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    • 2017.12.04 Monday
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    杖突峠、分杭峠?

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       9月に入った。
       青春18きっぷの残数が2回分。もう今週と来週で使わなくては。

       茅野へ行こうと思う。
       ふと2、3日前に思いついた。茅野から南へ向かう国道152号を走ってみたい。中央構造線ルート、杖突街道から秋葉街道と呼ばれる道だ。本当なら青崩峠までも何とかして、浜松の海まで行ってみたいと昔から思っているルートを走りたいところだけど、さすがに輪行も含めて一日で走るのは無理だ。だから、一日で走れる範囲を。

       最初考えていたルートは単純に国道152号を進むルート。
       茅野から杖突峠を越え、高遠。そこからさらにまた峠を越える。分杭峠。そこから大鹿村まで進んだら、飯田線方面に下り、伊那大島駅から輪行、そんなルートだった。

       道としてはだいたい頭に浮かんだものの、実際にどういうところなのか情報がない。
       そんなわけで色々と情報収集していた。
       分杭峠──調べてみると出るわ出るわ、ゼロ磁場によるパワースポット。テレビで紹介されたらしく分杭峠のパワーは人を呼び、付近は大渋滞、結果、途中地点に駐車場を設け車の進入を禁止し、シャトルバスでの輸送になっている。ゼロ磁場にはパワーを受けようと人が滞る。よくある人であふれた観光地と異なり、流れ作業的に人が流れていくわけでなく、自分が納得いくまでパワーをからだに吸収するということをみなするものだから滞在時間も長い。車の流入をとどめても人であふれる状況になっている。
       そんな状況を知り、なんだか急激に冷めてしまった。
       僕は別にパワースポットを否定するつもりもないし、場所によっては「これがパワーか?」などと何らかの感じるものがあったりする場合もある。そのパワーによりからだが健康になったり、自分に自信がついたりすることもまったく否定しないので、訪れる人は訪れる人でいいと思う。
       ただ、自分までそこに乗り込んで行って、パワーによる何かを受けよう、という気が冷めてしまったのだ。

       分杭峠はやめよう。

       次に思い立ったのは、杖突峠は越えるものの、高遠から伊那に抜ける。さらに中央アルプスも越えて木曽路へ。旧中山道、奈良井の宿場がかつての街並みで保存されているらしい。同じ旧中山道ですっかり有名になってしまった妻籠・馬籠に比べてまだそれほど知られていないこともあって、人でごった返していることもないだろう。最寄にJR中央西線の奈良井駅もあるから輪行にもちょうどいい。

       茅野は遠い。
       東武線朝の上り始発列車に乗っていたら遅くなってしまう。JR武蔵野線の南越谷駅まで自走して、武蔵野線の一番列車に乗ることにしよう。
       いつにも増して早く出発しなくては。

      各種輪行置き場集

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         青森自転車旅へ出かけたときの輪行袋置き場集。
         本編で書いたが、走り始めて早々輪行袋を落としてしまい、途中で購入したという大失態のため、行きはオーストリッチ/ロード220輪行袋、途中から帰りはタイオガ/コクーン。


        常磐線/E231系
        先頭車両運転台部


        寝台特急あけぼの/24系寝台車
        乗車車両のデッキ。ドアステップ部が一段降りた階段状になっている。
        加えて扉が折り戸で、内側に入り込んで開いてくるため、車体端に寄せて置くことができない


        津軽線/キハ40系
        トイレ横の壁に沿わせて
        トイレ入口はデッキ側で通路側は壁のみ


        大湊線/キハ100系
        車椅子スペース


        IGRいわて銀河鉄道/7000系
        JR東日本701系、青い森鉄道701系と同型車種
        最後尾。ワンマン運転列車は最後尾乗務員室の出入りがなく工夫すればいろいろ置ける


        東北新幹線/E2系
        輪行袋収納時の写真撮り忘れ。デッキにある大型に持つ置き場。
        手すりは外すことが可能、中の荷台は折り畳みが可能。
        コクーンは中の荷台を折りたたみ、中間の手すりを取り外せば収納可能

        青森県自転車旅 2日目 大湊→下北 (2012-08-23)

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          本日のルート



           朝食を終え、部屋に戻って荷物をまとめた。つけていたテレビの天気予報は、前線が北から南下して青森県に停滞するため、県内は雨が降ると言っている。予報は昨日の夜から同じことを言うだけで変わらなかった。つまりは確度の高い予報なのだろう。きょうで旅を切り上げるか──。
           度重なるネガティブな要素に意気込みも下がりっぱなし。予定していたコースもすっかり追えない状況になってしまったからコースを考える気力も生まれてこない。そんなわけでこのまま面倒な気分だったら帰ろう、と思った。

           宿を8時に出発した。天気は悪くない。
           昨日の夜はまったく気づかなかったが、大湊駅前を通る国道338号は幹線道路だった。平日の朝8時といえばちょうど通勤時間帯。道路はのろのろと車が進み、交差点で信号に止められると長い行列になった。
           僕も交通量の多い方面へ車の列と一緒に向かう。
           むつ市内へいったん向かい、そこから国道279号で北上し、大畑へ行ってみようと思っていた。大畑は廃止されてしまった下北交通大畑線の廃線跡や大畑駅の駅舎が残っているらしい。さらに先には国鉄大間線の遺構も残っていると聞く。大間線は着工まで至ったものの、完成・開業することなく終わってしまった未成線と呼ばれるものだ。それらを見に行ってみようじゃないか、と思った。それくらいなら雨に降られる前に切り上げられそうだからだ。あとのことは大畑に着いてから考えれることにした。


          下北駅周辺は意外なほどに栄えていた


           むつ市の中心街から田名部にかけて、渋滞と沿道の栄えぶりに驚きながら走った。埼玉県の国道沿いとほとんど変わらないと思った。
           田名部から国道279号に移り北上、大畑を目指す。
           細かな起伏が現れる。坂としては大したことはないのだろうがなかなか疲れるアップダウンが繰り返し続いた。
           大畑線はこの国道279号にほぼ沿うように運行されていたらしい。このアップダウンを気動車も煙を出しながら上り下りしていたのかそれとも切通しの路盤があったのかはわからないが、何箇所か途中に駅もあったようだ。

           少し長めの坂を下ってくると景色が開け、川に鉄道橋梁がかかっているのが目に留まった。
           出戸川橋梁のようだ。遠目に見ても枕木までいまだ残っているのが見える。
           まるで、しばらく待っていれば今にも列車が走ってきそうな光景だ。キハ22が下北交通仕様に改造された気動車が。


          出戸川橋梁


           さらに坂を下ればすぐに大畑の街だった。下北から18キロくらい。坂はあったけど1時間程度で来ることができた。
           大畑は静かな漁村だった。


          電球をたくさんぶら下げたイカ釣り漁船と思しき船も止められていた


           旧大畑駅の駅舎が現存していると聞いたので、街中を少し走り回っていた。
           走っていると、「大畑駅」と書かれた青看があり、細かい地図がなくてもたどり着くことができた。しかし廃止されてもう10年以上になるはずだが、それでも大畑駅の案内が残るということは、駅は街の大きなランドマークのひとつだったんだろうと思う。
           今は駅前ロータリーを使って、バスターミナルになっていた。駅舎はバスターミナルの事務所、そしてホームと線路はそのままの形で残されていた。


          大畑駅舎


          レールも腕木式信号機もそのまま残されていた


          駅名標はおそらく国鉄時代のままのものだと思う


           なんだか妙に満足できた。もういいんじゃないか。今回の旅はこれで終わりにしよう。
           本当は青森県津軽半島の三つの突端、「竜飛崎」「大間崎」「尻屋崎」をめぐれたらいいだろうと思っていた。今回、計画の段階で上手く組み込めないように思え、尻屋崎は除いた。それでも走ってみていけそうだったら三箇所制覇は悪くない企画だと思っていた。
           しかし初日段階で計画が破綻し、再計画を試みるもあまりにも大きすぎる青森の大地にアイデアがまったく浮かばなくなってしまった。一箇所だけでも──たとえば大間崎とか──行ってみようかと最後まで悩んだけど、やっぱりいいやという気になった。今回の教訓を生かしつつ、行きたければもう一度来る機会をうかがおう、そう考えた。

           僕は大畑駅を見終えたあと、大畑川を渡り海沿いを少し進んだ。そこには大間線の橋梁の遺構があった。立派なコンクリート造りの橋梁は、大畑線とは異なり一度も列車が走ることなく役目を終えている。
           まだ10時前だった。きょう旅を終えて帰るにしてもまだ時間はある。
           ならば、薬研、恐山経由で帰ろうかと考えた。と言っても恐山に立ち寄りたいわけではない。恐山は有数の観光地のひとつではあるけれど、拝観料を払ってめぐるそこにはまったく興味が湧かない。ただ来た道と同じルートでむつへ戻るのが面白くない、と思ったからだ。
           国道279号から大畑川ぞいの県道4号へ進路を取った。


          大間線のコンクリート橋


          県道4号 大畑川に七夕の吹流し?


           県道4号はのどかな道だった。単純に国道に比べて交通量がぐんと少ないからだと思う。大畑川沿いに進む。青看には薬研6km、恐山20kmとある。なかなか距離があるなぁ。恐山の周辺は激坂の山道だと聞くし。
           そしてまた不幸が襲った。
           少し気を抜いてボーっとしていたのだろうか。あまりそのときの意識がない。
           自転車がすっと左に寄ってしまい、アスファルトの縁からタイヤが落ち、路肩の草むらへ入ってしまった。自転車はバランスが取れるはずもなくそのまま僕はアスファルトに叩き付けらるように転んだ。
           そのときペダルは勝手に外れてしまったのだろうか、あるいは靴につながったままだっただろうか、いずれにしても自転車が路肩の草むら深いところへ落ちていった。


          まさかの転倒


           自転車を引っ張り上げ、チェーンやスプロケット、ディレーラーに絡みこんだ草を取り払った。車体を持ち上げてペダルを回せば上手く回る。自転車は大丈夫そうだ。
           自分はどうだ? 叩き付けられた右腕を見ると血が滴り泥と草で汚れていた。まずは洗わないと、と思った。ボトルのなかはスポーツドリンクだったのでこれで流すことはできなかった。周囲には何もない。先に進んでも薬研への山道になるだろうから、迷いもせずにUターンし大畑方面へ戻るように走り始めた。どこか自販機で水を買えばいい。
           思いのほか自販機に出会わず、しばらくすると高台に神社が見えた。お清めの水があるかもしれない──そう思った。自転車を入口の鳥居に置き、石段を登った。手水舎はなかった。が、水道があった。お清めに使われているのか。そりゃひしゃくより水道のほうが今の僕にはありがたい。ずいぶん古びた水道でもしや水はもう来ていないかと思ったが、蛇口をひねると水が出た。ありがたかった。僕は手についた泥、草、血を洗い流した。水が激しくしみた。


          高台の神社と水道


           賽銭箱も見当たらなかった。朽ち果て気味の高台の神社に僕は深々とお辞儀をし、石段を降りた。石段を降りているうちにまた血が流れ出してきた。──これは消毒して押さえておかないといけないな。この傷見せて新幹線に乗るわけにもいかないな。
           これで僕も吹っ切れ、この旅に終止符を打つことを決めた。薬研など寄り道遠回りをしている場合ではない。このまま帰ろう。

           大畑に戻ってドラッグストアを探した。さすがにこの傷をそのままにしておくわけにはいかない。街中で偶然にも大型のドラッグストアを見つけることができた。消毒とガーゼと包帯かな?──うろうろ探していると売り場に薬剤師のおばさんがいたのでどれがいいか相談してみた。自転車で転んで腕を擦ったと言うとその傷を見てマキロンと大型の傷パットを持ってきてくれた。僕は受け取りレジへ並んでいるとそのあいだにはさみとティッシュを持ってきてくれた。マキロンをかけて拭き、傷パットを腕の傷にちょうどいい形に切って貼ってくれた。僕にははさみもないし、傷も右腕だったので到底できないことだった。深々と頭を下げて本当に助かりましたとお礼を言った。この先も気をつけてねと笑顔で見送ってくれた。

           何か見えない力が僕をここから返そうとしている──初日からの出来事を振り返りそう思えた。宗教や迷信を強く信じるほうではないが、感じるものには従う心はある。今僕がこの地にいることは時と方角がよろしくない、出直してくるべきとの思し召しと勝手ながら捉え、その力にありがたく従うことにした。
           ドラッグストアの駐車場で大湊線の時刻表を調べた。
           下北駅11時56分、そのあとはリゾート列車が入ってしまい普通列車が来るのは14時台。今10時55分。来る時に1時間かかったアップダウンばかりの道と、輪行パッキングをすることを含めて1時間。でもいけない時間じゃないかもしれない。間に合わなかったらそのときに次のことを考えよう、と僕は走り始めた。

           無事、下北の駅に11時40分頃着いた。
           アップダウンのある約18キロを1時間かからないで走れたのは自分でも驚くほど早かった。走りながらへえこんなスピードで走れるんだと思った。腕はやはり次第にズキンズキンと痛み出してそりゃそうだと苦笑した。


          到着した下北駅


           何ひとつ予定通り行かず、余計な出費ばかりがかさむ旅もここで終えた。
           間に合ったとはいえ時間はギリギリのなかあわてて輪行パッキングをし、トイレに行っていたら「列車入りますよ」と駅員にせかされるほど時間はなくなっていた。きのうの夜乗った普通列車は2両編成だったのに、今回の大湊線は1両だった。ひとつ前の始発駅大湊ですでに席はいっぱいになっていてドア近くから奥に入ることはできなかった。それでも乗れたのだから列車はこのまま僕を運んでくれる。
           ドアが閉まって強力なエンジンの加速で出発した。発車して数分もしないうちに車窓は激しい雨と雷に見舞われた。天気予報は見事だった。


          青森県自転車旅 1日目 弘前→後潟 (2012-08-22)

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            本日のコース



             弘前駅は新しくて大きな駅だった。
             旅のムード満点の寝台特急あけぼの号から降りたにもかかわらず、新興住宅地のような駅のホームとあけぼのから降りた他の客のあわただしさに飲まれ、まるでふだん使っている東武鉄道の駅にでも降りたような気分のまま改札口へ向かった。改札も自動改札でここまで使った「東北フリー乗車券」のゆき券も当たり前のように処理された。
             駅ビルの階段を下り、見上げるほどのビルの前で自転車を組み立てた。


            今回の出発地 弘前駅


             自転車を組みながら「ひとつ手前の大鰐温泉で下車すればよかったかな」と思った。しかしそれは現実的ではない。きょうはひたすら北上を続け、竜飛崎へ向かおうと思っているのだ。距離にして百キロを超えている。テント泊をするわけじゃないから、途中経過や残り体力を見つつどこかで宿も手配しなくちゃいけない。ひとつ手前とはいえ特急の停車駅ひとつ分距離を増やしてしまうことは考えられる選択肢ではない。
             それでもビルに囲まれたコンクリートジャングルの中で自転車を組んでいるとそういう気分にもなってしまう。

             スポーツドリンクを買ってボトルに入れ、出発した。
             弘前公園のお堀に沿うようにすすみ、やがて岩木川を渡った。
             弘前市内を見ることなく抜けてしまった。本当は、近代洋風建築として残る教会や図書館、五重塔なども自転車から見える範囲で眺めてから行こうと思っていたのだ。弘南鉄道の中央弘前駅も見てみたいと思ってた。ふだんはガイドブックなどあまり見ない僕が、このために図書館でガイドブックを借りてきてまで調べたのに、結果素通りしてしまった。何ひとつ目に留めていない。
             それには弘前市内の自転車での走りにくさがあった。自転車が走るようにあまり考慮されていない道路事情というのもあるが、車の走り方からこの街の風土として自転車が走ることを受け入れていないのが感じられたからだ。不思議なものでそういう空気は瞬時に察知できる。自転車に乗る人ならその空気はみんなすぐに感じることが出来ると思う。──あ、この街は自転車が走ることをよしとしていないな、そういう空気感だ。
             そうなると気持ちも冷めたもので、早々に市街地を通過してしまおうとなるわけだ。

             県道37号を北上して五所川原へ向かった。岩木山が左手に見えていた。りんご畑が両側に見えていた。ときどき岩木川が右手に見えていた。板柳という街で岩木川とクロスし、対岸の国道339号へ移った。北に向かっている限り全般的に追い風が吹いていて、それはそれでありがたいのだけどもうすでに蒸し暑さを感じていた。
             国道339号に入るとこの日初めて「竜飛」の文字を見た。80キロもある。うんざりした。
             津軽半島の十三湖から小泊そして竜飛へ向かう道は風が強くて有名なのだそうだ。今でこそ追い風で進んでいるが、ひとたび風向きや自分自身の進行方向が変われば抵抗になってしまう。手放しで喜べないのはそこだ。平野部をゆく今でさえこれだけの風を感じるわけだから、はなから強いとされる海岸線沿いに出たとき、風が味方になるかどうかは大きな問題だ。


            道の左手には岩木山


            竜飛への長い長い道のり


             JR五能線の線路を越えた。五所川原に近づいた。
             ここで大きな失態に気づいた。キャリアバッグにくくりつけていた輪行袋がなくなっている──。
             どうやら、走っているさなか落としてしまったのだ。くくりつけが甘かったか。

             当面、走り続けることに問題はない。輪行袋を使う局面は帰りの列車だけだからだ。それまでに調達すればどうにかなる。さすがに自走で埼玉県に帰ることは現実的ではないから、手に入れる必要はあった。
             どうしよう──きょう走ろうとする距離から考えると先に進みたい一心だったが、五所川原の町で自転車屋を探してみようと思った。
             先々のことを考えてみる。小泊、竜飛、三厩、蟹田、脇野沢、佐井、大間、大畑、大湊──どう考えても五所川原で手に入れることができなければその先は難しそうな気がする。


            立ち寄ってみたかった津軽鉄道津軽五所川原駅


            残念ながら列車は来ていないようだった


             五能線五所川原駅で周辺の自転車店を探してみる。駅の待合室はクーラーでよく冷え、人でいっぱいだった。こんなにも列車を待つ人がいるのかと思ったが、待合室のテレビでは青森の光星学院高校が戦う高校野球の準決勝を流していた。準決勝までくるのはすごいことだ。これを見ている人もいるのだと思う。

             あたりを付けた自転車店を回ってみる。バイクと併売している店も多い。三件目にしてクロスバイクを店頭に並べている店に出くわした。
             期待をこめて輪行袋があるかと聞く。──ない、という。
             五所川原にはない。さらにこの先金木から十三湖、竜飛に抜けていこうと思っていることを告げると、その方面は自転車屋自体がないだろう、という。
             輪行袋を置いてあるとするならば、青森市内。弘前市内にもあると思う。青森は距離もあり山越えになる。弘前がお勧めとのこと。

             礼を言い店を出た。しかし弘前に戻る気はなかった。まさに今走ってきた道だ。その道をピストンで戻るなど考えられない。山越えでも青森市に向かうことにした。もうすでにこの自転車旅のすべてが白紙だ。
             もうひとつ残念なのは地図がないことだ。愛用のナビも今回家族が使いたいというので置いてきてしまった。代わりに地図を印刷してきたものの、できるだけ荷物を減らしたいからコース上にあたる場所しか持って来ていない。青森市は経路上になかったから地図を持っていないのだ。携帯電話で地図を調べる。五所川原から青森へは国道101号と国道7号をつなげれば行けるであろうことがわかった。それ以外にも交通量が少なかったり風景のいいところを通る県道もあるかもしれないが、携帯電話からの情報だけでは選びきれないので国道をつないでいくことにした。


            山越えの最中に35度はきつい


             かくして青森市内で輪行袋を手に入れて時間は午後2時になっていた。
             この先の自転車旅をどうするか考えなくちゃならなかった。ゆっくり座って考えたかった。青森駅近くにドトールを見つけたのでそこに入ってアイスコーヒーの大きいサイズを頼んだ。手持ちの地図に青森市内がないのでどうもうまく考えがまとまらない。しかしながら蟹田に向かえばもともとのコースに合流できるのではないかと考えた。プランでは、あす蟹田からフェリーに乗り対岸の下北半島、脇野沢に渡るつもりでいたからだ。
             地図がないから蟹田への距離感がまったく沸かない。それでも海に沿う国道280号を進んでいけば、青看で「蟹田xxkm」の表示が出るに違いないと思った。距離感がつかめてきょうたどり着けそうだとわかったら宿を手配しよう。

             青森市内も弘前市内同様、自転車では走りやすい道とは思えなかった。少なくともここまで走ってきた国道7号をもう一度走るのは嫌だったので、青森駅を越えるベイブリッジを渡ることにした。
             橋の上から国鉄マーク(JNR)の八甲田丸が見えた。青函連絡船の歴史や品々を展示する博物館になっている。青森駅の線路は今でも海に向かって突き出していた。


            青森ベイブリッジと八甲田丸


            海に突き出す青森駅のレール


            なぜかこんなところにJASカラーのYS-11


             距離を示す青看はいつまでたっても現れることがなかった。弘前から五所川原に向かうあいだは、竜飛までの途方もない距離を無機質にカウントダウンしてくれていたというのに、だ。
             時間を決め、青看が現れなければ止まって宿を押さえる電話をかけることにした。携帯電話の大雑把な地図で確認する限り、蟹田までの距離の半分は来ているんじゃないかと想像できた。そして青看は現れずじまいだった。
             蟹田の宿泊施設を調べ、上から順に電話をかけた。
             4件検索されたうち1件はキャンプ場だったので実質3件。上から順に電話をかけるが3件の宿ともすべて満室、との回答を受けた。
             実は予想していなかったので驚いた。平日だったしお盆週とは一週間ずれている。問題ないだろうと思っていたのだ。また練り直した計画がすべて白紙に戻った。輪行袋に続くまたまたのダメージだ。
             手っ取り早く思いつくのは青森市内に宿泊することだ。人も多いかもしれないが宿泊施設のパイも多いので取れないということはないだろう。それでも気乗りはしなかった。結局青森に戻るということは同じ道をまた戻るということになるし、市内を自転車で走るということが嫌だった。
             いっそ、下北半島へ行ってしまおうか。
             列車の時間を調べてみた。津軽線で青森へ、青い森鉄道で野辺地へ出てそこから大湊線で大湊へ。乗り継ぎはうまくつながるようで、19時20分には大湊に着ける。
             それならと下北、大湊周辺で宿を検索し、電話をかけた。無事大湊で宿の確保ができた。

             そうなれば輪行である。
             津軽線の最寄の駅へと自転車で急いだ。駅は後潟(うしろがた)という駅だった。待ち時間40分ほど。さっき手に入れたばかりの輪行袋コクーンに自転車をしまった。準備を終えて待合室のベンチに座ると急にどっと疲れが出た。それでもまだ気を抜かないようにしなくちゃいけない、これから3時間弱列車移動なのだ。

             1面ホームの後潟駅には、先に下り列車の蟹田行きが入ってきた。701系の電車は空いていた。高校生がひとりとおばさんがひとり下車した。おばさんはそのまま迎えが来た車で帰っていった。高校生は駅前に止めていた自転車に乗って帰っていった。
             今度は上り列車が来る番、僕は自転車を持ってホームに出た。すでに傾いた西日がホームをオレンジ色に染めていた。おそらく電車は空いているだろう。
             近くの踏切が鳴り出し、僕だけしかいないホームに自動放送が流れた。
             やってきたのはキハ40の1両だった。一日に一往復しかない三厩からの直通列車だと思われる。乗り鉄をしていれば701系電車よりもキハ40系気動車のほうが圧倒的に高揚するはずだが、輪行移動であることと、1両運転で混雑する車内では気分も盛り上がらなかった。


            きょうのサイクリングはここで終了


            パッキング完了(シートポストキャリアはあす以降を考え、そのまま)


            なんとやってきたのはキハ40単行


            そりゃいっぱいだよな、1両じゃ


             大湊線を終点まで乗り継ぎ、すっかり夜。
             宿に身を落ち着けるころにはぐったりきた。どうも今回負のパワーにとりつかれているようだ。モチベーションを維持するのが難しい。前向きになる要素が欲しい。

             床に転がり天井を眺めながら考えた。毎日々々、輪行とサイクリングを何ヶ月にも渡りひたすらくりかえす火野正平氏のサイクリングにいまさらながら恐れ入った。
             僕は200kmを1日で走るよりも1日100kmを2日、あるいは1日70kmを3日続けて走るほうがきついと思っている。それを週4日、3ヶ月強に渡って番組を続けていた火野正平氏と周囲のスタッフのパワーとモチベーションの強さを感じた。
             自分はまだまだそこまで至らないな……残念ながら。
             あすのコース、行き先、すべて考え直さなきゃならないのに時間ばかりが過ぎ、さすがに寝なくてはと部屋の明かりを消した。

            青森県自転車旅 0日目 (2012-08-21)

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               久々にシートポストキャリアとキャリアバッグを引っ張り出した。
               行きの列車のきっぷしか確保していないから、コースはなんとなく考えているもののそれも一日どこまで走れるか行き当たりばったり。テント泊するつもりはないからテントも寝袋もマットも自炊道具も持たない。それでも10Lのキャリアバッグだけに収めようと思えばそれなりに取捨選択しなくちゃいけない。持って行くものを洗い出し、荷物の準備を終えて自転車にキャリアもくくりつけた。


              整理したものを洗い出しチェックリストまで作った


              荷物のおまとめ完了


              自転車への準備も完了


               あとは出発時間を待つだけ。

               シャワーを浴び、夕食を食べた。あたりは日が落ちて夜になった。夜行列車での出発にはもってこいの時間の進み方だった。気分はどんどんと高揚し、いても立ってもいられなくなる。旅行はいつだって出発のときが一番いい。出発の時を迎えるために、前々から順次計画を進めたり前夜目が冴えて眠れなくなったりするのだ。

               高揚しすぎる気持ちは、「遅れるよりはよほどいい」、「出発の列車を万が一逃すようなことがあればすべての計画はその時点で破綻する」などと言い訳ばかりを考える。結果、まだずいぶんと早い時間にもかかわらず駅に向かって出発することにした。

               いよいよ出発だ。駅まで1キロの距離、旅行スタイルの自転車で思いもよらない短距離を走る。
               走るからにはそれなりにきちんと荷物を付け、駅に着くといったんはくくりつけた荷物を外し、輪行の準備をした。シートポストキャリアもあるし、少しパッキングには時間がかかるだろうと思った。しかしそんなことはなく、いつもより少しだけ時間のかかる程度、10分と少々でパッキングをすべて終えた。
               また予定の時間を早めてしまった。それでもいいやと僕は改札口へ向かった。


              シートポストキャリアは一度外し、
              逆さ向きに取り付けてトップチューブに沿わせるように収納


              パッキング完了。キャリアにつけてきたバッグは付属の肩ヒモで肩にかけて歩く。


               上野駅の13番ホームではすでにあけぼのの入線を待つ人が相当数いた。
               13番線以外は地味に生活感を感じさせる、通勤電車がひっきりなく発車していった。

               あけぼのが入線してきた。上野駅始発の客車列車は、駅構内に機関車の入れ替え設備がないことから尾久の車両基地から一番後ろに付けられた機関車が上野駅まで後押ししてくるのだ。真っ青な車体がゆっくりゆっくりと13番ホームに入ってきた。出発すれば機関車は先頭に成り代わり、つないだ客車を引っ張って出て行くことになる。
               あけぼのの車両は24系25形といういわゆるブルートレインだ。鮮やかな青の車体を見るとどうしたって気分は盛り上がった。この色の車体であることが本当に旅情を掻き立てた。


              いよいよ乗るべき車両が入線した


              平日で通勤帰りの多い上野駅、ここだけが異空間


              自転車は車掌と相談しデッキの手すりにくくりつけることに


               電気機関車の汽笛が鳴る。前から順々に連結器が引かれる大きな音がする。
               列車はゆっくりと上野駅のホームから北へ向けて走り出した。

              青森県自転車旅 序 (2012-08-22..23)

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                 青森県の自転車旅から帰ってきた。

                 本来はまだ青森県内にいたはずだった。

                 当初イメージしていたコースはこんな感じ。



                 何かといろいろなことが起きた。
                 自分自身に対してここまでマイナスがかぶさるように襲い掛かることは今までなかった。部分々々、あるいは断片的にそういう場面に出くわすことはあっても、最初から最後までこうツキもなければ運も見放したようなことは初めてだった。まるで何か「こんなところでひとり自転車旅などしていないで、早く帰らないといけないんじゃないのか」とでもたたみ掛けられているかのようだった。

                 実際に走ったコースはこちら。



                 日記にするのもおこがましいという程度の内容だけど、自分自身の整理のために少しずつ書いて行こうと思う。

                魚沼スカイラインとへぎそば (2012-08-20)

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                   さて新潟県の十日町に行こうなどと急に思い立ったのは18きっぷをどう使おうかを考えていたからではなく、久しぶりに「へぎそば」を食べてみようかと考えたからだ。もちろん今の時期に行くのであれば、少々持て余し気味になっている18きっぷを使うことは必然で、十日町へ行く、と、それに18きっぷを利用する、でどうやら上手く計画が立ちそうだということになった。

                   ちなみにへぎそばとは新潟県の特に中越地区でよく見かけるそばで、「へぎ」という長方形のお盆のような器に載せられて出てくることからそう呼ばれるらしいけれど、そばの麺自体も特徴的で布海苔とかいう海草をつなぎに使うらしい。
                   僕はこれまで越後湯沢や塩沢で食べたことがある。もうずいぶん前の話だ。どんな店に入ったかも忘れてしまったほどだ。それなら今度は本場のひとつ十日町へ行ってみようと思った。

                   例によっての高崎線下り初発大宮5時40分の列車に乗った。この18きっぷ三回目の使用で三回ともこの5時40分の高崎行きだ。偶然と言うかなんと言うかよくまあ同じ方面にばかり出かけることだ。日本全国で使えるきっぷなのだからもっと多方面に出かけたって良いものを。
                   高崎からの乗り継ぎは今日は上越線の水上ゆき。この列車が驚くほどの乗車率だった。考えてみれば今日は平日、会社勤めと思われる人が多い。列車は新前橋で席が埋まり少なくとも沼田まではその状態だった。新前橋から乗ってきたとすると両毛線からの乗り換えか、沼田まで行くとなるとそれなりの通勤時間になるはず。関東近県から都心へ通勤する人ばかりが長い時間かけた通勤をしているかというとそうでもない、地方でもそれなりの長い距離を通勤している人はいるのだ。
                   水上で10分少々の乗り継ぎでさらに先へ。列車は長い長い新清水トンネルに入り、トンネルのなかの駅土合に着くと山へ向かう人がたくさん下車していった。谷川岳へ向かうのだろう。

                   僕はそのまま列車を乗り通し、中里、湯沢と通り越して石打で下車した。
                   かつてスキーをやっていたころ何度となく訪れた場所ながら、石打駅で降りたのは二度目だ。ほとんどは車で来てしまうか、新幹線の場合は越後湯沢で降りてしまうからだ。在来線の特急でやってきたことがあるその一度だけだ。


                  ずいぶんと事務的お役所的な印象の駅舎だこと


                   十日町へと向かうのに、ここ石打から国道353号で十二峠を越え、JR飯山線沿いへと出てしまうつもりだった。
                   しかしコースを定めようとツーリングマップルを見ていると、紫色に塗られた道(ツーリングマップルで紫に塗られた道はツーリングマップルのお勧めの道)があることに気付いた。魚沼スカイラインと書いてある。
                   ならばとこの魚沼スカイラインを通るようGPXファイルでルートを作成し、ナビに読み込ませてきたのがきょうのコースだ。

                   石打の駅前から国道353号に入るといきなり上りだった。スキー場銀座のこの辺り、まるでスキー場の斜面にあわせるように坂道を上っていく国道353号はまさにアップなしでのいきなり上りだ。石打まで列車で来ずに越後湯沢で下りて少し足慣らしをしてから十二峠に向かったほうが良かったかもしれない。
                   空はとにかく青く、気温はぐんぐん上がっていった。


                  ぐんぐん上る国道353号


                  上越新幹線の下を抜けて…
                  (上越新幹線はスノーシェッドに覆われ、その下の国道にはコンクリートで作られた更なるトンネル)


                  まるでマジンガーZの口のようなぐるっと湾曲したスノーシェッド


                   十二峠トンネルまでの道もだんだんと勾配が険しくなった。8%の表示を見た。それを過ぎてさらに上るにつれもっときついんじゃないかと思った。きついという個人的感覚だから実際に8%以上あったのかは知らない。でもきつかった。途中工事をやっていて片側車線規制をしていた。上り坂のなかで車線規制があると哀しい。交互に交通を流し、車が通り過ぎてしばらくして僕が規制区間を抜ける。誰も出発できない。自分のせいのようで気分が悪い。
                   十二峠トンネルが見えてきた。石打側からは上りのままトンネルをくぐる。約1.3キロ。


                  スノーシェッドからそのまま十二峠トンネルへ突入する


                   十二峠トンネルを出てすぐ、魚沼スカイラインへの分岐があった。大きく表示されているとは思っていなかった。おそらく林道レベルの小さな県道だろうと思っていたからだ。
                   魚沼スカイラインに入るとセンターラインのない道で予想していた通りの上りだった。上りは目分量で8%くらいで続く。

                   スカイラインとははっきりとした定義こそないと思うが、おおむね山の稜線上をゆく、眺望にも優れた道で、観光目的の道路につけられることが多い。名前に惹かれても眺望面で実はぜんぜんだったというスカイラインもあるが、ここ魚沼スカイラインは上るにつれなかなか見ごたえのある景色が展開された。
                   しかし上っている自分自身はそれどころではなかった。
                   眺望に優れるスカイラインは逆にさえぎるものが少なく、路面に日陰は少なかった。上るにつれ日陰はほとんどなくなった。気温はゆうに30度を超えているようだった。
                   魚沼スカイラインにはコンビニなどは当然だが、商店などひとつもなかった。人家もない。電柱もなく電線が張られていないので、沿道には自販機も一台もなかった。

                   僕のボトルがどんどんと空に近づいていくころ、ここまで見えていた石打方面の眺望に加えて六日町方面も景色が広がった。ここに来て勾配が10%を超えたようだった。目測だ。きょうは持久力とペースの配分とをすっかり間違えてしまったようだ。ぜんぜん上れない。ふだんならば客観的にはともかく、主観的にはもう少し上れているんだろうと思った。僕の力量ではどうしたって無理なのはわかっているが、勾配が10%を超えたのできつくなり始めた──的な書き方を一度でいいからしてみたい。ずいぶんな背伸びだ。


                  魚沼スカイラインへの入口を示す道路標識


                  魚沼スカイライン入口


                  センターラインのない上り坂が延々続く
                  上っても上っても田んぼで稲作が行われているのには驚いた


                  広がる景色・六日町方面


                  広がる景色・石打、湯沢方面


                   魚沼スカイラインは道沿いには本当に何もない。ただただ目に入る景色を楽しむだけだ。無数のタイヤ痕が路面に残っていた。夜は車の遊び場になってしまっているのだろう。この時間にドリフトをする車が現れないことを僕は祈った。
                   何もない魚沼スカイラインに四箇所、展望台と称する駐車スペースと高台がある。
                   そのうちのひとつ魚沼展望台に到着した。
                   唯一施設としてあるのがトイレだ。やはり電気が来ていないのか自販機はなかった。温存するボトルももう底が近い。
                   柵で囲われた高台から眺める展望は目新しいものではなかった。道の眺望があるので、ここまで走ってきたときに見た景色の総括だった。魚沼展望台はそこから見える山々がなんなのかを説明した解説版があった。照りつける太陽の反射が強くてよく読めなかったが、苗場山までも見通せるようだった。山の稜線は見えたが、どれが苗場山なのか僕にはわからなった。



                   どうやら魚沼展望台はここまでの最高点であったようで、その先は激しい下りになった。多少上り返しはあるもののどんどんと高度を下げていく。
                   途中、冬は上越国際スキー場のゲレンデの真っ只中になるのだろう、リフトが左右に無数にかけられていた。
                   それでも自販機はなかった。

                   県道76号との交点を通過した。
                   大沢から上ってきて十日町に抜ける県道だ。メインルートとしてこのスカイラインのはるか下にトンネルが掘られたため、上がってくる車はほとんどないようだった。トンネル経由も県道76号、いわばこちらは旧道の扱いだ。
                   なぜか大沢方面に下りるほうは通行止めだった。
                   その交点を過ぎるとまた少し上って今度は十日町展望台が現れた。
                   同じようにトイレがありそれ以外は何もなかった。
                   僕は迷わず自転車を止めた。トイレに立ち寄ろうかと思ったのもあるが、十日町側の眺望が広がっているのかと思ったからだ。湯沢、石打、塩沢、六日町と魚野川が流れる流域の景色はここまで走りながらも見てきたが、十日町側の信濃川沿いの景色はきょうまだ見ることが出来ていない。


                  上越国際スキー場のリフトが道路をまたいでいく


                  十日町展望台


                   十日町展望台から十日町側の景色を楽しむことは出来なかった。僕が勝手に名前で想像を膨らましていただけだった。見えたのは変わらず湯沢、石打、六日町の景色だけだった。

                   出発すると県道82号との交点を過ぎた。
                   こちらは塩沢から上がってきて十日町に抜ける県道。ここもまた十日町側へ下りる道が通行止めになっていた。

                   僕はこの先魚沼スカイラインを走りきるために国道253号との交点まで向かう。八箇峠というらしい。
                   魚沼スカイラインは立派なスカイラインだ。さえぎるものが本当に少ない。おかげで日陰がない。いよいよボトルは底を突いた。日差しとアスファルトの照り返しにやられからだの疲労もふだんより断然早く、意識も朦朧とするかのようだった。だからうすぼんやりと目に映った景色はかげろうのように見えた。



                   まさにピンボケ写真のように映ったその光景は、結局かげろうでも幻覚でもなんでもなく、なんのことはない本当の通行止めだった。
                   魚沼スカイラインはバリケード封鎖され、一台の軽バンが止まっていた。
                   ふだんだったらバリ突破が頭をよぎるが、軽バンには人がいてそれはかなわなかった。仕方がないので会話をする。
                   「ここ通れないんですか?──十日町に行きたいんですがどうすればいいでしょう」
                   「ジョウコク(上越国際スキー場のこと)のあたりまで戻ると県道76号ってのがあるから、それを十日町川に下りることになるね。その手前に県道82号ってのがあるけど、十日町側は通行止めで」
                   「確かに閉鎖されてました。スキー場までですか……ずいぶん下ってきちゃったな、また上る体力が……」
                   「なあにもうひとトレーニングだよ、頑張れ頑張れ」
                   励まされても今日の切れた体力と精神力じゃどうにもならん、けどここにいてもどうにもならんからあきらめて来た道を戻る。

                   上越国際スキー場はずいぶん下ったあとにあったようで、それほど上らずには済んだ。位置関係と記憶は曖昧なものだった。県道76号との交点に着き、進路を十日町に取って道を下り始めた。ここもものすごい下り坂だった。
                   下り切ると県道76号バイパスとの交点、大沢山トンネルの出口に出た。


                  県道76号との交点まで戻ってきた


                  県道76号の旧道は道細く急な坂
                  しかし田んぼは山あい深くまである


                  大沢山トンネル出口に下りる


                  かかし? かかし祭り??


                   十日町までは緩やかに下りだった。
                   放っておくとぐんぐんスピードが上がる、というほどの下り坂ではなかった。おまけに生ぬるい向かい風が吹いていた。おかげで常にペダルを回していなくてはならなかった。なかなか休ませてはもらえなかった。
                   途中で自販機を見つけすぐに飲み物を買い、また向かい風のなかの下り坂を進んだ。十日町までは距離はあまりなかった。国道117号に出た。ずいぶん交通量が多かった。僕は真っ先に蕎麦屋へ向かうことにした。


                  緩やかな県道76号の下り


                  たどり着いたそば屋


                  「へぎ」という器に入っていないので、ざるそば
                  そばは布海苔をつかったへぎそばと同じもの


                   そばを大盛りにしなくてよかった。僕にとっては結構な量だった。
                   このあとは飯山線沿いに散策をしながら越後川口の駅まで向かおうと思う。

                   まずは十日町の駅まで行ってみた。
                   街並みは古く、それでもひどいシャッター商店街ではなかった。商店街がバイパスのない街中を通る国道沿いだからだろうか。どこの地方都市もこうあればいいのにと思う。大きなバイパスが出来ると人の流れが変わってしまう。しかしながら渋滞を引き起こす街中の旧来の国道では交通が成り立たない。難しい話ばかりだ。

                   十日町の駅は積み木を積み上げたような、きょう出発してきた石打駅のようだった。石打駅と違うのは思いのほか活気があったところだ。ちょうどほくほく線と飯山線が来る時間だったからかもしれない。駅前ロータリーにはバスが入れ替わり立ち代わり入ってきて、駅から出てくる人をいろいろな方面に運んでいった。
                   僕は飲み物を買って飲みながら、その光景をしばらく見ていた。ひとしきり列車もバスも出て行ったので僕も出発することにした。


                  十日町国道沿いの街並み


                  十日町駅 石打と同じように事務的お役所的


                  商店街はそこらに風鈴が下げてあり、涼しさを演出していた


                   飯山線沿いに走るということは、信濃川沿いに走るということだった。
                   考えてみたらずいぶん僕は新潟に縁がない。信濃川という川をはじめて見た。大きな川だった。護岸工事もされておらずスーパー堤防にもなっていない大きな川をみるのは久しぶりな気がした。川はかなりにごっていた。

                   越後川口は、信濃川本流と支流の魚野川が合流する場所だった。いずれも大きな流れだった。川を渡り街へと入っていくと越後川口の駅が現れた。
                   これまた似通った駅舎。


                  はじめて見た信濃川


                  こういう事務的なつくりは新潟の流行りだったのか?


                   ここできょうのサイクリングはおしまい。
                   輪行の準備を整え、これから4時間半の気の遠くなる帰路に着く。

                  夏のサイクリング

                  0
                     ひさびさに泊りがけの自転車旅に出ることにした。
                     行き先はどこでも良かった。行きたいところはいつも温めたりしているけれど、僕の場合どちらかというとそのときに存在する「飛びつくべき何か」に左右されることが多い。
                     今回その飛びつくべき何か、であったものは「東北フリー乗車券」という限定的なきっぷだった。
                     きっぷの概要を調べてみると秋田・青森エリア、岩手・三陸エリア、秋田・青森エリア、庄内エリア、福島・磐越エリアの五種があり、秋田・青森エリアの場合、フリーエリアへのアプローチに寝台特急あけぼのも使えるというものだ。お盆の期間にあたる8/7から8/20が利用開始日になる設定はないようだが、今年の僕の夏休みは8/20週だった。これは偶然だ。

                     毎年3月のダイヤ改正のたびに寝台列車が消えていく。今や残っているのはカシオペア、北斗星、あけぼのとサンライズの出雲と瀬戸だけだ。列車の顔ぶれを見れば、正直このなかであけぼのが残っているほうが奇跡に思える。だから今度の3月に廃止になってしまってもまったく不思議ではない。
                     そんな考えもよぎって、あけぼのと輪行サイクリングのセットを考えることにした。
                     ──18きっぷはまだ2回しか使っていないというのに、だ。

                     とはいえなかなか計画から実行に踏み出さず時間ばかりを過ごしていたら、結果ばたばたと準備する必要が出てきた。東北フリー乗車券は出発日の7日前までに購入する必要があり、寝台特急あけぼののB寝台は残り1だった。もともと安い東北フリー乗車券にあけぼののノビノビ座席を利用すればずいぶん安く青森に向かえるななどと考えても見たが、ノビノビ座席の残席などあるはずもなかった。安さを追求しようなどという浅はかな読みは成立しなかった。本当は20日週の週間天気予報が出揃って天気の安心感を得られれば出かけようと思っていたが、そんなプランニングは許してもらえなかった。無計画旅と計画旅。ひとりの自転車旅は往々にして前者に寄りがちだが、時期が時期でもあり枠だけは計画する必要があった。

                     そんなわけで僕は津軽半島と下北半島を走るサイクリングに出かけようかと考えている。
                     自転車でこの両半島をめぐっている人はあまりいないのだろうか。検索しても出てくるのはオートバイツーリングの情報ばかり。
                     それでもこのエリアは情報が少ない。オートバイツーリングの情報もかき集める。
                     十和田湖もありかな。

                     行きの列車を手配しただけでそれ以外、宿も帰りの列車も手配していない。
                     そこは気ままに行きたい──と言うと聞こえはいいけれど、まったくの土地勘のない場所、久しぶりに荷物をくくりつけての自転車、ルートナビを使ってコースをいくつか作って距離を測ってみているけれど実感がない。キャンプや野宿はしないから宿を取らなくちゃいけない。一日の走れる距離だって最小限とはいえ荷物の影響を考えればふだんのとおりとはいかない。様子を見ながら行き当たりばったりというのが本質だ。

                     ──いまだ、行きのきっぷ以外の準備をなにもしていない。大丈夫だろうか。


                    湿度が高いとこうもしんどいか

                    0
                       榎本牧場へ行った。
                       一日時間があったのだけど夕方には激しい雨になるって予報と、朝起きて出かける先を何も考えていなかった結果、榎本牧場くらいしか思い浮かばなかった。いつも行ってもアイスを食べたりするわけではないから目的はない。距離感と思いついたことだけだ。

                       元荒川沿いに走った。水量がずいぶん多いようだった。おかげでふだん見ている元荒川とは違うように感じた。
                       田んぼの中を走ったり、裏路地のようなところへ迷い込んだりした。ナビを持ってきていたので、ナビに案内させつつナビの言うことを無視して何度もわき道へ入り込んだ。新しい道を開拓できたらいいと思った。
                       東北自動車道を坂で越える。
                       そういえばお盆休みの始まりだっけ。
                       高速道路はまるで朝のニュースの映像のようにつながっていた。

                       上尾に近づくにつれ、田んぼの中や路地道を選ぶことはできなくなってしまった。どこをどう入っても建物が立ち並んでた。
                       おまけにずいぶんと車が混雑して来た。高速道路じゃないけど、路肩のない道路じゃ渋滞に巻き込まれているしか方法がないようだった。
                       度重なるストップ・アンド・ゴー。
                       これは疲れる。数十メートルおきに停止を余儀なくされる都内の道路を走っているときもそうだ。ゼロ発進が続くのはきつい。

                       榎本牧場に近づくとなんだか妙に疲弊しているのがわかった。
                       上尾で車の混雑に巻き込まれたからだろうか。たぶんそれもあるだろうけど、どうも湿度が異様に高いせいじゃないかって思った。僕はわりと暑さには平気なようだ。猛暑日の35度でもちゃんとこそしていられないけど周りの人ほど暑さを真に受けていないことが多い。それなのにどうも湿度が高いのはだめなよう。今日だって35度には至らないのだ。昨日に比べたら3度とか低い。

                       榎本牧場に着くと飲み物を飲んだ。自販機は一台しかなかった。飲みたいものがなくてずいぶん悩んだが、しばらく歩いた周囲にも何もなかったのでその一台の自販機で飲み物を買った。

                       荒川サイクリングロードはこの暑さのせいかほとんど人とすれ違うことがなかった。
                       せいぜい年に一度二度、その程度しか来ないからまったくわからずに言っているけれど、ふだんだったらもっと自転車とすれ違うんじゃないだろうか。

                       帰りは行きとは道を変えてみたものの、結局車の混雑にはどこかしらで巻き込まれた。
                       中心街をはずしたものの大宮を通ったら、岩槻あたりまで戻ってくるまでは車の混雑のなかにずっといたようなものだった。

                       結局は続くストップ・アンド・ゴー、ゼロ発信。帰りは向かい風も手伝って、疲れで自転車が進まない。それでも少しずつ雲が厚くなってきているようでもあるので早々に戻ることにした。


                      元荒川は水量がたっぷりだった


                      これがいわゆるお盆の高速道路渋滞


                      樋詰(ひのつめ)橋 去年台風の被害を受けて
                      通れなくなってからどうなっているのか気になってた


                      放された牛たちも日陰を選ぶようにしていた

                      215系輪行

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                         先日の麦草峠の帰り、輪行の列車に小淵沢から「ホリデー快速ビューやまなし」号を利用することになった。
                         もともと着席通勤列車「湘南ライナー」用に開発された215系という車両で、オール2階建て、全席固定ボックス(グリーン車は転換・リクライニング式)のオールクロスシートの座席構成。
                         少なくとも僕の持っていた情報では、「輪行しにくい車両」ということだった。
                         完全な壁にはなっていないデッキは幅も広く、手すりもあるのでくくりつけもできる。自転車を置けるのは唯一ここのみ、とのこと。ボックス型の座席はすべて固定され、デッキや壁にも背が固定されているので、背もたれと壁の間の空間はこの列車にはない。なのでデッキを確保するため強い日差しのもと30分以上屋根のないホームで列車を待った。
                         多くの人は「眺望のいい2階席を確保するため」に僕と同じように30分以上炎天下で並んでいた。

                         結果的には同じ扉位置に輪行袋を抱えたのは僕ひとりだったため、無事デッキに置くことができた。手すりに肩ひもをくくりつけた。


                        215系デッキに置いた輪行袋


                         座席をデッキすぐ前のボックスに確保、デッキと座席スペースには壁がないので後ろを振り返れば輪行袋が確認できた。

                         ちなみに、デッキの通路反対側も同じ構造になっているので、輪行袋が置けそうである。ただこちらは1階席へ下る階段があるため、乗降だけでなく、1階席へ行き来する人の往来がある。僕が置いた側のデッキ反対側はかつて緑の公衆電話があった場所。今は電話機も撤去されて何もない空間。

                         さて席を確保したあと、デッキ周辺をひと眺めしてみると、もうひとつ輪行袋があった。
                         1階席の階段を下りたところ、通路がクランクしている角に置いてあった。確かにここも大丈夫そうだ。


                        1階席階段下に置かれた輪行袋


                         こうやって見る限り、215系は意外と輪行袋を置く場所がありそうだ。
                         そうだ、1号車最後部がどんなふうになっているかぐらい、見てくればよかった──。

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