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    • 2017.12.04 Monday
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    嵐山渓谷、比企郡周辺

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       嵐山渓谷の名前は知っていた。
       でもどこにあるのかよく知らなかった。
       近くは何度か、自転車で通過したことがある。でも渓谷とはどこぞやらと思い、そのくせそれ以上調べることもなく、これまでやり過ごしてきた。
       そこは自転車では到達できない場所だった。

       車も何台か停められている駐車場。そこから延びるダートの細い道。車が通行禁止なだけじゃなく、車両は全面通行止め。道の入り口にはチェーンが張られ、そこからは徒歩でいくよりほか方法はない。

       道を奥へ奥へと進んでいくとやがて丘陵部から高度を下げ、川面まで下りた。槻川。水深を見誤りそうなほどの透明度で、その水はゆっくり、ゆっくりと、少しずつ流れていく。驚くほどゆっくりと。
       流れの速度がゆるければゆるいほど、僕は自分の視線が川に吸い寄せられていくのを感じる。どこかで魚が尾びれで水面を蹴上げる。あとから見ればドーナツ状の波紋がゆっくりと、広がってやがて消えていく。









      ***


       午後少しまでの限られた時間で、どこを走ろうかあまり考えも浮かばず、嵐山を中心にときがわ、小川あたりをまわろうかと考えたのが前日。あわただしくルートを引くのでそれがどういう道なのか想像もつかない。40キロ少々のルートが出来上がり、じゃあこれで行ってみようとルートをガーミンに入れた。
       そのとき知ったのが笛吹峠という名の小さな峠。小高い丘を越える程度の場所に峠の名前がついていることに興味がわいた。そしてコースに組み入れた。
       ルートは鳩山からときがわに抜ける。明覚の駅前から西へ、白石峠へは向かわず途中松郷峠へ入って小川へ抜けることにした。そこから槻川沿いに進み、嵐山渓谷を見て戻るコースを組んだ。

       ルート上僕を驚かせるように現れたのが、欄干のない細い橋だった。僕はそんな橋など知らずに都幾川を渡るようにルートを引いている。まるで四国四万十川でも思わせる。荒川の樋詰橋も思い浮かぶけれど、こっちのほうが断然、風情がある。あとでこの橋が鞍掛橋という名であることをツイッターで教えてもらった。そうか、ここはみな知っているほどの有名な場所だったのか、と少し恥ずかしくなった。
       両側に広がる都幾川の大きな流れを眺めながらゆっくりわたり、その先の里道をたどっていった。


      (欄干のない一本橋、鞍掛橋を渡る)



      (都幾川周辺の里道)



      (都幾川周辺の里道)


       笛吹峠へ向かう道は途中から「林道将軍沢線」となった。うっそうとした、しかしながら木々の樹齢はそれほどでもない林のなかを上っていった。すぐさま峠。
       峠には笛吹峠と書かれた大きな看板。僕は自転車を降り、寄せて写真を撮ってみるが、こんな場所で写真なんか撮るの? とでも言いたげな幾人かのサイクリストが僕を追い越していった。
       峠を下ってときがわの町へ出て、八高線明覚の駅前に向かった。

       ここへやってきたのは幾年ぶりだろう。
       後方には秩父への急峻な白石峠や弓立山などといった、自転車乗りには有名な坂がいくつもあるからどうしたって自転車は多い。それを差し引いても数が増えているように感じられて仕方がなかった。県道沿いにあるデイリーヤマザキには据え付けられたバイクラックが2台あったが。そこには埋め尽くさんばかりのロードバイクがかかっていた。
       僕はそれから駅前へ行ってみる。
       こちらも案の定、駅舎の壁に何台か、少し離れた場所にもロードバイクが置かれていた。
       僕は片隅に自転車を置き、休憩した。
       偶然にも八高線のキハ110が、ホームへ入ってきた。気動車が絵になる。
       僕はトマトジュースを飲んで休憩。


      (笛吹峠・標高にして百メートル足らず)


      (到着した高麗川行き普通列車)


       数多くの自転車集団とすれ違う。その半分あるいはそれ以上はそろいのジャージを着ている。チームなんだろう。一台すれ違うと列をなしてそのまま何台もの自転車が通過する。
       それから多くの店の店先にバイクラックが用意してある。
       自転車が多く走り、根付いている街なのだなと思う。
       途中の信号で右へ折れ、松郷峠へ向かった。
       車が通らなくなればしんと静まった峠道だ。ときどきつづら折を織り交ぜながら峠へと向かっていく。いくつかのカーブを曲がった先にピークと思わせる場所と、小川町と書かれた小さな案内標識があった。
       それ以外に峠を示すものは何もない。

       小川の町に下りると、国道や県道は避け、できるだけ槻川沿いの道を進んだ。田園が広がり、ちょうど稲刈りの真っ最中の田が多かった。コンバインが田んぼに出て余すことなく田んぼの稲を刈り取っていた。
       さあ、いよいよ今日のメイン、嵐山渓谷へ向かおう。



      (八高線の踏切の風情がいい)


      (田園の稲刈り風景)


      西上州曇天雨天

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        (地図)


         何週、週末の雨予報が続いただろう。
         もちろん予報は雨だけど降らないときもあった。浜松の鉄道旅をしたときや、富士山を見に新道峠に輪行で向かったときだ。それ以外にも自転車に乗ることができたり出かけることができたりする日もあったかもしれない。でも結果的には雨の予報や降水確率を見て、ときには朝の空模様を見てあきらめる日が何回も続いている。
         週間予報はこの一週間めまぐるしく変わった。
         土曜日は雨の予報がまず出て、日が経つにつれ降水確率が上がった。かと思えば週の中ごろを過ぎると晴れマークの付く天気予報も現れた。僕は行けそうな場所、雨に降られなさそうな場所を見つけて出かけるつもりになっていた。

         輪行が多い僕だけど、この日は車を用意した。
         もし雨に降られたとき、身体がずぶ濡れの状態で電車に乗るのはいかばかりか気が引ける。もちろん結果的に降られてしまって濡れた身体で乗ることがなくはないけれど、できれば避けたいと思っている。その点車ならどれだけ濡れようとかまわない。
         変化の多い天気予報を見つつ僕はいくつかのルートを引いた。神奈川、栃木、群馬。木曜日、金曜日の天気予報を追いかけると、関東は一円あまり変わらないように見えた。曇りときどき晴れの予報あるいは曇りときどき雨の予報。天気予報ごとに出す予報は異なれど、その予報のなかで地域による予報差はほとんどなかった。
         僕はそのなかから神奈川のルートを選択した。小田原から大雄山や足柄をめぐってくるルートだ。箱根の至近ながらまったく足を踏み入れたことのないエリア。日が近づくにつれ僕は興味を強くしていった。
         しかし土曜日の朝、ニュースのなかで気象予報士は「太平洋岸ほど雨が降りやすいでしょう」と告げた。時間別天気での小田原は終日、傘のマークが現れていた。曇りのマークが続くのは群馬や栃木の北関東だった。
         そんなわけで僕は甘楽町の道の駅にいた。
         まだひと気も少なくひっそりとしたそこは、やはり厚い雲に覆われていた。北関東とはいえ朝の予報では午後3時以降は傘マークが並んでいた。今は朝8時半。これから6時間を楽しむことにしよう。
         とはいうものの、熱心に計画を立てたルートではなかった。目新しさはない。富岡から松井田に抜け、横川を経て碓氷峠を上る。軽井沢でお昼ごろだろうか。帰路は和美(わみ)峠から下って下仁田に下りる。とりあえず西上州を走るなら、という程度。ここに来てからもう少し事前に情報収集しておけばと思った。
         富岡製糸場の前を通った。入り口に向かって行列ができていた。9時開場、その前から楽しみにしている人が並んでいた。富岡はいい街並みをつくっている。ここを通るとつい立ち止まる。富岡製糸場への興味はそれほど強くないけれど、富岡の街はいい。ここで少しのんびりしてみたいと思う。思うのだけどいつも忘れてしまう。まだ開いていない喫茶店を気にしながら通過して、僕はそのまま松井田へ向かった。
         国道18号と国道254号のあいだ、鉄道でいうと信越本線と上信電鉄とのあいだには妙義山から東へ延びる丘陵部がある。下仁田から松井田に抜けるにしても、富岡から松井田や安中に抜けるにしても、吉井から同じように安中に向かってもこの丘陵部を越えなくちゃならない。標高は高くないけれど、急な坂や上り返しもあったりして意外に疲れる。あわてずゆっくり坂を上りながら西を見ると、雲のなかにすっかり隠れてしまった妙義山の裾野だけが目に入った。

         横川のおぎのやドライブインの前で缶コーヒーを買い、ベンチに座って休憩した。国道18号はこの空模様にもかかわらず交通量が多く、みな軽井沢へ向けて坂を上って行った。
        「これから碓氷峠に上るの?」
         革ジャンに身を包んだ、僕より15歳は上だろうか、男性の三人組がバイクを止めて僕に声をかけた。
        「はい、今からです」
        「大変だ」
         とひとりが言う。
        「でも、自転車で坂を上るの好きな人も多いっていうよ。明日は赤城山を封鎖して自転車で山を上るレースをするんだと」
         と仲間が言う。
        「へえ」
         そんな会話を仲間内でしている。僕は笑って聞いている。
         僕がベンチを立ち空き缶を捨てると、気をつけてなあと声がかかる。僕もお互いにと声をかけた。

         国道18号旧道は雨こそ降っていないものの路面は濡れ気味で、空気が身体にのしかかるような重みを感じた。坂本宿を抜け、峠への坂道になる。道は森へ分け入り、路面はついさっきまで雨が降っていたのではないかと思うほど濡れていた。ずっと降り続く長雨のせいなのだろうか、国道18号の路面をまるで洗い越しのように水の流れが何箇所も横断していた。
         旧信越本線のめがね橋で自転車を止め下から眺めていると、そこへ先ほどのバイクおじさん三人組が追いついてきた。「やあ」と言う。「お疲れさまです」と僕は返した。
         空腹を感じてバッグに入れてきた蒸しパンを口に放り込んだ。それから再び碓氷峠に向かって出発。バイクおじさん三人組はめがね橋のうえへ散策しに行ったようだ。
         国道18号旧道には、カーブごとに1番から順に番号が振ってあり、確か184まであるはず。途方もない数だ。そんなに上らないと着かないのかといつも驚く。しかしそのぶん傾斜はきつくない。名のある峠でここまで勾配が緩いのはあまりないように思う。
         傾斜がきつくてもいいから短い距離で越えてしまいたいと言う人もいる。逆に距離は時間をかければ堪えられるから傾斜は楽なほうがいいと言う人もいる。人それぞれだ。僕はどっちだ? ──そう言えば考えたことがなかった。
         道路距離は長いものの峠までの直線距離がそれほどあるわけじゃないので、道はつづら折りで距離と標高を稼いでいく。右に曲がると左、曲がるとまた右。直線はほとんどなくてめまぐるしい。後ろから3台のバイクがやって来て僕を追い越していった。手を挙げて次のカーブヘ入っていく。僕も手を振りかえした。彼らはすぐに次のカーブで見えなくなった。

         国道18号旧道が坂を上り切るその場所に「長野県軽井沢町」の案内標識があらわれた。カーブは184まであったっけ──すべてを見ていたわけじゃないからわからないけれど上り切った。空は厚い雲に覆われるどころか、霧に覆われたように白んでいる。松井田で見た妙義山を思い出した。ここは雲のなかなのかもしれない。
         下りに入り始めてすぐ、国道18号旧道を離れて旧軽井沢の別荘群の道を選んだ。最も軽井沢らしい風景、そうここで書きながら避暑地の風景を楽しみたいところだったけれど、雲のなかは細かい霧雨に包まれていた。身体は徐々に濡れていくようで、それよりなにより県境を越えたら空気まで入れ替わったかのように寒かった。
         たまらず、軽井沢銀座には向かわず、大通りを駅に向かった。引いてきたルートではここから軽井沢銀座を散策ののち、中軽井沢に向けて別荘群やホテルのなかを抜ける小道を走ろうとしていた。でもそれを続けられないほど、あっというまに身体が冷えた。そして身体が求めるまま駅近くのそば屋に入り、あたたかい月見そばを食べた。

        「軽井沢ってところは特別寒いんだよ」
         おはぎを食べながら僕が軽井沢から下ってきたことを話すと、和菓子屋の主人はそう言った。
        「ここや松井田と比べると標高が全然違うけど、佐久なんかと比べても格段に寒いんだよね。空気が違うと言うか」
         僕はへえと言う。
         軽井沢でそばを食べ終えた僕は、久しぶりの軽井沢で散策をする気も起きず、ウィンドブレーカーを着こんで早々と出発した。ずっと霧雨にさらされているような状況のなか、プリンス前から南軽井沢を経て和美峠へ出た。
         10年以上使っているウィンドブレーカーは自転車用でも何でもなく、はっ水効果はもう完全に失われていた。霧雨はウィンドブレーカーを通過して僕の身体を濡らしていた。
         そんな天気だから和美峠からの下りは路面がしっかり濡れていた。急坂の続く下りを慎重に進み、上州姫街道の本宿(下仁田町)まで下ってきた。本宿の町ではまだ降り出していないのか、路面が乾いていた。
         本宿は今、上州姫街道の県道がバイパスとなって、旧道沿いにぽつんと残っていた。静かに、でもしっかり根付いた町があった。おはぎの文字につられ、僕は和菓子屋へ入った。
        「昔はこの町のなかにも映画館があったくらいだから」
         和菓子屋の主人は言った。
         かつては軽井沢へ向かう車で渋滞がひどかったと言う。街道のバイパスとして県道が川むこうを大きく迂回して通るようになると車はそちらヘまわり、町は落ち着いた。やがて上信越道が開通すると、下仁田から和美峠経由で軽井沢へ向かう人はいなくなり、町全体が静かになった。
        「ここにいても今は仕事がないから、若い人はどんどん都会へ出ていくからね。ずいぶん人も減ったよ」
         話し込んでいるあいだに窓の外に篠突く雨が落ちているのが見えた。さっきまで雨の気配はなかったのに。
         それにしても今日いちばんの雨だ。時間は午後2時半過ぎ。僕はとどまることより進むことを選択し、ごちそうさまでしたと店を辞した。
         5分も走るとヘルメットから水滴がしたたり始めた。車で来ているがゆえどうしたって甘楽まで戻らなきゃならない。20キロ前後あるはずだ。
         僕は下仁田の町なかまで下りてくると、駅に寄ってみた。サイクルトレインが走っているのでは? と思ったからだ。駅に自転車を立てかけ、ヘルメットを外して改札に立つ駅員に聞いてみた。
        「もう終わっちゃったんじゃないかなあ……」駅員は時間を確認する。「もう自転車を乗せられる電車は終わっちゃいましたね」
         時計は3時過ぎ。
         天気予報は大当たりだった。

         僕は駅員にありがとうございますと礼を言い、雨をあきらめて国道254号を走った。



        (道の駅甘楽)




        (富岡の町風景)



        (めがね橋)



        (軽井沢駅前通り)



        (上州姫街道・本宿の街なみ)

        ドンベイ峠、新道峠、旧芦川村(その2)

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          (その1からつづく)





           御坂山地周辺の道路にはあまり詳しくなかった。
           御坂みちこと国道137号その御坂トンネルと、旧137号の山越え旧御坂トンネルでの御坂峠は知っていたけれど、それ以外の道は知らなかった。確か甲府のほうからやって来て精進湖へ抜ける国道があったようなおぼろげな記憶があるくらいだった。
           だから今回、ここ新道峠に来るのにあたって調べて道をいくつか知ることができた。御坂みちから旧芦川村を結ぶ林道、蕪入沢上芦川線。甲府から鳥坂峠を越えて芦川へやって来る県道36号。この県道36号は芦川で向きを南東から西へくるりと変え、旧芦川村内を貫いて上九一色から市川大門の芦川駅へ向かうルートを取る。甲府から右左口峠をトンネルで抜け、上九一色の古関を経由して精進湖に向かうのは国道358号。新しいところで芦川村の県道36号から分かれ──それはちょうど県道36号が南東から西へ向きを変える地点だ──長い若彦トンネルで御坂山地を一気に貫き、河口湖へ下る県道719号。ほかにも林道で大窪鴬宿線や黒坂里道、その両林道をつなぐ名所山林道などなど。調べていくと名前を聞き場所を想像するだけでわくわくするところが目白押しだった。

           新道峠へ来るために入り込んできた蕪入沢上芦川林道、そこから分かれた枝線もまた林道で、水ヶ沢林道と言った。
           僕らは新道峠から登山道を歩いて止めていた自転車に戻ると、2、3キロばかりの水ヶ沢林道を下ってもとの蕪入沢上芦川林道との分岐点ヘ帰ってきた。富士山がまったく見えなかったとはいえ、目に飛び込む河口湖や遠くの山中湖をながめて気をよくして、おかげで途中で食べた軽食もすっかり消化してしまい芦川村への下り坂を急ぐことにした。
           しかし再び蕪入沢上芦川林道に戻るとそこはそれまでと同様のセメントひび割れ舗装、石畳の続く道だった。スピードがまったく出せないだけじゃなく、ブレーキはうまくかけられないし、手に伝わる振動もすさまじかった。あまりに身体への負担も多いものだから果たしていつまで続くのだろうと不安になり始めたころ、その荒れた路面は終わった。ちょうどすずらん群生地への入り口のあたりだった。
          「お腹すきましたねえ」と僕が言い、「そうですね、下りて食べましょう」とUさんが言った。きれいなアスファルト舗装に変わり、順調に坂を下り始めた。

           集落に出たようだ。
           久しぶりの人家を見てそう思った。何時間ぶりだろう、蕪入沢上芦川林道のあいだ人家はまったくなかった。そして集落にはうわさに聞きしかぶと造りの屋根が並んでいた。狭く急峻な峡谷の地形に家を建て畑を造りそのすき間を縫うように道があった。どこか懐かしい、会津の山あいで見かける風景を思い出した。「コーヒー」──Uさんが止まった。僕もあわてて後ろでブレーキをかけた。「いま、コーヒーってありましたよ」
           僕はUさんの言葉に下って来た道を振り返るように見た。
          「あの上にありました」とUさんは180度曲がったヘアピンカーブのうえを差す。
          「戻りましょう」僕らはUターンして坂を上り、かやぶきの屋根を乗せた古民家に立ち寄った。

           縁側でコーヒーを飲んでいるふたりがいる。僕らは古民家の太い柱のひとつに自転車をくくり付け、がらがらと音を立てる引き戸を開けて中へ入ろうとした。すれ違いざまに中から女性が出てきた。僕はてっきりここの店の人かと思い、「自転車をここに置かせてもらってもいいですか」と聞いた。「ええ、大丈夫ですよ」と彼女は答えた。しかし彼女はここのお店の人ではなかった。


          (かやぶき屋根古民家の店)


          (縁側でコーヒー)


           縁側でコーヒーを飲んでいたカップルはちょうど席を立つところで、店のなかに声をかけた。その声に呼応して初老の男性が顔を出した。親しげに話している。地元の客だろうか。
          「ささ、なかに入って」さっきの女性が言う。「なにか食べるものはありますか?」と僕は聞いた。そのときはまだ僕は店の人だと思っていたから。
          「食べるものと言ってもねえ、こんにゃくとワッフルぐらいかしら。ワッフルは美味しいわよ。あとコーヒー。コーヒーも美味しいわ。なかに入ってあいている席に座ってね」
           その言葉に促されて僕とUさんがなかに入るとそこは土間だった。女性は入り口から「じゃあまた来るね」と初老の男性に声をかけた。なるほど客だったのかとこの時点で気づく。
          「いらっしゃい。どうぞ好きなところに座って。広くもないけれど」と、初老のマスターは僕らをなかに案内した。土間で靴を脱ぎ部屋へ入る。一角には囲炉裏があって、畳にテーブルが置いてある。そんな部屋だ。僕らはテーブルについた。
          「ようこそいらっしゃいました。どうぞまずはお水を飲んで。お水、美味しいですよ」とグラスを置いた。
          「なにか、食べるものはありますか?」と僕は聞く。
          「いまはこんにゃくくらいしかなくてねえ」
          「ワッフルは?」
          「いまちょうど仕込み始めたところでさ、一時間くらいかかっちゃうんだ」
          「そうなんだ、それは残念……」とはいえなにも頼まず手持ちぶさたにしているわけにもいかないから、「とりあえずコーヒーをいただきます」と言った。Uさんも一緒にコーヒーを頼む。
          「そうだ、朝採ったトウモロコシがあるんだ。茄でてあげよう」
           ほどなくしてひとりの男性客。囲炉裏に腰を下ろす。会話からするとここに来慣れた常連さんだ。
           コーヒーが運ばれてきた。美味しい。コーヒーが飲みたかった。すっと入ってくる。いきおい、ひと息に飲んでしまいそうで一度カップを置いた。
          「はーい、トウモロコシ」と小ぶりなそれを置く。空腹の僕はすかさず手に取って何粒かむしり、口に運んだ。甘い──。いつのまにかむしるのをやめてかぶりついていた。
           縁側にはふたり、地元農家のオジサンだろうか、犬を連れて散歩の途中に立ち寄ったようだった。
          「はいよ、スイカ」オジサンはマスターに手渡す。「ああ、すみませんね、いただきます」とマスターは受け取った。その数分後、「はい、おすそわけ」の言葉とともに僕とUさんの前に切られたスイカが置かれた。


          (コーヒー、トウモロコシ、スイカ)


          (縁側)


           すっかりくつろいでしまった。時間は午後4時になろうとしている。マスターはコーヒー以外のお代はいらないという。恐縮している僕らから笑顔でコーヒー代だけを受け取る。入り口の引き戸を開けると西側の山の斜面がもう影になっていた。自転車を用意しながら縁側にいたオジサンふたりと会話を交わした。御坂からドンベイ峠を越えてきたんだと言うと驚いている。自転車じゃとてもそんなところには行けねえと笑顔で言う。自転車の用意ができると、マスターから、オジサンふたりから、気をつけて、楽しんで、と背に声を受けた。

           僕は今日県道36号でこの旧芦川村の集落をめぐってみたいと考えていた。そして旧芦川村の風景は素晴らしかった。走っていることがいちばん楽しい──これが自転車での最高の魅力だ。そこにいること、そこを駆け抜けることでその土地その土地の魅力を全身で受け止める。これを受け止めるには自らの感性をすべて働かせなきゃならない。それがいい。目で見て肌で感じ、生活や作業の音や人々の会話の端切れ、緑や風や食事の準備の匂いなどが付加されればよりいっそう記憶に深く刻まれる。僕はここを自転車で走る悦びを感じた。
           ──走ることが楽しいと、写真が増えないのだけど。


          (芦川沿いを下っていく県道36号)


          (旧芦川の点在する集落)

           県道36号をさらに下り、旧上九一色村(現:甲府市)に入るとほどなくして国道358号と交わる。ここで僕らは進路を南に取った。国道358号は上り。ここから精進湖に向けておよそ350メートル上る必要がある。全長1キロ超の精進湖トンネルを越えると、眼前に精進湖が広がった。
           日はすでに西の山の向こう側へ消えていた。空はまだ明るい。山あいの夕暮れの独特の風景だ。有数の観光地富士五湖は日中こそ派手で華やかな印象があるけれど、この時間は高原の夕暮れの寂しさを覚えさせた。国道を行く車は多いが人影はほとんどない。岸に係留されたボートが一日の終わりを感じさせた。

           湖畔で見かけたコンビニエンスストア。今日一日走っていつぶりだろう。
           パンをふたつばかりとホットコーヒーを買った。店の前のベンチで湖を眺めながら食べた。空が少しずつ明るさを失っていく。
           河口湖まであと20キロ弱。さあ行こう。


          (精進湖トンネル)


          (夕暮れ近い精進湖)


          (河口湖到着時はすっかり夜だった)

          ドンベイ峠、新道峠、旧芦川村 (その1)

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             およそ一週間前に手にした「日本の風景」とかいう書籍でその名を知った新道峠と、そこから見た富士。いよいよ峠に立った今、富士は雲に隠れてその姿を見せてくれなかった。

            ***


             ページをめくっていってあらわれた新道峠からの写真は、その風景バランスに強く惹かれた。結果的には構図と言っていい。自然の位置関係が作り上げる、絶妙の構図だ。──豊かに水をたたえた河口湖とその右手正面に雄々しい大きな独立峰が、互いに前ヘ前ヘと圧倒しあうように並んでいる。本来あるべき遠近感さえ失って見えた。
             僕は早速手持ちのツーリングマップルを開いて見た。しかしその書籍の略地図とツーリングマップルが上手く照合できない。悩みながらネットで地図をスクロールしていくと、手持ちのツーリングマップルが古すぎて、河口湖から北西へと延びる県道719号が開通以前で見る影もなかっただけだった。道路としてつながった県道719号と御坂みち(国道137号)を結ぶ林道を見つけ、新道峠の場所を確認するとこの場所への強い興味を覚えた。


            (本で見た新道峠)


             沸き立った興味のまま僕はUさんに連絡をした。Uさんなら僕の興奮に共感してくれるに違いないと勝手に思い込み、そのページを写真に撮って添付した。ほどなく、Uさんは自身で持っているサイクル・ツーリストという書籍の峠百選を見て、「載っていました」と送り返してきてくれた。Uさんもノーマーク、書籍のページを知らず知らずに読み飛ばしていたようだった。
             僕はネットで情報を集めながらルートをいくつか準備した。情報は多くない。しかしながらここを好んで訪れている人はいて、その良さが伝わってくる。得られたのは、御坂みち側から入ると新道峠に至る手前に日向坂峠(ひなたざかとうげ、通称のドンベイ峠のほうが名の通りがいいらしい)があること、新道峠は最後まで道が続いていないので、自転車を置き10分程度歩く必要があること、西に下りた旧芦川村(現笛吹市芦川町)は古き生活が息づいていて、かつて養蚕が盛んだったころの「かぶと造り」という独特の屋根を載せた家々がそのまま残っており原風景の味わいが深いことなど。そんなことからドンベイ峠、新道峠、芦川村を組むルートをいくつかUさんに見せた。




            ***


             中央本線の甲斐大和駅に降りると、すでにUさんは自転車の準備を終えてベンチに腰を下ろしていた。一本前の列車で来たらしい。一本と言ったってここの列車は間隔が30分以上ゆうに開く。申し訳ないことをしたと思う。
             御坂みちへ向かうルートを直線的にするなら石和温泉スタートなのだろうけど、この国道137号は交通量が多く大型車も脇を抜けていくような道は最小限にしたかった。それを大きな建前に、中央本線が笹子越えで稼いでくれた標高をみすみす捨てたくない、上りを極力少なくしたいという本音を加味した甲斐大和スタートのルートだ。御坂峠に行ったときもここが起点だった。
             たくさんの登山客に混じって改札を出る。ここは大菩薩嶺周辺の登山のアプローチ駅で、特急通過駅でもあるから普通列車が着くとそれに乗ってやってきたたくさんの登山客が降りる。改札の外ではゴルフ場の送迎のようにバス会社の運転手が迎える。みなマイクロバスや大型ワゴンに案内される。僕が自転車を組むあいだに駅前はすっかりひと気もなくなって静かになっていた。

             御坂みちを行くあいだ、蒸し暑くてけだるくて仕方がなかった。気温は上がっているものの道端の気温表示では30度に満たない。とすると湿度が高いのか。汗が流れ、日陰を見つけては小休止をはさんだ。リニアモーターカーの高架線の影でも休んだ。緑の山あいのなかを貫ぐさまは未来都市のようだった。子供のころの絵本に描かれた都市は透明なチューブのなかを車が走ったりしていましたよね、とUさんと話す。まさにそんな光景だった。


            (甲斐大和駅から久しぶりのUさんとのサイクリング)


            (御坂の山あいを貫くリニア)


             林道は、蕪入沢上芦川林道と言った。
             直前に通り過ぎた台風13号で、県はおとといまで通行規制を出していた道だ。昨日になってそれは解除され、僕の引いたルートは面目が保たれた。
             国道137号御坂みちから分ける道ながら、かつてそうしていたように地図でその分岐を探していたら見つけられなかった気がする。今は現在地を示すGPSマップがハンドル上にあるから本当に便利だ。それでもここかな? と何度か疑問を持ちながら林道に入った。
             林道に入ると途端に涼しさを覚えた。
             道を取り囲む木々によって強い日差しはさえぎられ、風も変わった気がした。なにより大型車も多く含む国道137号の交通量から変わって車がまったく通らないこともそう感じさせた。
             坂はときに急で、ただでさえゆっくり上って行く僕らを苦しめた。距離も長い林道だった。直登するところもあればつづら折りで上って行く箇所もあった。直登は斜度がきつかったし、つづら折りも曲がれど曲がれど休めるような平地が現れなかった。むかしだったら気持ちが途切れていたかもしれない。今はいい。経験値が上がったこともあるけれど、GPSマップで今がどこか先がどうなっているかがわかるようになったから。
             適度に休憩をはさみ、途中で持ってきていた食べ物も食べた。僕は林道の長さを考えておにぎりふたつとゼリー系飲料を持ってきていたが、それはその場でなくなってしまった。林道沿いに電気の来ていない場所だからコンビニや商店はおろか、自販機さえない。林道はたいていどこもそうだ。食べ終えて少し休息をとりそしてまた上る。僕は眠くなった。自転車に乗っていて眠くなることがある。でもたいていは食事を摂ったあとの下りだ。上り坂で眠くなるなんてありえない。眠気は波のように襲い、ときどき意識が飛んだ。ガードレールがない場所のほうが多い林道だけに僕はUさんに眠気を伝え休憩させてもらった。体調管理が行き届いていないわけで申し訳なかった。でもUさんは快く休憩に応じてくれた。少し眠るといいですよと言ってくれた。僕は自転車を置き、車もまったく走らない、鳥や虫の声もほとんどない、風の流れる音だけがする林道で、草の生えた山の斜面を背もたれにして路面に座って目を閉じた。これだけの往来の少ない道、野生動物の出現を危惧するなら昼寝などひとりでは到底できることじゃない。Uさんに感謝しつつ、とてもぜい沢な時間を過ごした。
             結局すれ違い追い越されたのは車が2台、二輪が2台だった。2時間半以上走り続けたなかでその程度しかない往来だった。道端には落石注意の標識がいくつもあり、路面に崩れ出した土砂や落ちてきて割れたような岩を見ていると、冗談で掲示しているんじゃないぞとでも言う真剣さが伝わってきた。上り坂でスピードなんて出せやしないから、いつも山の斜面の上に異変がないか気をつかった。

             標高1500メートルを越え下りに転じようとした場所には何もなかった。「ここが峠ですかね」と僕が聞き、「わからないですね、何もなくて」とUさんが言う。念のため写真にだけ収めた。それから坂を下り、また上りをくり返して標高を少し下げた箇所に登山道との交差箇所があった。そこで止まって振り返ってみると「ドンベイ峠」の看板があった。「ここでしたか」と僕は言った。「ここでしたね」とUさんが言った。


            (今日のメインテーマ、蕪入沢上芦川林道)


            (直登区間の急坂を上る)


            (休憩をし、手持ちの食事を食べ、昼寝をする)


            (ときおり甲府盆地が望める)


            (全般的に落石が多い)


            (到着したドンベイ峠)

             下り坂をさらに進んだ。途中で路面がセメント舗装になり、それがやがてセメントのひび割れた路面に変わった。最後はまるで石畳のようだった。あるいは石畳だったのかもしれない。まるで岩を土のなかに埋め込んだようでさえあった。まったくスピードが出せない。激しい振動のなかブレーキを握りっぱなしで手が痛い。まったく快適じゃない下り道だ。
             新道峠に向かう林道との三差路に出た。峠から100メートルばかり下ってきた。


            (セメントひび割れ舗装や石畳のような下り坂)


            (新道峠への分岐)


             分岐から再び100メートルばかり上る。2、3キロくらいだろうか。林道は行き止まりになる。車が3台ばかり止まっていた。自転車をガードレールにくくり付け、あとは登山道。いよいよ新道峠へ向かう。
             登山道の階段状のステップは驚いたことに枕木を使っていた。丸太が使われることの多い登山道のステップなのに驚いた。しかも狭い登山道に収まる幅はおそらくナローゲージの特殊なものだった。鉄道の線路だろうか、あるいはどこかトロッコのような簡易軌道――たとえば鉱山や林業の運び出しのための──だろうか。上を向いている面がどこかにもよるが、大釘を差していた痕跡らしきものもあった。

             もともと朝から山の上には雲がかかって見えていたのだ。
             だから目的の富士山が雲に隠れていても不思議ではなかった。
             それでも雲におおわれた富士山を想像し、風景を眺めることは残念だった。とても楽しみにしてきたから。
             ちょうど富士山にだけ雲がかかっている。ふもとの河口湖はまるで手の届きそうな眼下に見えている。左の奥に山中湖が見える。それぞれの湖の標高差はおよそ150メートル。その標高差を見事なまでに表現した精巧なジオラマを見ているようだった。
            「今日は朝からこの状態だよ」そう、登山道を通りかかった夫婦が言った。どこから来たのか、甲斐大和の駅から、あの道を自転車で?そんな自転車に乗っているとよく交わされる典型的な会話をする。そしてまた富士山の話題──それはまるで、見える機会のほうが少ないのだよと言わんばかりでもあった。
            富士の裾野には演習場が見える。その稜線がやがて放物線を描き
            始めるあたりから、雲がきれいに覆っていた。


            (登山道をゆく)


            (眺望を楽しむ場所はニカ所あるよう)


            (第二からの眺め)


            (第一からの眺め)



            小田原から真鶴、熱海へ

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               まだ御殿場線が東海道線と呼ばれていたころ、小田原から熱海ヘ向かう海岸線にも鉄道敷設の要望があった。そして豆相(ずそう)人車鉄道──工夫が客車を押すと言う人力の鉄道が走り、やがて熱海鉄道と言う豆汽車の走る軽便鉄道になった。国木田独歩はこの豆相人車鉄道に乗りその紀行を『湯河原ゆき』にまとめ、芥川龍之介は軽便鉄道への工事の場を舞台にした『トロッコ』で大人になりかける少年の心を描いた。
               現在の東海道本線となる熱海線が開通するに合わせこの軽便鉄道は姿を消す。熱海の駅前にこの鉄道を走っていた豆汽車が復元、残されているが、レールや路盤や駅などこの鉄道を思い起こさせるものは何もない。現在の大動脈らしく東海道本線は沿岸部の多くをトンネルで貫いている。並行する国道135号は海沿いを行く。僕は以前、小田原市から豆相人車鉄道のパンフレツトを送っていただいた。眺めるとどうやら国道135号より山寄りを走っている。根府川から真鶴の先にかけて旧国道135号(現:県道740号)があるが、そのイメージだろうか。


              (小田原市・豆相人車鉄道のパンフレット)


               僕はこのあたりを自転車で走るとき、この県道740号を選んで走っている。現国道135号(かつての真鶴道路旧道)を走ったこともあるけれど、車の交通量から見てももっぱら県道740号をまわる。車を避けることが主でありながらも、ぐんぐん坂を上って目に入ってくるみかん畑と大海原の景色は圧倒的だ。木々の切れ目から眼下を眺めると、東海道本線と国道135号がはるか下に見える。
               豆相人車鉄道や熱海鉄道の乗客もこの風景を見ていたのだろうか──。
               むしろ今はこの景色を見たくて県道740号を選ぶのかもしれない。

               ところで僕はこの県道740号を走るとき、いつも国道135号から根府川駅へ向かう入り口で右に入っていた。ここは県道740号の始点でありかつての国道135号のルートだった。しかし昨年、ここを自転車ではなく徒歩散策で訪れたとき、早川の駅から国道135号より内陸を通る道を見つけた。
               ここは自転車で走るべし。

               早川駅前からの路地道は一度国道135号に合流してしまうのでここはスキップし、西湘バイパス石橋出口の合流後に右に分岐する箇所から入ることにした。
               朝の小田原城をひとまわりし、国道1号から国道135号に入るといきなりの渋滞だった。夏休みシーズンはつねにこうなのか?考えてみたら僕はこの季節にここを走るのは初めてだった。
               国道135号を離れるとぐんぐん坂を上る。それほど長い坂じゃないけれど左手にあった海が離れていく。先に坂を上って来ていた東海道本線の線路が右手から寄り添ってきた。
               坂を上り切ったか道が平たんになったところで僕は自転車を置いて崖の下をのぞいた。その風景は静岡県のさった峠に似ていた。右に湾曲する海岸線、眼下を行く国道135号。異なるところは東海道本線の複線が道路と一緒に眼下にあるさった峠に対し、ここは線路が僕の横にある。僕がひとしきり景色を眺め、写真を撮っていると、特急スーパービュー・踊り子が横を走り抜けていった。

               いったん下って根府川の手前で県道740号に入った。国道135号との交差点ではあるけれど、国道135号に出る必要はない。国道135号は相変わらず混雑していた。
               坂を上れば期待通りの景色。みかん畑と眼下に広がる海原。国道135号と東海道本線が小さく見える。もちろんみかんは季節はずれ、畑のあいまにイチジクの実を見つけた。
               海をもっと見ていたくなった。真鶴岬に行ってみることにした。


              (石橋から根府川に向かう途中、石橋山古戦場近く。人車なら米神駅近く)


              (真鶴岬に向かう途中、真鶴港に立ち寄った)

              大道峠

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                今回のルート


                 峠の名前を知っていたわけじゃなかった。
                 JR吾妻線沿いの町、中之条から新治村(現:みなかみ町)に抜けられる道があるということだけ知っていた。地図でたどると途中にこの名の峠があったのだ。
                 だいどう峠。おおみち峠ではない。
                 決して有名な峠道ではない。──少なくともそう思っていた。
                 しかし僕の手持ちのツーリングマップルにはでかでかとその名が記されていた。


                (大道峠/谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠)


                 中之条の駅で列車を降りた。
                 高崎を8時46分に出る、首都圏からのアプローチで二本目の列車。吾妻線で三本目の列車。吾妻線の始発、高崎6時14分の列車にはさすがに首都圏からでは乗れない。それとこの列車をのがすと次は二時間近く列車がない。
                 ここで降りたのは初めてだった。ここを通り過ぎて渋峠や野反湖に行くために長野原草津口で降りたり、嬬恋パノラマラインを走るために万座・鹿沢口まで行ったことはあるのだけど、中之条は通過するばかり。こぎれいにした駅舎の前で僕は自転車を組んだ。


                (これをのがすと次は高崎10時49分発という驚異の空き時間)


                (高崎から中之条まで乗ってきた115系)


                (きれいな中之条の駅舎)


                 県道53号、中之条湯河原線。
                 湯河原がどこなのかわからない。中之条が起点で、みなかみ町の湯宿温泉が終点。ぱっと見、湯河原という地名は見つけられなかった。
                 そんな前置きはともかく走る。駅前からの国道353号を1キロばかり走り右に分岐する県道53号に進路を取った。
                 坂が現れて道は淡々と上りが続く。道の駅霊山たけやまを過ぎ、伊参(いさま)スタジオ公園という場所にたどり着いた。廃校になった古い学校を利用して映画を撮影したりプロモーション・ビデオを制作しているよう。のぞいてみることにした。
                 建物内はかなり手入れが行き届いていて、古いのに至るところがきれいだった。撮影関連の資料や訪れた芸能人のサイン──これは食堂なんかで飾ってあるのを見ても同じなのだが、いったい誰がここへやってきたのかわからず終いだった──、映画の映写機が置いてある部屋もあれば映画のセットを作りこんでしまった部屋もあった。それらすべてが丁寧に保存されている。
                「秋には映画祭をやるのでぜひ来てください」
                 このスタジオを管理する女性はそう言った。僕は笑って、それからおじゃまいたしましたと頭を下げてここをあとにした。


                (古い、木造の校舎だったよう)


                (資料を残して飾っている部屋)


                (映画のセットを残している部屋)


                (廊下)


                (洗面所)


                 大道峠へ向かう県道53号はもともとそれほど車も走っていなくて、道の駅霊山たけやまを過ぎると車は減り、伊参スタジオ公園をあとにするとまたさらに車の数は減った。走っていてもとても静かだ。
                 しかし道からは眺望が利かず、また路面も濡れていた。そういえば朝、高崎線の下り電車のなかでスマホで見た天気予報には濃霧注意報が出ていた。残念ながら天気予報は当たっている。

                 峠に向かう道は大きなカーブで進んでいく。幾重にも折り重なった前途が見上げられる羊腸の峠道ではなく、山肌に張り付いて前ヘ前へと進んでいく峠道だった。斜度で標高を稼いでいるのか、あるいはそれほど高くまで上る必要がないのかはわからなかった。上っても下りまた上る、そんな上り返しも多い。そしてなにしろ目の前にある鉄塔の、その頂と送電線が見えなくなるほどの霧で、勾配感覚が麻痺していた。自分の居場所すら、怪しかった。
                 この道は車の通行が少ない。まったく来ないわけではないけれど、数えておけば正の字いくつかで数えられるほどだった。それからときおり自転車乗りとすれ違った。大半はロードバイクだけど、一台マウンテンバイクもいた。そのたびにあいさつを交わす。中之条からわずか10キロ20キロの場所にありながら隔絶の感を禁じ得ない場所は、自転車同士の連帯感を生みだす。ひとりぼっちの心の空間をそんなふうに埋めながら峠を目指した。
                 日本一大モミ──そう書かれた丸太の碑が道端に立っていた。僕は自転車を止め、周囲を見まわしてみる。情報はこれだけなのかな? まず僕のなかでの常識的に読めばモミはモミの木、日本一だから大きいのか高いのか、あるいは樹齢により太く立派なのか。いずれにしたってきっと大きな突出したモミの木があるに違いないとボトルのドリンクを飲みながら周囲を少し歩いてみたけれど、なんなのかわからず終いだった。残念だけど。

                 峠の手前にある冨沢家住宅は結局立ち寄らなかった。18世紀末ごろの養蚕農家が保存・維持されているここにマークもしていたし、入り口もすぐにわかったけれど──県道53号から300メートルほど脇に入るようだ──、時間も気になったし空腹も覚えた。左手8時の方向に戻るよう上り分岐していく細い脇道を目で追いながら、そのまま大道峠へ向かった。
                 日本一大モミと冨沢家住宅、止まるところが逆だろうって自分につっこむ。
                 突然、「みなかみ町」の標識が眼前に現れた。峠だろうか──。しかし大道峠を表す碑や標識はひとつもなかった。ここまで走って来た道は上っていて、この先は下っている。ただの上り返しか? と疑う。でもここはれっきとした町村界だ。
                 そう疑ったのはここがあまりに牧歌的だからだ。道のまわりには畑が広がり、かぼちゃの花が咲いている。


                (霧に煙る景色と湿り気味の路面)


                (日本一大モミ?)


                (大道峠、中之条町とみなかみ町との町界)


                 ツーリングマップルのうたい文句「谷川連峰・三国連山・榛名山を望む峠」とはほど遠い、霧におおわれた峠だった。しかしながら晴れていても、左手は山がちな地形であり右手は木々におおわれていて眺望は期待できるのだろうか。正面は新治(新治村……現みなかみ町)に向かう下り坂なので、谷川連峰が望めるかもしれない。
                 大道峠は集落のなかの峠だった。畑があり、いくつかの住宅があるようだった。畑があるゆえ周辺は開けていて、これまで割合的に多かった最果て感も閉塞感もない。まるでどこかの農村にたどり着いた印象だ。もちろん集落のなかの峠は他にもある。ここに上って来るまでのあいだにも集落はあった。だから印象は僕の勝手な思い込みであり決めつけだった。
                 僕はかばちゃ畑のかたわらに腰を下ろし、鞄のなかに入れて持ってきたもなかを食べた。特に音という音はなかった。動物がいるようでもなかったし鳥も鳴いていなかった。集落はあるが人の気配や生活音も感じられなかった。僕がもなかを食べるあいだに通り過ぎた車は一台だった。
                 下ろう。

                 2時間かけて上って来た峠道を下るのにわずか30分というのはいつものこと。300メートルを貯めこんだ貯金はわずかな時間で使い切ってしまう。そんな下りのなかでも目に入ってくる一面の水田は美しかった。緑の穂がそろい、風に揺れる。それがやがて右にも左にも目に映る。中之条に比べて新治側は水田が多いのか。田んぼのなかの下りはふだんに増して心地いい。
                 下ったそこは旧三国街道の須川宿だ。たくみの里の名で、須川宿のなかの竹細工や木工細工の工房で体験できる場を提供しているらしい。そういえば国道17号を車で走っているときに看板を見かけたことがある。
                 僕は須川宿の一件のそば屋に入った。もりそばを食べそば湯をいただきお腹を満たすと、しばらく須川宿のなかを歩いた。
                 たくみの里という工房を見たり体験したりできるようにしたり、案内も充実したり、観光向けに景観保存をしているのだろう。しかし派手さはない。大内宿のように、その旧街道と宿場町の保存で驚くほどの集客を集めているところとは比べものにならない。建物も多くない。密集して建っていない。でも歩いているうち、この密集度のほうが自然なのでは? こういう宿場町は悪くないな、そう思い始めた。


                (一面水田のなかの下り坂)


                (須川宿の街なみ)


                (須川宿)


                (そば屋に入りもりそばをいただく)


                 さあもうひと山越えよう。
                 水上に抜けるため、仏岩越えをする。峠部分は仏岩トンネルで一気に抜ける、県道270号相俣湯原線である。
                 須川宿から国道17号に出てしばらく均一な上り勾配を進んだ。1キロか2キロか。そこから右手に水上と出た分岐に入る。
                 国道17号は久しぶりの大交通量道路で、横断するにもしばらく待たされるほどだった。県道270号に入ってもしばらくは車が定間隔に行き来した。県道53号とは比べものにならない。旧新治村と水上町とのあいだはそこそこの交通需要があるのかもしれない。
                 途中左に道を分ける。川古温泉の看板がある。地図でも確認していた温泉だ。
                 しかしながら結局ここも時間を気にして入らなかった。わずか1キロくらい入り込んだところだろうけど、入ってしまえば止まって眺めたり雰囲気を楽しんだり。そんなことで僕の場合わずかな時間じゃ済まなくなるだろうから。
                 温泉に入りたいわけじゃなくて、行き止まりにある一軒宿の温泉の雰囲気を見てみたかった。──最近、この手の行き止まりの先にあるものに興味が湧いている。

                 川古温泉を過ぎた県道270号は変わらず坂を上って行く。交通量は若干減ったように思う。とすると新治水上間を往復することに使われているわけじゃないのだろうか。もっとも僕の言う交通量なんて感覚でしかないから、あてになるわけじゃないけれど。
                 大道峠の県道53号と同様、小さなヘアピンカーブの続くつづら折はない。それでもカーブが増えてくるとやがてカーブ番号が付き始めた。仏岩越えに向かって1番から2番、3番と順に振られていく。なぜ、急に? ここまでカーブがなかったわけでもないし、1番からが急カーブの連続のつづら折になったわけでもない。様相の変わらない山道に突如番号が振られ始めたよう。どこからか道路の管轄が変わったのだろうか。
                 カーブを10番と少しばかり越えただろうか──じっさい何番まであったのか、かくにんしていないけど──、立派な坑口があらわれた。仏岩トンネル、いよいよ仏岩越えである。
                 しかし天気は、せいぜい若干の霧が晴れた程度で、相変わらず遠望は利かなかった。新治側の入り口に仏岩の説明があったけれど、その僧の形をした岩はどこにあるのか、僕には判然としなかった。あきらめて仏岩トンネルに入った。
                 トンネルは最近掘られたものなのか新しく、明るく、広かった。トンネル特有の、はるか後方で突入した車の音がまるで真後ろにいるかのように聞こえる恐怖は変わらないけれど、車線にも広さがあって明るいトンネル内で車に追い越しされることに怖さはほとんどなかった。トンネル自体はある程度の長さがあるけれど、そのなかで追い越されたのがせいぜい数台ということもある。こういうトンネルをくぐると、三国トンネルや笹子トンネルもこうなってくれるといいなと思う。
                 ここからは水上まで一気に下りだ。
                 水上側にもカーブ番号が振られていた。目で追うだけだけど、見えただけで9番、8番と減っていく。ということはおそらく新治側、水上側ともふもとからトンネルに向けて1番から順に振っているのだろう。──そんなことを考えていたのに、1番を見失った。下りじゃ仕方ない。
                 頭上を関越自動車道の真っ赤なトラスが横切っている。これを過ぎてもまださらに下る。上越新幹線の高架を越え、国道291号に突き当たった。県道270号の終点。

                 水上の町なか、国道291号沿いでスキー帰りによく立ち寄る小荒井製菓に寄った。生どらという生クリームと餡をはさんだどら焼きをひとつ買い、店内のベンチでいただいた。そば茶もいただく。今はどこにでもある生どら焼きだけど、古くはこの店くらいしか知らなかった。だから昔からこの店で買っている。


                (仏岩)


                (仏岩トンネル/新治側)


                (仏岩トンネル/水上側)


                (水上・小荒井製菓)


                 水上の温泉街の路地を自転車でゆっくり走った。
                 何度も──スキーでも鉄道でも──訪れている水上だけど、この路地を通ったのは初めてだった。寂れた感はもちろん否めないけれど、寂れながら頑張って続いている印象があった。熱海も、会津東山もこんなに街が残ってはいなかった。スマートボールがやりたくなった。これもまた列車の時間を気にして、通り過ぎる。僕がここに来なかったのは、これまでが自転車じゃないからだ。それに気づいた。鉄道旅行のときは駅からの距離がありすぎて、よほど時間に余裕がない限りここまで歩いてくることはない。車で来たときは路地が細すぎてここまで入ってこようという気にならない。止める場所だって難儀しそうだ。
                 温泉客とすれ違う。道に路地にゆっくりした時間が流れていた。
                 利根川にかかる橋を渡って線路沿いに出る。ゴール、水上駅。そう思いながら駅に近づいていくと線路端に人だかりがある。SL列車が駅に待機していた。


                (水上温泉街)


                (D51によるSL列車)

                寄居・長瀞・秩父華厳の滝

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                   その存在を知らなかった。
                   たまたま地図を見ていて目に入っただけなのだ。
                   華厳の滝──?

                   ふと、東武東上線に乗りたいと思った。それがこの二週間ほど。
                   もう10年以上乗っていないと思う。同じ東武でありながら僕が乗る本線系統と細かないろいろに違いを感じる、僕からすると不思議な路線。
                   久しぶりに寄居まで乗りたいと思った。

                   だったらちょうどいい。自転車を持って行こう。

                   東上線には快速急行なんて種別があった。Fライナー、元町・中華街……思い返してみれば副都心線を経由して東横線に入るようになってから一度も東上線には乗っていないんだ。池袋からの狭い路地をごとごと走りながら和光市で急に開けると、地下から上ってきたそんな速達列車が入ってきた。
                   乗るとあっという間に森林公園に着いた。僕は川越市から先、かなりの時間を要する路線だと思っていたから意外だった。坂戸、東松山、森林公園。そこから小川町行きの普通に乗り換え、さらに寄居行きに乗る。
                   僕にとってはすっかり懐かしい8000系が走っている。


                  (僕が子供のころの旧塗色とすれ違う)


                   荒川に沿って走っていると長瀞の商店街に入った。狭い路地に観光客があふれ、車も入り乱れることで雑然とした印象を持つ場所が、いたって静かだった。まだどこも店が始まっていない。
                   裏手で今日一日の準備をする音や雰囲気が感じられる。活気のある一日になるかな。僕は自転車を押して商店街を眺めながら進んだ。
                   上長瀞で川辺に下りてみた。
                   秩父鉄道の鉄橋が見たくなった。
                   写真ではよく見かける風景、じっさいに見たのはいつだったろう。
                   子供の時分、ここで鉄橋と電車を眺めながら泳いで遊んだ記憶がある。──本当かな。水面を見ていると目がまわるほどの急流と、そこを勢いよく通過するライン下りやラフティング……とても水遊びをできる場所には見えない。記憶違いかな。
                   鉄橋を行く列車が見たくて、通過を待った。



                  (まだ静かな長瀞商店街)



                  (上長瀞の鉄橋)


                   秩父華厳の滝へ向かう道は、知らない道だった。
                   知らない、というかノーマークだったんだと思う。県道284号、皆野から西へ、道の駅龍勢会館へ向かうまわり道だから。まっすぐに向かう県道37号に比べたら大まわりで山にも上らなきゃならない。秩父華厳の滝がなければ、意識しない道だった。
                   坂を少しずつ上っていく。道がぐんぐん狭くなる。
                   町営バスが狭い道で追い越していった。場所によっては自転車だって退避しなきゃいけない。こんな場所を運転して、生活が確保されてる。
                   場所は、すぐにわかった。
                   看板があったから。


                  (秩父華厳の滝の入り口)


                   僕は、瞬間冷却するように興ざめした。
                   なんだろう、どこか僕の嫌悪する部分に反応する。──順位付けが? 訴えかけるポイントが?
                   わからないまま、でもせっかく来たのだから自転車を止めて滝へ歩いた。

                   息を飲んだ。


                  (秩父華厳の滝)


                   大きくはない。でもすぐそこに滝がある。目の前で落ち、耳に、腹に届く音は至近だ。時間が早いせいなのか人もいない。誰もいないまま、まっすぐに落下する水、立ち上る小さな飛沫や霧、時差なく届く音は究極の臨場感、圧倒される迫力だった。
                   靴下を脱いでその水に入ろうかと思ったけど、気温がまだ上がりきっていないから躊躇した。
                   このままであればいいのに。神秘とか宗教的なものとか自然の力だとか、そんなものなにもいらない。あと付けの理由なんて何もいらないから、この滝をこのまま見たい。そういうものは個人々々で感じればいい。僕はそう思った。道路に向けて建てたあの看板が、「秩父華厳の滝」の文字と矢印だけで示していればいいのにと思った。
                   誰もいないから、滝に向かって両手を広げて伸ばした。滝の全力を受け止めてみる。

                   自転車に戻るとさらに坂を上り、ピークにある天空の楽校という場所に寄ってちまきをいただき、山を下って秩父へ向かった。
                   コーヒーが飲みたい。ずっと寄ってみたかった千茶古(ちゃこ)って喫茶店に行ってみよう。


                  (珈琲千茶古)


                  ***


























                  土山峠・宮ケ瀬・愛川

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                     本厚木って、こんなに発展している街だったんだ──。
                     小田急の電車の行き先でその名を知っていたこの駅で降りたのは初めてだった。一部のロマンスカーだって止まるし、そりゃ小田急のなかでもそこそこの街だろうと思ってはいたけれど、駅ビルや周囲のビルに取り囲まれ、ちいさく切り抜かれた空を見て驚いた。新宿から急行に乗りっばなしで一時間もかかる場所なのだ。わが東武線だったらどうだろう、北千住から一時間も乗ったら果たしてどこまで行ってしまうだろう。館林? 栃木? いずれにしたってこんな都市じゃない。
                     そんなわけで自転車を組む場所を戸惑いながら探し、出発した。複雑に接合する小路のなかからガーミンの示す道を選び、進んだ。

                     神奈川県は、考えてみたらあまり走りに来たことがないかもしれない。
                     冬の寒い時期、暖かな日差しを求めて三浦半島に赴くことはあるのだけど、この相模エリアはほとんど足を踏み入れたことがない。僕は宮ヶ瀬湖を目指すために、県道603号から県道64号に乗り換えた。
                     でも宮ヶ瀬は初めてじゃなかった。
                     もう10年くらい前だろうか、季節さえ覚えていない。そのころ書いたブログが残っていないだろうかと探してみるけれど、それも見つけられない。どこからかやって来て、宮ヶ瀬湖へ向かい、どこかへ抜けた。記憶の片隅に残っているのは、昭和風味の書体で書かれた七沢荘という看板と、途中の土山峠で写真を撮ろうとその名を探し、バス停で自転車を写真に収めたこと。往復とも輪行しているはずだけど、どこの駅から走り始めてどこの駅で終えたのか、全工程がどういう旅だったのか全く覚えていなかった。

                     厚木市内を走っているころからそうだったのだけど、幾人かのロードが僕の後ろに姿を見せ、やがて追い越していった。それは土山峠に向かう上り坂に入っても変わらなかった。むしろ増えていた。
                     バーエンドに付けたミラーでは確認しきれないから大きく後ろを振り返ってみる。すると自転車が一定の間隔を置くようにして連なっていた。それはまるで障害が発生して遅れの出た朝の上野東京ラインのようでもあったし、日曜夕方の羽田空港上空に隊列を作る着陸便のようでもあった。
                     僕はその後続をみな見送り、やっとのことで土山峠へたどり着くと自転車を投げ出してその場ヘ座り込んだ。ドリンクを口にする気にもなれなかったので、峠を走り抜けていく自転車をしばらく眺めていた。ひとりで黙々と上る人、チームで隊列を作り乱さぬまま下りヘ突入していく人たち、高回転でペダルをまわし談笑しつつ走り抜けていった女子ふたり、なかにはこの峠の目の前でUターンしそのまま下っていく人もいた。そして僕のようにこの場で立ち止まる人は誰もいない。みな行き過ぎるばかり。
                     土山峠を出て宮ヶ瀬湖を下に眺めると、ほかのダム湖もそうであるようにここも水がなかった。枯れて奥のほうでは底が見えていた。宮ヶ瀬湖をいくつかの橋で渡る。ふだんならここまで水があるのだろうと、木の生え際で想像がつく。そこからどれだけ水位が下がってしまっているのだろう、はるか下のほうに水があった。
                     土産物屋や食堂が文字通り軒を連ねる場所は宮ヶ瀬湖の観光スポットだろうか、立ち寄ってみるとその場の風景にかすかな記憶がよみがえってきた。小腹は空いていたけれどしっかり食べたいほどではなかったから、缶ジュースを買い、コロッケを売る店があったのでコロッケを買って食べた。


                    (誰も写真など撮る人のいない、土山峠)


                    (水の少なくなった宮ヶ瀬湖)


                     しばらくの休憩ののちに今度は東側への道を下った。愛川町に出る。清川村とか、愛川町とか、鉄道に駅がないと馴染みがなく、ぴんと来ない地名だった。
                     町のなかに入っていくと、どことなく懐かしい、少しだけむかしの風景が残っていた。コンビニではない商店があった。美容院というよリパーマ屋と言ったほうがしっくりくるカットサロンがあった。電気屋さんがあった。町はこじんまりと集まっていて、ゆったりそのなかを走り抜けた。
                     町を抜けると真新しい道路に出て、いつの間にか見渡す限りの緑のなかに僕はいた。町を走っているときからずっとそばに川が流れていて、バーベキューや河原遊びを楽しんでいる場所もいくつかあった。カラフルなパラソルやタープが立ち、子供たちが川のなかで泳いでいた。場所が変わると今度は長い釣竿がいくつも並んでいた。僕は橋のひとつで立ち止まって、地図を見てみた。中津川というらしい。釣竿はアユを狙っているそうだ。
                     神奈川県でこんな場所があるのか──。
                     僕は走りながらその緑の深さに驚いていた。
                     厚木からそう離れていないのだ。川を渡っていけば相模原なのだ。


                    (素晴らしき愛川町の緑)


                    (流れる川も涼し気)


                    (その上を行く美しい道路)


                     さんざん緑のなかの道を楽しんでいたらいつの間にか開けた街なかに出ていた。やっとお腹もすいてきた。食事を済ませ、朝出発した本厚木の駅に再び戻ってきた。

                    渡良瀬遊水地から太平山、栃木ヘ

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                      <今日のコース>


                       東武日光線を栗橋駅で降りた。
                       けっこうな数の人が一緒に降りた。階段を上り改札を抜けると大半の人が左手のJR改札口へ向かう。乗り換えの人はたいがい慌ただしい。しばらくベンチで見ていた。今度はJRの列車が着き降りた人が改札へ向かってくる。JRの改札を抜けた人たちの多くが東武の改札へと消えて行った。
                       利用客の大半が東武とJRの乗り換えに利用しているのに、この駅は東武の快速も、JRの快速も止まらない。なんだか不思議な駅だ。
                       鉄道むすめたちと一緒に写真が撮れるらしい。


                      (栗橋みなみと栗橋あかな)


                       栗橋の駅前で自転車を組んで走り始めるとそこはすぐに利根川で、長い利根川橋で渡って茨城県に入った。渡って利根川沿いに進むと利根川サイクリングロードで、堤防の高い土手の上から古河の街を一望しながら走ることができる。近いところは大半が田んぼでその先に家々の屋根が見える。遠くには駅周辺なのかビルがいくつか見えた。進むうち、川はその広い河川敷のなかのどこかで分岐していて渡良瀬川になる。大きな河川同士の合流箇所なのだけどそれがどこなのかさっぱりわからなかった。
                       三国橋を渡って県道沿いのサイクリングロードを進むと今度は広大な渡良瀬遊水地とそのなかの谷中湖が目に入ってくる。あまりにも広すぎて遠くまで見通しきることができない。湿度が高いせいか霞んでいて見えないのかもしれない。僕はサイクリングロードの沿道にある道の駅きたかわべに寄ることはやめ、中央口から谷中湖に入ることにした。
                       湖の真ん中を横切る橋を渡り、緑のなかを走る。あまり高くない木々が並ぶ林(と言っていいのか)を見ながら行く。時間が早いせいか人があまりいない。ランをする人、自転車に乗る人、散歩をする人、せいぜいそれくらいだ。バーベキュー広場に行ってみたが芝生には誰ひとりいなかった。日中は人であふれる芝生がいやにだだっ広い。よくここにバーベキューをしに来るけれど、こんな誰もいない状況なんてなかった。自転車を放り出し、芝生の上に横になって転がってみた。ただ広すぎて人がいないものだから、自分があまりにちっぽけに思えてすぐにやめた。
                       北口から外に出て渡良瀬川へ向かう。ぽつぽつと雨が落ちてきたけれど、ここにいたって雨宿りができるわけでもなし、小降りで濡れるような雨じゃなさそうだからそのまま進むことにした。時間が早いせいか車もまったく来る気配がない。
                       そしてここも、僕のこよない至福の並木だ。先月の日光・千手ヶ浜への道とまた違う良さ。どちらがいいというわけじゃない、それぞれに良くてそれぞれに楽しみ方がある。
                       渡良瀬川の橋の手前で土手の上の道に入った。はるか遠くに利根川から見た古河のビルが薄ぼんやりと見える以外は、人を感じさせるものが何ひとつない。どこでもドアで連れてこられて、「ここは釧路湿原のなかだ」と言われても僕なんか気づかないのだろう。


                      (湖の真ん中を行く谷中湖西橋)


                      (バーベキュー広場の誰もいない芝生)


                      (渡良瀬遊水地内の道路と並木)



                      (渡良瀬遊水地を望むと北海道の湿原のよう)


                       渡良瀬川を離れ岩舟へ出てJR両毛線の岩舟駅に自転車を止めた。さっきぽつぽつと降り続けていた雨はいつの間にか上がっていた。自販機で冷えた缶コーヒーを買い、壁伝いについた木のベンチに腰を下ろす。なんだかこの駅ってくつろげるなあ――。僕はこの駅が好きだ。無人化のおり、木造駅舎は取り壊されてプレハブの待合室だけの駅舎にされてしまうことが多いけれど、ここは残った。ただ、かつて窓口だったガラス窓や券売機のあった場所は、白い壁で埋められてしまった。
                       さらに岩舟から大平に向かう。水田のなかのいつも使う道。ぶどう畑では夏から秋に向けたぶどうたちがたくさんの実をぶら下げていた。

                       大平下の駅を横目に見てここから太平山へ上ることにした。山は「太」で旧町名の大平町や駅の大平下は「大」。厚い雲に覆われて日差しはないけれどひどい蒸し暑さで、坂に入ると途端に汗でびしょ濡れになった。幾人もの自転車にすれ違う。すがすがしくあいさつしていくけれど、涼しげではなかった。下りだからと言って冷えるような気候じゃないみたいだ。
                       あじさいがあちこちで咲き始めていた。上りきり謙信平に着いた僕は自転車を置いて、だんごを食べることにした。ござに座り、謙信平から眺める。百パーセントにほぼ近い湿度は、その眺めを見せてはくれなかった。晴れていれば都心のスカイツリーやビル群が見えるらしい。霧がかかった日であれば周囲の山々が雲海から浮かび、霧のなかの浮島のように見えるという。いずれも僕は見たことがない。


                      (僕の休息地、岩舟駅)


                      (謙信平で食べられる太平山だんご)


                      (思いがけない珍客が)


                      (高湿度は眺望をすべて消してしまった)


                       通称国栃坂(国学院栃木高校の横の坂だからだろう)を下り、栃木の街に入った。今まで一度も口にしたことがなかったじゃが芋入り焼きそばを食べようじゃないかと今日は勇んできた。店も場所も調べてきた。いざ入るとじゃが芋入り焼きそばだけじやなく芋フライなんかもある。そして頼む。美味しくて満足だったが、ひと品ひと品のボリュームが大きく、ひとりでは持て余す量。それなのにこれで380円+80円なのだ。これは巴波川沿いでも散策してお腹がこなれるのを待つしかない。
                       僕は栃木の街なかを散策した。

                       巴波川沿いをゆっくり走りながらふと思い立った。
                       ――小金井まで行こう。


                      (じゃが芋入り焼きそば・並で380円)


                      (芋フライ・80円)


                      (有名店らしい)



                      (巴波川を散策)


                       栃木の街をあとにし、県道を東へ向かった。県道は水田のなかを行く。景色はずっと田んぼだった。渡良瀬川の支流の思川を渡りまた田んぼ。十数キロ、それだけの景色のなかを走って小金井の駅に着いた。
                       小金井の駅は、JR宇都宮線の三分の一かあるいは半分がここで終着となるターミナル駅だから、てっきりもっと大きな駅だろうと想像していた。それこそとなりの小山駅のような。
                       僕がこの駅に来たのは初めてで、いつも通り過ぎるばかりだったターミナル駅の興味もあった。ちいさな売店とローカル駅でしかない自動改札の数と狭い跨線橋。選択を誤ったかな、と思う。これだったら栃木の街散策に時間を充てればよかったか。栃木も最近じゃ小江戸の街を生かしたカフェなんかも多くできている。僕はコーヒーが飲みたくなった。しかし駅周辺にコンビニもなく駅舎内の売店とホーム上の自販機があるだけだった。
                       ――まあいつかはこの駅に降りるのだから。
                       そうだそりゃそうだ。もともと興味はあったのだから来るべき駅ではあったのだ。それが今日になっただけだ。僕はホームのベンチに腰を下ろし自販機で買った缶コーヒーを飲んだ。

                       いつのまにか、まぶしい日差しが地面に届いていた。夏が来る。ひどく暑い夏かもしれない。夏が来る。疑いのない日差しを眺めて僕はコーヒーを飲んだ。



                      都下を自転車散策、足湯ヘ

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                         自転車で走るということにそれほど興味を持っていなかったのだろう、車で走っても狭くて走りづらい場所だと思っていたから──それは今も──、いざ走ろうと案を練り始めたとき、あまりにこの一帯の土地勘がないことに気づいた。
                         西武線が北から二本、中央線、その南に京王線という鉄道路線と、新青梅街道と青梅街道、その南に甲州街道という道路しか頭に入っていない。それを縦につなぐ道路は、環七、環八を過ぎるとその外側にまったくの知見がない。小金井街道とか府中街道とかあったっけ? それは縦筋の道路なのかな。──そんなレベルだ。

                         だから僕が調布にいて、走る道路が品川通りと言われるともう何が何やらわからない。でもこの道が西へ向かう道なのだろうと進んでいく。
                         品川通りはかつての品川道を現代に置き換えた道、古道は府中の大國魂神社から多摩川の河口六郷付近へ向かっていた道だとか。現代は経路も変わり府中から調布へ。東端はつつじヶ丘あたりで途切れているという。
                         僕がこの品川通リヘやって来たのは、自転車では走りにくい道ばかりの他の都下道路に比べて走りやすいと聞いたから。じっさいそうだった。それは知られた事実なのか、多くの自転車乗りとすれ違った。もちろん知らないからもしかしたら青梅街道や甲州街道だってすれ違うのかもしれないけど。

                         ミニストップのイートイン・スペースで休息を取ったあと、再び品川通りを進み、府中に近づいたあたりで中央自動車道沿いの側道に移った。
                         右手に、大きな東京競馬場があらわれた。
                         はじめて訪れた場所、はじめて見る競馬場で写真を撮っていると人が絶え間なくやってくる。これから競馬観戦だろうか。どこからか、多くは自転車でやって来る。自転車を駐輪スペースに止めて入り口に消えて行った。
                         ここへきてはたと気づくのは「ビールエ場」だ。ユーミンの歌だ。
                         高速道路の左側へ移って進み、南武線のアンダーパスをくぐると、なるほどサントリーの工場の目の前に出た。



                        (続々と人が現れる東京競馬場)


                        (おそらくここは裏門じゃないかと思う)


                        (サントリーのビールエ場


                         今日は、武蔵五日市を目指そうと走っていた。
                         武蔵五日市という場所も車で通過したことがある程度で馴染みはないし、加えて帰路の輪行で今まで乗ったことのなかったJR五日市線に初乗車できるのも楽しみだった。
                         中央自動車道が多摩川の向こうへ消えてしまうまで高速道路の側道を行った。走りやすい道だと思った。高速道路の高架がうまい具合に日陰を作ってくれて暑くもない。片側の景色が奪われてしまうので走って楽しい道とは言い難いけど、東京の場合、走りやすいだけでもありがたいのかもしれない。
                         高速道路沿いから離れてそのまま進んで行くと、渋滞の最後尾になった。自転車も含めなかなか進むことができない。あとで調べると日野橋の交差点らしい。僕は立川へ向かうため、国立の街なかへ分け入った。静かな住宅街だった。
                         やがていつの間にかずいぶん都市化された風景のなかに僕はいた。
                         立川の駅近くだった。
                         ビルのあいだ、道路の上の高いところをモノレールが通っていく。その高さが、そそり立つビルの高さと相まって空をひどく狭くしている。歩車分離信号の交差点はスクランブルの横断歩道、その上をそれぞれの方向に人が歩いていく。信号が変わっても人は交差点内にだらだらと残り、車がゆるゆると人を避けながら発進する。モノレールが音もなく上空を通過する。信号待ちをしながら目に映るその光景が、僕には近未来の都市を思わせた。それは東京や新宿といった場所よりも強く感じさせる。こことか、千葉とか──。
                         立川から拝島に抜け、睦橋でいよいよ多摩川を渡る。ここまで来るとずいぶん遠くまでやって来た気がした。


                        (睦橋からの広い風景)


                        (山も近づいて見えてきた)


                         坂の途中のマクドナルドで小休止して、少し走るとJR五日市線の終着、武蔵五日市駅に着いた。高架の線路に大きな駅舎──というか、高架下の大きなスペースに作られた駅舎だ──、その前に広がる広いロータリー。
                         東京都であるのに「来たな」感があった。馴染みのない路線、その終着駅にはどこにだって魅力がある。ここだってそうだ。頭上高く、延びてきた線路はここで途切れている。

                         僕は自転車を置き、階段を上がって駅構内へ入ってみた。コンビニのニューデイズ、並ぶ自動改札機があって首都圏の大きな駅と変わらない装いだけど、ひと気はなく静かだった。電光掲示板には発車案内が掲示されている。30分おき、拝島までの電車が運転されているようだ。

                         ロータリーに戻ると、電車が着いたようで駅の階段からたくさん人が出てきた。夏のさなかのような恰好の若者が多い。彼らは大きなクーラーボックスや、スーパーの買い物カゴかあるいは洗濯カゴにも見えるような荷物、ビーチパラソルやレジャーテーブルを持っている人もいた。──バーベキュー? ロータリーで仲間の車に合流したりしている。
                         僕はこの少し奥にある温泉施設に行ってみることにした。およそ5キロくらい、お昼も食べていないから食事もできるといい。僕は再び自転車に乗り、線路の終わった先へと道を進んだ。道は五日市街道から檜原街道に名前を変えた。


                        (マクドナルドで休憩)


                        (五日市線の終点、武蔵五日市駅)


                         武蔵五日市の駅から5キロ前後、瀬音の湯という温泉施設に着いた。
                         途中、下ってくる自転車に何台もすれ違った。彼ら彼女たちはこの檜原街道のさらに上にある都民の森なんかに行くのだ。下ってきているということは、上ってそして帰ってきたということだ。

                         瀬音の湯は日帰り温泉施設ながら、宿泊用のコテージを備えた、気軽に利用できそうな温泉リゾートだった。奥にはレストランもあって僕はここで食事をとることにした。レストランには大きな窓があり、その外には緑が広がっている。緑のなかには散策路があり、人が行き来する。散策路からは谷へ深く、秋川の河原まで下りられる道もつけられているよう。そんな窓の外を眺めながら僕はそばを食ベた。
                         敷地内には足湯もあり、無料だった。僕は靴下を脱ぎ足湯に浸かってみた。気温の上がった暑い日ではあったけど、湯に浸かるのは心地よかった。ときおり涼しい風が駆け抜け、蝉だろうか虫の声や鳥のさえずりなんかが聞こえてくる。ここは東京都だ。


                        (瀬音の湯のそば)



                        (足湯でくつろぐ)


                         くつろいだ身体に満足した僕は、ふたたび5キロばかりの道を下り武蔵五日市駅へ戻ってきた。相変わらず電車のやって来るまでの駅前──30分に一本という間隔は変わらないようだった──はのどかだった。僕はここから輪行する。


                        (深い秋川の谷)


                        (ふたたび武蔵五日市駅へ)


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