結局自宅を出たのは8時20分だった。
もともといろいろな案を頭で思い浮かべていたものの──それは黒磯あたりから板室、那須、白河高原などをめぐって白河に戻ってくるようなコースなどで、輪行資金のやりくりが問題だった──、結果輪行に向かうべく早起きするどころかうだうだとした朝を迎えてしまい、朝のニュースなどを見てしまった。
加えて妻が今夜は明日の予定のため実家に泊まるという。今日一日の段取りをどうするか決めるだか決めないだか話をしているうちに5月の澄み切った青空が窓の外にどんどん広がっていった。
さすがにここで腰を上げないと一日を棒に振ると、7時半くらいからのそのそと行動を開始した。
自転車の準備を進め、荷物もそろえ、最後まで決まらないのがどこへ行くかだった。あまりの天気の良さに気持ちが贅沢をしたがるばかりだが──つまりはまだ行ったことのない素敵な場所へと、しかしそんなところへ輪行アプローチするには出発が遅すぎる。頭を現実路線へと切り替えるのだ。いまさらこの時間じゃ行きに輪行を使うのは一日がもったいない。
あぁじゃあ小来川のほうでも行こうか──。
言ってしまえばそんな決め方だった。
北に向かいながら東武線北春日部の車両基地を覗いてみた。GWに走った臨時快速で帰りの輪行がしたいと思ったからだ。しかしGWに走った8000系8111編成も1800系もいちばん奥の留置線に置かれていた。今日は臨時快速はない──運転されるのであればすでにこの時間、日光へ向かっているからだ。気分を切り替え、時間を気にせずサイクリングを楽しんでいこう。
しかし往時の塗色に戻った8111編成はきれい過ぎるな。もう少し薄汚れて塗装も弱くなりかけくらいのほうが日常感があっていい。個人的感想。
今日は走らなかった臨時快速に使われた車両たち
田植えを終えた田んぼにはどんどん新しい水が入れられている。そんな細い道のなかをぬけて利根川を渡り、渡良瀬川沿いを行く。ちょっと寄り道で谷中湖に立ち寄った。妻が谷中湖で桑の実を取りたがっているのだ。5月中旬じゃまだ全然だろうな……そう思いつつも確認、やっぱり青い実がつき始めたところだった。赤黒く熟れるのにはあと2、3週間かかるだろうか.
藤岡から岩舟を抜けて太平山の下を通り栃木へ向かう道、僕はこの道が好きでよく通る。ときどきコース変化として太平山に立ち寄る。今日は小来川へ向かおうと思っているし、すっかり出遅れた感があるのでそのまま素通りした。
栃木の街なかは華やかだった。パンフレットにも頻繁に登場する巴波川(うずまがわ)にはこいのぼりが掛けられ風に泳いでいたし、メイン通りでは古本まつりが行われてにぎやかだった。古本まつりはおのおのの商店の前にテーブルに並べられたり段ボールに入れられたり店によっては地べたのシートのうえに平積みされていたり(!)、それらを客が店主と会話を楽しみながら本を探していた。
谷中湖とヨシ原
栃木を抜けると県道3号から国道294号に入った。俗に言う例幣使街道で江戸時代に京の朝廷から日光への遣いの者が通った道だ。京から中山道で高崎までやってきたあと、今でいう国道50号や294号、357号のルートに当たる。
僕はどうやら早くも疲れているようだった。正午過ぎで紫外線も容赦ないからだろうか。さっき栃木でコンビニに立ち寄り、大豆バーとジャスミン茶を買ったばかりなのにだ。ジャスミン茶はスポーツドリンクが入っていたあとのボトルに入れても違和感の少ないお茶だとわかった(もちろん少量で洗ってから)。
体育会的ノリでいくなら「休んだばかりだ、先へ行け」というところだけど、のんびりサイクリングにはそんな気合も気負いもない。疲労も重くのしかかってきたので走って1時間にも満たないけれど休むことにした。
栃木を過ぎたらコンビニにも気を配らなくてはならない。特に新鹿沼の駅より先は一軒たりともない。
僕の記憶では左手にセーブオンがあった。右手にセブンイレブンがあった。それしか覚えがない。いずれも国道294号沿いで、今僕はすでに国道294号に合流しているが、いずれも見過ごしていないはずだった。コンビニがあった記憶はあるが場所の記憶がないのだ。
結果論で言うと僕が知る左手のセーブオンと右手のセブンイレブンのほか、左手にセブンイレブンがあり、最終は村井町の交差点右手にあったファミリーマートだった。やはり新鹿沼駅より先にはないのは変わっていなかった。もし新鹿沼駅までやってきてしまった場合は古峰ヶ原街道を左に入り東武高架手前のローソンにそれて立ち寄るほかない。
僕はセーブオンに寄った。店の前にあったベンチに深々と腰を下ろし、買ったおにぎりひとつ、ずっと下を向きながら食べた。
ごつごつとした岩舟山
岩舟から大平、栃木に抜ける田園と太平山
新鹿沼の駅を過ぎ、ひたすら進路を道なりに取る。国道294号、357号といった例幣使街道が右に離れ、県道149号いわゆる板荷街道になる。
栃木市内を過ぎてからずっと退屈だった県道3号や国道294号──そうはいっても、越谷や春日部近辺のあらゆる道路に比べたらまったく退屈ではないけれど──から、突如日本の原風景に誘い込まれた。
緑でいっぱいに覆われた板荷街道は別次元の気持ちよさだ。運がよければ東武日光線の列車がカタン、カタンと軽快に走っていく音が聞こえる。
しかしそんななかでも僕の疲れは相変わらずで、特に上半身がきついようだった。姿勢をバランスする腹筋と背筋、体を支える腕、いずれも最近長時間自転車に乗ることをサボっていたから疲れていた。支点となって重みの集中する肩も痛かった。僕は何か飲みたいと思った。コンビニはもうないので自販機しかない。
チャンスは一回だけだった。
間抜けな話だ(というよりわかってやっていたのだが)。僕の手持ちの現金は一万円札1枚と小銭だった。ここまで2度寄ったコンビニでこの一万円札を崩すべきだった。最後のコンビニで残った小銭が150円だったことを知っている。つまり自販機で休憩して飲み物を買うことができるのは一度きり、ということだ。
コンビニで一万円札を出してお札と小銭とをお釣りでもらうのが面倒だった。帰りのパスモチャージでお札だけで処理するのがいいやなどと思っていた。無意味なこだわり。自分へのしばり。
先のことを考えるならば、小来川まで我慢できればなと思っていたけれど、体が休んでくれ休んでくれと言って聞かなかった。僕は板荷駅より手前の、東武日光線の線路が見える自販機でまた立ち止まった。
東武日光線が右へ、県道が左へと離れ離れになるといよいよ小来川へ向かう。周囲は山深くなり勾配が厳しくなる。
杉木立が多くなり、道は薄暗くなった。木漏れ日がまぶしく差し込んできらきらとアスファルトを照らしていた。センターラインのない狭い道を鹿沼市のコミュニティバス「りーばす」が通り過ぎた。1台抜かれ、1台すれ違った。なぜりーばすという名前なのだろう。
本格的な上り坂に入って疲れとは別にもうひとつ気づいたことがあった。ひざが痛いのだった。
上り坂でトルクがかかったり立ち漕ぎをしたりするとペダル周辺からけたたましい軋み音がした。クリートが原因だとすぐにわかった。僕はもう何年も同じクリートを付けっぱなしだった。このシューズのまま観光もするし輪行もするのでクリートもいちいちそれに歩いて付き合ってくれているわけだ。歩くことですり減り、足の固定角度がルーズにもなっているようだ。ひざの軌跡や角度が変わってしまうとひざ痛を起こすような僕にはおそらくフラットペダルは無理だ。
山は若葉の新緑と常緑が混在し、いろどり豊かだった。黒川の清流のかたわらを疲れとひざを気にしながらゆっくり、ときには止まりながら小来川へたどり着いた。
さまざまな緑豊かな県道149号沿い
小来川の中心、黒川神社
先へ進む。
もともと日光へ抜けることを考えていたのだけど、ひざの調子がよくないので今市へ抜けることも考えた。もうちょっと行ったら日光と今市への分岐というところで列車の時刻表を調べた。今市へ下りると一時間近く列車を待つことになりそうだ。しかしこんな人も住んでいない山のなかで列車の時刻を調べられるなど、すごい時代だ……。
下今市の駅で何もせず列車を待つことも楽しくないので、ダマシダマシ日光へ向かうことにした。
しかし道は厳しい。急な勾配が現れて何とか上ると先にピークを思わせる広い空が見えた。しかしそれはフェイク、道は下ったあと再び上り返し。それが一度でなく二度もあった。さんざん苦しめられやっとピーク。眼下に日光宇都宮道路の日光ICと日光市の街並みが広がった。
一瞬、疲れとひざの痛みを忘れることができた。
眼下に広がる日光市街地
東武日光駅。目的の列車まで15分。輪行の準備を考えると思ったよりもぎりぎり。間に合ってよかった。
帰りの輪行 東武日光駅
大混雑の普通列車。これはまた別記事で。