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    • 2017.12.04 Monday
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    区間快速のなくなった帰路

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       東武日光線はこの3月のダイヤ改正で区間快速列車を間引きした。
       これまで1時間に1本走っていた列車を2時間に1本の間隔にしたのだ。これは今までの東武の快速列車の歴史から見てもなかった合理化政策だった。
       先日のサイクリングの帰路は、その合理化ダイヤにまんまとはまることになった。

       上りの区間快速は東武日光からの2両、鬼怒川方面からの4両が下今市で併合し6両となり、新大平下までの各駅とその先の快速運転で浅草まで向かう。
       その区間快速がない時間帯は普通列車の区間運転が埋めている形だ。
       僕が乗ろうとした14時台は東武日光駅に下今市行きの普通列車が止まっていた。
       乗り継ぎを調べると、この下今市行き普通で下今市まで行ったあと、鬼怒川方面からやってくる普通列車に乗り継ぐ。これが新栃木行き。新栃木からは南栗橋行きの普通列車に乗り継ぎ、南栗橋からは東京田園都市線まで行く急行に接続となる。

       下今市行きの普通列車は2両だった。
       さほど驚きはしなかった。区間快速の東武日光発も2両だから。
       しかしこの下今市行きは、特急連絡列車も兼ねていた。
       今までの記憶ならば、鬼怒川からやってくる特急に乗るための日光からの客を運ぶ特急連絡列車は区間快速とは別便で運転されていた。もっと昔に立ち戻ると「特急連絡」って種別があって連絡する特急券を持たないと乗れない列車だったようにも思う。
       その特急連絡と、区間快速の成り下がりぶつ切り普通列車が1本の運用になっているわけだから車内は驚くほどの混雑だった。すでに発車10分前に入った車内がいっぱいだった。


      特急連絡も兼ねた普通下今市行き


       下今市までふた駅、10分と少し。大混雑の列車は発車した。
       この先の僕の読みはこうだ。この乗客のうち大半は下今市でやってくる特急に乗る。そのあと、おそらく会津田島からやってくる4両の普通新栃木行きが来る。これまで区間快速だと6両で運転されていた列車が2両削減された形。新栃木からは南栗橋への普通列車だが、かつて6両で運転されていただが改正後4両で運転されているのはすでに見ている。これも従来から車両が2両削減された形。いずれの列車も2両ずつ編成減少しているのだろうと考えた。
       普通列車が特急連絡と兼用になっていることまでは読めなかった……。

       下今市に着いた。
       2両編成の列車からどっと乗客が降りた。狭いホームが一時ごった返すが、すぐに反対側に鬼怒川からの特急が入ってきた。ここまで乗ってきた普通列車が2両だったから6両の特急が長く見えた。
       僕はホーム上の乗客の多くはこの特急に乗るものだと思っていた。しかし実態はせいぜい半分かそれに満たないといったところで、特急が出発したあとのホームには結果多くの人が残っていた。
       ──区間快速の間引きは正しかったのか?
       東武は長距離客、観光客は特急に誘導したい。しかし特急料金の高い東武特急を選択しない乗客も多くいるということだ。かつての快速、区間快速の利用客だ。
       僕を含めそれら乗客が次の普通列車を待つ。


      ごった返す下今市駅のホーム


       ホーム上の電光表示を見て驚いた。


      今度の列車は……


       なんと次の新栃木行きは2両だ。
       2両の列車でこの乗客をさばくのだ。ずいぶん合理化を図ったなと思う。

       特急に乗り換えた人もある程度いたから下今市行きのような大混雑ではなかったけれど、立ち客も出る列車に乗り新栃木へと向かった。


      栗橋でそば (2013-05-19)

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         お尻も痛い。
         きのう、クリートがゆるくてひざを痛め、その結果お尻も痛いのか、はたまた座り方が悪くてペダリングも乱れひざを痛めたのか。
         いずれにしてももうこのクリートはだめだ、と買い置きしてあったクリートに付け替えた。
         試走もかねて近場サイクリング。

         最初は柴又辺りでも行こうかなと思っていたのだけれど、栗橋にそばを食べに行くことにした。
         ただ単に栗橋まで行って戻ってきても芸がないので、江戸川サイクリングロードで関宿城へ、そこから利根川サイクリングロードで栗橋へ。帰りは幸手まで出たあと中川の土手で帰ってこようと考えた。

         湿度の高くない5月の晴れ空は、たくさんの自転車乗りの気持ちを動かした。ロード、マウンテンバイク、クロスバイク、小径車、もちろんママチャリも、思い思いに自転車を楽しんでいた。

         行きの江戸川は追い風だったにもかかわらず、昨日の疲れかひざの痛みを嫌ってか、どうしても風をつかみきれずうまく走れないまま関宿城に着いた。

         自転車道だけでなく、関宿城にもたくさんの自転車がいた。
         缶コーヒーを買い、休憩をした。

         ひざはひどくなることはなかった。クリートを交換したおかげか。それでも昨日の痛みの残りが不安を感じさせた。
         それよりもお尻の痛みがいっそうひどくなってきた。
         どこにせよ、痛みが出ると少なくともその日一日はその痛みを気にしながら走らなくちゃいけなくなるし、より悪くなることはあってもよくなることはない。

         利根川沿いで栗橋に向かった。
         建設中の圏央道の橋脚が等間隔に田んぼの中に立てられていた。
         新4号をくぐり、東北新幹線をくぐる。

         4号利根川橋の手前で土手から下りた。栗橋の街なかを縫い、そば屋に着いた。
         少し早めに着いてしまったから店の駐車場で開店までの時間をつぶした。緑のなかを吹きぬける風が気持ちいい。ときどき聞こえる東北線や東武線の列車のレールを刻む音が心地いい。

         そばは贅沢なほどおいしかった。ランチメニューがあったので、小丼がつくランチにしてしまったけれど、そうではなくてそばの大盛りにすればよかったと後悔した。それだけそばが突出しておいしかった。

         帰りは栗橋から南栗橋、幸手に向けての田んぼの中を走って帰った。
         ずいぶん住宅が増えていた。どんどん宅地化が進んでいるみたいだった。
         幸手で中川を越える。コーヒーが飲みたい思った。
         しかしこのまま中川沿いに道をとってしまうとコーヒーを飲める場所を思いつかない。
         思いついたのは杉戸高野台駅前のマクドナルド。

         マクドナルドは驚くほど混雑していた。
         そういえばこのマクドナルドに僕も以前来たことがあった。同じように混んでいた。
         レジはいくつもあいているのに、すべてのレジに何人もの人が並び、レジでの注文を終えた人もレジ周りに群がっていた。店内も食べている客がたくさんおり、どこもかしこもごった返しているようだった。

         ふと窓の外にミニストップが目に入った。
         コーヒーが飲みたいだけだからコンビニでいいか、ということにした。マクドナルドを出て交差点を越える。

         コーヒーを飲みながら帰りのルートを考えたけど、江戸川や利根川でフォローしてくれた追い風は帰り道折り返して向かい風になり、それから逃げるルートを思いつかなかった。
         結局、杉戸から春日部まで古利根川沿いの道を通って帰ることにした。
         窓の外にはマクドナルドのドライブスルーに2列で並んだ大渋滞の車が見えた。

         帰りの向かい風は厳しかった。でもそばはおいしかった。満足。
         しかしながら帰ってみたらお尻にできものができてしまっていた。しかも二箇所。これは痛いわけだ……。


        休憩中の関宿城にて



        小来川から日光へ (2013-05-18)

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           結局自宅を出たのは8時20分だった。
           もともといろいろな案を頭で思い浮かべていたものの──それは黒磯あたりから板室、那須、白河高原などをめぐって白河に戻ってくるようなコースなどで、輪行資金のやりくりが問題だった──、結果輪行に向かうべく早起きするどころかうだうだとした朝を迎えてしまい、朝のニュースなどを見てしまった。
           加えて妻が今夜は明日の予定のため実家に泊まるという。今日一日の段取りをどうするか決めるだか決めないだか話をしているうちに5月の澄み切った青空が窓の外にどんどん広がっていった。

           さすがにここで腰を上げないと一日を棒に振ると、7時半くらいからのそのそと行動を開始した。
           自転車の準備を進め、荷物もそろえ、最後まで決まらないのがどこへ行くかだった。あまりの天気の良さに気持ちが贅沢をしたがるばかりだが──つまりはまだ行ったことのない素敵な場所へと、しかしそんなところへ輪行アプローチするには出発が遅すぎる。頭を現実路線へと切り替えるのだ。いまさらこの時間じゃ行きに輪行を使うのは一日がもったいない。
           あぁじゃあ小来川のほうでも行こうか──。
           言ってしまえばそんな決め方だった。
           北に向かいながら東武線北春日部の車両基地を覗いてみた。GWに走った臨時快速で帰りの輪行がしたいと思ったからだ。しかしGWに走った8000系8111編成も1800系もいちばん奥の留置線に置かれていた。今日は臨時快速はない──運転されるのであればすでにこの時間、日光へ向かっているからだ。気分を切り替え、時間を気にせずサイクリングを楽しんでいこう。
           しかし往時の塗色に戻った8111編成はきれい過ぎるな。もう少し薄汚れて塗装も弱くなりかけくらいのほうが日常感があっていい。個人的感想。




          今日は走らなかった臨時快速に使われた車両たち


           田植えを終えた田んぼにはどんどん新しい水が入れられている。そんな細い道のなかをぬけて利根川を渡り、渡良瀬川沿いを行く。ちょっと寄り道で谷中湖に立ち寄った。妻が谷中湖で桑の実を取りたがっているのだ。5月中旬じゃまだ全然だろうな……そう思いつつも確認、やっぱり青い実がつき始めたところだった。赤黒く熟れるのにはあと2、3週間かかるだろうか.
           藤岡から岩舟を抜けて太平山の下を通り栃木へ向かう道、僕はこの道が好きでよく通る。ときどきコース変化として太平山に立ち寄る。今日は小来川へ向かおうと思っているし、すっかり出遅れた感があるのでそのまま素通りした。
           栃木の街なかは華やかだった。パンフレットにも頻繁に登場する巴波川(うずまがわ)にはこいのぼりが掛けられ風に泳いでいたし、メイン通りでは古本まつりが行われてにぎやかだった。古本まつりはおのおのの商店の前にテーブルに並べられたり段ボールに入れられたり店によっては地べたのシートのうえに平積みされていたり(!)、それらを客が店主と会話を楽しみながら本を探していた。




          谷中湖とヨシ原


           栃木を抜けると県道3号から国道294号に入った。俗に言う例幣使街道で江戸時代に京の朝廷から日光への遣いの者が通った道だ。京から中山道で高崎までやってきたあと、今でいう国道50号や294号、357号のルートに当たる。
           僕はどうやら早くも疲れているようだった。正午過ぎで紫外線も容赦ないからだろうか。さっき栃木でコンビニに立ち寄り、大豆バーとジャスミン茶を買ったばかりなのにだ。ジャスミン茶はスポーツドリンクが入っていたあとのボトルに入れても違和感の少ないお茶だとわかった(もちろん少量で洗ってから)。
           体育会的ノリでいくなら「休んだばかりだ、先へ行け」というところだけど、のんびりサイクリングにはそんな気合も気負いもない。疲労も重くのしかかってきたので走って1時間にも満たないけれど休むことにした。
           栃木を過ぎたらコンビニにも気を配らなくてはならない。特に新鹿沼の駅より先は一軒たりともない。
           僕の記憶では左手にセーブオンがあった。右手にセブンイレブンがあった。それしか覚えがない。いずれも国道294号沿いで、今僕はすでに国道294号に合流しているが、いずれも見過ごしていないはずだった。コンビニがあった記憶はあるが場所の記憶がないのだ。
           結果論で言うと僕が知る左手のセーブオンと右手のセブンイレブンのほか、左手にセブンイレブンがあり、最終は村井町の交差点右手にあったファミリーマートだった。やはり新鹿沼駅より先にはないのは変わっていなかった。もし新鹿沼駅までやってきてしまった場合は古峰ヶ原街道を左に入り東武高架手前のローソンにそれて立ち寄るほかない。
           僕はセーブオンに寄った。店の前にあったベンチに深々と腰を下ろし、買ったおにぎりひとつ、ずっと下を向きながら食べた。


          ごつごつとした岩舟山

          岩舟から大平、栃木に抜ける田園と太平山


           新鹿沼の駅を過ぎ、ひたすら進路を道なりに取る。国道294号、357号といった例幣使街道が右に離れ、県道149号いわゆる板荷街道になる。
           栃木市内を過ぎてからずっと退屈だった県道3号や国道294号──そうはいっても、越谷や春日部近辺のあらゆる道路に比べたらまったく退屈ではないけれど──から、突如日本の原風景に誘い込まれた。
           緑でいっぱいに覆われた板荷街道は別次元の気持ちよさだ。運がよければ東武日光線の列車がカタン、カタンと軽快に走っていく音が聞こえる。
           しかしそんななかでも僕の疲れは相変わらずで、特に上半身がきついようだった。姿勢をバランスする腹筋と背筋、体を支える腕、いずれも最近長時間自転車に乗ることをサボっていたから疲れていた。支点となって重みの集中する肩も痛かった。僕は何か飲みたいと思った。コンビニはもうないので自販機しかない。
           チャンスは一回だけだった。
           間抜けな話だ(というよりわかってやっていたのだが)。僕の手持ちの現金は一万円札1枚と小銭だった。ここまで2度寄ったコンビニでこの一万円札を崩すべきだった。最後のコンビニで残った小銭が150円だったことを知っている。つまり自販機で休憩して飲み物を買うことができるのは一度きり、ということだ。
           コンビニで一万円札を出してお札と小銭とをお釣りでもらうのが面倒だった。帰りのパスモチャージでお札だけで処理するのがいいやなどと思っていた。無意味なこだわり。自分へのしばり。
           先のことを考えるならば、小来川まで我慢できればなと思っていたけれど、体が休んでくれ休んでくれと言って聞かなかった。僕は板荷駅より手前の、東武日光線の線路が見える自販機でまた立ち止まった。

           東武日光線が右へ、県道が左へと離れ離れになるといよいよ小来川へ向かう。周囲は山深くなり勾配が厳しくなる。
           杉木立が多くなり、道は薄暗くなった。木漏れ日がまぶしく差し込んできらきらとアスファルトを照らしていた。センターラインのない狭い道を鹿沼市のコミュニティバス「りーばす」が通り過ぎた。1台抜かれ、1台すれ違った。なぜりーばすという名前なのだろう。

           本格的な上り坂に入って疲れとは別にもうひとつ気づいたことがあった。ひざが痛いのだった。
           上り坂でトルクがかかったり立ち漕ぎをしたりするとペダル周辺からけたたましい軋み音がした。クリートが原因だとすぐにわかった。僕はもう何年も同じクリートを付けっぱなしだった。このシューズのまま観光もするし輪行もするのでクリートもいちいちそれに歩いて付き合ってくれているわけだ。歩くことですり減り、足の固定角度がルーズにもなっているようだ。ひざの軌跡や角度が変わってしまうとひざ痛を起こすような僕にはおそらくフラットペダルは無理だ。

           山は若葉の新緑と常緑が混在し、いろどり豊かだった。黒川の清流のかたわらを疲れとひざを気にしながらゆっくり、ときには止まりながら小来川へたどり着いた。


          さまざまな緑豊かな県道149号沿い

          小来川の中心、黒川神社


           先へ進む。
           もともと日光へ抜けることを考えていたのだけど、ひざの調子がよくないので今市へ抜けることも考えた。もうちょっと行ったら日光と今市への分岐というところで列車の時刻表を調べた。今市へ下りると一時間近く列車を待つことになりそうだ。しかしこんな人も住んでいない山のなかで列車の時刻を調べられるなど、すごい時代だ……。
           下今市の駅で何もせず列車を待つことも楽しくないので、ダマシダマシ日光へ向かうことにした。
           しかし道は厳しい。急な勾配が現れて何とか上ると先にピークを思わせる広い空が見えた。しかしそれはフェイク、道は下ったあと再び上り返し。それが一度でなく二度もあった。さんざん苦しめられやっとピーク。眼下に日光宇都宮道路の日光ICと日光市の街並みが広がった。
           一瞬、疲れとひざの痛みを忘れることができた。


          眼下に広がる日光市街地


           東武日光駅。目的の列車まで15分。輪行の準備を考えると思ったよりもぎりぎり。間に合ってよかった。


          帰りの輪行 東武日光駅


           大混雑の普通列車。これはまた別記事で。



          タイヤ

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             よくよく見ると今のタイヤ、穴だらけ傷だらけだ……。



             長男のお古だしなぁ。カラータイヤも正直好きじゃないし、そろそろ替えようかな。


            利根川サイクリングロード at 栗橋

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               最近あまり通ることがなかったのだけど、今日のサイクリングで国道4号の利根川橋から三国橋にかけて、利根川サイクリングロードと渡良瀬川サイクリングロードを走ってみた。
               最近あまり通っていなかったのは、もしかしたらずいぶん古い話になってしまうかもしれないけれど、JR東北本線の鉄橋下の区間が未舗装だったからだ。僕はロードでもわりと平気でダートに突入したりするのだけど、意外と走りにくい未舗装だったのかな……その記憶すら怪しいけど。


              この部分


               回避策として、利根川橋のすぐ脇に土手につけられた階段があり、これを河川敷側に下りると舗装された道で東北線をくぐってその先のサイクリングロードに合流することができた。ただ、自転車を押しながら急な階段を下りることがどうにも億劫だった。
               おまけに、三国橋までの県道はかなり自転車が走りやすいように作られていて、まったく苦になる道ではなかったから、この区間を走るときにはすっかり県道を走るようになっていた。

               今日は直前の気まぐれだった。
               ダート突入してもいいし別に──。
               そう考えて利根川橋から土手の道にそのまま入った。


              舗装されていた東北本線をくぐる道


               なんてことはない、舗装されていて何の迷いもなく走れた。

               ずいぶんここを走らずにいたからもしかしたらずいぶん前から舗装は完了していたかもしれない。

               そしておまけ。
               対岸の埼玉県側。利根川で言うと右岸。
               利根川橋の付け根の部分から大利根に向かう方向、以前自転車が走れる道など一切なかったように思うのだけど、ここにも自転車道的舗装路が出来上がっていた。


              こちらのほうが実は結構驚き


               これ、どこまでつながっているんだろう。
               右岸のサイクリングロードは加須未来館でぷっつり切れていたけれど、ここもつながったのかな。
               ──っていうか、これもかなり古い話?
               なんせ、サイクリングロード嫌いだからふだん走らないもので……。


              川沿いと城

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                 午後も2時半をまわろうというころ自転車を引っ張り出した。

                 春日部の街中を抜けて、庄和から江戸川土手へ。
                 土手のうえに上がって驚いた。ものすごい横風が吹いている。──今日、こんなに風強かったっけ?

                 落ちる影もすっかり伸びて、もう夕方の雰囲気なのに江戸川にはかなりの自転車がいた。横風に取られるハンドルを押さえつけるように舵取りをしながら北上、関宿城を目指した。


                横風にあおられながら江戸川CR左岸を北上


                 自分だけで走るときは河川敷のサイクリングロードなど走ることがなくなってしまったから、関宿城に来たのは久しぶりだった。昔、車道を車と一緒に走るのが怖かったころ、今日と同じコースを走ってよくここまで来た。今でも車と共存して走るのは怖いけれど、河川敷サイクリングロードの退屈さが僕を遠ざけている。
                 今日はボトルを持たずに来たのでここで休憩、ペプシを買って飲んだ。


                いつ以来振りか、江戸川CRと関宿城


                 帰りは散々あおられた横風が追い風になるだろうと踏んでいたのに、微妙に風向きが変わってしまったようだ。
                 関宿橋から県道で杉戸に抜け、今度は古利根川沿いのルート。
                 どうしても楽に走らせてもらえない。


                水量のたっぷりとした古利根川


                 帰り着くころにはすっかり日も傾いた。この時期、日中と朝夕の寒暖差が大きくて肌寒くなった。相変わらず、というよりもむしろさらに風に苦しめられて帰って来た。夕食前になるこの時間に走るのはおなかが減ってしまっていけない。


                あたりアイス

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                   当たりつきアイスで当たりが出るなんて、いったいいつ以来だろう……。


                  スローパンクとバルブナット

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                     この前の猪苗代湖畔サイクリングから帰ってきて、自転車を片していたとき、妻の自転車の後輪がぺしゃんこになっていることに気づいた。
                     朝、家を出る前に空気を入れた。猪苗代湖畔を食事や休憩も交えながら走り、そのときは何も意識を持たずに乗って終えた。しかし帰ってくると完全なるパンク。バーストしたり、瞬間エアー抜けの音とともに勢いよくタイヤがぺしゃんこになってしまう、僕が一般的に経験するようなパンクとは違う。気づかない程度少しずつ抜けていってしまう、スローパンクだった。
                     実は同じようなスローパンクに以前にも見舞われていた。
                     空気を入れるとあまりにもゆっくりと抜けていくので、正直パンクと気づくのにずいぶん時間がかかった。

                     そして今日、それがパンクだと発見するのにもだいぶ時間を要した。水を使い、チューブを突っ込み、水の中で上がる泡を探した。それも15分位してやっと見つけた。



                     穴を見つけるまでは「パンク修理で乗り切れるかな」などと考えていたのだけれど、場所が場所(バルブの完全な付け根)だけに考えることもなくやめてしまった。この位置であればもうチューブ交換しかない。

                     新しいチューブには、バルブのねじ切りとそこにバルブナットがつけられていた。
                     これの重要性はどのくらいだろう……。

                     今まではどこのメーカーのものであれ、バルブナットをつけるということをまったくしていなかった。
                     ただ、パナレーサーのホームページに行くと、「リムナットは、バルブステム(管の部分)が斜めに倒れたりしてリム穴の縁でチューブが損傷するのを防ぐ目的を持って」いることからつけるよう指示が書かれている(パナレーサーではバルブナットをリムナットと称している)。



                     僕がよく使っているミシュランのチューブであればそもそもねじ山が切られていないので無理だが、バルブにネジ切りがありバルブナットの付いているパナレーサーのタイヤであればつけるべきなのだろうか。
                     さらには今回のチューブはパナレーサーのものではないけれど、バルブナットをつけるべきだろうか。



                     まあパナレーサーがそういうのだから、つけてみた。

                    ヤビツ・大山詣 (2013-04-28)

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                       小田急線の秦野駅に降り立ったのが8時40分。改札前にはたくさんの人がいた。みんな待ち合わせをしているよう。
                       そのなかで僕に向かってYさんが小さく手を振っていた。

                       Yさんと会うのは1年半ぶり。前回は陣馬山から高尾山へのハイキングに連れて行ってくれた。ここのところ高尾山続きだったので、違うところに行きましょうと計画してくれた。
                       コンビニで昼に食べるおにぎりをふたつ調達し、駅前へ出た。そしてYさんが言う。
                      「行列に驚きますよ。こんなことになっているとは……」
                       Yさんは僕よりも早く着いていたようで、僕が来る前に駅前に出てみたようなのだ。ロータリーへの階段を下りると長い長いバス待ちの行列があった。
                       前回向かった陣馬山でも、高尾山から向かうバスがすし詰めだった。でもそんな比じゃない。

                       何本もの臨時バスが出て、一度静かになったあとまた何本かのバスが来た。臨時便が行ったり来たりしているのだろうか。
                       列の前から順に車内に押し込まれ、僕らは中扉付近に立った。というよりそれより奥に入ることができなかった。
                       そして、バスはヤビツ峠に向けて出発した。

                       ハイキングは一年半ぶり。そう、僕はYさんと一緒でなければ山に行くことはない。
                       山歩きのノウハウもまったくなければ、他に周囲に山をやる人もいない。したがって自分から山に行くこともなければ、Yさん以外が山に連れて行ってくれることもないのだ。
                       Yさんさまさまである。

                       登山客と自転車でヤビツ峠はいっぱいだった。
                       ヤビツ峠はクライマーが集まる自転車のメッカだと聞く。にしてもこれほどまで自転車がいるとは驚いた。バスの車内からも何台もの自転車を見かけたし、それはまるでみなが連なって走っているように見えるほど、たくさんの自転車がいた。
                       僕はまだヤビツ峠に自転車で行ったことはない。

                       今日はザックを背負い、大山へ向かう。
                       Yさんは「バスから降りた人の4分の3は丹沢縦走路に向かうから、大山に向かうルートは混んでいない」と読んだが、見た感じ半々に分かれたようだった。
                       大山へのルートは一度上って軽く下りまた上った。抜いたり抜かれたりしながらも人が常に歩いていた。Yさんはこんなに人が歩いているのを見たことがないと言った。
                       途中、富士山が見えるポイントが何度があったが、富士山には雲がかかってしまっていた。朝、秦野に向かう小田急線の電車のなかからよく見えただけに残念だった。

                       一時間と少しくらい歩いただろうか、大きな合流ポイントに着いた。
                       それは大山ケーブルカーから来る道で、大山登山にはごくごく一般的なルートだとYさんは言う。
                       絶え間なく人が上り続けていた。そして合流後の山頂へ向かう道もすき間なく人が歩いていた。僕らは何とかその行列のなかに混ぜ込んでもらい、山頂へと向かった。
                       それにしてもものすごい人の量だ。まるで巡礼だ。

                       山頂まで距離はなかった。おかげでひたすら前を歩く人のペースをコピーするように歩くしかなかったが、時間はさほどかからなかった。
                       まるで小学校の遠足が何校も集まってしまったような、座るスペースを誰もが探す事態に陥っていた。
                       お昼を少し過ぎ、朝、駅のコンビニで買ってきたおにぎりを昼食にするべき時間だった。
                       そういえばここまで上る途中、平らな箇所があれば人がいたっけ。彼らはガスのシングルバーナーを持ち寄って昼食の準備をしているようだった。つまり彼らは山頂をあきらめ、ここで昼にするのだろう。
                       僕らは何とかふたりが腰を下ろせる場所を見つけ出し、やっと昼食にありつけた。
                       大山山頂からは江ノ島や逗子のほう、反対には小田原そしてつながる相模湾、真鶴半島まで見えた。しかし空気が澄んでいれば、東京まで見渡せるのだとYさんが言った。さらには状況が許せば筑波山も。
                       残念ながら今日は横浜をモヤのなかから見つけ出すのが精一杯だった。

                       下りは大山ケーブルカーへ向かう計画としていた。
                       その下りはずいぶんと急な坂道だった。すれ違う誰もが息を切らせながら上ってくる。その様子を見てヤビツカら来てよかったと思った。
                       僕はちょうけい靭帯炎を起こしやすいので、下り坂は特に注意。前回Yさんに連れて行ってもらった陣馬山から高尾山に向かうルートでは、高尾山に着くころには歩けないほどひざが痛くなってしまっていたからだ。
                       しかし岩中心の道は足場が少なく歩きづらい。ヤビツから大山に向かうルートは丸太で組まれた階段状の道だったから足場にも幅があった。同じ道幅でも岩中心では歩く箇所が選べなくなってしまう。

                       阿夫利神社まで下ってきた。この下りは下ってきたというより人の流れに乗ってきたという感じだ。前後に常に人がつながり、様子の見えにくい前に後ろから追い立てられるよう、後ろを歩いていた山慣れしたおばさんがあまりに距離が近く、僕の足の真横にストックをついてくるものだから滑って僕の足元まですくわれないかとびくびくしながら進まなくてはならなかった。
                       それでも「ここまでなら普段着の人も来る場所ですから」というYさんの言葉にほっとした。

                       臨時に頻発するケーブルカーは15分程度待つことで乗ることができた。高尾山で見た「ケーブルカー90分待ち」の看板を思い出して恐れていたのだけど、ここ大山は人の多さのわりに待ちが少なくてよかった。まだ人はみな山頂にいるのだろうか。
                       そしてふもとで大山豆腐づくしを食らい、バスで伊勢原に出たあと、ひと駅だけ電車に乗って鶴巻温泉へ。駅前の日帰り入浴施設へ向かったらなんと山屋ばかり。誰も考えることは同じなのか。その混雑はまれに見るほどだったようで、従業員が入場制限に追われていた。

                       こうした僕の日常にないトリップができるのもYさんのおかげ。めったに一緒に出かけられる機会がないけれどこんなにありがたいこともない。僕の力量を想定して適正なコースを計画してくれる。おかげで僕はついていくだけでいい。
                       僕は道路と違って山の道にあまり明るくないので、帰ってきてからコーヒーを飲みながら今日通ったルートを地図や案内図で確認して楽しむのだ。とっても楽しい。


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