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    • 2017.12.04 Monday
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    石川・富山、自動車紀行

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       金曜の夜に都内を出発した。
       今回は車で旅をする。石川県の能登半島へ行こうと思った。夜、走り通して輪島の朝市へ行ってみたい、その計画で内堀通りを走っていた。皇居のまわりをジョギングして楽しむ人をながめていた。
       半蔵門から四ツ谷を抜け、新宿から甲州街道に入った。金曜日の夜の気だるい渋滞が続く。たまに流れても、交差点のたび、信号で各駅停車になった。
       僕は高速道路があまり好きではないので、できれば一般道路で行きたいと思っている。しかしこれでは先々がどうなるのか、予測をぼやけさせた。せめて東京都を中央高速で避けようとETCカードを挿した。

       松本で午前2時くらいだろうか。漠然とした予測はそんなものだった。混雑を避けて調布から大月まで高速を使ったおかげなのか、それとも本来そのくらいのものなのか、日本海に出た糸魚川で午前2時半過ぎだった。なんとなく高速に乗って取り返したんだという気分になった。夕飯にと石川のパーキングの隅の席に座り、ひっそりと食べたかつ丼も何となく救われる気がする。
       海はまったく見えないけれどそこに海がある感覚が伝わってくる。親不知、この辺りは急峻な地形だろうと想像する。海が見えず道も整備してあるから実感はわかない。僕はライトの照らす範囲だけ見ながら車を走らせた。
       北陸は未知だ。鉄道で一度だけ旅をしたことがあったけれど、まだ長野新幹線すらないころの、上野からの特急白山で金沢へ向かったきりだ。もうずいぶん昔のことで距離や旅行時間の感覚すら覚えていない。
       おまけに地図で見ると富山から先は道が複雑に入り組んでいるように見える。気持はずっと日本海沿いを進んでいきたかったが時間の計算もできず、ここで無理なロスは避けたいと国道8号で高岡まで行き、能越自動車道で氷見、七尾と走った。高速道路だけどまだ(まだということなのか?)無料区間だった。七尾で途切れた高速道路を降りてくると空が白み始めていた。
       高速道路を降りて国道を走っていると並走してJR西日本の七尾線が見える。それがやがて第三セクターののと鉄道に変わる。電化されていた線路が非電化になる。レールも明らかに貧弱になった。
       七尾までも高速道路でずいぶん距離があるなと思ったけれど、その先、穴水までがまた長い。
       穴水で地図を見て判断をする。時間を見ればまだ早い。輪島で朝市を見たあとにぐるりと回ろうかと思っていた珠洲を先に回ろうか。禄剛崎には行けるだろうか。まあ無理はしなくても。──そんなことを考えながら珠洲に向かって進路を取った。
       ここが長かった。能登町宇出津(うしつ)を経て、内浦町松波を通過する。いよいよ珠洲市に入って鵜飼を過ぎてようやく珠洲の中心街に着いた。
       道の駅に立ち寄ってひと回りすると裏手にかつての珠洲駅があった。のと鉄道の能登線、古くは国鉄能登線だ。それがここまで来ていた。そしてもうふた駅先の蛸島まで達していた。石川県の津幡で北陸本線から分離し七尾、そこから穴水を経てここ珠洲まで鉄道がやってきていたことが簡単には想像ができなかった。七尾からでも相当な距離があった。鉄道は確かに公共交通網であるけれど、これだけの距離を気動車で延々走り続けていたというのが思い浮かべられないほどだった。
       しかしここには十年少し前まで、れっきとした定期の営業路線として列車が行き来していた。


      (保存された珠洲駅)


       今回車で走るのに、あらたに道路地図を買った。紙の地図はいい。スマホの地図やカーナビは目的地へ向かうための道具でしかない。同じ地図であるのに。
       紙の地図から浮かんでくる興味は計り知れない。
       その地図を見ると、かつての能登線の終着蛸島がピンク色に塗られている。大きめの集落だ。この周辺で言うと珠洲も鵜飼も松波も塗られていない。能登町の宇出津と穴水くらいか。つまり今いる珠洲よりも蛸島のほうが町として大きいと言える。
       僕は蛸島から禄剛崎まで回ってみたかった。しかしながらすでに、この能登半島の思ってもみなかった大きさに圧倒されていた。広すぎるのだ。
       輪島の朝市が気になる。何時に着けるだろうか。
       それまでに塩田の海岸線や白米千枚田もある。どれだけ立ち寄り箇所があるかわからないけれど、禄剛崎まで回れるだろうか。
       僕が選択したのは蛸島の手前、正院から内陸を北上し木ノ浦へ抜けるルートだ。つまり能登半島の先端、禄剛崎をあきらめたということだ。

       ──これは帰ってから僕を後悔させることになった。
       正院から木ノ浦に回るのであればもう、それほど距離は変わらないからだ。でもこのときの僕は一分でもいいから時間を稼ぎたいと思い始めていた。穴水で珠洲回りを選択してやってきたら、そのかかった時間に圧倒されていたに他ならないのだ。

       今回の行程は雨をずっと引きずっていた。
       最初に都心を出発したときから少しずつ降り出した雨は、やがて北陸に到達するころには本降りになっていた。やむ気配も見せない。木ノ浦に到達して目にした日本海はまさに鉛色だった。
       木ノ浦に来たからと言って何か特別なことがあるわけじゃない。僕はそのまま進路を西に取り輪島に向かった。
       僕は途中、その走る道の美しさに魅了され思わず車を止めた。大粒の雨が傘に音を立てるなか、僕の技術ではどうしたってきれいに写すことのできない写真を、それでも何枚か収めた。自転車で、青空と海を眺めて走れるならどれだけ気分がいいだろうと想像する。じっさいいくつかある能登半島の道の駅はみなバイクラックが用意してあった。ほかにも飲食店にも用意してあることがあった。
       自転車ウェルカムなのだ。
       風光明媚、そのなかを自転車で駆けること、そして地域の自転車へのサポート、自転車にとっての追い風条件がそろっている。しかしながらこの起伏はどうだろう。かなりの上りを上り下りを下る。おまけに町と町を結ぶこの距離だ。能登半島を一周するとおよそ四百キロと聞いたことがある。どのくらいの大変さなのか、いったい何日かかるのか、正直あまり感覚がわかない。
       塩田のある道の駅で塩を買い、白米千枚田に寄った。相変わらず雨が降り続けていて、好転する気配すらない。


      (道の駅すず塩田村に立ち寄って塩を購入)


      (白米千枚田に寄ると何台もの観光バスが止まっていた。)


      (日本海沿いに走る道の美しさ)


       輪島の朝市で干物をセットにしてもらったり壜詰めの塩辛を買ったり……。朝市の路地を散策しながら、朝の連ドラのセットを残した場所に立ち寄り、それからパン屋に入りパンを買った。パン屋の隅には薪ストーブがあった。「この薪ストーブはじっさいに使われるのですか?」と僕は聞いた。「もちろん使います」年配の店員は実はあるじだろうか。「もう半月もしたら火を入れますよ」と言った。「薪ストーブの独特の温かさとにおい、大好きです」僕がそう言うとあるじは笑った。そしてレジでパンを受け取り店を辞した。
       能登丼というものがある。
       具材はおおよそ地のものを使った丼だということだけで、地のものであれば海産物も肉もあった。僕は朝市の商店街のなかにある一軒に入り、能登丼とやらをいただいた。ここはお刺身が載っている丼。そして能登丼の定義として、食事に出された箸は持って帰っていいものであること。すべての店がそれをやっているのかはわからないけれど、じっさいに僕も箸をいただいた。


      (本降りの雨の中の朝市)


      (朝の連ドラ、まれのセット)


      (能登丼、箸ももらえる)


       千里浜ドライブウェイは砂浜の上を車で走れる道路として知られている。僕も何度となくテレビや写真でその光景を目にしていた。輪島から羽咋へと移動し、そして車を止めたそこは確かに砂の上だった。
       波打ち際まで車を寄せて写真を撮る。ふだん、そんなことなど絶対にしないのに、ここは特別な気分にさせた。
       砂浜の上を車で走っていく。
       波打ち際からの一定間隔の距離がなんとなくの道路という感じ。バスが走りセダンが走りスポーツクーペが走る。いろいろな車が思い思いに──ときには右車線左車線入り乱れて──車が走っていく。僕も波打ち際に寄せたり、また戻ったり、この千里浜ドライブウェイを走った。空は変わらず鉛色だった。

       金沢には向かわず、津幡から再び県境を越えて富山にいた。あとになってその県境が倶利伽羅トンネルだと知った。名前は知っていた。その先が南砺市。五箇山の合掌造り集落へ向かっていた。
       道は国道156号で飛越峡合掌ラインという愛称がついていた。しかし愛称を持つほど立派な道かというと逆に国道なのかと思うほどで、センターラインも消えるところがあった。すれ違いに困るというほどの狭さではないけれど、むかしながらの入り組んだつづら折りに忙しくハンドル操作をしなくてはならなかった。
       五箇山に着くなりまた雨が降ってきた。傘なしで身軽にとはいかず、しっかり降り出した雨に僕は傘を取りに車へ戻った。


      (初めての砂浜)


      (五箇山の合掌造り集落)


       明けて翌日は夕方には都内で用事があったため、寄り道などせずに戻る必要があった。
       とはいえ高速道路を好まない僕はできるだけ一般道で走りたい。
       帰路に、安房峠越えをすることは決めていた。
       しばらく国道でJR高山本線沿いに走り、道なりに走ると猪谷で高山本線と別れ神岡へ向かう。猪谷から神岡と言ったら神岡鉄道の走っていたルートだ。
       残念ながら国鉄神岡線時代を含めて僕はこの路線に乗ったことはない。そして引き継いだ第三セクターの神岡鉄道は10年前に姿を消した。
       しかし神岡の町に入ると、レールが残っている。遺構か、そう僕ははしゃいだ。それにしてはレールは真新しく銀色に輝く部分もある。しばらく線路と並走していると、向こうから自転車を括り付けたトロッコで親子が線路を駆け抜けてきた。そしてそれに続くように、何組ものトロッコがすれ違っていく。
       僕は線路をまたぐ立体交差の上に車を止め、その線路をながめてみた。もうトロッコはやってこない。集団でやって来るのか?
       かつての終着駅、奥飛騨温泉口駅に答えはあった。そこがレールマウンテンバイクの基地で、ここを起点に、決められたダイヤで自転車を漕ぐのだ。そしてこれに乗るには予約が必要で、もちろん今来て今乗ろうなどというお気楽な行動は無理だった。その人気は、休日の予約は先々まで埋まっているほどだった。

       さあ帰路につこう。
       車は山道を上る。安房峠は旧道でその峠を越えたいと思ったけれど、時間的にそれはかなわなかった。僕はETCをセットし安房トンネルでその峠の姿容を見ることなく、長野県松本市へと抜けていった。
       トンネルを抜け、上高地からの道路が合流するころになると交通量がぐんと増えていた。もともと岐阜側からも安房トンネルに向かうにつれ、車は増えてきていたのだが、松本側に抜けるとその量に驚いた。まさに有数の観光地、僕は上高地にも乗鞍にも残念ながらまだ行ったことがないのだけど、その集客に驚かされた。


      (残されている神岡鉄道のレール、駅、設備)


      (帰路走った安房峠道路)


      (有料道路は安房トンネルで一気に峠を越える)


       松本市内に下りるとなんだかまるで東京に戻ってきたかのような錯覚に陥った。そんなことはまったくないのに、遠い長野の地なのになぜかそう感じた。この先、高速道路を使わざるを得ないとわかっていたからかもしれないし、山から下ってきた交通量に揉まれたことでそんな気分になったのかもしれない。
       僕は少しでもその気分を振り払おうと、時計とにらめっこしてから塩尻峠を越え、諏訪湖の西岸を経由して諏訪南インターまで車を走らせた。

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