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    • 2017.12.05 Tuesday
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    引っ越しのお知らせ

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       これまでこちらにてご愛顧いただいておりましたが、このたびブログを引っ越しさせていただきました。



       移転先にも足をお運びいただけたら幸いです。引き続きこれからもよろしくお願いいたします。

       こちらで作成いたしました記事についてはこのまま残しておきます。
       書くこと書いていくことは何ら変わらないかもしれませんが、お立ち寄りくださいませ。


      チェーンとスプロケットを交換

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         ふだんあまりやらないのだけど、土曜日走って帰ってきたあとにチェーンを拭いていたら、広がっている駒を見つけた。



         最近変速が上手く決まらない原因のひとつだったかもしれない。なにより、走ってるさいちゅうに切れなくてよかったなと思う。本当に。
         以前一度チェーンが切れたことがあった。まるでヘビかウナギが逃げ出すように、するするすると自転車から滑り落ちた。
         チェーンが切れるとひどい絶望感だ。なにもできずに途方に暮れるしかない。どんなにクランクをまわしたって1センチたりとも進んでくれないのだから。
         そこは家を出て三百メートル。僕はわけもわからずそうするのが正しいかどうかの判断もつかないままチェーンを拾い上げ―― これがなかなかうまくつかめなくて苦労した――、自転車を下りて押して家に戻った。

        それから僕は念のためパンク修理キットのなかにコネクトピンを持つようになった。携帯ツールのなかにはチェーン切りが入っているものを選んだ。

        ***


         土曜日の夜にあわてて注文し、月曜日に届いた。



         どれだけ換えていなかっただろう、スプロケットなんかやけに値段が上がった気がする。おおよそ五千円。チェーンは探せばそれほどでもない。二千円台で見つかる。
         僕の自転車についている105は5600系で10速、もう105の10速バーツは手に入らないみたいだ。結果、チェーンはアルテグラにした。そしてスプロケットは――その値段の高さに口を開けてばかりだったけど―― テイアグラの並行輸入品を見つけた。これが二千円台。
         加えて、KMCのミッシングリンク。チェーンを手でつないだり外したりすることのできる駒だ。
         むかし使っていたことがある。それはチェーンを外して洗うことが目的だった。でもそれも面倒で、チェーンは洗剤をかけてタワシニ個で挟んでぐるぐるまわせば充分きれいになるとやり方を変えてからはチェーンを手で切る必要もなくなったのでふつうにコネクトピンでつなぐようになった。
         今回ミッシングリンクを頼んだのは、出先で万が一チェーンが切れてしまったときに、これがあれば仮にチェーン切りでコネクトピンをはめ込むことができなくてもなんとかなるだろうと思ったから。もちろん、そうするためには外側の駒をひとつ外す必要があるから、チェーン切り自体は必要だけどね。



         ミッシングリンクは二個入り。ひとつをチェーンの結合に使い、もうひとつをサドルバッグのパンク修理キットのなかに入れておくことにした。

        にっぽん縦断こころ旅と輪行袋

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           よく続く番組だなと思う(もちろんいい意味で)。関口知宏氏がやっていたJRの鉄道旅も幾人かがやった街道旅も終わり、また新しいものを企画的にやったりしている──そういう意味じゃ関口知宏氏は世界旅タレントになったような気もする──けれど、同じ企画でこれだけ続いているなんて驚くばかりだ。
           もっとも鉄道乗りつくしにせよ街道歩きにせよ、地図にラインマーカーを塗っていくような企画で、塗り終えたらそこでお終いというのはうなずける。その点この自転車旅は視聴者からの手紙が企画の柱だから、極論手紙さえ来ればいくらでも続けられるのだ。あとはテレビなので番組の需要と、視聴率という結果で判断されるのだろう。で、必要とされ結果も残している番組ということなのだろう。

           この番組は前日サイクリングした土地からスタートし、当日のサイクリングする土地へは輪行で移動することが多い。輪行好きの僕としてはこのシーンが好きだったりする。
           輪行しているのは火野正平氏だけで、他のスタッフの自転車は車で運んでいると想像できるので、車だって運べるところをあえて番組として輪行することを選んでいる。──やっぱり輪行が旅情をかき立てると意識してくれているのかなあ、それはそれでとてもうれしい。

           さて見ている僕としては火野正平氏の輪行袋にまで興味がいく。記録としてつけているわけじゃないから僕の記憶のおよんでいる範囲だけれど、番組が開始した当初(2011年)は、タイオガのコクーンを使っていた。
           途中から、リン・プロジェクトのカラフルな輪行袋に変わった。
           七色ではないだろうけどかなり派手だなと思わせる輪行袋、しかしながら確かに氏のセンスあるサイクルファッションにも合うように思えた。
           でも考えてみたらこれはリン・プロジェクトのブランド統一だったのかな。
           火野正平氏は走るとき、「カスク」と呼ばれる革製の頭の保護防具──ヘルメットメーカーにカスクっていうのがあって、それとは別に製品の名前なのだからややこしい──をかぶるけれど、それがリン・プロジェクトの取り扱いだったから輪行袋もウチのでお願いしますになったのか、そのへんよくわからないけれどこの業界というのはそういうものなんだろうなと思って勝手に見ていた。

           僕は年中熱心に見ているわけじゃないからかいつまんで見て、輪行がある回に見て気づくわけなのだけど、いつからだろうか輪行袋がまたタイオガのコクーンに戻っていた。たぶん、スーパーライトっていうモデル。
           あれ? またなんで? リン・プロジェクトは?
           そう一瞬疑間は持ったものの、あまり気にもせず番組を見ていた。
           でもふと気づく。──そういえば走っているとき、カスクをかぶってない。

           いらぬ勘繰りは不要なのだけど、リン・プロジェクトとなにかあったのかな。



          久しぶりにヘルシーロード

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             午後や夕方には用事のある日が続いて、出かけてもパッと帰ってくるサイクリングが続く。輪行や車載である程度の遠出を考えても、行き帰りで時間を食われてしまい、サイクリングが短くなってしまう。
             まあそれでも近所を走るよりはどこかへ出かけて、と思うときもあるし、昼過ぎに帰ってこられるようにと近所を走ってある程度楽しんで帰ってこられればとプランニングすることもある。
             今回は後者だ。



             ヘルシーロードは身近だ。
             越谷の僕からすると見沼代用水の東縁(べり)であれば30分もすれば入り込める。西縁まで出かけても1時間はかからない。
             僕は東縁を越えて見沼田んぼのなかの熊野神社をながめ、芝川を渡って西縁に出た。そこから北上。見沼代用水は東縁であれば西縁であれ、それほど走りやすい道でもないと思う。住宅街のなかを縫うように進むから道もわかりにくいし見通しの悪い交差点も少なくない。走りやすくなるのは上尾市瓦葺で合流してからだ。
             僕は一度ヘルシーロードを離れ、さいたま新都心の駅前から大宮駅前に向かった。
             氷川神社の参道から大宮公園のなかを抜け、また西縁に戻った。

             西縁を走ったのはいつだろう。東縁を走ったのがもう一年半前の桜の季節。西縁にいたっては記憶になかった。
             JRの東大宮車両基地をまたぐ。橋は歩行者自転車専用。そういえばここに留置されている電車たちは変わったかな、と眺めてみると大半が185系だった。時間的にたまたまだったのかもしれないけど、ほかの車両はいないのかな、見たかった。


            (見沼田んぼのなかにある熊野神社)


            (氷川神社にも行ってみた)


            (東大宮JR東日本車両基地)


             途中コスモスがこれでもかと言わんばかりに咲いている畑があった。遠くにテントが見え、何かイベントの準備をしていた。どうやらコスモス祭りをこれからやるらしい。お祭りにふさわしい、圧倒されるほどの広さだった。
             しかし朝から厚い雲に覆われて肌寒い。一度ポツリポツリと雨が落ちてきたほどだ。そのなかで準備を進めていた屋台は「かき氷」の幕を下げていた。この気温、入りはどうなんだろう。

             しかし進まない。
             若干強めの向かい風ではあったけれど、まったく進まない。スピードに乗れない。みんなそうなのかとも思いきや、同方向に走る幾人ものサイクリストにどんどん抜かれる。そしてその速度差は歴然だった。追いつけるはずもない。


            (満開のコスモス畑)

             進まないと感じるサイクリングほどつらいものはない。
             それでも人に無理に引っ張られないよう気を付けながらようやく利根大堰にたどり着いた。利根川の大きすぎる流れにはいつも、しばし目を奪われる。

             船に乗ろう──。
             僕は利根川の土手に上がってサイクリングロードへ入ると、5キロくらい上流にある赤岩渡船の船着場へ向かった。


            (赤岩渡船は埼玉・群馬両県で途切れている県道を結ぶ航路のため、無料)


            (自転車をそのまま載せてくれ、群馬県側へと運んでくれる)


             そろそろ、一日ゆっくり時間をかけたサイクリングに行きたいところ……。



            ルート作成ウェブサービス ‐ルートラボ、GPSies‐

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               この記事に関しましては、移転した新たなブログ( https://cyclecafe.amebaownd.com/posts/1544644 )のほうに掲載しています。

               そちらにも足をお運びいただけたら幸いです。

              嵐山渓谷、比企郡周辺

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                 嵐山渓谷の名前は知っていた。
                 でもどこにあるのかよく知らなかった。
                 近くは何度か、自転車で通過したことがある。でも渓谷とはどこぞやらと思い、そのくせそれ以上調べることもなく、これまでやり過ごしてきた。
                 そこは自転車では到達できない場所だった。

                 車も何台か停められている駐車場。そこから延びるダートの細い道。車が通行禁止なだけじゃなく、車両は全面通行止め。道の入り口にはチェーンが張られ、そこからは徒歩でいくよりほか方法はない。

                 道を奥へ奥へと進んでいくとやがて丘陵部から高度を下げ、川面まで下りた。槻川。水深を見誤りそうなほどの透明度で、その水はゆっくり、ゆっくりと、少しずつ流れていく。驚くほどゆっくりと。
                 流れの速度がゆるければゆるいほど、僕は自分の視線が川に吸い寄せられていくのを感じる。どこかで魚が尾びれで水面を蹴上げる。あとから見ればドーナツ状の波紋がゆっくりと、広がってやがて消えていく。









                ***


                 午後少しまでの限られた時間で、どこを走ろうかあまり考えも浮かばず、嵐山を中心にときがわ、小川あたりをまわろうかと考えたのが前日。あわただしくルートを引くのでそれがどういう道なのか想像もつかない。40キロ少々のルートが出来上がり、じゃあこれで行ってみようとルートをガーミンに入れた。
                 そのとき知ったのが笛吹峠という名の小さな峠。小高い丘を越える程度の場所に峠の名前がついていることに興味がわいた。そしてコースに組み入れた。
                 ルートは鳩山からときがわに抜ける。明覚の駅前から西へ、白石峠へは向かわず途中松郷峠へ入って小川へ抜けることにした。そこから槻川沿いに進み、嵐山渓谷を見て戻るコースを組んだ。

                 ルート上僕を驚かせるように現れたのが、欄干のない細い橋だった。僕はそんな橋など知らずに都幾川を渡るようにルートを引いている。まるで四国四万十川でも思わせる。荒川の樋詰橋も思い浮かぶけれど、こっちのほうが断然、風情がある。あとでこの橋が鞍掛橋という名であることをツイッターで教えてもらった。そうか、ここはみな知っているほどの有名な場所だったのか、と少し恥ずかしくなった。
                 両側に広がる都幾川の大きな流れを眺めながらゆっくりわたり、その先の里道をたどっていった。


                (欄干のない一本橋、鞍掛橋を渡る)



                (都幾川周辺の里道)



                (都幾川周辺の里道)


                 笛吹峠へ向かう道は途中から「林道将軍沢線」となった。うっそうとした、しかしながら木々の樹齢はそれほどでもない林のなかを上っていった。すぐさま峠。
                 峠には笛吹峠と書かれた大きな看板。僕は自転車を降り、寄せて写真を撮ってみるが、こんな場所で写真なんか撮るの? とでも言いたげな幾人かのサイクリストが僕を追い越していった。
                 峠を下ってときがわの町へ出て、八高線明覚の駅前に向かった。

                 ここへやってきたのは幾年ぶりだろう。
                 後方には秩父への急峻な白石峠や弓立山などといった、自転車乗りには有名な坂がいくつもあるからどうしたって自転車は多い。それを差し引いても数が増えているように感じられて仕方がなかった。県道沿いにあるデイリーヤマザキには据え付けられたバイクラックが2台あったが。そこには埋め尽くさんばかりのロードバイクがかかっていた。
                 僕はそれから駅前へ行ってみる。
                 こちらも案の定、駅舎の壁に何台か、少し離れた場所にもロードバイクが置かれていた。
                 僕は片隅に自転車を置き、休憩した。
                 偶然にも八高線のキハ110が、ホームへ入ってきた。気動車が絵になる。
                 僕はトマトジュースを飲んで休憩。


                (笛吹峠・標高にして百メートル足らず)


                (到着した高麗川行き普通列車)


                 数多くの自転車集団とすれ違う。その半分あるいはそれ以上はそろいのジャージを着ている。チームなんだろう。一台すれ違うと列をなしてそのまま何台もの自転車が通過する。
                 それから多くの店の店先にバイクラックが用意してある。
                 自転車が多く走り、根付いている街なのだなと思う。
                 途中の信号で右へ折れ、松郷峠へ向かった。
                 車が通らなくなればしんと静まった峠道だ。ときどきつづら折を織り交ぜながら峠へと向かっていく。いくつかのカーブを曲がった先にピークと思わせる場所と、小川町と書かれた小さな案内標識があった。
                 それ以外に峠を示すものは何もない。

                 小川の町に下りると、国道や県道は避け、できるだけ槻川沿いの道を進んだ。田園が広がり、ちょうど稲刈りの真っ最中の田が多かった。コンバインが田んぼに出て余すことなく田んぼの稲を刈り取っていた。
                 さあ、いよいよ今日のメイン、嵐山渓谷へ向かおう。



                (八高線の踏切の風情がいい)


                (田園の稲刈り風景)


                魅惑の地図

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                   先日の能登半島車紀行に出かけたとき、久しぶりに道路地図を買った。
                   ここのところの長距離車紀行に出かける機会には、ネットの地図とカーナビと、手もとにある古い全国道路地図を使っていた。
                   だいたい出かけるときなんて大雑把なプランしか立てていないから、地点間のルートや渋滞や障害の回避、それに気が向いて急に寄り道がしたくなった、なんてときは地図に頼る。
                   こういうときって紙(本)の地図だよね。
                   ネットの地図をスクロールしても、カーナビに目的地をセットしても、僕の思い通りにはならない。紙の地図上で全体を見てどこを経由してどこを目指すのか、これができないと僕という人間がなんの役にも立たないことがわかった。
                   結局これまでも頼ったのは全国の道路地図。しかしこれはもう10年以上も前の地図だ。地図の10年とはほとんど役に立たないことを思い知らされた。

                   今回買ったのは、それまで使っていた全国地図と同じ「ミリオン」。
                   見慣れていて、そしてあとから知ったのだけどベージ割りは10年以上前のものとまったく変わらなかった。そりゃそうか、全国地図なら国土が変わらない限リページ割りを変える必要もないからね。

                   行程中、地図ばかり見ていた。
                   道を選択する、経路を決めるというより、むしろ見ていることが楽しくて仕方がなかった。今走って来た道を立ち止まって地図で見返す。復習でもするか、あるいは裏付けでも取るか、そんなふうに。

                   帰ってからも地図ばかり見ている。
                   同じミリオンの全国地図を並べて、10年以上の変化を楽しんだりもしている。
                   折は平成の大合併よりも前、かつての市町村が浮かび上がる。なかった道路が増えている。道路の籍番が変わっている。地図の魅力は尽きるところがない。

                   コーヒーメーカーがこぼこぼと音を立てた。僕は一度席を立ちコーヒーを取ってもう一度席に戻ると、先日の能登車紀行を思いだし、能登半島のページを開いた。古いほうの地図も並べて開くと、能登半島の先端、珠洲の先、蛸島まで鉄道が伸びていた。


                  石川・富山、自動車紀行

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                     金曜の夜に都内を出発した。
                     今回は車で旅をする。石川県の能登半島へ行こうと思った。夜、走り通して輪島の朝市へ行ってみたい、その計画で内堀通りを走っていた。皇居のまわりをジョギングして楽しむ人をながめていた。
                     半蔵門から四ツ谷を抜け、新宿から甲州街道に入った。金曜日の夜の気だるい渋滞が続く。たまに流れても、交差点のたび、信号で各駅停車になった。
                     僕は高速道路があまり好きではないので、できれば一般道路で行きたいと思っている。しかしこれでは先々がどうなるのか、予測をぼやけさせた。せめて東京都を中央高速で避けようとETCカードを挿した。

                     松本で午前2時くらいだろうか。漠然とした予測はそんなものだった。混雑を避けて調布から大月まで高速を使ったおかげなのか、それとも本来そのくらいのものなのか、日本海に出た糸魚川で午前2時半過ぎだった。なんとなく高速に乗って取り返したんだという気分になった。夕飯にと石川のパーキングの隅の席に座り、ひっそりと食べたかつ丼も何となく救われる気がする。
                     海はまったく見えないけれどそこに海がある感覚が伝わってくる。親不知、この辺りは急峻な地形だろうと想像する。海が見えず道も整備してあるから実感はわかない。僕はライトの照らす範囲だけ見ながら車を走らせた。
                     北陸は未知だ。鉄道で一度だけ旅をしたことがあったけれど、まだ長野新幹線すらないころの、上野からの特急白山で金沢へ向かったきりだ。もうずいぶん昔のことで距離や旅行時間の感覚すら覚えていない。
                     おまけに地図で見ると富山から先は道が複雑に入り組んでいるように見える。気持はずっと日本海沿いを進んでいきたかったが時間の計算もできず、ここで無理なロスは避けたいと国道8号で高岡まで行き、能越自動車道で氷見、七尾と走った。高速道路だけどまだ(まだということなのか?)無料区間だった。七尾で途切れた高速道路を降りてくると空が白み始めていた。
                     高速道路を降りて国道を走っていると並走してJR西日本の七尾線が見える。それがやがて第三セクターののと鉄道に変わる。電化されていた線路が非電化になる。レールも明らかに貧弱になった。
                     七尾までも高速道路でずいぶん距離があるなと思ったけれど、その先、穴水までがまた長い。
                     穴水で地図を見て判断をする。時間を見ればまだ早い。輪島で朝市を見たあとにぐるりと回ろうかと思っていた珠洲を先に回ろうか。禄剛崎には行けるだろうか。まあ無理はしなくても。──そんなことを考えながら珠洲に向かって進路を取った。
                     ここが長かった。能登町宇出津(うしつ)を経て、内浦町松波を通過する。いよいよ珠洲市に入って鵜飼を過ぎてようやく珠洲の中心街に着いた。
                     道の駅に立ち寄ってひと回りすると裏手にかつての珠洲駅があった。のと鉄道の能登線、古くは国鉄能登線だ。それがここまで来ていた。そしてもうふた駅先の蛸島まで達していた。石川県の津幡で北陸本線から分離し七尾、そこから穴水を経てここ珠洲まで鉄道がやってきていたことが簡単には想像ができなかった。七尾からでも相当な距離があった。鉄道は確かに公共交通網であるけれど、これだけの距離を気動車で延々走り続けていたというのが思い浮かべられないほどだった。
                     しかしここには十年少し前まで、れっきとした定期の営業路線として列車が行き来していた。


                    (保存された珠洲駅)


                     今回車で走るのに、あらたに道路地図を買った。紙の地図はいい。スマホの地図やカーナビは目的地へ向かうための道具でしかない。同じ地図であるのに。
                     紙の地図から浮かんでくる興味は計り知れない。
                     その地図を見ると、かつての能登線の終着蛸島がピンク色に塗られている。大きめの集落だ。この周辺で言うと珠洲も鵜飼も松波も塗られていない。能登町の宇出津と穴水くらいか。つまり今いる珠洲よりも蛸島のほうが町として大きいと言える。
                     僕は蛸島から禄剛崎まで回ってみたかった。しかしながらすでに、この能登半島の思ってもみなかった大きさに圧倒されていた。広すぎるのだ。
                     輪島の朝市が気になる。何時に着けるだろうか。
                     それまでに塩田の海岸線や白米千枚田もある。どれだけ立ち寄り箇所があるかわからないけれど、禄剛崎まで回れるだろうか。
                     僕が選択したのは蛸島の手前、正院から内陸を北上し木ノ浦へ抜けるルートだ。つまり能登半島の先端、禄剛崎をあきらめたということだ。

                     ──これは帰ってから僕を後悔させることになった。
                     正院から木ノ浦に回るのであればもう、それほど距離は変わらないからだ。でもこのときの僕は一分でもいいから時間を稼ぎたいと思い始めていた。穴水で珠洲回りを選択してやってきたら、そのかかった時間に圧倒されていたに他ならないのだ。

                     今回の行程は雨をずっと引きずっていた。
                     最初に都心を出発したときから少しずつ降り出した雨は、やがて北陸に到達するころには本降りになっていた。やむ気配も見せない。木ノ浦に到達して目にした日本海はまさに鉛色だった。
                     木ノ浦に来たからと言って何か特別なことがあるわけじゃない。僕はそのまま進路を西に取り輪島に向かった。
                     僕は途中、その走る道の美しさに魅了され思わず車を止めた。大粒の雨が傘に音を立てるなか、僕の技術ではどうしたってきれいに写すことのできない写真を、それでも何枚か収めた。自転車で、青空と海を眺めて走れるならどれだけ気分がいいだろうと想像する。じっさいいくつかある能登半島の道の駅はみなバイクラックが用意してあった。ほかにも飲食店にも用意してあることがあった。
                     自転車ウェルカムなのだ。
                     風光明媚、そのなかを自転車で駆けること、そして地域の自転車へのサポート、自転車にとっての追い風条件がそろっている。しかしながらこの起伏はどうだろう。かなりの上りを上り下りを下る。おまけに町と町を結ぶこの距離だ。能登半島を一周するとおよそ四百キロと聞いたことがある。どのくらいの大変さなのか、いったい何日かかるのか、正直あまり感覚がわかない。
                     塩田のある道の駅で塩を買い、白米千枚田に寄った。相変わらず雨が降り続けていて、好転する気配すらない。


                    (道の駅すず塩田村に立ち寄って塩を購入)


                    (白米千枚田に寄ると何台もの観光バスが止まっていた。)


                    (日本海沿いに走る道の美しさ)


                     輪島の朝市で干物をセットにしてもらったり壜詰めの塩辛を買ったり……。朝市の路地を散策しながら、朝の連ドラのセットを残した場所に立ち寄り、それからパン屋に入りパンを買った。パン屋の隅には薪ストーブがあった。「この薪ストーブはじっさいに使われるのですか?」と僕は聞いた。「もちろん使います」年配の店員は実はあるじだろうか。「もう半月もしたら火を入れますよ」と言った。「薪ストーブの独特の温かさとにおい、大好きです」僕がそう言うとあるじは笑った。そしてレジでパンを受け取り店を辞した。
                     能登丼というものがある。
                     具材はおおよそ地のものを使った丼だということだけで、地のものであれば海産物も肉もあった。僕は朝市の商店街のなかにある一軒に入り、能登丼とやらをいただいた。ここはお刺身が載っている丼。そして能登丼の定義として、食事に出された箸は持って帰っていいものであること。すべての店がそれをやっているのかはわからないけれど、じっさいに僕も箸をいただいた。


                    (本降りの雨の中の朝市)


                    (朝の連ドラ、まれのセット)


                    (能登丼、箸ももらえる)


                     千里浜ドライブウェイは砂浜の上を車で走れる道路として知られている。僕も何度となくテレビや写真でその光景を目にしていた。輪島から羽咋へと移動し、そして車を止めたそこは確かに砂の上だった。
                     波打ち際まで車を寄せて写真を撮る。ふだん、そんなことなど絶対にしないのに、ここは特別な気分にさせた。
                     砂浜の上を車で走っていく。
                     波打ち際からの一定間隔の距離がなんとなくの道路という感じ。バスが走りセダンが走りスポーツクーペが走る。いろいろな車が思い思いに──ときには右車線左車線入り乱れて──車が走っていく。僕も波打ち際に寄せたり、また戻ったり、この千里浜ドライブウェイを走った。空は変わらず鉛色だった。

                     金沢には向かわず、津幡から再び県境を越えて富山にいた。あとになってその県境が倶利伽羅トンネルだと知った。名前は知っていた。その先が南砺市。五箇山の合掌造り集落へ向かっていた。
                     道は国道156号で飛越峡合掌ラインという愛称がついていた。しかし愛称を持つほど立派な道かというと逆に国道なのかと思うほどで、センターラインも消えるところがあった。すれ違いに困るというほどの狭さではないけれど、むかしながらの入り組んだつづら折りに忙しくハンドル操作をしなくてはならなかった。
                     五箇山に着くなりまた雨が降ってきた。傘なしで身軽にとはいかず、しっかり降り出した雨に僕は傘を取りに車へ戻った。


                    (初めての砂浜)


                    (五箇山の合掌造り集落)


                     明けて翌日は夕方には都内で用事があったため、寄り道などせずに戻る必要があった。
                     とはいえ高速道路を好まない僕はできるだけ一般道で走りたい。
                     帰路に、安房峠越えをすることは決めていた。
                     しばらく国道でJR高山本線沿いに走り、道なりに走ると猪谷で高山本線と別れ神岡へ向かう。猪谷から神岡と言ったら神岡鉄道の走っていたルートだ。
                     残念ながら国鉄神岡線時代を含めて僕はこの路線に乗ったことはない。そして引き継いだ第三セクターの神岡鉄道は10年前に姿を消した。
                     しかし神岡の町に入ると、レールが残っている。遺構か、そう僕ははしゃいだ。それにしてはレールは真新しく銀色に輝く部分もある。しばらく線路と並走していると、向こうから自転車を括り付けたトロッコで親子が線路を駆け抜けてきた。そしてそれに続くように、何組ものトロッコがすれ違っていく。
                     僕は線路をまたぐ立体交差の上に車を止め、その線路をながめてみた。もうトロッコはやってこない。集団でやって来るのか?
                     かつての終着駅、奥飛騨温泉口駅に答えはあった。そこがレールマウンテンバイクの基地で、ここを起点に、決められたダイヤで自転車を漕ぐのだ。そしてこれに乗るには予約が必要で、もちろん今来て今乗ろうなどというお気楽な行動は無理だった。その人気は、休日の予約は先々まで埋まっているほどだった。

                     さあ帰路につこう。
                     車は山道を上る。安房峠は旧道でその峠を越えたいと思ったけれど、時間的にそれはかなわなかった。僕はETCをセットし安房トンネルでその峠の姿容を見ることなく、長野県松本市へと抜けていった。
                     トンネルを抜け、上高地からの道路が合流するころになると交通量がぐんと増えていた。もともと岐阜側からも安房トンネルに向かうにつれ、車は増えてきていたのだが、松本側に抜けるとその量に驚いた。まさに有数の観光地、僕は上高地にも乗鞍にも残念ながらまだ行ったことがないのだけど、その集客に驚かされた。


                    (残されている神岡鉄道のレール、駅、設備)


                    (帰路走った安房峠道路)


                    (有料道路は安房トンネルで一気に峠を越える)


                     松本市内に下りるとなんだかまるで東京に戻ってきたかのような錯覚に陥った。そんなことはまったくないのに、遠い長野の地なのになぜかそう感じた。この先、高速道路を使わざるを得ないとわかっていたからかもしれないし、山から下ってきた交通量に揉まれたことでそんな気分になったのかもしれない。
                     僕は少しでもその気分を振り払おうと、時計とにらめっこしてから塩尻峠を越え、諏訪湖の西岸を経由して諏訪南インターまで車を走らせた。

                    地図の出ないのGPSマップ

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                       やっと、晴れマークの付いた週末だった。
                       僕は三浦半島、葉山公園の駐車場に車を止め、このあと明るくなってくれるだろうという期待を込めて厚い雲の空を眺めていた。
                       三浦半島は時間に限りのあるときに便利だ。首都高を車で走らせれば時間もそれほどかからない。夕方までに戻らなくちゃならないとき、地元埼玉ではない気分を求めたいときにもってこいだ。

                       僕は車から自転車を降ろし、メーターや備品をつけていく。
                       GPSマップ──僕のものはガーミンのeTrex30xだ──の電源を入れ、同じように準備をする。貼ってあった付箋をはがして。
                      「高度がずれているようなので設定すること。葉山公園:7m」
                       三浦半島のルートを入れたときに貼ったメモだ。
                       しかし高度の設定メニューがどこにあるのかわからない。
                       何度も何度も探るがたどり着けない。
                       そのうちに僕は、「規定値設定」と書かれたメニューを選択した。

                       ──地図が、真っ白になった。

                       僕のガーミンeTrex30xは英語版で、それを日本語化して使っている。ときどき怪しげな日本語が現れるけれど、気になったことはない。
                       規定値設定──僕はてっきり規定値の内容が確認できるメニューかと思った。そのボタンを押すと、「よろしいですか?」も「Are You Sure?」もなく真っ白になった。
                       工場出荷状態に戻す、に似たような初期化メニューだったのだろうか。よくわからない。が、その場で僕は途方に暮れることになる。
                       僕はあせって地図の有効、無効の設定を確認した。
                       英語版のガーミンに僕は日本地図を入れていない。僕が使っているのはネット上で入手可能なOSM(OpenStreetMap:ここで入手可)で、ガーミンはこの地図を「バードアイ」というモードで表示してくれる。言わば地図に対するオーバーレイというところだろうか。地図データに対し、画像を重ねて表示してくれる機能だ。
                       そして僕は真っ白で日本の道路の記載がない、標準の世界地図を無効にし、バードアイで表示されるOSMだけを有効にして使っている。

                       ──地図は、標準の世界地図しかなかった。OSMは消えていた。

                       僕はひとつしか表示されていない、標準の地図を有効にし、地図を表示した。
                       ルートは消えていなかったようで、道路表記のない地図の上にくねくねとルートが表示されていた。


                      (陸と海との境界のみの地図の上にルートのみが表示される)


                       僕はこのルートの屈曲だけを頼りに、半日三浦半島を走った。

                       城ヶ島に渡り、自転車乗りには有名な食堂、しぶき亭に寄ってみた。
                       あいにく僕が空腹になっておらず、ここのマグロカツ定食は残念ながら食べられないなと思った。ま、でも飲み物も飲みたいし、自販機で何か買おう、そう思って立ち寄った。
                      「自転車はこっち置いて」
                       駐車場整理をしているオジサンが案内をする。ここは駐車場の隅にバイクラックがあるのだ。
                      「壁に立てかけといて」
                       とオジサンは店の外壁を指差す。僕がまわり込むように駐車場に入ると、バイクラックには立錐の余地もなくロードバイクがかかっていた。そしてバイクラックだけじゃない、駐車場の隅、ほかの場所にもロードバイクが群になり固めて止めてあった。
                       そうだソフトクリームを食べよう──僕はロードバイクの数に圧倒されながら、「ソフトクリームだけでもいいですか?」とオジサンに聞いた。
                      「いいよ。そこに立てかけな」
                       僕は自転車を置くとソフトクリームを買いに行った。
                      「いやあ今日は自転車がすごいよ」
                       店内のオジサンがソフトクリームのコーンを手にしながら言う。このオジサンはいつも自転車乗りにサービスの一品料理をつけてくれる人だ。
                      「ここのところずっと週末が雨だったでしょう、久しぶりに晴れたから、もう待ち焦がれたようにやって来たね。自転車もバイクも」
                      「こんなに混むことはないですか」
                      「さすがにここまではないねえ」
                       言われてみれば確かに今日はたくさんのバイクに抜かれ、たくさんの自転車に抜かれた。


                      (しぶき亭を埋め尽くすロードバイク)


                      ***


                       帰宅後、OSMを入れ直さなきゃならないなと思いながらガーミンをPCに挿した。その前に念のためバックアップをと、ガーミン本体とmicroSDを一式PCにコピーする。
                       それに30分以上を要した。大きいファイルがある。しかし、大きいファイルってひとつしかない。OSMだ。ということはファイル自体はガーミンに存在しているってことか?
                       僕はバックアップが終わると一度USBを外し、ガーミンの電源を入れてみた。


                      (地図が表示されるガーミン)


                       あるいは現地で、ただ単純に電源を落とし、再投入すればよかったってこと?
                       いまだに「規定値設定」のメニューの内容がわかってない……。

                      (今回の三浦紀行はなし。真っ白ガーミンに気を取られたのと、自転車の多さに圧倒されて、なんだかのんびり楽しめなかったからです……)


                      (三浦の台地を一直線に貫く京急の高架橋)

                      西上州曇天雨天

                      0

                        (地図)


                         何週、週末の雨予報が続いただろう。
                         もちろん予報は雨だけど降らないときもあった。浜松の鉄道旅をしたときや、富士山を見に新道峠に輪行で向かったときだ。それ以外にも自転車に乗ることができたり出かけることができたりする日もあったかもしれない。でも結果的には雨の予報や降水確率を見て、ときには朝の空模様を見てあきらめる日が何回も続いている。
                         週間予報はこの一週間めまぐるしく変わった。
                         土曜日は雨の予報がまず出て、日が経つにつれ降水確率が上がった。かと思えば週の中ごろを過ぎると晴れマークの付く天気予報も現れた。僕は行けそうな場所、雨に降られなさそうな場所を見つけて出かけるつもりになっていた。

                         輪行が多い僕だけど、この日は車を用意した。
                         もし雨に降られたとき、身体がずぶ濡れの状態で電車に乗るのはいかばかりか気が引ける。もちろん結果的に降られてしまって濡れた身体で乗ることがなくはないけれど、できれば避けたいと思っている。その点車ならどれだけ濡れようとかまわない。
                         変化の多い天気予報を見つつ僕はいくつかのルートを引いた。神奈川、栃木、群馬。木曜日、金曜日の天気予報を追いかけると、関東は一円あまり変わらないように見えた。曇りときどき晴れの予報あるいは曇りときどき雨の予報。天気予報ごとに出す予報は異なれど、その予報のなかで地域による予報差はほとんどなかった。
                         僕はそのなかから神奈川のルートを選択した。小田原から大雄山や足柄をめぐってくるルートだ。箱根の至近ながらまったく足を踏み入れたことのないエリア。日が近づくにつれ僕は興味を強くしていった。
                         しかし土曜日の朝、ニュースのなかで気象予報士は「太平洋岸ほど雨が降りやすいでしょう」と告げた。時間別天気での小田原は終日、傘のマークが現れていた。曇りのマークが続くのは群馬や栃木の北関東だった。
                         そんなわけで僕は甘楽町の道の駅にいた。
                         まだひと気も少なくひっそりとしたそこは、やはり厚い雲に覆われていた。北関東とはいえ朝の予報では午後3時以降は傘マークが並んでいた。今は朝8時半。これから6時間を楽しむことにしよう。
                         とはいうものの、熱心に計画を立てたルートではなかった。目新しさはない。富岡から松井田に抜け、横川を経て碓氷峠を上る。軽井沢でお昼ごろだろうか。帰路は和美(わみ)峠から下って下仁田に下りる。とりあえず西上州を走るなら、という程度。ここに来てからもう少し事前に情報収集しておけばと思った。
                         富岡製糸場の前を通った。入り口に向かって行列ができていた。9時開場、その前から楽しみにしている人が並んでいた。富岡はいい街並みをつくっている。ここを通るとつい立ち止まる。富岡製糸場への興味はそれほど強くないけれど、富岡の街はいい。ここで少しのんびりしてみたいと思う。思うのだけどいつも忘れてしまう。まだ開いていない喫茶店を気にしながら通過して、僕はそのまま松井田へ向かった。
                         国道18号と国道254号のあいだ、鉄道でいうと信越本線と上信電鉄とのあいだには妙義山から東へ延びる丘陵部がある。下仁田から松井田に抜けるにしても、富岡から松井田や安中に抜けるにしても、吉井から同じように安中に向かってもこの丘陵部を越えなくちゃならない。標高は高くないけれど、急な坂や上り返しもあったりして意外に疲れる。あわてずゆっくり坂を上りながら西を見ると、雲のなかにすっかり隠れてしまった妙義山の裾野だけが目に入った。

                         横川のおぎのやドライブインの前で缶コーヒーを買い、ベンチに座って休憩した。国道18号はこの空模様にもかかわらず交通量が多く、みな軽井沢へ向けて坂を上って行った。
                        「これから碓氷峠に上るの?」
                         革ジャンに身を包んだ、僕より15歳は上だろうか、男性の三人組がバイクを止めて僕に声をかけた。
                        「はい、今からです」
                        「大変だ」
                         とひとりが言う。
                        「でも、自転車で坂を上るの好きな人も多いっていうよ。明日は赤城山を封鎖して自転車で山を上るレースをするんだと」
                         と仲間が言う。
                        「へえ」
                         そんな会話を仲間内でしている。僕は笑って聞いている。
                         僕がベンチを立ち空き缶を捨てると、気をつけてなあと声がかかる。僕もお互いにと声をかけた。

                         国道18号旧道は雨こそ降っていないものの路面は濡れ気味で、空気が身体にのしかかるような重みを感じた。坂本宿を抜け、峠への坂道になる。道は森へ分け入り、路面はついさっきまで雨が降っていたのではないかと思うほど濡れていた。ずっと降り続く長雨のせいなのだろうか、国道18号の路面をまるで洗い越しのように水の流れが何箇所も横断していた。
                         旧信越本線のめがね橋で自転車を止め下から眺めていると、そこへ先ほどのバイクおじさん三人組が追いついてきた。「やあ」と言う。「お疲れさまです」と僕は返した。
                         空腹を感じてバッグに入れてきた蒸しパンを口に放り込んだ。それから再び碓氷峠に向かって出発。バイクおじさん三人組はめがね橋のうえへ散策しに行ったようだ。
                         国道18号旧道には、カーブごとに1番から順に番号が振ってあり、確か184まであるはず。途方もない数だ。そんなに上らないと着かないのかといつも驚く。しかしそのぶん傾斜はきつくない。名のある峠でここまで勾配が緩いのはあまりないように思う。
                         傾斜がきつくてもいいから短い距離で越えてしまいたいと言う人もいる。逆に距離は時間をかければ堪えられるから傾斜は楽なほうがいいと言う人もいる。人それぞれだ。僕はどっちだ? ──そう言えば考えたことがなかった。
                         道路距離は長いものの峠までの直線距離がそれほどあるわけじゃないので、道はつづら折りで距離と標高を稼いでいく。右に曲がると左、曲がるとまた右。直線はほとんどなくてめまぐるしい。後ろから3台のバイクがやって来て僕を追い越していった。手を挙げて次のカーブヘ入っていく。僕も手を振りかえした。彼らはすぐに次のカーブで見えなくなった。

                         国道18号旧道が坂を上り切るその場所に「長野県軽井沢町」の案内標識があらわれた。カーブは184まであったっけ──すべてを見ていたわけじゃないからわからないけれど上り切った。空は厚い雲に覆われるどころか、霧に覆われたように白んでいる。松井田で見た妙義山を思い出した。ここは雲のなかなのかもしれない。
                         下りに入り始めてすぐ、国道18号旧道を離れて旧軽井沢の別荘群の道を選んだ。最も軽井沢らしい風景、そうここで書きながら避暑地の風景を楽しみたいところだったけれど、雲のなかは細かい霧雨に包まれていた。身体は徐々に濡れていくようで、それよりなにより県境を越えたら空気まで入れ替わったかのように寒かった。
                         たまらず、軽井沢銀座には向かわず、大通りを駅に向かった。引いてきたルートではここから軽井沢銀座を散策ののち、中軽井沢に向けて別荘群やホテルのなかを抜ける小道を走ろうとしていた。でもそれを続けられないほど、あっというまに身体が冷えた。そして身体が求めるまま駅近くのそば屋に入り、あたたかい月見そばを食べた。

                        「軽井沢ってところは特別寒いんだよ」
                         おはぎを食べながら僕が軽井沢から下ってきたことを話すと、和菓子屋の主人はそう言った。
                        「ここや松井田と比べると標高が全然違うけど、佐久なんかと比べても格段に寒いんだよね。空気が違うと言うか」
                         僕はへえと言う。
                         軽井沢でそばを食べ終えた僕は、久しぶりの軽井沢で散策をする気も起きず、ウィンドブレーカーを着こんで早々と出発した。ずっと霧雨にさらされているような状況のなか、プリンス前から南軽井沢を経て和美峠へ出た。
                         10年以上使っているウィンドブレーカーは自転車用でも何でもなく、はっ水効果はもう完全に失われていた。霧雨はウィンドブレーカーを通過して僕の身体を濡らしていた。
                         そんな天気だから和美峠からの下りは路面がしっかり濡れていた。急坂の続く下りを慎重に進み、上州姫街道の本宿(下仁田町)まで下ってきた。本宿の町ではまだ降り出していないのか、路面が乾いていた。
                         本宿は今、上州姫街道の県道がバイパスとなって、旧道沿いにぽつんと残っていた。静かに、でもしっかり根付いた町があった。おはぎの文字につられ、僕は和菓子屋へ入った。
                        「昔はこの町のなかにも映画館があったくらいだから」
                         和菓子屋の主人は言った。
                         かつては軽井沢へ向かう車で渋滞がひどかったと言う。街道のバイパスとして県道が川むこうを大きく迂回して通るようになると車はそちらヘまわり、町は落ち着いた。やがて上信越道が開通すると、下仁田から和美峠経由で軽井沢へ向かう人はいなくなり、町全体が静かになった。
                        「ここにいても今は仕事がないから、若い人はどんどん都会へ出ていくからね。ずいぶん人も減ったよ」
                         話し込んでいるあいだに窓の外に篠突く雨が落ちているのが見えた。さっきまで雨の気配はなかったのに。
                         それにしても今日いちばんの雨だ。時間は午後2時半過ぎ。僕はとどまることより進むことを選択し、ごちそうさまでしたと店を辞した。
                         5分も走るとヘルメットから水滴がしたたり始めた。車で来ているがゆえどうしたって甘楽まで戻らなきゃならない。20キロ前後あるはずだ。
                         僕は下仁田の町なかまで下りてくると、駅に寄ってみた。サイクルトレインが走っているのでは? と思ったからだ。駅に自転車を立てかけ、ヘルメットを外して改札に立つ駅員に聞いてみた。
                        「もう終わっちゃったんじゃないかなあ……」駅員は時間を確認する。「もう自転車を乗せられる電車は終わっちゃいましたね」
                         時計は3時過ぎ。
                         天気予報は大当たりだった。

                         僕は駅員にありがとうございますと礼を言い、雨をあきらめて国道254号を走った。



                        (道の駅甘楽)




                        (富岡の町風景)



                        (めがね橋)



                        (軽井沢駅前通り)



                        (上州姫街道・本宿の街なみ)

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