑さのせい?──そうは言っても気温は猛暑日のように高くはないはず。とすると湿度の高さか。いずれにせよここのところ輪行サイクリングで山や高原のような場所にばかり行っていたからきっといつも涼しかったのだ。関東平野のど真ん中、気温と湿度が常軌を逸した場所でのサイクリングはこれだけきっと疲れるのだ。
       そんなわけで食事を探すより先に自販機に倒れこむように立ち寄った。

       しばらくののち、牛丼のすき家を見つけたので昼食と決めた。ひとりで食事に考えがないときはできるだけ手軽で安いほうがいい。貧乏性なのだ。
       小山市内が近づくと国道4号と離れ、JR東北線に並行するような形で進む県道265号に入った。ここも古河と同じように電柱が地中に埋められてすっきりとした景観を作っていた。
       JR両毛線の線路を踏切で越えるとほどなくして喜沢の追分に出られる。いよいよ今日のメイン、壬生道の開始地点だ。


      喜沢の追分
      左が壬生道、直進が日光街道


       壬生道は今の県道18号と国道352号で構成されている。道はこの辺りの動脈路なのか大型車を含め交通量が多かった。
       ときおりかつての街道並木だったのだろうなと思わせる木々が沿道に見られた。この風景はとてもいい。日光杉並木のようにしっかりすべて残している景観も見ごたえがあるけれど、街が現代に発展していくにともなってなくなっていくもの、そのなかでたまたま残ったもの、そんな沿道の街道並木が現れるとそれだけがけなげに残っているのだとかえって過去に思いを馳せることができるような気がした。

       加えて一里塚がしっかり残っているのも壬生道の特長だった。これだけ残っているのは五街道や首都圏に近い脇街道のように周辺がすっかり宅地や商業・工業の開発が進んでしまったところと違い、まだまだ周りに自然が残っていることが大きいのかもしれない。




      沿道の街道並木の名残


      しっかりと街道並木が残っている区間もあった
      距離は短いけれどまるで日光杉並木のような景観


      壬生の一里塚
      ここ以外にもいくつか一里塚が姿をとどめているのを目にした


       暑さもあって傍らの自販機に自転車を止めた。のどが渇いたのでアイスコーヒーを買い、道端で座って飲みながら行きかう多くの車を眺めた。かつては多くの人が行き来をしていたのだろうか。日光に向かうには、宇都宮を経由する日光街道よりもこの壬生道を回るほうが短絡路だったらしい。
       また走っていくうち、やがて左手に前日光の山々が目に入るようになった。


      壬生道かたわらでコーヒー休憩


       楡木の追分までやってきた。
       左からやってくる日光例幣使街道と合流した。現代でいえば国道293号だ。
       ここから先、多くの地図では引き続き日光例幣使街道と記されている。
       しかしながら壬生道も実は今市までつながっている道であり、現在でいう国道の二重戸籍のようなものかもしれない。


      楡木の追分
      ここで日光例幣使街道と合流


       どうも後半、国道352号を走るころから風の向きが変わったのと湿度も変わってきたような気がした。こりゃ降るかもしれないな──そう思った。
       帰りの輪行前に濡れるのも嫌だし最寄りの楡木駅で上がりにし今日のサイクリングを終えることにした。

       楡木から先、道端に屋台がたくさん出ていた。
       今日はこのあたりではお祭りのようだ。山車が出て街中を練り歩くのだろう。楡木の駅前に向かう途中でも立派な屋台を見かけた。
       あ〜お祭り、見たかったな……。

       東武日光線の楡木駅は無人駅だった。自転車をパックして誰もいない改札口でパスモをタッチした。ホームへ向かう跨線橋を渡っていると、そこへちょうど普通列車が入ってきた。


      壬生道(例幣使街道)は屋台の準備


      立派な山車が準備中


      楡木の駅から輪行


       結果、夕立は来なかったようだ。僕の読み違い。そして家に戻るまでのあいだも雨は降らなかった。ちょっとだけ名残惜しいサイクリングだった。──ま、こういう日もあるね。

      東海道線により早く乗るには

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         18きっぷシーズンもいよいよ終盤に差し掛かった。
         今の手持ちは残があと1。順調な消化、しかも今回使用率は輪行が100%。やっぱり安いし、場所やエリアを気にしなくていいのがいいよね。
         そんななかで今回の朝の利用ルートを振り返ってみると、高崎線×3回、中央線×1回だった。
         いつもそうではあるのだけど、この方面に偏ることが多い。これに東北線が加わる程度。

         それは僕が埼玉県に住んでいるから。大宮に出ることで高崎線や東北線の下り始発に乗ることができる。さらに武蔵野線が早い時間から走っているので、中央線の朝早い電車に乗り継ぐことができる。結果的にそれをそのまま表したような利用実績だ。

         対して、少ないのが東海道線方面。
         僕の今までの経験じゃ最速乗り継ぎで、東武の始発→日比谷線→山手線でいずれもぎりぎり乗り継ぎが成功した場合に限り東京駅6時07分の沼津行きに乗れていた。同じ東武の始発でも乗り継ぎ次第ではその列車を逃すこともあった。
         にしたってこの列車で乗り継いで熱海ですでに8時。伊東まで行くと9時前、静岡まで行ったら9時20分だ。
         もちろん、それだけの距離があるのだから仕方がないのだけれど、9時に越後湯沢や上諏訪にいられることを考えると微妙な感じ……。

         遊び半分でより早い東海道線に乗れる方法がないか調べてみた。
         もちろん、東京駅まで走っていけば40分早い電車には乗れるし、品川まで行けばさらに早い始発がある。でもそれはさすがに非現実的。時間に関係なくたくさんの信号にも悩まされる都心を走るのは根っから好きじゃない。
         だからそれは除いて。

         南浦和か大宮まで自走することで、京浜東北線の始発に乗ることができて、東京駅5時20分の東海道線に乗れることがわかった。
         ──南浦和か大宮かぁ。
         いずれも僕の家から20km弱。1時間か少しかかる距離だ。
         しかも京浜東北線の始発は4時半から走る。つまり逆算して3時半、いやいや輪行パッキングする時間を加算して事実上3時出発!?

         東京駅5時20分の東海道線はかなりの魅力だけど、朝(──夜中じゃないか!)の3時から20km弱の距離を走るってのはどうなんだろう。……僕にはつらすぎるなぁ。

        スーパーあずさでワープ

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           松本駅に着いたのが14時20分。
           この日のサイクリングは予想以上に疲れがたまりヘロヘロになっていたからこれ以上早く着くことは無理だっただろう。まあまあ善戦。
           おなかがすいていた。もう松本の駅に着くからと、確かあったと記憶していた駅そばにターゲットを置いていた。
           急いで自転車を輪行袋にしまうこと4分、そのまま18きっぷを手で持ち改札に突入した。

           ──あれ? 数年前に乗り鉄しに来た時と何だか駅の構造が変わっているぞ……。
           おいおい、そば屋はどこだよ。

           乗ろうと考えていた普通列車は14時40分台だと記憶していた。あまり時間がない。
           真新しい跨線橋の窓から各ホームを覗いた。ひとつずつ見ていくとどうやらいちばん端のホームにありそうなのを見つけた。
           少しほっとして、各方面に向かう列車の案内板を目をやった。

           中央東線 小淵沢 15:55

           ──ん? あれっ!? 何でだ……14時40何分かの列車はどうした??
           僕はあわてた。──運休??まさかそんなはずはないし。急いでケータイで時刻を調べてみた。
           14時26分。

           完全な記憶違い。どうして40分台だろうと思ったのだろう。もう行ってしまったのだ……。
           どうしようか、これから1時間以上も延々待つのか。──落ち着こう。
           まずはそばを食べた。そばを食べながら考える。
           このあとすぐにある列車はスーパーあずさが14時49分発だ。しかし僕の手持ちは青春18きっぷなので特急に乗るのは損失が大きい。実際には18きっぷで充分得をしているのに、こういった別費用が発生するとものすごく損をした気になってしまう。──根がひどい貧乏性なのだ。
           それに乗らないのなら結局ここで15時55分の小淵沢行きまで待っていなくちゃいけない。すごい待ち時間だし、家に帰り着くのもずいぶん遅くなる。
           時間は時間でこれもまた損した気分にさせられる。

           そうだ、すでに出てしまった普通列車に追い付く場所まで特急で追いかけるか!

           そばを食べ終え、そのまま発車ベルの鳴るスーパーあずさに飛び乗った。何かに追い立てられながらする食事はそばに限らずおいしく感じられない。
           スーパーあずさはずいぶん混んでいた。車内放送によると指定席は満席だそうだ。自由席ももういっぱいだ。
           僕は途中までの乗車しか考えていなかったからデッキで立ちっ放しでいることにした。
           18きっぷで乗り鉄をしながら、どうしても時間が埋められないとき、間を特急や新幹線で埋めることによってその日のプランが大きく広がることがある。この特急や新幹線の区間利用を「ワープ」などと呼ぶ。
           僕はスーパーあずさが先行の普通列車に追い付く場所をケータイで探した。茅野だとわかった。──茅野までワープ。
           僕は車掌に茅野まで精算してもらい、そのままデッキで過ごした。わずか30分なのだがどうも気分が良くない。今回だけじゃない。僕は振子車両が苦手なようで、いわゆる乗り物酔いなのだろうと思った。

           茅野駅でスーパーあずさを下車。
           もともと乗ろうと思っていた普通列車に乗り継いだ。
           ──ってか考えてみたらこの列車の松本の発車時刻って、僕が改札に入った1分後だよなぁ。
           先入観による記憶違いが痛すぎる……。

          北国街道・東山道・保福寺峠 (2013-08-17)

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             軽井沢駅前の交差点に差し掛かると急に人の数が倍増したように見えた。
             考えてみたらお盆休み終盤の土曜日、この老舗の避暑地に人が多いのは当たり前だ。
             それにしてもまだ朝の9時前。ずいぶん早い時間から人が動き始めてるなと思った。お泊りで楽しんでいる人もいるのだろうけど、走っている車の量はそれほどまだ多くない。そうか新幹線なのだ。朝の7時半、東京で新幹線に乗ってしまえばこの時間には軽井沢にいられるのだ。
             レンタサイクルを借り出した観光客は僕の前を横切って旧軽へと向かっていった。僕は国道18号をそのまま直進する。

             今日のキーワードは海野宿、別所温泉、保福寺峠。
             保福寺峠に行ってみようと思いコースを引いていて、立ち寄れるじゃないかと混ぜ込んでみた。
             軽井沢から佐久に向かう坂を下り始めると浅間山が見えてきた。山の上のほうには薄雲がかかって見えた。──そうだよなぁ「特急あさま」はこの山があって「あさま」なんだよなぁ。そんなことを思う。新幹線になった今もひらがな表記の「あさま」が浅間山と頭のなかでうまく結びつかないのは昔からだった。


            浅間山を見ながら走る


            アルバムを探してみたら写真があったのでせっかくだから
            浅間山を描いたヘッドマークのL特急「あさま」


             今日はナビを持ってきていたのに、前日用意したルートのファイルがエラーで読み込めないというがっかりな事態に泣かされることになった。ルートラボからgpxファイルに保存するときに慌てたか、カードにファイルを入れるときにしくじったか、いずれにしても読み込めないものは読み込めない。かたくなにガラを使っている僕は出先からルートラボにアクセスすることもできず、せっかく楽しもうと思っていたコースを確認することができなくなっていた。
             たとえば今回、小諸の街中を楽しんで走ろうと思っていたにもかかわらず、結局国道18号のバイパスで通過してしまった。だいたいのルートは頭に入っているけれど細かいところはわからない。結果、幾度か期待のコースを走れなくなることになった。

             海野宿は江戸時代の街道整備によって作られた北国街道の宿場町のひとつで、街道筋の街並みが今も残されている場所。僕のなかではそれほど知名度も高くないから、大内宿や妻籠・馬籠のように人でごった返すこともないだろうと通り抜けてみることにした。去年立ち寄った奈良井宿も人がそれほど多くなくて楽しめた印象が残っていたからだ。
             入口はすぐにわかり、迷うことなくたどり着いた。まだ10時前で時間も早いせいか人もあまりいない。旧街道をのんびりと走り抜けることにした。


            うだつと柳と堀の街並み
            北国街道・海野宿


             ほとんどの店がまだやっていなかった。活気がないようにも感じるけれどその分街並みを楽しむことができた。人があまり歩いていないからか車の往来は多かった。店が始まり人がたくさん歩き始めるころになるとまた違う顔を見せるかもしれない。

             海野宿を過ぎてからは北国街道を離れ別所温泉に向かうことにしていた。
             現在の道でいうと国道18号から分かれ、県道を抜けて上田の西へと向かう。
             平野部をショートカットして上田は通らずに別所温泉へと直接向かうことにしていた。確か突き当たりで何度か曲がる程度で、それほど複雑なルートではなかった記憶がある。
             しかしここでもナビにルートが読み込めなかったことによる遠回りであまり面白くないルート取る結果になった。
             僕の経由していた道には何度か「別所温泉」と書かれた案内標識が現れた。細かいルートも良くわからなかったのと微妙に入り組んだ曲がり角の多い箇所もあったのでその案内に従って進んでいた。それは結果的に大きく回り道をさせられ、交通量の多い主要道を経由させられた。おそらく車でやってくる観光客に向けて、多少遠回りでも車でわかりやすく走りやすいルートを案内しているのだろう。でなければ合点がいかない。

             そんなことに気づいて何とか交通量の多い主要道を外れ、うまくショートカットできる道はないかと探りながら走った。上田電鉄の線路沿いの小道を選んだりしたが、上田電鉄自体が南に北にとくねくね曲がることもあり、結局余計に多くの回り道をしてしまい、別所温泉に着くころにはすっかり疲れてしまっていた。気温のせいなのか湿度のせいなのかのども渇き、動くのも次第に億劫になってしまった。
             別所温泉の駅舎のなかは空調が効いていたから、自転車を置いて飲み物を買い、少し休むことにした。


            塩田平をゆく上田電鉄別所線


            終点、別所温泉駅
            今にも蝉の声が聞こえてきそう


             別所温泉を過ぎると、待っていたのは急坂だった。
             温泉街のなかから既にきつい坂が始まっていた。北向観音の脇を抜け野倉という地を経て豆石峠という地図に名のない県道177号と県道12号の交点へと向かうのだけど、その道すがらが延々と急坂だった。これだけ急な坂道を上っているのだから、別所温泉の町が眼下に広がるだろうと振り返ってはみたものの、見渡すことができなかった。八角三重塔で有名な安楽寺と思われる場所が深い緑の森のなかにちらりと見て取れただけだった。
             県道177号の急坂を登り続けていると、野倉の道祖神の案内看板が何度か現れた。
             信州は男女のふたり組が彫られた、いわゆる夫婦道祖神が多いことで知られているけれど、ここ野倉の道祖神はその夫婦が衣冠束帯や十二単を着ているらしく、ちょっとの寄り道であれば見て行こうかと思っていた。しかしこれだけ案内看板があると「思いのほか観光化しているかも」などとかんぐってしまう。
             道祖神は県道を外れてせいぜい200m程度らしかった。それならばと立ち寄ってみた。狭い、人の家へ向かってしまいそうな路地の脇にポツリと立っている道祖神はなるほど愛らしかった。県道とはいえ狭く道も荒れた急勾配のせいか、車が大勢集まっているということはなかった。ただそれでもときおり人が見に来るようだった。僕が見終えて県道に戻ってくると派手なウィングの付いたスバルインプレッサから僕世代の夫婦とその親世代と思わせる老夫婦が降りてきた。一眼レフを持ったドライバーが「こんにちは」と僕に言った。僕も「こんにちは」と言った。


            野倉の夫婦道祖神


            ファンなら垂涎のなつかしの白看
            道祖神の入口にて


             さらに県道177号は山深い緑のなかを進む。ときおり上田方向の盆地がちらりちらりと見えるが、遠くまで見通せるかどうかまでは止まってみたわけではないのでわからなかった。坂は相変わらずの急勾配で、とはいえ木立の中でどのくらいの斜度で上っているのかもわからず、自分のポテンシャルが足りないのか、はたまた急坂が本当にものすごい急斜度なのかはわからなかった。別所温泉に着くまでにすでに今日の体力を使い果たしてしまっていた僕には、いずれにしたってつらい登坂だった。


            県道とはいえすれ違いも困難な登坂路


            振り向いてみると10%とか…
            それはきついって


             やっとのことで豆石峠に出た。ここから保福寺峠に向かうなら、ロードバイクなら一度青木村に下る必要がある。県道12号を下り、県道181号に入るルートだ。
             しかし僕は逆方向の鹿教湯温泉に向かって進んだ。そこから県道181号に出られる保福寺林道があるのだ。
             保福寺林道は全線が未舗装の林道でおよそ3km程度あるらしい。ロードのタイヤでダートを走行するのは困難だけど、よく僕はそれを無視してダートへと突入する。今回のルートは3km程度だし、今の僕の残り体力で青木村へ下って再び上り返すのは困難だ。下らずに済む林道経由は魅力でもあった。
             ちょうど林道の入口で、後ろのキャリアにロールマットをつけたMTBの青年とすれ違った。保福寺林道から来たようで話を聞いてみた。彼は美ヶ原のほうから来て今ここに着いたという。このあとは青木村に下って、白馬のほうに抜けるらしい。MTBに付けた大荷物を見てさすがの体力だと感心した。
             彼の話では林道は平らではなく、上りと下りがミックスされた道であるようだ。僕がルートナビで引いたとき、てっきり平坦路だったと思っていた。ただそれほど標高差はなかった記憶がある。大丈夫だろう。
             そんな話をしているうちに青年がふと気づいて僕に言う。
             「ここ、行くんですか? そのタイヤで」
             ──まあふつうそう思うよなぁ……、
             「行きますよぉ。いつものことです(苦笑)」と僕は返した。彼は一瞬戸惑った表情を見せたけれど、すぐに笑顔で、
             「走りやすいですから大丈夫ですよ。いい道ですから楽しんでください」
             と言った。僕は「ありがとう」と手を挙げ、彼と別れた。

             さて保福寺林道に入った僕はわずか百メートルか二百メートルか、その程度走ったところで立ち止まることになった。
             林道の勾配は厳しいうえ、砂利の粒も大きく滑って相当走りにくいのだ。僕は早々に体力を使い果たしてしまった。
             あの青年が言っていた「走りやすいから」はどういうことだったのだろう。路盤が締まっているから──? 確かに路盤は硬めに締まっていた。ただそのうえを覆う砂利が大きく、また浮いているのでロードの細いスリック状のタイヤでは滑ってしまうのだ。
             やれやれ、まいったなぁ。


            さすがにロードには向かない路面状況
            保福寺林道


             それでも戻って青木村まで県道を下るのは嫌だし、進むしかないなと思った。僕のタイヤはパンクすることはまずないから──実際、今のタイヤで空気圧をしっかり入れていればパンクをしたことはダートでも悪路でもいまだかつてない──、いかにグリップさせるかだけを考えようと思った。万が一パンクしてしまったら、林道出口まで歩きかな。この場でチューブ交換したくないし。
             しかし僕がルートナビで見た「標高差のあまりない二点間を結ぶ林道」というのは全く外れのようだ。上り続ける坂道を右に左に、砂利の少ないところ、雨で路面がぬかるんでいないところを選んで走らなくちゃならなかった。
             ──さすがにロードで入ってくる林道じゃないな、そう思った。ここをMTBのブロックタイヤで走るとどれだけ走りやすいんだろう、自転車はこのロード一台しか持っていない僕はその違いに少しだけ興味を持った。

             ようやく保福寺林道の県道181号側の交点にたどり着いた。
             自転車を降り、その場で休憩。──いやぁ少々無茶だった。
             パンクはない。リムも振れていないし変速不良もない。大丈夫、大丈夫。ただ何か所もあったぬかるみのせいで自転車は激しく汚れた。まあの道だからそれも仕方ないね。僕は自転車が汚れることをあまり気にしない。


            保福寺林道と県道181号の交点にて
            ロードにはつらい林道だった


             あとは一本道、保福寺峠へと向かった。
             峠まで均一アングル、幾度かのつづら折りを経て上って行った。周囲は植林されたスギ林で背も高く、眺望は全く効かなかった。
             あまりにも変化のない淡々と続く坂道に気も疲れ、一度立ち止まってドリンクを飲んだ。やっぱり今日は暑いみたい、ボトルのキャップを開け最後の一滴まで飲んでしまった。道端には東山道、峠の茶屋跡の碑が立っていた。
             東山道とは江戸時代の街道とは時代の異なる古代飛鳥〜平安時代の道だったとの記憶、かたや峠において茶屋という文化は江戸時代を中心とした文化だったと認識、僕の頭のなかがいけないのだろうけどうまくつながらなかった。


            峠の茶屋跡で僕のボトルは空になった


             峠の茶屋からほどなくして保福寺峠に着いた。
             その場所自体は広場のようになっているだけで特になにがあるわけではなかった。トレッキングコースの案内があったから、山歩きをする際の駐車場にでもなっているのだろう。
             ウェストンという人がここから北アルプスを眺め絶賛し、ヨーロッパに戻って日本アルプスを広めたとして、日本アルプス絶賛の地という石碑があるようだけど、そこまでのちょっとした階段を上る気もあまり起きず、そのまま下ることにした。


            保福寺峠


             下りはしばらくつづら折りで急な坂道を下りた。やがて少しずつ扇状地のように景色が広がり、家が現れ始めた。川と田が整備された風景になりのどかな雰囲気になった。やがて峠の名前のもとになった保福寺が見えた。立派な山門を構え、その先に進む興味を強く覚えたけれど、のどの渇きと空のボトルで足が向かなかった。興味より先に何か飲まなくてはという状況だった。
             広がり始めた風景の雰囲気は旧四賀村のものだった。今は松本市に合併された場所だけど懐かしい風景が続いていた。
             僕はシャッターの下りた商店の前にある自販機で飲み物を買った。商店もまたいい雰囲気だった。

             ここまで来たらあとは松本駅まで走るだけだ。今日の目的はひと通り走った。四賀村で合流した国道143号に乗っかっていけば松本駅に出られる。潤ったのどで最後松本まで行こうと自転車に乗った。
             ここからは下りなのだろうと勝手に思い込んでいたのだけど、二度ほど上りがあった。ひとつは刈谷原トンネルまでの上りで、もうひとつは国道254号松本トンネルのうえを行く六助池までの上りだった。さすがに正直疲労もたまっていたし、今日一日いつになくのどが渇いて飲み過ぎたせいか胃の調子もあまりよろしくない。そんなわけでもう上りはうんざりだったけれど、途中輪行で逃げる手立ても思い浮かばず、松本まで走り続けた。
             六助池から下り始めると松本の街が眼下に広がって安堵した。国道143号は次第に大きな町に吸い込まれるように下って行った。やがて市役所や松本城を目にした。人も多く、松本はずいぶん大きな街だなと実感した。反面信号と一方通行の多い街は、道を知らない自転車にとっては走りにくかった。
             松本駅に到着。後半長かったなぁなどと思いながら汗をぬぐった。のどが渇いているのだけどもう飲みたくない。確か松本駅には駅そばがあったはず。そばを食べよう、そう思って最近の地方都市駅に多いきれい過ぎる駅前であわただしく自転車をパックし、人でごった返す改札口へと向かった。


            四賀村のよろずや


            やっと見えてきた松本の街


            さすがの人出、国宝松本城


            ゴール松本駅 ここから輪行


            本日のコース (GPSログ)


            樹海ライン

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               六十里越のサイクリングを計画し、走ったときにずっと気にしていたコースがある。
               国道352号、通称樹海ラインだ。
               この国道番号、僕にとっては日光例幣使街道の印象が強い。実はこんなところまで行っているのだ。樹海ラインは尾瀬の沼山峠への入口にもなる道だ。

               先日の六十里越のときの出発点は上越線の小出駅。同じ小出から南に向かうルートになる。そして南会津へ抜ける。
               正直、計画段階でどちらのルートを取ろうか悩んだところだった。
               ただ、
                ・往復に18きっぷを使う
                ・小出から樹海ライン経由で会津高原に抜けるだけでも140kmくらいある
               ことから、小出の出発が10時にならざるを得ない18きっぷ利用だったため、六十里越を選択した。
               ──もちろん、六十里越はそれで十二分に魅力的なコースだった。

               樹海ラインのほうが距離が長いだけでなく、標高も高い。それに六十里越は時間を無理に詰めてしまったことから立ち止まりたいときに立ち止まれず、つまらない思いをした場所があったりもした。だから時間に余裕を持つ必要がある。
               もっとも会津高原に抜ける計画を立てれば少なくとも1時間に1本は列車があるわけで、六十里越のときのように15時半の列車が最終、などという大騒ぎはしなくてすむはず。
               まだ綿密な計画は立てていないけれど、ゆっくり楽しむには最低新幹線は必須だろうなぁ。一泊するにも十分なルートだと思うし。

               もっというと、「樹海ライン」というくくりじゃなく、「国道352号」というくくりで全線走るのも面白いかもしれないなあ。
                ・新潟県:柏崎−長岡−小出−
                ・福島県:−桧枝岐−舘岩−田島−
                ・栃木県:−藤原−今市−鹿沼−上三川
                (広い範囲はわかりにくいんで、旧町名や地名含む)

              小出〜桧枝岐〜会津高原のルート


              走らない只見線

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                 先日の六十里越のサイクリングは、その道を走ることが主体のサイクリングプランだったけど、副題として只見線に沿って走るというのも掲げていた。
                 豪雪地帯の冬の唯一の交通機関として有数の赤字路線でありながら廃止を免れてきた只見線、2011年の大雨による災害で現在もまだ只見〜会津川口間が不通になっている。
                 目で見えるところは少ないかもしれないけれどはたしてどういう状況なのか、自転車に乗りながら見れる部分は見てみよう、と思っていた。




                只見駅から北へ
                路盤流出によりレールが宙ぶらりん


                第六只見川橋梁
                本名ダム下流側にかかる橋梁
                只見川にかかる橋がほとんど欠落


                第五只見川橋梁
                こちらも橋脚一本分の橋が欠落


                 僕が目で追いかけて気付いたのはこれらくらいだけど、いずれにしてもすごい状況だというのが目で見えた。
                 ほかにも障害箇所はあるようだし、こりゃ復旧費用がかかるというのもうなずける。
                 僕は鉄道に乗るのが好きという立場でしか言えないので片手落ちだけど、只見線がこのまま分断してしまうのは残念だなあ。

                エンド曲がり

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                   ここのところ変速調整が気になっていた。
                   ケーブルの張りやディレーラーの可動範囲を微妙に調整しながら、それでも合わなくて自転車屋で相談するとプーリーの摩耗が悪さをすることも多いと聞き、確かにもう5年も使っているディレーラーのプーリーだからと交換してみた。
                   それでもまだ気持ち悪いところがある。
                   決してドンピシャを求める性格ではないのだけれど、なんだか気持が悪くて。
                   ディレーラー可動範囲とケーブルの張りでごまかしつつ、残すはシフトケーブルかな──。
                   ケーブルを買ってきた。

                   リアディレーラーの変速は、エンド(ディレーラーハンガー)が適正な角度で付けられているのが前提になっている。
                   エンドとスプロケットとディレーラーの位置関係が成立していて初めてインデックスという動作範囲が有効になるから。
                   実はずいぶん前にエンドを曲げてしまったことがあって、エンドを補正する工具なるものを持っている。こんなものあまり使わないよなぁなどと思いながら、通販の送料の制限まで金額が満たないときに買ったものだった。
                   そのとき、使い終えたらもう二度と使わなかろうと思っていたのだけど、どうも僕はエンドを曲げてしまうことが多いようで、結果的には幾度となく使っている。
                   ディレーラーハンガーがアルミでできている場合、あまり補正(要は力をかけてぐいぐいと曲がりを直す)を繰り返しているとパキっと折れてしまうらしい。それはそれで恐ろしいことだけど、そうなったらそのときで仕方ないと思い、いつも自分で直してしまっている。
                   エンドは去年、青森にサイクリングに行ったときの転倒で曲げてしまい、帰ってきてからきっちり直した。僕はそれ以降転んだり、倒したり、大きくぶつけたりした記憶はない。

                   シフトケーブルの交換は面倒な作業だ。
                   それでも時間のある日、いよいよやるかと意を決した。
                   時間があったからかよほど気が向いたからか、「いちおう念のため見てみようかな」と、エンドを補正する工具も引っ張り出した。このときはまだ、エンドが狂っているとは思ってもいなかった。

                   これはこれで面倒な作業なのでやりたくない。とりあえず確認だけしてさっさとケーブル交換に移ろうと思ったのだけど……。
                   ──けっこうな曲がりを見せている。
                   いつ?どこで?──記憶を懸命にたどるけれど覚えがない。
                   もしかしたらちょっとしたことの積み重ねで狂うのか?
                   そのちょっとしたことがなんなのかはわからないけれど、僕はこれだけ輪行や車載するから、気付かないうちにエンドを押してしまっていたかもしれない。


                  エンドを直す 作業は力づくで


                   直したあと、ディレーラーの可動範囲を再調整してケーブルのテンションを見直したら、びっくりするほどパシパシ決まった。ほとんど調整に苦労しないほど。
                   ──そりゃそうだ、そういうふうに作られているのだから。

                   本当は直したあと試走をすべき(変速調整はスタンド上の調整じゃ気付かない部分があるから)、でもあまりの暑さに断念。
                   とりあえずスタンド上で決まるから、ヨシとしてしまった。

                   ──ってか、準備していたケーブルの交換も面倒になり、「これは今度でいいや」などと言いながらしまってしまった。
                   暑いからね。


                  これらは次回、気が向いたときに


                  六十里越・JR只見線 (2013-08-10)

                  0
                     小出駅に降り立った。

                     首都圏は猛暑。なかでも今日は最高の日になるという。
                     もっとも猛暑は首都圏だけじゃなく東北南部から九州にかけての列島全体。だからサイクリングに行くことすら気持ちは躊躇していた。
                     それでも昨日、新潟県や福島県の天気予報を見て気温が30度台前半だとわかると出かけようかという気持ちが半分くらい起きてきた。

                     高崎線の始発列車から上越線に乗り継ぎ、新清水トンネルを越えた。想像していたよりも多くの乗客がいた。車掌が検札に来たとき僕も含め周囲が出したきっぷは皆、18きっぷだった。
                     始発から乗り継いでも小出に着くのは9時45分。ずいぶん遠い道のりだった。暑さは首都圏よりマシかもしれない、そんな気がした。それだけでも遠い道のりを普通列車だけで来た甲斐があった。

                     今日の計画はJR只見線沿いの国道252号を走るルート。鉄道と道路と周囲の風景の調和に魅かれる僕には一度は来てみたかった期待のコース。そして只見線と一緒に六十里越を抜けて福島県側へ。
                     只見線に沿って走るから、やめたくなったらそこから輪行──その考えはあるものの、残念ながら簡単に通用しない。というのも2年前の夏の台風で被害を受けて以来、只見線の只見・会津川口間は不通になっているのだ。只見までなら即輪行可能だけど、結果小出まで戻ってきてしまうことになる。できれば会津若松へ帰るルートにしたい。
                     とすると必然的に会津川口からとなる。距離的にも(会津川口まで90km近く)僕のポテンシャルから考えて会津川口しかない。それ以上はないしそれ以下は鉄道が走っていないからだ。

                     もうひとつ、重大な押さえておくべき要素がある。会津川口駅発の列車が15時27分ということだ。逃せば19時09分というありえない時間。そうなると輪行パッキングも踏まえ15時には着く必要がある。約5時間。不安がよぎる。
                     18きっぷは帰りだけで十分元が取れるのだから、行きだけでも新幹線を使えば時間に余裕が生まれたじゃないか──そう、そういう考えも確かにあった。

                     自転車をできるだけテキパキ組み上げて出発した。10時少し前だった。幸先いい。
                     まず国道252号に出るためには魚野川の対岸へ渡る必要があった。大きな橋を渡っている途中、魚野川と小出駅、四日町の街並みに思わず立ち止まった。


                    対岸、四日町側から眺める小出駅


                     出発して1kmにも満たない時点で立ち止まって写真など撮っていては先が思いやられる。
                     時間、時間と自分に言い聞かせ出発した。

                     国道252号は十分に僕を楽しませてくれた。魚沼の大地には高さのきれいに揃った稲がところ狭しと育つさまはすき間なく敷き詰められたじゅうたんのようだった。そのなかを破間川が流れている。あぶるま川と読む。地元じゃなければ難読だ。破間川に沿うようにJR只見線と僕の走る国道252号が併走していた。

                     徐々に田んぼが少なくなると坂が少しずつ厳しくなった。入広瀬というところに道の駅があったので立ち寄ることにした。ボトルは空いていないけれど、何か飲んでおこうと思った。自販機でコーラを買い、のどの渇きに任せてごくごくと飲むと自分でも驚くほどの汗が一気に噴き出した。ハンカチでは拭ききれないほどだった。自分じゃ気づかなかったけどそれだけ軽い脱水を起こしていたのか。残りのコーラをゆっくり飲みながら空を見上げると厚い雲がかかっていた。

                     道の駅を出発するとポツリポツリと雨が降ってきた。こんなところで雨に濡れるのは嫌だったけど、あきらめて小出に戻る只見線で輪行するのも気が乗らなかった。
                     念のため退避場所を探しながら行くが、どこにも雨宿りをする場所も見当たらず仕方なくそのまま進んでいた。しばらく強くなることもなく降っていた。

                     時間が許すのであれば只見線のひとつひとつの駅に立ち寄ってみたかった。ただ走り抜けるだけなんて僕にはちっとも面白くない。ましてやそうそう来られる場所とは違うこの只見線だ。朝の新幹線、──いや、ここは一泊して二日間かけてゆっくり進むのに値する、そう感じた。
                     柿ノ木という駅が見えた。無人駅で道路からそのままホームに上がるような構造になっている。今は只見線の定期列車が一本も止まらない駅で、ゆえにホームへの上がり口にチェーンがかけられていた。そばに立ち寄って見たかった。
                     そして進んだ次の駅が大白川だ。
                     列車交換設備のある駅だが、これだけの設備、折り返し列車のある駅でありながら無人駅だった。
                     3時間近くも次の列車がやってこない。反対方向は5時間後だ。駅の出発信号機がすべて赤を現時しているのが寂しげだった。


                    破間川に沿ってまっすぐ伸びる国道252号とJR只見線




                    列車交換でき、始発着列車もある大白川駅


                     只見線の駅でいうと大白川の次は県境を越えた福島県の田子倉駅になる。この先でいよいよ六十里越となる。今日の次なる期待を胸に上り坂へ向かった。
                     大白川を出るころには、ずっとはっきりせず時折ぽつぽつしていた雨も上がったようだった。このまま降らずにもって欲しいと祈るばかりだ。
                     破間川と国道252号、只見線はその位置を左に右にと変えながらも共に進んできたが、山が急峻になってきたところでいよいよ只見線が六十里越トンネルに消えていった。長い長いトンネルで、現JRのトンネルの中でも長い部類に入っていると思う。そして田子倉駅はすでにその役目を終えているから、事実上の隣駅、只見との20kmも離れた駅間はまるで北海道の路線のようだ。


                    国道の右下から鉄道は山のなかへと消えゆく


                     僕の進む国道252号はさらに5キロ半、300mの登坂をし、六十里越隧道で分水嶺を越える。
                     鉄道がいなくなるや否や、道はにわかに屈曲を始めた。鉄道が登坂をあきらめるのを感じさせるのに十分な坂道は、ゆるいS字からつづら折までさまざまな構成があきさせなかった。山肌に張り付き六十里越を目指すその道路のさまに僕は強い興奮を覚えていた。




                    六十里越を目指す国道252号
                    その見ごたえは「峠 TOUGE」に取り上げられてもいいと思う


                    六十里越隧道


                     いよいよ県境を越える六十里越隧道にたどり着いた。鉄道には圧倒的にかなわないまでもその距離1km以上ある。
                     この先只見湖に向かうまでのあいだ、国道252号にはいくつかのトンネルがあった。いずれも古くからの路肩のない狭いトンネルばかりで、トンネル内に明かりがあるのはここだけだった。ほかに1kmには満たないだろうけど出入口双方が見通せない長いトンネルで、まったく明かりのないトンネルがあったのには驚いた。埼玉の秩父奥地の八丁トンネルを思い出したがここは代替道路のない主要国道だ。幸いそのトンネル内、僕の通過時には一台の車とも会うことはなかった。

                     六十里越隧道を抜けると道は下りに転じた。僕は良かったとほっと胸をなでおろした。実は時間が気になり始めていたのだ。距離の感覚からいって只見駅に13時には着いていたいところだった。しかし六十里越隧道の新潟側入口ですでに12時15分、その前、只見まで19キロの標識を見たからだ。
                     田子倉湖が見えてきた。発電用ダム湖として名の知れるこの湖の大きさに驚くばかりだった。ゆっくり止まって眺めたかった。しかし時間の遅れを取り戻すためには、速く走る能力のない僕には下りで稼ぐしかなかった。


                    六十里越を越えて田子倉湖畔に出た
                    国道252号も道の張り付きが美しい


                    廃止され、封鎖された田子倉駅


                     ずっと離れ離れになっていた只見線が瞬間的に姿を見せたところに田子倉駅はあった。駅としてこの3月のダイヤ改正で完全に廃止され、役目を終えた駅入口はその扉が板張りでしっかりと封印され、固く閉ざされていた。
                     秘境駅という趣味分野が見出され、そのなかの有数の駅として取り上げられていた駅だっただけに、簡単に出入りができては危険なのだろう。

                     さて只見までの時間を取り返そうと下りを躍起になって走っていた僕はここで打ちのめされることになった。この田子倉湖畔を行く国道252号はちょうど田子倉駅のあたりで底となっていて、上り返しを強いられたのだった。峠越えの坂というほどではないにせよ、田子倉ダムまで続く上り坂は気持ちまでも攻め立てられるような坂だった。

                     そんなわけで僕は田子倉ダムの姿を良く見ることもせず、次の下り坂へと進んだ。どちらかというとあわてさせられた気持ちゆえで気づくことがなかった。つづら折で下り始めたその道の眼下に広がる湖が只見湖だと気づいたとき、田子倉ダムを見損ねたなと気づいた。


                    遥か眼下に見る只見湖
                    この標高の落差で生まれる風景はすごい


                    とりあえず田子倉ダムを下から見ておいた
                    ここから先は関係者以外立入禁止


                     只見駅に着いた。
                     目標の13時は過ぎていた。
                     それでもさすがにボトルは空だしのども渇いているしおなかも空いた。そして只見線分断区間の駅のありようも見ておきたかった。

                     駅は、何ということのないふつうのたたずまいで、ローカル線のひとつの駅でしかなかった。とても甚大災害でこの先の区間が不通になっているとか、代行バスでなければ先に進めないとか、そんな雰囲気はかもし出していなかった。せいぜい代行バスの時刻表が貼ってあるくらいだった。


                    只見駅
                    観光案内やレンタサイクルもあり、ふつうのローカル駅の
                    顔でたたずんでいる


                    ホームもいたってふつうなローカル駅


                    唯一違和感を見出すならば会津若松方面の時刻表がないこと


                     僕はペットボトルのお茶を一本飲み、手持ちのビスケット型の補給食を食べた。そして味の薄そうなスポーツドリンクを一本、ボトルのなかに移して只見駅を出発した。

                     国道は変わらず252号、沿道には集落が点在し始めた。こちらも川に沿って鉄道と道路が進む。やがて田畑も現れ、小出を出発したときと同じように稲が背を高くしていた。
                     言葉で書けば同じ風景だ。確かに目で見ても同じ風景だ。川、道路、鉄道、家々、そして田。しかし明らかに感じる雰囲気が新潟県と福島県で異なる。
                     鉄道が不通区間だからということではまったくない。
                     家々の作りだろうか。確かに小出と会津では家の形が違うように見える。そのせい?
                     この先会津川口に向かうまでのあいだ、この違いがなんなのかわからずにずっと走り続けていた。これはなかなか興味深い。また、新潟と福島を越える道をどこかで走らなくちゃいけないな──そんな気にさせた。

                     僕はただ会津川口の駅に向かって走り続けていた。そうは言っても僕は下りのようなペースを維持できるわけもなく、全体距離からの逆算でどうやら間に合いそうな計算が成立することがわかると安堵すると同時にとたんにペースが落ちた。
                     それでものんびりできるほどではなさそうだったため、ただ走り続けるしかなかった。只見線沿いは新潟県側とは異なり、駅ごとに小さな集落がありひとつひとつが趣きがあった。しかし残念なことにゆっくり見て何かを感じられることもなく僕は走り抜ける必要があった。
                     写真もなければあまり記憶も残っていないのが極めて残念な結果になってしまった。

                     それが功を奏して(功を奏したとは言えないが)、無事会津川口の駅に時間までにたどり着いた。
                     補給食しか食べていない僕はおなかが空いていたが、コンビニも食堂もなさそうだった。
                     駅舎に入ると売店があった。カップ麺も置いてあり、切り盛りをしていた女性に「お湯はあるのですか?」と聞くと「ありますよ」と答えた。僕はこれを昼食にすることにした。


                    重厚で立派な会津川口駅


                    ここで今日は終わり
                    時間が心配で食事を取らずに来たのでここで昼食


                     ここからの輪行が果てしない長旅。
                     朝よりもさらに倍長い旅路、まずは只見線に揺られ帰ることにしよう。



                    本日のコース (GPSログ)



                    輪行というか乗り鉄というか

                    0
                       今日(というか日付が変わったので昨日)、輪行してサイクリングをしてきた。
                       サイクリングが5時間、対して輪行に費やした時間が行き4時間半、そして何と帰り8時間。帰ってきて0時少し前。
                       もう輪行サイクリングに行ったというより乗り鉄しに行っていたに等しい。乗り鉄に自転車を持っていった──。

                       18きっぷを可能な限り使いたかったのでこうなったのだけど、
                        ・行き:大宮→小出 3,570円
                        ・帰り:会津川口→久喜 5,250円
                       を2,300円で乗ってきたわけだから、もう乗り鉄している日とまったく変わらない状況。
                       ただ、乗り鉄のときはほとんど、夜は列車に乗らないのでその点が違うかな。


                      久々に新潟エリア



                      へぎそばドライブ (2013-08-04)

                      0
                         へぎそばを食べに行こう、と話していた。
                         昨年、僕がサイクリングで行った、新潟県十日町のへぎそば。
                         「へぎそば」というそばは、「へぎ」と呼ばれるトレイ状の器にひと口分ごとにまとめられたそばを出す形だから、そばの有り様に決めごとはないのかと思っていたけれど、へぎそばというとつなぎに布海苔が使われているこの地方のそばを呼ぶようだ。

                         わざわざ十日町まで出向いたのは、ここで食べたへぎそばに布海苔にどっしり感があり、「どうせ食べるなら布海苔の強く感じられるものを食べに行こう」と言ったからだ。
                         朝8時、車で出発した。

                         僕らの場合、時間が許すならば限りなく下道(一般道)を使う。
                         高速道路は単調で、いろいろな発見も目新しさもないから好きじゃない。
                         今日も十日町に昼食を食べに行くことを目的に、ひたすら下道を走った。──越谷(市道)春日部(県道)菖蒲(国道122号)羽生(国道125号)熊谷(国道17号)塩沢(県道)十日町。

                         三国峠に向かうところで雲行きが怪しくなり、峠手前で雨が降り始めた。三国トンネルを抜けて苗場に出ると激しい雨。
                         雨は湯沢に下りてくるまで続き、湯沢から石打に向かうあたりでほぼ上がった。降っていなかったのではなく、降り終えた感じだった。

                         十日町に着いたのは13時前。店には待ち人で人だかりができていた。
                         駐車場に止めるところがなく右往左往していたら、店員が出てきて他の駐車場を教えてくれた。
                         しばしののち、そしてへぎそばをいただく。


                        苗場は激しい雨


                        十日町の田園


                        国道117号 十日町の街並み
                        雰囲気いい


                        十日町にてへぎそば


                         さておなかもいっぱいになったので帰ろう。
                         ここでも僕のピストンルート嫌いが発動し、来た道とは別の道を考える。まっとうな時間に家に帰ることも考えて国道117号を長野方面に走ることにした。つまりはJR飯山線に沿って走るコース。
                         もともと昨年自転車で十日町に来たときも思ったのだけど、この国道117号の雰囲気はいいなと思っていた。そして今回、長野方面に向かって走っていった。道路、信濃川(県境を越えると千曲川)、JR飯山線とそれらを取り巻く風景は何とも言い得ない良さを感じた。細かい起伏が常に続くのが気になるけれど、これはいつか自転車で走らなくては。
                         



                        国道117号


                        途中立ち寄った森宮野原駅をパノラマで


                         「奥志賀林道を走っていかないか?」
                         僕は妻に言った。地図を見ていての思いつきだった。
                         本当はこのまま信州中野に抜けて、適当なところから高速かな、と考えていた。
                         国道117号をこのまま走り続けるのも魅力だったけど、いまだ一度も通ったことのない奥志賀林道にも魅力を感じた。
                         「いいね、行ってみたい」
                         と妻が答えた。

                         上境で国道117号を離れ、一気に野沢温泉へと駆け上がった。
                         野沢温泉をはじめて通った。いい感じ。蔵王に似ているかな。妻もこれは一度来たいね、という。
                         そして奥志賀林道へ向かう坂を上ると、すごい眺望。


                        奥志賀林道へ向かう途中、野沢温泉


                        さらに上って野沢一望の大パノラマ


                         長い長い林道を抜け、やっと奥志賀高原へ出た。
                         そこからはかつてスキーで来たことのあるお馴染みの場所だった。奥志賀、焼額、一ノ瀬、高天ヶ原、発哺、蓮池。横手山からとの合流点になる蓮池交差点に出た。
                         「どうする?このまま信州中野に下るかい?──いっそ、渋峠越えてしまおうか。時間はめちゃかかるけど」
                         「いいかも。草津に抜けるってことだよね?」


                        渋峠


                         そして僕らは渋峠から草津に抜け、長野原から渋川へ。
                         関越に乗ろうかと考えたのだけど、渋滞の表示。結局国道17号、国道50号を走って太田へ、そこから国道122号を経由して帰って来たから、結局全行程下道を走ってしまった。

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