軽井沢駅前の交差点に差し掛かると急に人の数が倍増したように見えた。
考えてみたらお盆休み終盤の土曜日、この老舗の避暑地に人が多いのは当たり前だ。
それにしてもまだ朝の9時前。ずいぶん早い時間から人が動き始めてるなと思った。お泊りで楽しんでいる人もいるのだろうけど、走っている車の量はそれほどまだ多くない。そうか新幹線なのだ。朝の7時半、東京で新幹線に乗ってしまえばこの時間には軽井沢にいられるのだ。
レンタサイクルを借り出した観光客は僕の前を横切って旧軽へと向かっていった。僕は国道18号をそのまま直進する。
今日のキーワードは海野宿、別所温泉、保福寺峠。
保福寺峠に行ってみようと思いコースを引いていて、立ち寄れるじゃないかと混ぜ込んでみた。
軽井沢から佐久に向かう坂を下り始めると浅間山が見えてきた。山の上のほうには薄雲がかかって見えた。──そうだよなぁ「特急あさま」はこの山があって「あさま」なんだよなぁ。そんなことを思う。新幹線になった今もひらがな表記の「あさま」が浅間山と頭のなかでうまく結びつかないのは昔からだった。
浅間山を見ながら走る
アルバムを探してみたら写真があったのでせっかくだから
浅間山を描いたヘッドマークのL特急「あさま」
今日はナビを持ってきていたのに、前日用意したルートのファイルがエラーで読み込めないというがっかりな事態に泣かされることになった。ルートラボからgpxファイルに保存するときに慌てたか、カードにファイルを入れるときにしくじったか、いずれにしても読み込めないものは読み込めない。かたくなにガラを使っている僕は出先からルートラボにアクセスすることもできず、せっかく楽しもうと思っていたコースを確認することができなくなっていた。
たとえば今回、小諸の街中を楽しんで走ろうと思っていたにもかかわらず、結局国道18号のバイパスで通過してしまった。だいたいのルートは頭に入っているけれど細かいところはわからない。結果、幾度か期待のコースを走れなくなることになった。
海野宿は江戸時代の街道整備によって作られた北国街道の宿場町のひとつで、街道筋の街並みが今も残されている場所。僕のなかではそれほど知名度も高くないから、大内宿や妻籠・馬籠のように人でごった返すこともないだろうと通り抜けてみることにした。去年立ち寄った奈良井宿も人がそれほど多くなくて楽しめた印象が残っていたからだ。
入口はすぐにわかり、迷うことなくたどり着いた。まだ10時前で時間も早いせいか人もあまりいない。旧街道をのんびりと走り抜けることにした。
うだつと柳と堀の街並み
北国街道・海野宿
ほとんどの店がまだやっていなかった。活気がないようにも感じるけれどその分街並みを楽しむことができた。人があまり歩いていないからか車の往来は多かった。店が始まり人がたくさん歩き始めるころになるとまた違う顔を見せるかもしれない。
海野宿を過ぎてからは北国街道を離れ別所温泉に向かうことにしていた。
現在の道でいうと国道18号から分かれ、県道を抜けて上田の西へと向かう。
平野部をショートカットして上田は通らずに別所温泉へと直接向かうことにしていた。確か突き当たりで何度か曲がる程度で、それほど複雑なルートではなかった記憶がある。
しかしここでもナビにルートが読み込めなかったことによる遠回りであまり面白くないルート取る結果になった。
僕の経由していた道には何度か「別所温泉」と書かれた案内標識が現れた。細かいルートも良くわからなかったのと微妙に入り組んだ曲がり角の多い箇所もあったのでその案内に従って進んでいた。それは結果的に大きく回り道をさせられ、交通量の多い主要道を経由させられた。おそらく車でやってくる観光客に向けて、多少遠回りでも車でわかりやすく走りやすいルートを案内しているのだろう。でなければ合点がいかない。
そんなことに気づいて何とか交通量の多い主要道を外れ、うまくショートカットできる道はないかと探りながら走った。上田電鉄の線路沿いの小道を選んだりしたが、上田電鉄自体が南に北にとくねくね曲がることもあり、結局余計に多くの回り道をしてしまい、別所温泉に着くころにはすっかり疲れてしまっていた。気温のせいなのか湿度のせいなのかのども渇き、動くのも次第に億劫になってしまった。
別所温泉の駅舎のなかは空調が効いていたから、自転車を置いて飲み物を買い、少し休むことにした。
塩田平をゆく上田電鉄別所線
終点、別所温泉駅
今にも蝉の声が聞こえてきそう
別所温泉を過ぎると、待っていたのは急坂だった。
温泉街のなかから既にきつい坂が始まっていた。北向観音の脇を抜け野倉という地を経て豆石峠という地図に名のない県道177号と県道12号の交点へと向かうのだけど、その道すがらが延々と急坂だった。これだけ急な坂道を上っているのだから、別所温泉の町が眼下に広がるだろうと振り返ってはみたものの、見渡すことができなかった。八角三重塔で有名な安楽寺と思われる場所が深い緑の森のなかにちらりと見て取れただけだった。
県道177号の急坂を登り続けていると、野倉の道祖神の案内看板が何度か現れた。
信州は男女のふたり組が彫られた、いわゆる夫婦道祖神が多いことで知られているけれど、ここ野倉の道祖神はその夫婦が衣冠束帯や十二単を着ているらしく、ちょっとの寄り道であれば見て行こうかと思っていた。しかしこれだけ案内看板があると「思いのほか観光化しているかも」などとかんぐってしまう。
道祖神は県道を外れてせいぜい200m程度らしかった。それならばと立ち寄ってみた。狭い、人の家へ向かってしまいそうな路地の脇にポツリと立っている道祖神はなるほど愛らしかった。県道とはいえ狭く道も荒れた急勾配のせいか、車が大勢集まっているということはなかった。ただそれでもときおり人が見に来るようだった。僕が見終えて県道に戻ってくると派手なウィングの付いたスバルインプレッサから僕世代の夫婦とその親世代と思わせる老夫婦が降りてきた。一眼レフを持ったドライバーが「こんにちは」と僕に言った。僕も「こんにちは」と言った。
野倉の夫婦道祖神
ファンなら垂涎のなつかしの白看
道祖神の入口にて
さらに県道177号は山深い緑のなかを進む。ときおり上田方向の盆地がちらりちらりと見えるが、遠くまで見通せるかどうかまでは止まってみたわけではないのでわからなかった。坂は相変わらずの急勾配で、とはいえ木立の中でどのくらいの斜度で上っているのかもわからず、自分のポテンシャルが足りないのか、はたまた急坂が本当にものすごい急斜度なのかはわからなかった。別所温泉に着くまでにすでに今日の体力を使い果たしてしまっていた僕には、いずれにしたってつらい登坂だった。
県道とはいえすれ違いも困難な登坂路
振り向いてみると10%とか…
それはきついって
やっとのことで豆石峠に出た。ここから保福寺峠に向かうなら、ロードバイクなら一度青木村に下る必要がある。県道12号を下り、県道181号に入るルートだ。
しかし僕は逆方向の鹿教湯温泉に向かって進んだ。そこから県道181号に出られる保福寺林道があるのだ。
保福寺林道は全線が未舗装の林道でおよそ3km程度あるらしい。ロードのタイヤでダートを走行するのは困難だけど、よく僕はそれを無視してダートへと突入する。今回のルートは3km程度だし、今の僕の残り体力で青木村へ下って再び上り返すのは困難だ。下らずに済む林道経由は魅力でもあった。
ちょうど林道の入口で、後ろのキャリアにロールマットをつけたMTBの青年とすれ違った。保福寺林道から来たようで話を聞いてみた。彼は美ヶ原のほうから来て今ここに着いたという。このあとは青木村に下って、白馬のほうに抜けるらしい。MTBに付けた大荷物を見てさすがの体力だと感心した。
彼の話では林道は平らではなく、上りと下りがミックスされた道であるようだ。僕がルートナビで引いたとき、てっきり平坦路だったと思っていた。ただそれほど標高差はなかった記憶がある。大丈夫だろう。
そんな話をしているうちに青年がふと気づいて僕に言う。
「ここ、行くんですか? そのタイヤで」
──まあふつうそう思うよなぁ……、
「行きますよぉ。いつものことです(苦笑)」と僕は返した。彼は一瞬戸惑った表情を見せたけれど、すぐに笑顔で、
「走りやすいですから大丈夫ですよ。いい道ですから楽しんでください」
と言った。僕は「ありがとう」と手を挙げ、彼と別れた。
さて保福寺林道に入った僕はわずか百メートルか二百メートルか、その程度走ったところで立ち止まることになった。
林道の勾配は厳しいうえ、砂利の粒も大きく滑って相当走りにくいのだ。僕は早々に体力を使い果たしてしまった。
あの青年が言っていた「走りやすいから」はどういうことだったのだろう。路盤が締まっているから──? 確かに路盤は硬めに締まっていた。ただそのうえを覆う砂利が大きく、また浮いているのでロードの細いスリック状のタイヤでは滑ってしまうのだ。
やれやれ、まいったなぁ。
さすがにロードには向かない路面状況
保福寺林道
それでも戻って青木村まで県道を下るのは嫌だし、進むしかないなと思った。僕のタイヤはパンクすることはまずないから──実際、今のタイヤで空気圧をしっかり入れていればパンクをしたことはダートでも悪路でもいまだかつてない──、いかにグリップさせるかだけを考えようと思った。万が一パンクしてしまったら、林道出口まで歩きかな。この場でチューブ交換したくないし。
しかし僕がルートナビで見た「標高差のあまりない二点間を結ぶ林道」というのは全く外れのようだ。上り続ける坂道を右に左に、砂利の少ないところ、雨で路面がぬかるんでいないところを選んで走らなくちゃならなかった。
──さすがにロードで入ってくる林道じゃないな、そう思った。ここをMTBのブロックタイヤで走るとどれだけ走りやすいんだろう、自転車はこのロード一台しか持っていない僕はその違いに少しだけ興味を持った。
ようやく保福寺林道の県道181号側の交点にたどり着いた。
自転車を降り、その場で休憩。──いやぁ少々無茶だった。
パンクはない。リムも振れていないし変速不良もない。大丈夫、大丈夫。ただ何か所もあったぬかるみのせいで自転車は激しく汚れた。まあの道だからそれも仕方ないね。僕は自転車が汚れることをあまり気にしない。
保福寺林道と県道181号の交点にて
ロードにはつらい林道だった
あとは一本道、保福寺峠へと向かった。
峠まで均一アングル、幾度かのつづら折りを経て上って行った。周囲は植林されたスギ林で背も高く、眺望は全く効かなかった。
あまりにも変化のない淡々と続く坂道に気も疲れ、一度立ち止まってドリンクを飲んだ。やっぱり今日は暑いみたい、ボトルのキャップを開け最後の一滴まで飲んでしまった。道端には東山道、峠の茶屋跡の碑が立っていた。
東山道とは江戸時代の街道とは時代の異なる古代飛鳥〜平安時代の道だったとの記憶、かたや峠において茶屋という文化は江戸時代を中心とした文化だったと認識、僕の頭のなかがいけないのだろうけどうまくつながらなかった。
峠の茶屋跡で僕のボトルは空になった
峠の茶屋からほどなくして保福寺峠に着いた。
その場所自体は広場のようになっているだけで特になにがあるわけではなかった。トレッキングコースの案内があったから、山歩きをする際の駐車場にでもなっているのだろう。
ウェストンという人がここから北アルプスを眺め絶賛し、ヨーロッパに戻って日本アルプスを広めたとして、日本アルプス絶賛の地という石碑があるようだけど、そこまでのちょっとした階段を上る気もあまり起きず、そのまま下ることにした。
保福寺峠
下りはしばらくつづら折りで急な坂道を下りた。やがて少しずつ扇状地のように景色が広がり、家が現れ始めた。川と田が整備された風景になりのどかな雰囲気になった。やがて峠の名前のもとになった保福寺が見えた。立派な山門を構え、その先に進む興味を強く覚えたけれど、のどの渇きと空のボトルで足が向かなかった。興味より先に何か飲まなくてはという状況だった。
広がり始めた風景の雰囲気は旧四賀村のものだった。今は松本市に合併された場所だけど懐かしい風景が続いていた。
僕はシャッターの下りた商店の前にある自販機で飲み物を買った。商店もまたいい雰囲気だった。
ここまで来たらあとは松本駅まで走るだけだ。今日の目的はひと通り走った。四賀村で合流した国道143号に乗っかっていけば松本駅に出られる。潤ったのどで最後松本まで行こうと自転車に乗った。
ここからは下りなのだろうと勝手に思い込んでいたのだけど、二度ほど上りがあった。ひとつは刈谷原トンネルまでの上りで、もうひとつは国道254号松本トンネルのうえを行く六助池までの上りだった。さすがに正直疲労もたまっていたし、今日一日いつになくのどが渇いて飲み過ぎたせいか胃の調子もあまりよろしくない。そんなわけでもう上りはうんざりだったけれど、途中輪行で逃げる手立ても思い浮かばず、松本まで走り続けた。
六助池から下り始めると松本の街が眼下に広がって安堵した。国道143号は次第に大きな町に吸い込まれるように下って行った。やがて市役所や松本城を目にした。人も多く、松本はずいぶん大きな街だなと実感した。反面信号と一方通行の多い街は、道を知らない自転車にとっては走りにくかった。
松本駅に到着。後半長かったなぁなどと思いながら汗をぬぐった。のどが渇いているのだけどもう飲みたくない。確か松本駅には駅そばがあったはず。そばを食べよう、そう思って最近の地方都市駅に多いきれい過ぎる駅前であわただしく自転車をパックし、人でごった返す改札口へと向かった。
四賀村のよろずや
やっと見えてきた松本の街
さすがの人出、国宝松本城
ゴール松本駅 ここから輪行
本日のコース (GPSログ)