嶺岡中央林道の名を知ったのは18歳のとき。運転免許を取りにいくときに、初めて買った自動車雑誌「中古車情報」でだ。
内容はまったく覚えていない。毎回ひとつの林道を取り上げて紹介するコラムで、臨場感のある文章も手伝ってそれこそ未知の世界だった「林道」というキーワードとともに記憶に刻まれたのだ。そのコラムはたぶん、この僕が初めて買った号が第1回だった。
名前と場所(どうやら房総半島にあるようだ)という記憶だけが残り、おそらくそのコラムに書かれていたであろうこの道の魅力や見どころはまったく覚えていない。
それでも今やこのネット情報時代にその名を検索すると驚くほどヒットすることに気がついた。しかも、自転車で訪れている例もかなりの割合で見るのだ。
加えて、僕の愛読書のひとつ「ツーリングマップル」には、嶺岡中央林道全線、紫色で塗られている。紫で彩られた道はツーリングマップルスタッフのおすすめルートである。
背中を押す条件は揃っていた。
あとはなかなかにして遠い、そこまでのアクセスだ。
西側(内房)の入口にあたる安房勝山、ここまで南越谷から乗車券が2,210円、東側(外房)の入口は安房鴨川で2,520円かかる。
これがなかなか大きい。
しかしこれを解決する手段が今ならある。パワフル×スマイルちばフリーきっぷだ。
実は正直、18きっぷと重なるこの期間、房総への自転車紀行には今ひとつ乗り気ではなかった。もっと18きっぷを有効に使って遠い場所まで出かけてみたいと思っていた。
ただここのところ週末の天気が悪く、実際のところまだ18きっぷを購入すらしていない。今回も土曜日は朝から雪混じりの雨が降り、昼を過ぎれば上がったものの、日曜日の天気予報は千葉が良し、伊豆や静岡は晴れマークに雨マークがつく微妙な予報になっていた。
今さら18きっぷを買いに出る話もないなと土曜日の夜、房総に出かけることを決めた。
嶺岡中央林道だけでは目的意識が上がり切らず、何か材料を探した。──竹岡ラーメンがあるじゃないか。
そうだ、しばらく前に房総内陸を走り回ったとき、竹岡ラーメンを食べに行こうと勇んでいた。地図を見誤ったり、地図から外れた大きな寄り道をしたり、そもそも距離計算時間計算があっていなくて、ラーメン屋についた時点で15時10分。窓も入口も雨戸で硬く閉ざされたその店はまるで廃屋にすら見えた。
朝5時50分、越谷レイクタウン駅。
9時15分に安房鴨川に着く、特急わかしお崩れの普通列車への最終接続一本前の列車だ。パワフル×スマイルちばフリーきっぷを買うために一度南流山の駅で降りる必要がある。
人影もまばらな越谷レイクタウン駅
眠い目をこする。
段取りが悪い僕は、結局寝たのが0時を回ってからになってしまった。朝は家を5時に出るために4時半起床。3月とは思えない寒さに手足をかじかませながら走ってきた。眠気と寒さは駅までどこをどう走ってきたか、記憶をあいまいにした。
そんな時間まで起きていたのは、ソニーのナビ、NAV-Uにルートを仕込んでいたからだ。ネットで情報を収集した際、嶺岡中央林道は道がわかりづらいという内容を見て。事前にルートナビを使ってKMLファイルを作成し、わざわざNAV-Uのために買ったメモリースティックに入れてきた。安房鴨川から嶺岡中央林道を全線走り、その後は海沿い国道127号で上総湊へ向かうルートだ。
距離にして50kmと少し。丘を越えることを考えても12時半くらいに到着できるだろうか。お昼にちょうどよさそうだ。
南流山駅で一度下車、指定席券売機できっぷを買う
乗り継ぐ列車はすべて混雑に当たらずに済んだ。
おかげでほとんどを眠って過ごす。──と、これら列車での眠りで睡眠不足を取り返せるのならよいのだけど、毎度のこと寒さで目が覚めてしまう。駅について扉が開くと冷たい空気が流れ込んでくるのだ。朝の列車はどれもほとんど空調がかかっていないから走っている間も決して暖かくない。なぜなんだろう。僕には寒くて仕方がない。うつらうつらと寒さへの震えを繰り返し、房総半島を南へと進んだ。
安房鴨川に定時に到着。
もうここまで列車で来ることも少なくなるだろう。ここまできたのもパワフル×スマイルちばフリーきっぷがあってのこと。このきっぷの利用期間はこの3月いっぱい。それを過ぎたらふつうに乗車券で乗るか、ホリデーパスから300円上がって生まれ変わった休日おでかけパス、このきっぷで茂原からの乗り越しとして950円を払うかだ。
感慨深く特急わかしおの車両を降りる。
海に向かった小さな駅舎を抜け、多くの下車客がそうするように僕も反対側への跨線橋を渡った。
駅舎のある東口は、特急が着いても日向ぼっこ中のようなタクシーが数台、あてどなく客を待っている。対する西口は新しめの大きなロータリー、大きなイオンショッピングセンター、私鉄の郊外主要駅のようだ。
僕はロータリーの隅で自転車を組む。やがてロータリーに鴨川シーワールドへ向かうバスがやってきた。なるほど跨線橋を渡ってきた客のほぼ全員がこのバスに乗り込んだようだ。
バスが出発してしまえばロータリーは静かになった。僕は組み上げた自転車でほんの少し走る。駅前から国道に向かったところにあるマクドナルドに入った。温かいコーヒーを飲みながらナビの電源を入れ、夜作ったKMLファイルをインポートする。
いつもながらの朝コーヒー
さて、鴨川を出れば嶺岡中央林道はすぐだ。
房総半島は高い山こそないのだけれど、丘陵になっている。特に外房側はその丘陵部が海まで張り出しているから、一気に駆け上がらなくてはならない。大動脈の国道はと言うと、丘陵部をくりぬいたトンネルでさっさと突き抜けて南へ行ってしまった。
ここまではさすがに想像していなかったと言う斜度の勾配をぐんぐん登る。早くも息が絶えそうだ。登りながら木々の間から鴨川の市街地と太平洋がちらちらと覗いた。急激な勾配で登る分、街は一気に小さくなった。
いったん登り切った場所から嶺岡中央林道が始まる。その登りにすっかり体が熱くなってしまった僕は、ウィンドブレーカーと蓄熱アンダーを一枚脱ぐことにした。ついさっきまで電車の中で寒い寒いと言って震えていたのが嘘のようだ。
魚見塚展望台と書かれた道しるべがあったので、いったん進むべき方向とは逆の海へ向かう道を進んでみた。公園があり自転車を置いたがそこから海は見えなかった。またさらに徒歩で進んでいく必要があったようだ。どのくらい歩く必要があったのかわからないけど、先に進むことが面倒になってやめてしまった。
再び戻っていよいよ嶺岡中央林道へ入る。まずは2号だ。
NV-U37はKMLで作ったルートの取り込みの場合、案内機能は働かない。つまりナビゲートしてくれないと言うことだ。
しかし地図を見ていれば十分で、作ったルートに沿って走っていることがわかるし、あやしい分岐もそこにたどり着けば照らし合わせることでわかるので、僕のニーズは満たしてくれている。
僕は常に北を上に固定して表示しているので、真右に向かっている。西に向かっていると言うことだが、どうやらこの嶺岡中央林道2号はかなり直線的に進むようだ。
坂も実に直線的に登り、勾配を緩めるために右に左にとかわすことがない。潔いと言えば潔いのだけど、直線で先まで見える登り坂は精神的にも重い。
顔に当たる風はまだ冷たい。が、昇ってきた太陽に照らされて登り坂を行くと、服を2枚脱いだ体でもあっという間に熱くなる。
僕はさっき見えたような鴨川の眺望がまた見られるんじゃないかと、木々の間から目を凝らした。残念ながら見えることがなかった。ときどき左方向に見える海は太海の町だろうか。高台の上に風力発電のようなプロペラが立っている。鴨川市街の写真を撮っておけばよかったかな。あのときは急坂の勾配での再発進を嫌って立ち止まろうと思わなかった。失敗した。
西へ一直線に向かう2号はほとんど大きなカーブもなく進む。丘陵部を横断するように進んでいるから、登り下りがある。せっかく溜め込んだ標高を吐き出してしまうのがもったいない。
何台か、県外ナンバーの車が追い越していく。ツーリングらしい人はオートバイが1台追い越して行っただけだ。自転車とは今のところ会ってない。
ちょっとした高台まで登りきったような場所に、パラグライダーの滑空場があった。県外ナンバーの車はほぼすべてここにやっていたようだ。急な断崖を駆け出すように飛び立っていく。高いところでは足がすくんで動けなくなってしまう僕には恐ろしくてできることはない。
2号は直線的でずっとこんな景色
登り下りを繰り返していると国道410号に出た。ここで嶺岡中央林道2号は終わり。十字路のようになっていて、向こう側の道が嶺岡中央林道1号だ。
この嶺岡中央林道、4号まであるのだが、鴨川から入って2号、1号、4号、3号の順に並んでいる。敷設された順かな。ともかく不思議な順だ。
1号はこれまでの2号とうって変わってつづら折で山に入っていく。また楽な勾配ではない。カーブを曲がって抜けた先、さあ平らになるかと期待すると同じ勾配が続く。こういうのつらい。
直線的に先まで見える坂が嫌だ、カーブで曲がった先が同じ勾配の続く坂が嫌だ、と結局は坂が嫌なのだ。僕は坂に文句ばかり言っている。
1号のつづら折
そういえばパラグライダー場を過ぎたらすっかり車も減った。相変わらずツーリストはいない。ときどき地元ナンバーの軽トラが通るくらいだ。
こんなところに自衛隊があったりする。と言っても自衛隊の車が走っていたりもしない。リスが横切ったのと、どこから何で来たのか中年のハイカーがいたくらいだ。鳥がやたらと多い。あちらこちらでものすごく大声で鳴いている。
嶺岡中央林道は道がわかりにくいって聞いていたけれど、一度入り込んでしまえばわりと迷わずにたどれるようだ。案内看板が分かれ道に立っていることがほとんどだし、栃木県の林道にあるような黄色四角の林道標識もあったりする。ちなみに埼玉県は国道と同じおにぎりの形をした、くすんだ緑色に林道名を記したものが立っている。
おかげで作ってきたKMLファイルのルートが間違っていることにも気づいた。Latlonglabのルートナビで適当にポイントして作ったルートがどうやら嶺岡中央林道を外れたらしい。僕は現地の案内看板に従って進む。このあたりには同じような道幅のルートが毛細血管のように張り巡らされている。しばらく走っていると、間違えたルートをたどったコースが左から合流してきた。
嶺岡中央林道の案内看板と林道標識
基本的にこの道は登りか下りしかない。平坦は皆無だ。
登りで失ったスピードや蓄積した疲労が下りで回復できるかと言うとそうはいかない。嶺岡中央林道は全般的に道幅は車一台プラスアルファ、舗装状態もあまりよくない。水か流れ出していたりコケが生えていたりもする。林業による植樹なのか杉が多く、杉の葉もやたらと落ちている。おかげで下りになるとブレーキを握りっぱなしになってしまう。下り坂によって生じる落下のエネルギーは僕の握力によってブレーキで熱に変換されて終わってしまった。
そんな登って下り、また登り返しを繰り返していると、「大山千枚田」の道しるべが現れた。──ん?何か聞いたなその名前。
このあたりに広がる棚田の原風景だ。嶺岡中央林道周辺の情報をあさっていて、確かに出てきた。もっともこれは帰ってから思い出した。
ここの場ではその千枚田へ向かう道があまりのに急勾配を下っていくようで、またこの坂を再び登るのかとそれが頭を先によぎってしまった。
立ち止まりはしたもののそのまま1号を西に進むことを選択する。
市道や、もう少し回れば長狭街道を使う手もあったんだ。せっかくだから回ってきてもよかったと今は思う。
白石峠と言う名の場所に下って1号は終わる。市道との合流点だ。
下っていったら峠に出ると言うのは奥武蔵グリーンラインの大野峠から白石峠のよう。名前も偶然ながら同じ白石峠だ。
次に向かうのは4号。2車線の市道を進むと程なくして4号の入口なのだが、ここでもまた僕が作ってきたルートは間違っていた。ルートは市道をさらに進んでいた。僕はたまたま分岐した道の高いところに立っていた嶺岡中央林道の案内看板を遠目に見つけたまでだ。
しかしまあどこも勾配がしんどい。急激に勾配量が変わることも多く、慌てて変速するもんだからプーリーとチェーンががちゃがちゃとすごい音を立てる。変速はトルクのかかっていない状態で行うべき、つまりは勾配量が変化する前に変速を済ませるのが理想だ。──無理だっつの。
疲労も溜まってきてしまったのか4号の記憶が今やほとんどない。僕が設定ミスしたKMLのルートもいつの間にか合流している。4号の入口で登らされたからまた下ったか。最終的には県道に合流して終わっているはずだ。県道を走って3号への分岐に入る。
4号の入口
3号の案内看板
嶺岡スカイラインなどと言う愛称を持ちながら、途中ほとんど眺望はない。どちらかというと林道の名にふさわしく林の中をいく。杉が植林された場所、竹が生い茂っている場所、それ以外にも左右を木々に囲まれ、自然のなかを走る感覚。今でこそ全線舗装されているけどかつてはダートのいい道だったよう。その道のころにファンが多かったのかもしれない。全線舗装されたと聞いたのでこうやってロードで来れるわけだけど。
3号はほかの三つとはいささか印象が異なって、どうやら稜線のうえを行くルートではないようだ。崖にも沿い法面処理もされている箇所もある。おそらくそれほど時間の経っていない、生々しい落石があったのにはおののいたが。
やがて一瞬景色が広がる。
展望台のようになっていた。
おお滅多にないことと自転車を止めて写真を撮る。どこだろう。海は内房、館山かな、岩井かな。
外房を出発して内房までこうやってやってきたわけだ。
展望台を出発すると道はまっすぐ下り始める。正面には海が望めた。そろそろ終わりか。これまでと同様、ブレーキをしっかり握りながら、下りをスピードに生かすことができないまま進んでいく。急に風景が広がったと思ったら県道に合流した。
その先はもう海だ。すぐ先で内房の海沿いを行く国道127号に合流する。
この崩落、直撃は自転車ヘルメットじゃアウトでしょ
展望台めいた場所、ここまでで唯一だったような気が
国道127号に出てこの旅も終わり
もう12時回ってる、全然時間の読みができていない……。竹岡ラーメンに12時半なんてとんでもないや。
でもとりあえずラーメン食べに海沿い行こうか。