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    • 2017.12.04 Monday
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    石川・富山、自動車紀行

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       金曜の夜に都内を出発した。
       今回は車で旅をする。石川県の能登半島へ行こうと思った。夜、走り通して輪島の朝市へ行ってみたい、その計画で内堀通りを走っていた。皇居のまわりをジョギングして楽しむ人をながめていた。
       半蔵門から四ツ谷を抜け、新宿から甲州街道に入った。金曜日の夜の気だるい渋滞が続く。たまに流れても、交差点のたび、信号で各駅停車になった。
       僕は高速道路があまり好きではないので、できれば一般道路で行きたいと思っている。しかしこれでは先々がどうなるのか、予測をぼやけさせた。せめて東京都を中央高速で避けようとETCカードを挿した。

       松本で午前2時くらいだろうか。漠然とした予測はそんなものだった。混雑を避けて調布から大月まで高速を使ったおかげなのか、それとも本来そのくらいのものなのか、日本海に出た糸魚川で午前2時半過ぎだった。なんとなく高速に乗って取り返したんだという気分になった。夕飯にと石川のパーキングの隅の席に座り、ひっそりと食べたかつ丼も何となく救われる気がする。
       海はまったく見えないけれどそこに海がある感覚が伝わってくる。親不知、この辺りは急峻な地形だろうと想像する。海が見えず道も整備してあるから実感はわかない。僕はライトの照らす範囲だけ見ながら車を走らせた。
       北陸は未知だ。鉄道で一度だけ旅をしたことがあったけれど、まだ長野新幹線すらないころの、上野からの特急白山で金沢へ向かったきりだ。もうずいぶん昔のことで距離や旅行時間の感覚すら覚えていない。
       おまけに地図で見ると富山から先は道が複雑に入り組んでいるように見える。気持はずっと日本海沿いを進んでいきたかったが時間の計算もできず、ここで無理なロスは避けたいと国道8号で高岡まで行き、能越自動車道で氷見、七尾と走った。高速道路だけどまだ(まだということなのか?)無料区間だった。七尾で途切れた高速道路を降りてくると空が白み始めていた。
       高速道路を降りて国道を走っていると並走してJR西日本の七尾線が見える。それがやがて第三セクターののと鉄道に変わる。電化されていた線路が非電化になる。レールも明らかに貧弱になった。
       七尾までも高速道路でずいぶん距離があるなと思ったけれど、その先、穴水までがまた長い。
       穴水で地図を見て判断をする。時間を見ればまだ早い。輪島で朝市を見たあとにぐるりと回ろうかと思っていた珠洲を先に回ろうか。禄剛崎には行けるだろうか。まあ無理はしなくても。──そんなことを考えながら珠洲に向かって進路を取った。
       ここが長かった。能登町宇出津(うしつ)を経て、内浦町松波を通過する。いよいよ珠洲市に入って鵜飼を過ぎてようやく珠洲の中心街に着いた。
       道の駅に立ち寄ってひと回りすると裏手にかつての珠洲駅があった。のと鉄道の能登線、古くは国鉄能登線だ。それがここまで来ていた。そしてもうふた駅先の蛸島まで達していた。石川県の津幡で北陸本線から分離し七尾、そこから穴水を経てここ珠洲まで鉄道がやってきていたことが簡単には想像ができなかった。七尾からでも相当な距離があった。鉄道は確かに公共交通網であるけれど、これだけの距離を気動車で延々走り続けていたというのが思い浮かべられないほどだった。
       しかしここには十年少し前まで、れっきとした定期の営業路線として列車が行き来していた。


      (保存された珠洲駅)


       今回車で走るのに、あらたに道路地図を買った。紙の地図はいい。スマホの地図やカーナビは目的地へ向かうための道具でしかない。同じ地図であるのに。
       紙の地図から浮かんでくる興味は計り知れない。
       その地図を見ると、かつての能登線の終着蛸島がピンク色に塗られている。大きめの集落だ。この周辺で言うと珠洲も鵜飼も松波も塗られていない。能登町の宇出津と穴水くらいか。つまり今いる珠洲よりも蛸島のほうが町として大きいと言える。
       僕は蛸島から禄剛崎まで回ってみたかった。しかしながらすでに、この能登半島の思ってもみなかった大きさに圧倒されていた。広すぎるのだ。
       輪島の朝市が気になる。何時に着けるだろうか。
       それまでに塩田の海岸線や白米千枚田もある。どれだけ立ち寄り箇所があるかわからないけれど、禄剛崎まで回れるだろうか。
       僕が選択したのは蛸島の手前、正院から内陸を北上し木ノ浦へ抜けるルートだ。つまり能登半島の先端、禄剛崎をあきらめたということだ。

       ──これは帰ってから僕を後悔させることになった。
       正院から木ノ浦に回るのであればもう、それほど距離は変わらないからだ。でもこのときの僕は一分でもいいから時間を稼ぎたいと思い始めていた。穴水で珠洲回りを選択してやってきたら、そのかかった時間に圧倒されていたに他ならないのだ。

       今回の行程は雨をずっと引きずっていた。
       最初に都心を出発したときから少しずつ降り出した雨は、やがて北陸に到達するころには本降りになっていた。やむ気配も見せない。木ノ浦に到達して目にした日本海はまさに鉛色だった。
       木ノ浦に来たからと言って何か特別なことがあるわけじゃない。僕はそのまま進路を西に取り輪島に向かった。
       僕は途中、その走る道の美しさに魅了され思わず車を止めた。大粒の雨が傘に音を立てるなか、僕の技術ではどうしたってきれいに写すことのできない写真を、それでも何枚か収めた。自転車で、青空と海を眺めて走れるならどれだけ気分がいいだろうと想像する。じっさいいくつかある能登半島の道の駅はみなバイクラックが用意してあった。ほかにも飲食店にも用意してあることがあった。
       自転車ウェルカムなのだ。
       風光明媚、そのなかを自転車で駆けること、そして地域の自転車へのサポート、自転車にとっての追い風条件がそろっている。しかしながらこの起伏はどうだろう。かなりの上りを上り下りを下る。おまけに町と町を結ぶこの距離だ。能登半島を一周するとおよそ四百キロと聞いたことがある。どのくらいの大変さなのか、いったい何日かかるのか、正直あまり感覚がわかない。
       塩田のある道の駅で塩を買い、白米千枚田に寄った。相変わらず雨が降り続けていて、好転する気配すらない。


      (道の駅すず塩田村に立ち寄って塩を購入)


      (白米千枚田に寄ると何台もの観光バスが止まっていた。)


      (日本海沿いに走る道の美しさ)


       輪島の朝市で干物をセットにしてもらったり壜詰めの塩辛を買ったり……。朝市の路地を散策しながら、朝の連ドラのセットを残した場所に立ち寄り、それからパン屋に入りパンを買った。パン屋の隅には薪ストーブがあった。「この薪ストーブはじっさいに使われるのですか?」と僕は聞いた。「もちろん使います」年配の店員は実はあるじだろうか。「もう半月もしたら火を入れますよ」と言った。「薪ストーブの独特の温かさとにおい、大好きです」僕がそう言うとあるじは笑った。そしてレジでパンを受け取り店を辞した。
       能登丼というものがある。
       具材はおおよそ地のものを使った丼だということだけで、地のものであれば海産物も肉もあった。僕は朝市の商店街のなかにある一軒に入り、能登丼とやらをいただいた。ここはお刺身が載っている丼。そして能登丼の定義として、食事に出された箸は持って帰っていいものであること。すべての店がそれをやっているのかはわからないけれど、じっさいに僕も箸をいただいた。


      (本降りの雨の中の朝市)


      (朝の連ドラ、まれのセット)


      (能登丼、箸ももらえる)


       千里浜ドライブウェイは砂浜の上を車で走れる道路として知られている。僕も何度となくテレビや写真でその光景を目にしていた。輪島から羽咋へと移動し、そして車を止めたそこは確かに砂の上だった。
       波打ち際まで車を寄せて写真を撮る。ふだん、そんなことなど絶対にしないのに、ここは特別な気分にさせた。
       砂浜の上を車で走っていく。
       波打ち際からの一定間隔の距離がなんとなくの道路という感じ。バスが走りセダンが走りスポーツクーペが走る。いろいろな車が思い思いに──ときには右車線左車線入り乱れて──車が走っていく。僕も波打ち際に寄せたり、また戻ったり、この千里浜ドライブウェイを走った。空は変わらず鉛色だった。

       金沢には向かわず、津幡から再び県境を越えて富山にいた。あとになってその県境が倶利伽羅トンネルだと知った。名前は知っていた。その先が南砺市。五箇山の合掌造り集落へ向かっていた。
       道は国道156号で飛越峡合掌ラインという愛称がついていた。しかし愛称を持つほど立派な道かというと逆に国道なのかと思うほどで、センターラインも消えるところがあった。すれ違いに困るというほどの狭さではないけれど、むかしながらの入り組んだつづら折りに忙しくハンドル操作をしなくてはならなかった。
       五箇山に着くなりまた雨が降ってきた。傘なしで身軽にとはいかず、しっかり降り出した雨に僕は傘を取りに車へ戻った。


      (初めての砂浜)


      (五箇山の合掌造り集落)


       明けて翌日は夕方には都内で用事があったため、寄り道などせずに戻る必要があった。
       とはいえ高速道路を好まない僕はできるだけ一般道で走りたい。
       帰路に、安房峠越えをすることは決めていた。
       しばらく国道でJR高山本線沿いに走り、道なりに走ると猪谷で高山本線と別れ神岡へ向かう。猪谷から神岡と言ったら神岡鉄道の走っていたルートだ。
       残念ながら国鉄神岡線時代を含めて僕はこの路線に乗ったことはない。そして引き継いだ第三セクターの神岡鉄道は10年前に姿を消した。
       しかし神岡の町に入ると、レールが残っている。遺構か、そう僕ははしゃいだ。それにしてはレールは真新しく銀色に輝く部分もある。しばらく線路と並走していると、向こうから自転車を括り付けたトロッコで親子が線路を駆け抜けてきた。そしてそれに続くように、何組ものトロッコがすれ違っていく。
       僕は線路をまたぐ立体交差の上に車を止め、その線路をながめてみた。もうトロッコはやってこない。集団でやって来るのか?
       かつての終着駅、奥飛騨温泉口駅に答えはあった。そこがレールマウンテンバイクの基地で、ここを起点に、決められたダイヤで自転車を漕ぐのだ。そしてこれに乗るには予約が必要で、もちろん今来て今乗ろうなどというお気楽な行動は無理だった。その人気は、休日の予約は先々まで埋まっているほどだった。

       さあ帰路につこう。
       車は山道を上る。安房峠は旧道でその峠を越えたいと思ったけれど、時間的にそれはかなわなかった。僕はETCをセットし安房トンネルでその峠の姿容を見ることなく、長野県松本市へと抜けていった。
       トンネルを抜け、上高地からの道路が合流するころになると交通量がぐんと増えていた。もともと岐阜側からも安房トンネルに向かうにつれ、車は増えてきていたのだが、松本側に抜けるとその量に驚いた。まさに有数の観光地、僕は上高地にも乗鞍にも残念ながらまだ行ったことがないのだけど、その集客に驚かされた。


      (残されている神岡鉄道のレール、駅、設備)


      (帰路走った安房峠道路)


      (有料道路は安房トンネルで一気に峠を越える)


       松本市内に下りるとなんだかまるで東京に戻ってきたかのような錯覚に陥った。そんなことはまったくないのに、遠い長野の地なのになぜかそう感じた。この先、高速道路を使わざるを得ないとわかっていたからかもしれないし、山から下ってきた交通量に揉まれたことでそんな気分になったのかもしれない。
       僕は少しでもその気分を振り払おうと、時計とにらめっこしてから塩尻峠を越え、諏訪湖の西岸を経由して諏訪南インターまで車を走らせた。

      海に近い駅

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         仕事にくたびれたり、考えに行き詰ったり、あるいはなにも抱えていないときでも、海を見に行きたくなることがある。
         列車に乗って車窓に海が現れるのを待つ。クロスシートの進行方向窓側の席なら申し分ない。車窓をながめ、満足できたら帰る。ときにホームに降り改札を抜けてみる。

         僕が訪れるのはもっぱら、東海道線の根府川駅だ。

         海に近い駅、と検索して出てくるのは、関東ではこの根府川駅と鶴見線の海芝浦駅だ。愛媛県の下灘駅や新潟県の青海川駅のような場所があればそれは言うことなしだけど、そうもいかないのだから仕方がない。根府川駅は高台の上にあるがゆえ波の音は聞こえない。潮の香りだって届かない。海芝浦駅なら海面から近いからむしろいいのかもしれないけれど、そこに行くまでの行程だって旅情をかき立てる要素のひとつだ。
         改札を抜けると古い木造駅舎が迎えてくれるのもいい。

         この前訪れたときは時間があったので列車を降りてみた。
         下り線のホームに座ってコーヒーを飲んだ。海からの風が流れてくる。ときどき、それは強く吹く。
        「今度の列車は、○時○分発、上野東京ライン高崎崎線直通、普通・高崎行きです」
        「今度の列車は、○時○分発、普通・熱海行きです」
         上下線それぞれのホームの自動放送が、数分おきに繰り返される。

         僕はベンチに座って列車が止まり発車していくのを見たり、金網に寄りかかって遠くの海や眼下の国道をながめたりする。
         まるで自分のなかにたまった不純な電気が放電されていくよう。

         次の列車に乗ろう。僕は空になった缶コーヒーをごみ箱の丸い穴に入れた。




        スノー・ウィンター

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           自転車に、乗っていない。
           僕は寒がりで、冬は全般的に能動的になれないという例年変わらない事情はあるにせよ、それに今年はスキーをしていたという事実が加わった。

           もともと、スキーは毎年欠かさずやっていた。かなり熱心にやっていた時期もある。それが5年前まで。5年前を最後に、まるで足を洗うかのようにバタッとやめた。
           特に理由があったわけじゃない。あえていうならお金がかかるからだ。せいぜいそのくらい。翌年、行きたい行きたいと衝動に駆られることもなかった。スモーカーがタバコをやめたときよりも、何年も付き合ってきた女から別れを切り出されたときよりも、よほどあっさりしている。

           きっかけは同じマンションに住むKさんが「スキー行きましょうよ」といってきたことだ。5年前までの僕の姿を知る彼にとって、そして毎年スキーを続けてきた彼自身にとって、僕は恰好の材料だった。
           昨年秋、10月に連絡があり、リフト券の早割を買いましょう、行きたいスキー場を選んでくださいといい、対象のスキー場の一覧をくれた。
           リフト券は上越国際と裏磐梯猫魔を選んだ。シーズン中であればいつても使える。確か2500円と2200円。
           しかしシーズンに入った12月、今年はまったく雪が降らなかった。10月のような気温の日さえあった
           正月までも異常なほどの暖冬で、じっさい雪が降り始めたのは1月も中旬を過ぎたころたった。
           やっと日にちを決めた1月、今度は10年ぶりぐらいだろうかというインフルエンザにかかってしまった。僕は延期を申し出て再計画、やっとスキー場に向かったのは1月最後の土曜日だった。

          ***


           上越国際。
           5年ぶりのスキーの初めは25年ぶりのスキー場だった。
           朝方曇り空で雪になることさえ覚悟していたが、まずまず好転した。
           おそるおそる滑り始める。なにしろそれまで、いちシーズンたりともあけたことがなかったのだ。でもそれはうれしいことに杞憂だった。脚は覚えていた。身体を傾け体重を乗せ板をたわませれば、弧を描いて板が足もとに戻ってきた。ただ筋力とその持久力が明らかに衰えていた。午前中も早いうちから腿の筋肉が悲鳴を上げ、ターンもままならなくなっていた。
           昼には気温も上がり、天気も上々、魚沼平野をながめながら5年ぶりのスキーを楽しんだ。




          ***


           一週間後。
           Kさんが連絡をくれる。「また行きましょう。猫魔は取っておいて別のところに行きますか」
           上越国際から10日ばかりのちの建国記念日は、会津高原のだいくらスキー場へ行った。
           Kさんは会津高原一帯がまず初めて。そして僕の独断で「高速は使わずに下道で行きましょう」と早朝の国道4号を北上した。「こんなのはあり得ない」と、Kさんはいった。
           だいくらスキー場は、おそらく僕がいちばん行った機会の多いスキー場。アクセスが遠いが、すいているうえ気持ちのいい斜面も多い。僕は「食堂のソースかつ丼、美味しいですよ」と道中吹聴していた。
           天気はザ・快晴。待ち焦がれていた青空が迎えてくれた。ただ、風は冷たい。少し硬めにパックされた斜面は、いつまでもその雪質を失わなかった。
           お昼、ソースかつ丼。すると食堂には「牛乳屋食堂のラーメン」のポスターが貼られていた。――牛乳屋食堂、テレビで見たことがある。会津鉄道沿いのどこかの駅の近く、かつて牛乳屋を営んでいた店がラーメンを出し始めたのが当たった店だ。そんな話をKさんにする。10時過ぎにお腹がすいて、持ってきたカップラーメンをおやつに食べた僕らだったので、ラーメンではなくソースかつ丼を選んだ。大きなカツを大きな包丁で切るおばちゃんは、「牛乳屋のラーメン、美味しいですよ。有名なだけあって」という。ますます興味はわいた。
           半日滑ったKさんが「このスキー場えらく気に入りました」という。それからも快晴は最後まで変わることなく、38度の壁も含めたすべての斜面を、リフト終了の16時半まで滑り続けた。






          ***


           それからまた10日後。
           僕らは国道17号で群馬県内を北上していた。「もうね、前回かみさんに馬鹿だといわれましたよ」とKさんはいった。つまりだいくらまで下道だけで行くという神経がもう理解できないというのだ。
           僕はむかしから高速道路があまり好きではなく、可能な限り一般道を使ってきた。旅であればもちろんのこと、旅が目的でなく明確に早くたどり着きたいスキーなどであっても、それは変わらなかった。苗場も、小海も、下道で行った。さすがに志賀高原は高速を使ったけれど……。
           僕らは水上宝台樹に向かっていた。
           かつてここもよく訪れた。Kさんも二十代のころ行ったことがあるという。「いい斜面がそろってますよね」と僕、「かなり楽しんだ記憶があります」と彼。
           晴天の関東から沼田を過ぎると鉛色の雲がのしかかってきた。上牧を過ぎるとちらちらと雪が舞う。水上を過ぎ、利根川の源流に向けて坂を上って行くと、重めの雪が車を包んだ。
           寒い一日だった。
           風もある。そして何より雪だ。雪は軽い粉雪ではない。ウェアに降った雪が溶けてしみていくようなひどく湿っぽい雪だった。
          「きのうは雨だったらしい」
           とKさんがいう。
           それは動き始めたリフトに乗り、一本滑ってみればすぐにわかった。水っぽい雪、夜半はおそらく冷え込んだのだろう、それが一度凍った雪は引っかかりを感じる。そして斜面のあちらこちらには土が見え、木の根がむき出しになっていた。
          「まさか、もうシーズンも終わり?」
           僕はそういったがこの日は凍えるほど寒かった。冷たい風が頬を打ち、湿った雪が鋭く顔に当たった。
           そのむかしガツガツ滑った斜面を手当たり次第に下った。そしてそのたびに僕もKさんも「あれ?」「あれっ? あれ?」と口をつく。
          「こんなところでしたっけ? 」
          「なんだかあまり楽しくないなあ」
           フードつきの高速リフトに乗って、滑走距離の長いダイナミックな斜面を滑ったり、静かすぎて怖くなるほどの遅いペアリフトに乗って、尾根からゲレンデベースに降りる壁のような急斜面を滑ったり、ありとあらゆるところを滑るのだけど、満足度が上がらない。
           僕の場合、天気や寒さに大きく左右される。寒がりなのでそれだけで滑るのがつらくなるからだ。でもKさんまであまり楽しめないという。雪質の問題? ――確かに水っぽくてひどく重い雪は板をきれいにまわすことも難儀だ。でもそれだけなのか……。
           それでもすべてのリフトに乗りすべての斜面を滑って、弱くなる気配のない雪にくたびれた僕は車に戻り、「少し眠ってもいいですか」と昼寝させてもらった。Kさんが寝ている僕を知らぬまに写真に撮り、LINEに上げていた。
           午後になってもふたりの気分は盛り上がることがなかった。なんだろう、なぜだろうとずっといっていた。気温は低いままなのに雪はどんどん重くなる。斜面から土が露出する場所も増えてきた。
          「このくらいにしてやりますか」
           というKさんに、
          「もうじゅうぶんです、雪重くて疲れるし、寒いし。温泉行きましょう」
           と僕は答えた。
           そうと決まったらそうそうに片づけ、車を出した。
          「缶コーヒー買いたい。忘れ去られたような自販機探してください。そういうところのほうが熱いの見つかるから」
           とKさんがいう。
           スキー場の坂を下って県道に入ったすぐの酒屋で自販機を見つけ、車を寄せたところで僕は「あっ!」と気づいた。
           チップの入ったリフト券は自動改札対応で、500円のデボジットになっていた。スキー場で払い戻してくるのを忘れていた。僕は車を引き返した。




          久しぶりの小荒井製菓で生どら焼きを買って帰る。むかしは一種類しかなかったのに、いろいろな味が増えていた。そのあと三国街道(国道17号)を走り、街道沿いの永井食堂に寄って、Kさんはモツ煮を買って帰るといった。そしてまずここを走っているという時点で、行きも帰りも一般道だ。



          ***


          「さすがにやばいでしょう、標高の高い猫魔でも雪なくなっちゃうんじゃないですか?」
           Kさんと一緒に買った猫魔の早割券が不安になったのは3月になる前だった。
           3月最初の日曜日、矢板まで新4号を経由した下道――だいくらスキー場を訪れたときに使ったルートだ――から、いま東北道に乗ったところだ。さすがに裏磐梯は距離がありすぎる。全線下道は無理でしょう、矢板まで下で行ってそこから猪苗代まで高速で行きますか、という話をしていた。
          「白河で降りませんか?」
           ハンドルを握るKさんに助手席から僕が声をかける。「気持ちのいい道を走って行きませんか」
          「結局は下道ってことでしょう? ――もう俺も完全にナガヤマ菌におかされてますよ」
           Kさんはそういいながら白河で高速を降り、僕は国道294号から湖南(猪苗代湖の南の地区)を経由して猪苗代湖東岸を北上するルートを案内した。
          「うわ、なんだここ。――キモチいい!」
           快走しながらKさんはいう。音楽に合わせてハンドルやひざを叩く。早朝からテンションが最高潮になっている。
           湖畔に車を止めて写真を撮ったりしたにもかかわらず(そのために車の止まれる場所までわざわざ探した)、8時過ぎにはスキー場に着いた。早割券をリフト券に交換し、センターハウスで情報を収集していると最初に動くリフトが8時半だと知った。
          「これだけ下道を使ってもリフトの開始に間に合うわけか」
           などと、だんだんKさんもおかしくなりつつある。
           白河で高速を降りたとき、道は霧で覆われていた。猪苗代湖はもやがかかり、磐梯山は見えなかった。しかしスキー場に着いた今、空は晴れた。また、快晴がやって来た。スキー場の天気予報、最高気温は12度。まるで平野部の春のようだ。
           じつはこのスキー場もまた、25年くらい前に一度訪れていた。しかしそのときは猛吹雪で、あまり滑らなかったのだろうか、まったくといっていいほど記憶がなかった。
           動き始めたリフトから順に利用し、ひとつずつ斜面を滑って行く。ふたりで行くといつもそうだけど、まるでスタンフラリーをするように、あるいはゲームを制覇していくように、マーカーでマップを塗るように、順にひとつひとつ滑って行く。
          「きのうは降ったらしいですよ。しかも粉雪が」
           とKさんがいった。
          「確かに雪はしっかりありますね。粉雪ってこの季節ありえない気がするけど……」
          「粉雪って書いてあっただけだから。いうのはなんとでもできますじね。前回の宝台樹なんて木の根っこが出ていながら積雪量130センチだったわけだし」
           そんなことをいいながらなかなか滑り応えのある斜面をたくさん楽しんだ。そして滑りながらKさんが
          「このスキー場、雪のいい時に滑りたいなあ」
           といった。
           やがて気温が上がった。本当に10度を超えているんじゃないかと思えた。雪は重くなり、緩斜面の雪は完全なブレーキ、止まってしまう板に身体は前方へつんのめった。こんな雪、初めてかもしれない。
          「標高千メートルを越えてもだめですね。今シーズンはもう終わりかな」
           と僕はいった。




           午後2時過ぎ、僕らは「今シーズンこれで最後だろうね」というスキーを終わりにした。山を下り温泉につかり、さてという。
          「牛乳屋食堂でも行ってみましょうか」
           僕は冗談半分でいった。
           そしてKさんは車を会津若松市内へ走らせた。

           せっかく街を抜けていくのだから、と車を止めて鶴ヶ城を写真に収めた。大河ドラマ好きのKさんは八重の桜を語る。見ていない僕はうなずくばかり。そして国道121号を南下した。会津若松市内、芦ノ牧温泉駅前に牛乳屋食堂はあった。僕も来たのは初めてだ。テレビで見たのも数年前。Kさんは前々回のスキー、だいくらスキー場の食堂で売られていたミルク味噌ラーメンが気になっていたのだ。夜の部の開店が17時、しかしながらこの日に限り17時半で暗くなりゆく店の前で開店を待った。
           いよいよありついた牛乳屋食堂のラーメンと(僕はソースカツ丼も食べ)、Kさんはおみやげ用ラーメンまで買い込み、車に戻ったときにはすっかり薄暗くなっていた。
           帰り道はどうしましょうかとKさんがいう。いずれにしたって奥羽山脈の南端が縦に伸びている地形だから山は越えなきゃならない、湯野上温泉から羽鳥湖を越えて須賀川へ出るか、下郷から甲子高原を越えて白河へ出るか、栃木に入って塩原に抜けるか、鬼怒川まですべて南下してしまうかだ。道は距離でも整備の良さでも甲子越えがいちばん早いと僕はいった。ナビは塩原越えを示している。
          「いいですよ、行きましょう」
           Kさんは下郷から国道289号を選択し、甲子トンネルヘの上りを軽快に走った。
           整備のいい道は他の車が不思議なほどおらず、白河ヘスムーズについた。そして運転しているKさんはいった。
          「白河から、高速乗る必要なんてないですよね、このまま下で帰りましょう」
           僕は、なにもいっていない。



          ***


           雪は、終わりだ。また来シーズン。

          谷中、洋食屋「キッチン・マロ」

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             都内で午後から用事があった。
             朝から出かけて西日暮里で降りた。ふだん、あまり日曜日に都内に来ることなどないし、まして朝から午前中の時間帯っていうのはめずらしい。改札口を出ただけで違った雰囲気。平日とはまったく違う顔だ。
             僕はマクドナルドに行きコーヒーを飲んだ。遅めの朝食を取りにきた父娘(おやこ)の女の子はおしゃべりに余念がないし、これからどこかへ出かけるふうな若いカップルはこれからの計画が楽しそうだ。ノートブックを開く人、遠くをただ見ている人、大半のひとり客にまぎれて僕も読みかけの本を開く。

             マクドナルドを出ると谷中界隈を歩いた。これから雨になると言う予報だけどまだ空は明るい。細い路地をくねくねと、公園や学校の裏や人の家のあいだや商店街を歩く。坂を上ったり下ったりする。
             トーキョーバイクの店舗にも寄ってみた。クロモリの、細身のフレームの自転車が並ぶ。決して広くない店内を5分くらいうろうろ、上から見たり下から見たり、それから店の方といくつかの話をした。初めて寄ってみた。素敵なお店だ。
             用事が13時からなので少し早めの食事を取らないといけない。

             僕は洋食屋に入った。
             ――あれ? 11時半からじゃなかったっけ。
             時刻は11時20分。すでにのれんがかかり、戸をガラガラガラとゆっくり開けてみるともう多くの人が店を埋めていた。
             かろうじてひとつ残っていたテーブルに座り、ハンバーグを頼んだ。
             別の客のテーブルにナポリタンが運ばれる。これは美味しそうだ。また別の客にチキンカツが。これもまた美味しそう。オジサン(けっこうなお年だ)がひとりで作っている。25分ほどゆっくり待ってハンバーグが運ばれた。

             オジサンは寡黙だ。しかしながら客が席を立つと、気持ちよく威勢のいい挨拶をくれる。余計なことは話さない。
             さあそろそろ行かなくては――。席を立った。
            「ありがとうございましたっ」
             オジサンが威勢のいい声をくれた。顔が若々しくつややかだ。
            「美味しかったです。ごちそうさまでした」
             と僕は言った。店を出て日暮里の駅へ急いだ。雨がポツリと僕に当たつた。

             ハンバーグにライスとコーヒーがついて680円。谷中、キツチン・マロ。


            谷中の坂のひとつ、富士見坂


            キッチン・マロ


            キッチン・マロ


            ハンバーグランチ

            雪、大内宿・湯西川温泉

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               大内宿。僕は二度ここを訪れたことがある。一度は初夏で一度は夏だ。
               雪の大内宿の話を聞いたことがあった。旧街道沿いにぽつんと残された集落、その閉塞感なら雪のなかを味わうのが最もよい、そう聞いてからその魅力を思い描いていた。
               もうひとつ、湯西川温泉で行われているかまくらのライトアップ、これも見てみたいと思っていたこともあって、じゃあひとまわりして来ようと思い二月も最後の土曜日に出かけた。

               白河を経由した。西郷から羽鳥湖を経由し、湯野上温泉へ抜ける。そう言えば去年はまったく同じルートを自転車で走った。今日はスタッドレスを履かせた車だ。僕の自転車では雪が現れたら走ることができないし、大内宿と湯西川温泉をセツトにするというのも距離的に現実的ではない。さらには湯西川温泉のかまくらのライトアップは当然ながら夜だ。それを終えて自転車で山道を下ってくるのは、小さなライトひとつでは心もとない。
               白河ラーメンの店、西郷にある彩華(さいか)に寄った。考えていた予定の通りまだ正午にならない時間に着いた。にもかかわらず駐車場はほぼ埋まっていた。店内に入るとテーブルも空きがない。カウンターが空いていたので僕は事なきを得たが、もう5分10分すると外のベンチで待ち客が出ていた。本家「とら食堂」ほどではないにせよ、昼どきは待つことになるのかもしれない。
               西郷から羽鳥湖は、ラーメン屋彩華の目の前から続いている県道で行く。一本道だ。
               しばらくのあいだ田園のなかを走り、やがて上り勾配にかかると道端に雪が見え始めた。今日は天気がいい。吸い込まれそうな青空はどこまでも奥行きがあった。僕は窓を開けて走りたい気分になった。だから一度窓を全開にしてみるのだが、車内にあっというまに冷気が流れ込み、空気の心地よさはこのうえないが、寒がりの僕には耐え続けられるものでもなかった。少しだけその空気を楽しんだら僕は窓を閉めた。
               羽鳥湖からペンシヨン村やスキー場へ向かう道を左に分け、湖畔を行きダムの上を越えて国道に出る。ここまで来ても路面に雪はない。湯野上温泉へ向けて下り基調の国道を走った。
               天栄村に入り小さな温泉集落岩瀬湯本温泉を通過する。去年自転車で通ったときも気になった温泉ではあった。今日も温泉に入れる準備はしてあるのだけど、この先の行程とかかる時間を想像するとここで入浴する時間は取りにくい。それでも風情だけでも味わえればいいなと温泉街のなかへ行く道を進んだ。


              西郷の白河ラーメン「彩華」


              ワンタンメン


              氷一面の羽鳥湖


               寒いとはいえ、雪の季節や2月であることを考えればむしろ暖かい一日だった。だから雪はずいぶん溶け始めていたし、連なる茅葺きの屋根からはあちらこちらでつららが落下していた。
               大内宿。道の雪はすっかり溶け始めていたが、宿場全体は白く覆われ日の光を浴びて輝いていた。その光景は息を呑み余計な考えごとなど一時的に忘れてしまうものだった(残念ながら余計な考えごとを吹き飛ばしてくれるものじゃない。この地を離れればまた思い出すのだ。なかなか人間の感情はそう都合よくできてはいない)。
               全景を眺めようと展望台まで上がってみた。雪で足もとがおぼつかない。これは下りは相当気をつけないと滑るな、と思う。ポスターで見るアングルで宿場町の茅葺きの屋根が並んでいた。白の光景は美しい。しばらくそのジオラマのような、まるで演出のような情景を眺めていた。ため息をつきながら空を見上げた。そこには木々が奥行き深い青空に吸い込まれるようにまっすぐに伸び、澄んだ青空はあらゆる音までも吸い込んでしまうんじやないかというほど青く純粋だった。
               展望台から滑りながら坂道を戻り、おみやげを冷やかしてまわる。布で作られた民芸品が美しくかわいらしく並んでいる。小さなものばかりだけどどれも色鮮やかでひとつひとつが個性を主張していた。見ていると手にしたくなってしまう。どれもそれなりのお値段だから、気軽にあれもこれもとはいかないから、山ぶどうとふくろうをあしらった小さな民芸品を買った。
               それからとち餅を食べる。ここに来ればたいていとち餅かそばになるけれど、白河でラーメンを食べてきたからとち餅にした。地元で「じゅうねん」と呼んでいる「エゴマ」(残念ながらこれも僕は知らなかった)であえたとち餅を食べた。エゴマのとち餅、どういうものかとちょっと聞いたらお店の方は実に親切に教えてくれた。
               そう、何でだろう大内宿の人は不思議なまでにみな親切だ。
               正直、僕は冬以外の季節の大内宿は人であふれていてうんざり感じてしまう。でも観光地という点で見ればそれだけ魅力を放っている場所であることには違いない。ともすると、人であふれ車であふれる観光地の人びとはとっつきにくさを感じる。忙しいから、面倒だから――決して口に出すことはないけれど、ときとして有名観光地でおみやげ屋や食堂に入ったときにそういった空気を感じる。あるいは観光客だからという見方をはなからされているのかもしれない。
               大内宿の人たちはいつだって親切だ。混雑していない今日のような日でも、去年やそのしばらく前に来た大混雑の初夏や夏でもだ。ひとつ聞くと、あとあと「ほかのお客さん待ってるよ」と声をかけたくなってしまうほど何倍にも答えてくれる。その話はこの大内宿の観光案内的要素からどうでもいい世間話に至るまで多岐にわたる。
               旧街道を少し離れてまだ雪で覆われた道に入り込んでみた。人はいない。真っ白な雪原が続く。雪の真新しい表面にわざと靴の跡をつけて歩いてみたりした。


              雪の大内宿


              つららと大根


              民芸品が並ぶ



              いろりのある店でとち餅をいただく


               湯西川のかまくらに火が入るのは17時半からだとポスターで見た。鉄道の湯西川温泉駅と兼ねた道の駅に立ち寄ったので、ここにある日帰り入浴施設に入っていくことにした。ここで16時半。
               ゆっくり1時間かけて温まると外は薄暗くなり始めていた。空は群青色の絵の具を少しずつ垂らすように色に染まっていく。鉄道駅で時刻表を見ると数分後に列車が来ることがわかり、僕は外へ出てカメラを構えてみた。群青色に染まった空のもと、湖の上を直角に横切ってかかる鉄橋を静かに2両編成の列車が走っていった。

               湯西川温泉に着くころには上手い具合に漆黒に包まれた。
               空には星が降り注いだ。その下をかまくら会場に向かって歩く。平家の落人の里、日光鬼怒川の奥地に存在する温泉地でありながら驚くほど多くの人がやってきている。集客があリイベントが盛り上がっていることはなによりだ。
               人の流れに任せて歩いていくと、やがて河畔におびただしい数の小さな炎が見えてきた。30センチ四方くらいの大きさで作られたいくつもの小さなかまくらのなかに、ろうそくがともされている。その数はもう数え切れないほどだ。これらすべてに火をともすのにいったいどれだけの時間がかかるのだろう。 ひとつひとつの炎がそれぞれに、ゆらゆらと揺れ河畔を彩っていた。僕は飽きるまで何枚もの写真を撮って歩いた。


              湯西川温泉駅を出発する列車


              ミニかまくらにともされたろうそく


              かまくらまつりの会場


              ミニかまくらで埋め尽くされた河岸

              へぎそばドライブ (2013-08-04)

              0
                 へぎそばを食べに行こう、と話していた。
                 昨年、僕がサイクリングで行った、新潟県十日町のへぎそば。
                 「へぎそば」というそばは、「へぎ」と呼ばれるトレイ状の器にひと口分ごとにまとめられたそばを出す形だから、そばの有り様に決めごとはないのかと思っていたけれど、へぎそばというとつなぎに布海苔が使われているこの地方のそばを呼ぶようだ。

                 わざわざ十日町まで出向いたのは、ここで食べたへぎそばに布海苔にどっしり感があり、「どうせ食べるなら布海苔の強く感じられるものを食べに行こう」と言ったからだ。
                 朝8時、車で出発した。

                 僕らの場合、時間が許すならば限りなく下道(一般道)を使う。
                 高速道路は単調で、いろいろな発見も目新しさもないから好きじゃない。
                 今日も十日町に昼食を食べに行くことを目的に、ひたすら下道を走った。──越谷(市道)春日部(県道)菖蒲(国道122号)羽生(国道125号)熊谷(国道17号)塩沢(県道)十日町。

                 三国峠に向かうところで雲行きが怪しくなり、峠手前で雨が降り始めた。三国トンネルを抜けて苗場に出ると激しい雨。
                 雨は湯沢に下りてくるまで続き、湯沢から石打に向かうあたりでほぼ上がった。降っていなかったのではなく、降り終えた感じだった。

                 十日町に着いたのは13時前。店には待ち人で人だかりができていた。
                 駐車場に止めるところがなく右往左往していたら、店員が出てきて他の駐車場を教えてくれた。
                 しばしののち、そしてへぎそばをいただく。


                苗場は激しい雨


                十日町の田園


                国道117号 十日町の街並み
                雰囲気いい


                十日町にてへぎそば


                 さておなかもいっぱいになったので帰ろう。
                 ここでも僕のピストンルート嫌いが発動し、来た道とは別の道を考える。まっとうな時間に家に帰ることも考えて国道117号を長野方面に走ることにした。つまりはJR飯山線に沿って走るコース。
                 もともと昨年自転車で十日町に来たときも思ったのだけど、この国道117号の雰囲気はいいなと思っていた。そして今回、長野方面に向かって走っていった。道路、信濃川(県境を越えると千曲川)、JR飯山線とそれらを取り巻く風景は何とも言い得ない良さを感じた。細かい起伏が常に続くのが気になるけれど、これはいつか自転車で走らなくては。
                 



                国道117号


                途中立ち寄った森宮野原駅をパノラマで


                 「奥志賀林道を走っていかないか?」
                 僕は妻に言った。地図を見ていての思いつきだった。
                 本当はこのまま信州中野に抜けて、適当なところから高速かな、と考えていた。
                 国道117号をこのまま走り続けるのも魅力だったけど、いまだ一度も通ったことのない奥志賀林道にも魅力を感じた。
                 「いいね、行ってみたい」
                 と妻が答えた。

                 上境で国道117号を離れ、一気に野沢温泉へと駆け上がった。
                 野沢温泉をはじめて通った。いい感じ。蔵王に似ているかな。妻もこれは一度来たいね、という。
                 そして奥志賀林道へ向かう坂を上ると、すごい眺望。


                奥志賀林道へ向かう途中、野沢温泉


                さらに上って野沢一望の大パノラマ


                 長い長い林道を抜け、やっと奥志賀高原へ出た。
                 そこからはかつてスキーで来たことのあるお馴染みの場所だった。奥志賀、焼額、一ノ瀬、高天ヶ原、発哺、蓮池。横手山からとの合流点になる蓮池交差点に出た。
                 「どうする?このまま信州中野に下るかい?──いっそ、渋峠越えてしまおうか。時間はめちゃかかるけど」
                 「いいかも。草津に抜けるってことだよね?」


                渋峠


                 そして僕らは渋峠から草津に抜け、長野原から渋川へ。
                 関越に乗ろうかと考えたのだけど、渋滞の表示。結局国道17号、国道50号を走って太田へ、そこから国道122号を経由して帰って来たから、結局全行程下道を走ってしまった。

                コメダ

                0
                   コメダ珈琲店にモーニングを食べに行ってきた。
                   すでに暑い。




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