最近、友人が自転車を買った。ロードバイクだ。
僕は人に自転車を勧めることはあまりなくて、自転車の話自体をすることもまれだったりする。ゆえに僕がこうして自転車に乗っていることを知っている人はじつは限られているという……。
友人は僕よりも15歳も若い。このゴールデンウィークに箱根旧街道歩きに出かけたときだった。街道散策をする僕らの横を、旧街道の勾配を上る色とりどりのサイクルジャージが幾人も追い越していく。
「ああいう自転車いいっすよね。最近興味津々なんですよ」
と彼。
「実はあれに乗っているんだ」
と僕は言った。その日の街道散策は、おかげで大半が自転車の話になった。
ひと月半もするかしないかのうち、彼はロードバイクを買った。
僕はあくまで旅自転車として乗っていることを強調、速さを競うことや距離を走ること、そんなスポーツとしての自転車を期待しているのなら僕じゃ役に立たないことを告げたものの、自分も乗っていろいろなところヘ行きたいんだと言う。本音かどうかはわからないのだけど。
彼は自転車を買うのにあわせて付属品をどんどんと買い揃えていった。ライト、メーター、フレームにつける携帯ポンプ、ボトルケージとボトル、サドルバツグ。携行品としての携帯工具や予備チューブ、鍵も新調した。ヘルメットだけは買ったほうがいいと僕は言ったが、そののち華やかなウェアを買い、少し乗るうちにビンディング・ペダルにするのだとシューズとペダルまで買い込んだ。
自転車関係の買い物をあまりすることのない僕はそのあいだあっけにとられて見ていた。
何度か一緒に走った。
彼は神奈川に住むので、そのたびに僕が輪行して彼のところまで行った。
走るごとにああしたい、これを試してみたいと走り欲と物欲が同居している心情をのぞかせた。
「どう? 乗ってる?」
と僕は久しぶりに彼に声をかけた。
「乗ってますけど、近所その辺のいつも同じところばっかりっす。どっか連れてってくださいよ」
と言う。
「輪行してうちのほうへ来たら連れてってあげよう。でも地元もどんどん自分で走りに行けばいいのに……」
「無理っすよ、道わからないんで。車とか乗らないし」
えっ!? ――僕は一瞬耳を疑った。
僕は自分が地図を見て、それだけで興味が湧いてきて走りたくなってルートを引き自転車で出かけるんだと話した。もちろんそういうアプローチはいささか変わっている部類だとは思うけど、でも地図を読んで自分で走る道を決められるようになったほうがいいんじゃない? と言った。
「そうですよねえ、地図。買ったほうがいいっすかね」
「なにかしらあるのならそれを見ればいいけど、ないのなら買ったらいいと思うよ。少なくとも自分の家の周りの道がどこからきてどこに向かっているのかぐらい知っておいたほうがいい。たとえば小田原に行って帰って来るにしたって、どういう道があるのか地図を見ないとわからないよ。見ればそこからまた興味もわくかもしれないし、やがて走りやすそうな道を地図の上から見つけられるようになると思う」
***
僕は本当に地図を眺めているのが好きで、いつ開いたって同じことしか書かれていない地図を何度となく開く。それだけでも勝手に頭のなかにイメージが湧く。走ったことのない道であれば勝手に景色を作り上げ、走ったところだったら記憶がそれを補完する。同じ場所でも走ったことがないときと走ったあとでは全く違って見える。だからあらためて見直したくなる。不思議なものだなと思う。
地図を見ての興味から自転車で出かけるような僕だから、僕が彼を自転車の世界に巻き込んだのはやっぱり間違ったアプローチだったかなぁといまや微妙な感覚を覚えて苦笑いをする。
まあいい、とにかく走ればいい。